第11話 決意とコケッコ
GWに入った。
この期間は時給が高いので、朝から夕方までシフトに入っている。
バイトを終えて店を出ると、いつもの場所で和歌乃さんが待っていた。
今日もメガネとマスクをしているが……今までで一番落ち着いているように見える。
それだけで少し嬉しくなってしまう。気が付くと横に道尾さんが立っていて会釈してくれた。
学校が休みの間は和歌乃さんの家に行き、これからのことを話し合うことになっている。
いつもすぐに帰るが「GW中は用事があって深夜になるかもしれない。夕食作りや美琴の面倒を任せても良いですか?」と聞いたら、父さんも菫も笑顔でオッケーしてくれた。
菫は「やっと頼ってくれた」と笑顔を見えてくれたから、それが本音か嘘か分からないけど甘えることにした。
総菜屋を辞めてマネージャーをするかもしれない……というのはまだ伝えていない。
というか、如月初芽が「先にそちら側からNG出されると困るから、伝えるのは和歌乃が心を決めてからにして」と言われている。
それだけ聞くと「自分勝手だな」と思うけど、冷静になると道を広げて待ってるんだと分かる。
「こちらです、どうぞ」
「よろしくお願いします」
俺は頭を下げて道尾さんが準備した車に乗り込んだ。
前は夜だったから気が付かなかったけど、窓ガラスは黒くて、外からは誰が乗ってるか分からない……芸能人とかが乗っている車はみんなこうなっているのかも知れない。
俺は後部座席で口を開く。
「道尾さんは、和歌乃さんや初芽さんの送迎を担当されてるんですか?」
「今までは初芽さまへの付き添いがメインで、和歌乃さまがお仕事されるときも付き添っていました」
「マネージャーさん……というか、仕事を管理してるのも道尾さんなんですか?」
「そうですね。ただ初芽さまにお仕事の依頼はここ数年ありません。お仕事はすべて和歌乃さまに対する依頼でした」
その言葉に俺の横に座っていた和歌乃さんが親指を口に運んでうつむく。
道尾さんは運転しながら続ける。
「和歌乃さまが出演した作品を選び、その番組宣伝としてバラエティー番組に呼ばれ、それに初芽さまが出演されていました」
「いやでも俺、ファッション雑誌に出てるのを学校で見ましたが」
「ファッション関連のお仕事は初芽さまが自ら営業して得てきたものです。もともとお好きで先日から衣装デザインの会社にアルバイトに入られてます。如月和歌乃さん……として」
「行動が早いですね」
俺の言葉に道尾さんは後部座席に座る和歌乃さんを見て静かに口を開いた。
「和歌乃さまには辛い言葉に聞こえるかも知れませんが、初芽さまは、初芽さまなりに、ずっと和歌乃さまを応援して、待っていました。どうしたらよいのか考えて、色々な相談もされました。私には名案が思いつかず……お話を聞くことしか出来ませんでしたが。初芽さまは和歌乃さまが動き出すのを、ご自分の準備をされながら待たれていたんです」
「……はい」
俺の隣で和歌乃さんは、何度も「はい」と言いながら頷いた。
好き勝手に生きているように見えた如月初芽。バラエティー番組で爆笑していたのを見たことがある。
芸能人の誰と食事に行ったとか、誰とは知り合いだとか……そういう話をしている所しか知らなかった。
でも俺は、今もあの夜の叫びを思い出す。
『如月初芽から解放してほしい』
その姿を今も忘れられない。
俺は普通に生きてきたから、気持ちが理解できるかと言われたら分からないけど、自分が自分として扱われないのは、つらいだろう。
それをずっとしてきたのは和歌乃さんだけじゃない。
如月初芽も同じなんだ。
ひとりで大丈夫なのかな……と思うが、もう活動を始めたというなら、きっと平気なのだろう。
それにきっと文句や愚痴があったら自分から来る気がする。いや、絶対くる。
如月家は明るい時間帯にみると、とにかく敷地が広かった。電車が走る音も聞こえてくるから、改めて駅に近い場所だと知らされる。
歩き出すと、コキョーーー!! と叫ぶ物体が飛び出してきた。それは鶏だった。
庭をトコトコと数羽の鶏が我が物顔で移動している。そして俺をキュワッと見た。
その目、その挙動、突然加速する動き……怖くね?
俺は正直、動物というか、生き物関連は苦手だ。
動物園でクジャクに追われた恐怖が忘れられないのもある。
和歌乃さんが近づいてきて、サッと鶏を抱きかかえた。
「コケッコ。ここまで来ちゃダメでしょう」
コケッコと呼ばれた鶏はコケーーーキョッキョッキョ! と身体を動かしているが、和歌乃さんは上手に抱っこしてそのまま移動していく。
すげぇな。
そこら中から客を出迎えるように鶏が出てきて、コキョーッコキョッと俺を囲む。
君の卵はすごく美味しいし、貧乏な我が家の救世主だけど……鶏……怖い……。
和歌乃さんは、捕まえた鶏を囲いの中にポイと入れてすぐに戻ってきて、
「ほら、コケッコ。戻りなさい。ほら、こっちのコケッコも。だめよ、コケッコ」
と鶏を捕まえてすべて囲いの中に入れていった。
聞いていると……どうやらすべての鶏の名まえは『コケッコ』のようだった。
「……全部、名前はコケッコ?」
俺がきくと、和歌乃さんはハッとして抱えていた鶏を投げ込み、俯いた。そして、
「全部、鶏なので」
と言った。
たしかに全部鶏だ。それに見分けもつかない。それに今隣でコケッココケッコ言っている。
俺たちは上手に話せないままなのに、すぐ横で大量の鶏がコケッココケッコ言っているのが面白くて、楽しくて笑ってしまった。
すると、俺の目の前で和歌乃さんも目元を緩めた。
それをこっそり見ながら思う。
冷静になると、和歌乃さんはものすごく可愛い。
こんな可愛い子と一緒にいられるなんて……実はすごくラッキーなのでは……それでお金がもらえるってマジで……?
なんだかドキドキしはじめた俺の横でコケーーーーッと鶏が大きな声で叫んだ。
いや、鶏の面倒は見られないけど、大丈夫かな。
「どうぞ」
中に入ると、和歌乃さんは黒くて大きなスリッパを出してくれた。
前に来たときは出されなかった。そしてそれは新品に見えた。
「……もしかして、準備して、くれたり、とか」
「あっ。あの、はい。えっと、インターネットで買いました。ずっとお仕事をしてきたお金を食べ物以外に使えて、嬉しかったので……あの、これ」
そう言って和歌乃さんは奥の和室から写真立てを持ってきた。
そこには『紳士用スリッパ 980円』と書かれた領収書と、俺が最初にあげたバンドエイドが入っていた。
「バンドエイド。使えなくて。でもすごく嬉しかったので、ここに入れました。領収書も嬉しかったので、入れました。毎日見ています」
そういって和歌乃さんは目元だけで微笑んだ。
その気持ちが嬉しくてスリッパに足を入れると、キュッと締め付ける新品の感覚。
「ありがとう、うれしい」
そう素直に伝えると、和歌乃さんは手に持っていた写真立てを大切そうに抱えた。
「私も、うれしいです」
小さなことを大切にするのが和歌乃さんなんだな。
やっと見えてきたカタチを、心に保存した。
写真立てを持っている和歌乃さんの指をよく見るとなんと全ての指にバンドエイドが貼ってあった。
俺は思わず身を乗り出す。
「指、全部に貼ったの?」
「あ、はい。もうすぐ学校に行くので、指を食べないようにしないと、と思って、すべての指に貼ったんですけど……やっぱり食べてしまっていて」
「俺の妹、菫っていうんだけどね。今中学校二年生で、和歌乃さんと同じで爪を噛む癖があったんだ」
「だからこんな方法を知ってたんですね」
「菫は一番食べてしまう指にはって、六年以上かかったよ。だから突然やめるなんて無理だと思う」
「そう、ですか」
和歌乃さんは親指に貼ったバンドエイドを指先でぐじぐじと触り始めた。
俺はそれを見て静かに頷く。
「そう」
「?」
「食べないで、触れるだけになるとか、そこからでいいんだよ。口に入れて不快、だからべとべとしている指先に触れる。そこから始めよう」
「はい、わかりました」
和歌乃さんはそう言って口に運ぼうとしていた指に気が付いて「はっ」と口を開けて、指を空中でぐちゃぐちゃ、くるくる……と動かして膝の上に無理矢理着地させた。
この仕草も菫がしていたなあと思ってしまう。あまり最初から「駄目だ」と言わずはじめていかないと辛くなりそうだ。
部屋な隅に見慣れた西宮学園の制服がかけてあった。
「あれは、如月初芽の?」
「あ、はい。クリーニングから返ってきました」
「着てみた?」
「はい」
和歌乃さんは目を細めてほほ笑んだ。それは本当にふにゃあと、顔の中心にある石みたいなものが、液体になってあふれ出すような甘さで。
俺は立ち上がって、それを手に取って和歌乃さんに渡す。
「サイズは大丈夫だった?」
「あ、はい」
そう言って上着を羽織った。それはすごく嬉しいプレゼントを受け取ったのに、そのまま喜ぶのはかっこ悪い。
天国にのぼってしまいそうな気持ちを無理矢理押さえつけているような目元と、口元で。
俺は「実はそんなに制服を着て学校に通いたかったのか」と思う。
こういう小さな仕草を見るたびに「そうしたいなら、手伝ってあげたい」と思う。
制服の上着を着たのを見ていると、袖が少し短いように見えた。
確認すると、やはり2センチほど袖だししたほうが良いように見えた。うちの制服は袖だしできるタイプのものだ。
俺は父さんからやり方を学んでいて、二年生になる時は自分でやった。
俺は和歌乃さんの顔を見た。
「この仕付け糸を取って、サイズを変更しようと思う。でも直したら、もう和歌乃さんの制服になるよ? 大丈夫」
和歌乃さんはじっ……と制服の袖を見つけて、強く、穴が開いてしまいそうなほど強く見つめて顔をあげた。
「サイズを、私のものに変えてください」
「……わかった」
俺はアイロンや糸などを道尾さんから借りて作業を始めた。
それを和歌乃さんは静かに、おせちが出来上がるのをずっと待っている子どものように見ていた。まるで「栗きんとんってほんとうに栗をつかうんだね!」と言っていた美琴のように目を輝かせて。
俺がチクチクと縫う横で、和歌乃さんは正座して状態で今までのことをぽつり、ぽつり、と語り始めた。
如月初芽がスマホにアプリを入れていて、学校の様子は中学生の時から聞いていたこと。だから学校関係者はすべて分かること。
「声と名前は、一致してると思います」
「じゃあ、『如月さぁぁあん?』って呼ぶ先生は?」
「担任の安藤先生です」
「正解」
「『初芽ちゃ~~ん』って呼ぶ子は?」
「生徒会三年生副会長の飯田先輩です」
「正解」
クイズを出すとすぐに名前を答えた。
ずっと聞いていたから……と指を口元に運んだ。
「どんな人なんだろうって、どんな所なんだろうって、いつも音を聞いてました。大きなヘッドフォンで、想像しながら」
「楽しみ?」
「いいえ……怖いです。どうしよもなく怖い。私はあんなに強くない、何もできない、そっくりの別人、嘘つきの偽善者、私は初芽みたいにちゃんとしてない……」
和歌乃さんはさっきまで制服を羽織って嬉しそうにしていたのに、不安の欠片が見えた瞬間に情緒不安定になり、言葉を床に吐き始めた。
俺はパチンと糸を切って制服の上着を和歌乃さんに渡した。
また泣き始めていた和歌乃さんは、涙を流したまま上着を羽織った。
腕を通してもらって確認すると、サイズはちょうど良くなった。
「そうだね。もうこの制服は如月初芽のサイズじゃないよ。今ここにいる如月和歌乃さんのものだ」
「……はい……っ、頑張ります、決めたんですっ……」
そう言ってクッ……と顔の中心に苦しみを集めるように強く目を閉じて和歌乃さんは唇を噛んだ。
俺たちは初登校の日の待ち合わせ場所を決め、学校の話をしてすごした。
前途多難だ。びっくりするほど不安定で、突然もろいガラスのように情緒不安定になって泣き出してしまう。
それでも、如月和歌乃として立ちたいというなら、俺は付き合うことに決めたんだ。
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