第27話 紫トカゲの後始末

「トカゲが紫色を好きなのには理由があるんです」


 和歌乃さんが会いに行った日、彩華さんは映像を見せながら教えてくれた。

 トカゲに張り付いて二か月。トカゲはたまに紫色のレターセットを買っていた。

 そして誰かに手紙を書いている。それを知った彩華さんは誰に出しているのか調べた。

 出てきた詩織さんとの話。

 最初俺たちは「トカゲも苦労したんだな……」と同情的になった。

 好きだった女の子と引き離された過去。

 数日後……すべて調べ上げた初芽さんが言った。

 

 「トカゲ、全部知ってやってるわ」と。


 初芽さんが詩織さんの父親に接触すると「すべて伝えたのに何なんだアイツは!!」とキレられたようだ。

 君の父親が嘘をついたと。全部伝えて、もう二度と詩織に近づくなと警告したようだ。

 わかった、とトカゲは言って、それから手紙は出されてない。

 それが中三の頃の出来事。

 そこからトカゲは「全身を紫に染め始めた」ようだ。

 分かりやすく紫をアピールしはじめた。「むしろ誰かに見せつけるように」。

 初芽さんは詩織さんが「いらない!!」と押し付けてきたトカゲが出していた手紙を見ながら、


 「父親に『全部知ってるぞ、俺は優秀だぞ』と見せたいのかもね。トカゲの父親は頭が良くて息子にドラッグストアのほうを継がせる気はないみたいなのよ。全く血が繋がってない他人を後継者に考えて面倒見てる。そいつはトカゲに強く出てて、決め言葉はいつも『ちっせーガキ』だって。詩織さんと紫、そしてこの言葉を目の前で言えばたぶんパニックになってキレるわ」


 と言った。

 俺たちはその事実を踏まえて作戦を考えた。

 紫に染まっているであろう会場を、裏から緑に変えてSPを引きはがすのは初芽さんの仕事。

 近くにいてすべてを至近距離で撮影するのは彩華さんの仕事。

 近くに立ち、和歌乃さんに何かあったら助ける仕事は俺。

 そして一番大変だったのは和歌乃さん……初芽さんになりきり会場に入り、次は詩織さんになり『自分をプールに突き落とさせる』。

 そしてそれを拡散させて、トカゲを落とす。

 トカゲ自身が手を出している絵を作り「コイツと一緒に居たら堕ちる」という空気を作らないともう勝てないと初芽さんは言った。

 だからって……やっぱり出来るのか怖くて仕方なかったけど、和歌乃さんはやり切った。


「……身体が、光ってます」


 和歌乃さんは全身ずぶぬれの身体をみてポツンといった。

 当然だ。ラメだらけのプールに突き飛ばされたんだから。

 それは俺もだけど。


「俺もだ。大丈夫? 出ようか」

「はい」


 服を着たままプールに飛び込んだので、自力で出るのは難しい。

 プールサイドに居た人たちが助けてくれたんだけど……プールから出た和歌乃さんの下着が透けていて、俺は慌てて自分の濡れたシャツを脱いで和歌乃さんにかけた。

 水に落ちること分かってたなら、こう水着とか着てくるべきだったのでは?!

 いや俺が着せるべきだったのでは?! マネージャー失格だ。俺はシャツを脱いで和歌乃さんに着せた。 

 冷たくてべしょべしょだと思うけど、そんな下着が透けた状態でシャワー室までいくよりいいだろ。

 着替えは準備してあったのでこれで一安心……俺も男用のシャワーに行こうとしたら、更衣室から「寺田くんっ」と声が聞こえた。

 更衣室に戻ると、和歌乃さんが背中を見せていた。


「あの、ひとりでは脱げないドレスなんです」

「そっか。じゃあえっと、失礼して、えっと、すいません」


 俺はスススと更衣室に入った。そして和歌乃さんのドレスの背中部分のファスナーに指で触れる。

 それは水で濡れていて、予想以上に進まない、というか、あれだ、ラメが入り込んでるんだ!

 入ることを想定してないプールだったのだろう、これは困難だ……。

 少しおろすと、引っかかる。指先でラメをどかしながら、ゆっくりとファスナーをおろしていく。

 まあおろしていくと、和歌乃さんの背中が見えてきて、別の意味で緊張してしまう。

 俺は家で菫や美琴を見ている男だぜ……? これくらい余裕……なわけもない。

 指先が触れるのを抑えつつ、何とか半分くらいまでおろした。

 ここまでくれば……と手を止めたら、和歌乃さんがぐりんと俺のほうに回転して、しがみついてきた。

 背中に細くて、濡れた腕がしがみついてくる。

 身体のカタチがよくわかる。

 俺は体温に唇をかんだ。

 ちょっと……と思ったら、和歌乃さんが俺にしがみついて言葉を染み出すように吐き出した。


「……怖かったです」

「うん」

「すごく怖かった。自分でできるって、やりますって言ったのに、すごく怖かった」

「すごかった。本当に女優さんだ。こんなにすごいなんて知らなかったよ」

「そうですか。嬉しいです、良かったです、良かった」


 そういって和歌乃さんは俺にしがみついて、なんと目を閉じて、うとうとし始めた。

 この状態で寝るのー? 嘘だろ?! 

 疲れたのは間違いない。俺は置いてあったタオルで和歌乃さんを包んで更衣室を飛び出して彩華さんを呼んだ。

 駆け付けた彩華さんは和歌乃さんと共にシャワーに入ってくれたんだけど、中から「きゃあああ、すごいラメ、嘘でしょ、いやあああ!!」と笑い声が聞こえる。

 いや、本当にすごいんだ、俺もさっきから少し乾いた髪の毛からラメがザラザラと……。

 でも良かった、とにかく絵は撮れた。ここからだ。


 着替えて戻ると、トカゲが取り乱したことにより、パーティー会場は騒然としていた。

 動画をみて騒いでる人たち、別にトカゲがいなくても気にせず食事を楽しむ人たち。 

 俺と和歌乃さんと彩華さんは、逃げるようにパーティー会場から脱出することにした。


 家に帰ると、もうお風呂に入ってすっきりした初芽さんがいた。


「ういっす、おつかれ! 完璧だったじゃん、おつおつ~~~!」


 和歌乃さんは初芽さんにしがみつくように抱きつき……そのまま眠ってしまった。

 俺たちはよいしょ、よいしょと和歌乃さんを寝室に運んだ。

 本当にガラスペンが飾ってあるだけのシンプルな部屋……そこに和歌乃さんは静かに寝息を立てて眠りについた。

 初芽さん曰く「限界まで仕事すると、よく寝ちゃうのよ和歌乃は」そういって笑った。


 そして居間に戻り、にやにやしながらSNSを見せてくれた。

 そこにはさっきのパーティー会場動画が、もうアップされていて、すさまじい速度で拡散されているのが見えた。 

 俺たちが匿名で拡散するつもりだったけど、その必要はなかったようだ。

 和歌乃さんはポテトを口に運びながらにやにやした。


「これは捨てアカだけど、アングル的に11の子ね。やっぱりトカゲが何かするのを待ってたのよ。トカゲに山ほどヤバい動画撮られてるからねー。自分たちがイジめてる動画を拡散するまえに、トカゲのほうが悪いってしないと、こっちが死ぬからね」

「……なるほど」


 身を守るために損切ということか。

 見事に拡散していく動画と共に、数時間後にはネットのニュースサイトもそれを掲載した。

 タイトルは『西宮学園の闇』だ。記事を読むと、被害にあった女の子たち……とアゴから下の写真が載っていて、それはトカゲ11固定のひとりだとすぐに分かった。

 写真がちゃんと載っているのを見ると、この数時間以内に取材を受けたことになる。

 めちゃくちゃ動きが速い。

 ホテルに連れ込まれた、学校でキスされた……と書いてあるが……。

 初芽さんは笑う。


「見事な嘘ね。トカゲは何もしてないもの。あいつは結局チキンで、見てただけ。私が知ってる限り、あいつは直接手出ししてない」

「学校でも……俺が見てる限りはそうだった」

「これは女の勝ち。女の子を発狂してプールに突き落とした動画と罵声があれば、ほとんどの人が『弱く見える女を信じる』のよ。私たちが小さな穴を開ければ、そこに11の子たちが流れ込んできて拡散するのは想定どおりね」


 初芽さんはマックシェイクをずるる……と飲んで、


「『存在は人が作り出すもの』……ある意味真理よね。これは存在に消された者……だけど同じ意味。クソみたいな父親だけどさあ……最終的には使うしかないのよねえ……」


 初芽さんは空になったマックシェイクをトンと置いた。

 そしてノートパソコンで今までの経緯をすべてテキスト化。それを父親に送っていた。

 曰く「根っこからデータ消させるのは、大人の力が必要。トカゲがしてることは犯罪として立証できないからね」らしい。

 数分後には「俺に任せろ」と返信が来ていた。

 実の父親相手なのに「お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします」と返信している姿を見て、この家の複雑さを思った。



「初芽!! 大丈夫?! 動画見たよ」

「身体平気? ねえちょっと、トカゲマジでひどいよね、初芽は被害受けてないの?」

「かっこよかったよ、初芽、トカゲ退治すごいね!!」

「気持ち悪いと思ってたのよ、学校でさー。にやにや動画撮って」


 和歌乃さんと学校にいくと、坂の下でもう生徒たちに囲まれた。

 「大丈夫、ありがとう」と和歌乃さんは丁寧に受け答えをした。 

 あの後コテンと眠ってしまった和歌乃さんは、朝にはけろりとして、道尾さんが運転する車で学校にきた。

 プールに落ちて水に濡れて結構長い間いたけど、平気なところを見ると身体は強いのだと分かる。

 でも……更衣室で俺にしがみついて泣いていた和歌乃さんが、たぶんリアルなのだろう。

 俺は背中に手を添えた。


「……大丈夫?」

「はい。ずっと……ずっとラメの海に沈む夢を見ていました。あの瞬間、すごかった」

「すんごい水柱。動画見た? 思いっきり突き飛ばされてたね」

「はい。頭をドン……と打った衝撃は覚えてます。そのあと、ゆっくりと沈んで……その視界が、紫のラメですごかったんです」

「いやいや、あのラメさ、家に帰ってからも身体のどこかから? 頭から? ぽろぽろ出てくるんだけど」

「あ、私もです。頭をふると……こう……」


 そういって和歌乃さんがあたまをふりふりすると、キラリと紫のラメが落ちてきた。

 ふたりでそれを見て「やっぱり」と笑った。

 お風呂で何度洗ってもラメが出てくる。それを見つけた美琴が「しゅごいい~~~」と目を輝かせていたけど、排水溝がキラキラで変すぎる。



 結局トカゲはそっから二週間、学校で見なかった。

 そしてナビゲーション費は今まで落とされてなかった事が発覚。部費として渡されることが決定した。

 生徒会室から見ていると、保存会には11の女の子たちだけが見えた。


「とりあえずトカゲは居なくなったね」


 誕生日パーティーに和歌乃さんが潜入して「何かしたらしい」程度のことは察していた飯田先輩はトッポを俺に渡してくれた。

 俺はそれを受け取って口に運んだ。

 トカゲ11は解散した。それでもあそこに11はいる。

 これからどうなっていくのか俺には分からないけど、飯田先輩もいるし、少し強くなった和歌乃さんもいる。

 あと一年半、ここで活動しようと決めた。

 和歌乃さんは飯田先輩からトッポを受け取って、俺のほうに見せた。


「はい、寺田さん。乾杯しましょう?」

「乾杯? トッポで。了解」

 

 俺も飯田先輩からトッポを受け取って、3人でカチャンと合わせた。

 和歌乃さんは俺のほうを見て、目を細めて微笑んだ。

 その下がった目じりは、心底安心している証拠。


 心臓がくっ……と掌で潰されたように痛んだ。


 実は誕生日パーティーの数日後、トカゲと仕事場で会った。和歌乃さんは撮影中で、俺はスタジオ間を移動していた。トカゲは驚いたことに全身紫をやめていて、一瞬誰だか分らなかった。普通のスーツを着ていたから、通り過ぎる所だった。でもあの細い目とペロペロした舌で分かった。

 トカゲは前のようにドヤ顔で俺に近づいてこない。目をそらして速足になって遠ざかっていこうとした。

 わかってる。

 ここは仕事場で、トカゲは偉い奴だ。

 でも……俺は足をぐっと踏ん張って、去っていこうとするトカゲの背中の服をつかんだ。そしてそのまま空部屋に投げ込んだ。


「ひっ……」

「お前のせいでさあ、めちゃくちゃ傷ついて学校に行けなくなった子がいるんだよ。今も泣いてる子がいるんだ。もう二度と女の子囲って戦わせるな! いじめの温床だ!」

「……わかってるよ」

「そして……」


 俺はトカゲの胸元の服をぐっ……と掴み、


「二度と初芽さんに触れるな。指一本も近づくな、触れるな、絶対許さないからな」


 そういって突き飛ばした。

 トカゲはずるるる……とその場に座り込んで動かなくなった。

 

 部屋を飛び出して廊下を歩きながら思ったんだ。

 俺は自分自身、わりと穏やかな人間だと思ってて、菫が言うほど万人に優しくしてるつもりはない。でも怖いより、優しい寄りの性格かなと思っていた。

 でも……この衝動は自分でもかなり驚いた。

 トカゲを再び見ても我慢できると思ってたのに、全然だめだった。


 そして分かってる。

 こんなの、せっかく学校を楽しみはじめた和歌乃さんに対して抱く気持ちじゃない。間違ってるけど……それでも、俺は和歌乃さんの事を、好きになりはじめていると思う。

 子どもみたいに幼くて、それでも強くて、女優として仕事をすると信じられないような光を発する、この子を守りたい。

 ずっと近くで見ていたい。

 そんな気持ちに気が付いてしまった。

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