第15話 ふと君を思う
昼休みが終わると、道尾さんの車が迎えにきた。
今日は五時間目から授業に出ず、仕事場へ向かう。これが『学校公認の場所で働くということ』なんだ。
特待生クラスの子の多くは、昼休み以降、仕事や所属しているスポーツクラブに向かう。
俺のように勉強で入ってきた組は、他クラスに移動して勉強するか、自習していたが、今日からは仕事になる。
仕事を始める時間が早くなるから、自動的に早く帰れるのが正直ありがたい。
如月初芽は学生ということもあり、主に仕事は平日午後と、土日のみ。
スケジュール調整していくのも将来的には俺の仕事だ。
大人とやり取りするので高校卒業までは道尾さんがしてくれる事になった。
たしかに連絡したいときに、俺が授業中ではどうにもならない。
共通のスケジュールアプリを入れてもらったのだが、学校でもリアルタイムで更新されていき、驚いた。
俺はアプリを見ながら口を開く。
「すいません、道尾さん。俺も少しずつ学びます」
「いえいえ。この前はこっちが譲ったから、今度は先方に譲ってもらう……など人付き合いで決める部分も大きいので、まずは現場に慣れていただいて」
「はい」
今まで最低時給で働いていたので、それと同じような働き方で良いのか……俺に40万という大金に見合う仕事が出来るのか悩んでしまった。
父さんにそれを話したら、新人だった頃の話をしてくれた。
父さんは一時期、失敗が怖くて何も出来なくなったらしい。
そんな時、父さんの師匠が「この着物の染み抜きをやってみろ」と任せてくれた。
その着物は師匠の訪問着で、大切にしていることを父さんは知っていた。
テンと小さく、それでいてどうしよもなく大きく主張している染み。
これを俺が……? と怖くて逃げだしたかったが、必死に分析して頑張った。
でも着物は白くなってしまった。
何度触れても消えない、そこに残ってしまった自分のミス。
師匠に申し訳なくて、情けなくて、もう仕事をやめようと思った。
でも師匠は怒らず、ただ解決方法を一緒に考えてくれた。
白くなってしまったら染料を分析して染めなおすこと。
失敗してもやり直せる。それだけ分かっていれば、人は動けることを教えてくれた。
「その着物は今も取ってある」と父さんはそれを見せてくれた。
染みの部分は全然わからなくて、すごくキレイになっていた。
父さんは、今もこの着物を着て師匠の法事に出ていることも知っている。
そして「金に見合う仕事なんてない。どんな仕事もただ心を尽くすだけだ」と言ってくれた。
話を聞いてすごく心が楽になった。やっぱり父さんはカッコイイ!
俺は最低時給の仕事だから適当にやっていたわけではない。
だからきっと何も変わらず、目の前の事をしていくだけだ。
横に座っていた和歌乃さんの手元から、資料の紙がぺらりと落ちた。俺はそれを拾って話しかける。
「学校、どうだった?」
和歌乃さんはそれを受け取って、頭を下げた。
学校にいた時よりリラックスしているように見える。
力を抜くと、眉毛が下がるんだな。そんなことに車の中で気が付いた。
そしてカバンからスマホを出して、画面を見せてくれた。
そこには俺が描いたコケッコの絵が見えた。
「ずっと緊張してたんですけど……席ではずっとこれをみて頑張りました」
にじんでいるし、何より自分の掌を写真で見ると汚い気がしてしまうが、少しでも支えになって良かった。
「実はこれ、数年間学校に行けなかった妹……菫にしたことなんだ」
「そうだったんですか」
「うちの庭に、いつも黒猫が来るんだけど、その子とずっと菫は遊んでいたんだ。その子が家から出て遊びにいくのについていくようにして、家から出たんだ。その猫つながりで知り合った子と仲良くなって……学校に行くと言い出した。その時、俺は掌に絵を描いて前を歩いたんだ」
「菫さん、すごく頑張ったんですね。いつかお会いしたいです」
「今は如月初芽の印象がすごすぎて無理かもしれないな」
「初芽は初対面とか、全然緊張しないんです、すごいっていつも思います」
そういって右手と左手の指をすべて合わせて、お祈りするように目を細めた。
その表情は大ファンの人を紹介しているような誇らしささえ感じる。
如月初芽をすごく好きで、尊敬しているのがよくわかる。
でも……。
俺は和歌乃さんの目を見て話しかける。
「和歌乃さんもすごかったよ。学校にいたのは、和歌乃さんだった。俺は両方知ってるから気が付かれるんじゃないかって不安だったけど、全然大丈夫っぽいな」
「飯田さんに会って落ち着きました」
「そうだ。打ち解けてて驚いた。仕事で会ったことがあるの?」
「はい。ドラマの現場で何度かお会いしたことがあります。スタイリストさんが同じなので」
「えっとー……」
「金子美穂さんという方で、私も初芽も、飯田さんもお世話になっています。教室にいるときは、声しか知らない人ばかりで、ずっと緊張してたんですけど、飯田さんの顔を見て落ち着きました」
「そっか。あと二年弱高校生活あるだろ。その間はバレないほうが良いと思ってて」
「はい」
「だから両方とも……如月初芽と、如月和歌乃さんに会う人は、なるべく接触を控えたほうがいいんじゃないかと思ってたけど、違うんだね」
「そうですね。少なくとも、今日は飯田さんに会えて落ち着きました」
「そっかー……」
俺は生徒会のグループLINEを見ながら言った。
さっそく入れられたグループLINEには、俺がまだ会ったことない人たちがたくさん書き込んでいて「掃除員さんが入ったと聞きまして?」など高速にログが流れていく。
「昼休みがつらいだろ。如月初芽は毎日クラスメイトたちと食べてたけど、もしよかったら俺と生徒会室で弁当を食べないか」
「! 嬉しいです。正直……一週間経ったらどうしようって思ってました。授業は楽しくて、中休みは短いんですけど、お昼休みが長くて……」
「そうだよな。生徒会の仕事をするという名目で、あそこに逃げよう。まともに活動してるのは如月初芽と飯田先輩だけみたいだし、鍵を持ってるメンバーも限られる。逃げ場所としては良いかも知れない」
「はい」
「でもとにかくさ……掃除しないか? あそこ、やばすぎるだろ」
「初芽の部屋はもっとすごいので……あっ……これ、聞かれてるので……あとで怒られます」
「如月初芽の部屋、あれよりすごいの?」
「えっと……あの……私は何も言ってないです……」
「言ったよね?」
和歌乃さんはスマホを取り出して口を近づけて、その先にいる如月初芽に伝えるように
「……何も言ってませんので……」
とつぶやいた。「ので」じゃない、「ので」じゃ。
俺が思わず吹き出すと、運転してた道尾さんも笑った。
和歌乃さんは「怒られます……」としょんぼりしていた。
しかしあれより酷いのは、理解できない。
車は学校を出て、幹線道路を走っていく。
現在位置をマップアプリで確認すると、東京と神奈川の境目のほうに向かっているようだ。
「郊外に行くんですね。打ち合わせは、テレビ局でしてるんだと思ってました」
道尾さんはミラーをチラリと見て目を細めた。
「スタジオ近くの小さなビルで打ち合わせ……ということが多いですね。テレビ局のスタジオで撮影することは、生放送以外わりとないのです」
「知りませんでした」
「初芽さまが出演されていた生放送のバラエティー番組などは、テレビ局で撮影されてました」
「なるほど」
そのまま流すものと、そうじゃないものの差か? よくわからない。
もう少し勉強しないと……と仕事の流れが書いてあるファイルを立ち上げたら、いたるところに如月初芽のメモが書いてるあるのがわかった。
『この演出は女好きだから要注意。和歌乃も気に入られてるから要注意』
『ここの衣装さんはいい人。ちいかわが大好きだから、グッズを褒めるといい』
『メイクに加藤さんがふたりいるから要注意。しかも仲が悪い。メガネしてるほうが先輩だから立てて!』
前に「挨拶に行ったけど、ぜんぜん顔が覚えられない」と愚痴ったからだろうか。
ありがたい。俺はそれを読みながら口を開いた。
「如月初芽は、大丈夫なんですかね。あいつ……ずっとひとりなんじゃないですか? 状況も変わってるし……誰か話し相手とかいるんですか?」
俺は如月初芽にすごく助けられていると思う。
和歌乃さんも。
でも如月初芽はひとりなんじゃないかとたまに思うんだ。
あの夜、叫んでいた言葉がどうしても忘れられない。
道尾さんは、
「初芽さまは、もうお仕事に入られてますし、お仕事先でも『こんな出来る子がいるなら早く教えてほしかった』と先方に言われました。さすが初芽さまです」
「すごいですね」
俺たちが話していると、ポンと如月初芽からLINEが入った。
『話があるから仕事終わったら家に寄りなさい』
そのメッセージに思わず吹き出す。そういえば全部聞かれてるんだった。
お前ごときが私に偉そうな口を利くんじゃないと怒られそうだ。
聞いているなら……と、俺は口に出す。
「わかったよ。俺も如月と話したい。お前すごいな。メモ、サンキュー」
待ったけど、返信は来なかった。
いやでも、このメモの量はすごいし、ありがたい。
帰ったらお礼を言おうと思った。
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