第3話 俺の特技

「俊太郎くん、冬真くんを貸して」

「はい! どうぞ」


 そう言って俊太郎はササササッと距離を取って離れて行った。

 如月初芽は、基本的に物事を「言い切る」。

 借りていいかな? とかではなく「貸して」の言い切りだ。

 自分中心で、私のいう事を聞くのが当然という態度で、学校内でのあだ名は【女王】。

 でもあの素晴らしい演技が全ての悪評をねじ伏せている……実力があるから仕方ない、みんながそう思っている子だ。

 周りが十分に距離を取った頃、如月は長い髪の毛を耳にかけて口を開いた。


「昨日びっくりしたよー?」


 その言葉に俺は安堵した。

 ぐちゃぐちゃ考えたけど、やっぱり如月か。


「やっぱり如月だったか。いやいや……良かった謝れて。俺こそ本当にゴメン。大丈夫だったか?」

「後方確認して動いてよ。私だったから良かったけど、おばあちゃんとかだとケガさせるよ。汁が服に付いちゃって恥ずかしくて逃げちゃったよ。仕事で疲れてたしさあ」


 学校で如月初芽は【言葉が強い】ので有名だが、俺はわりと正論を言ってると思う。

 わざわざ言う必要がないことも言ってることが多いけど、言ってることはわりと間違ってない。

 ぶつかったのがご高齢の人だったら大変だった。


「その通りだ、ほんとゴメン。いやあ、謝れて安心した。昨日買おうとしてたイチゴ大福とプリン、今度来た時に俺にサービスさせてくれよ」

「……イチゴ大福とプリン?」


 そう言って如月は髪の毛を両手で束ねて手首に10個ほどついていたゴムでまとめた。

 波の隙間を縫う竜のように、髪の毛が踊る。

 この髪の毛が特徴的だったから店長は覚えてたって言ってたけど、確かに腰まであるし若干栗色というか、染めた茶髪ではないから特徴的ではある。

 いや、俺は基本的にバックヤードいるから、お客さんは覚えてないんだけど。

 如月は束ねていた髪の毛をクッと引っ張り「チッ」と小さく舌打ちをして口を開いた。


「そうね、イチゴ大福とプリン。欲しかったの」

「あれさ、実は俺が作ってるんだ。だから買ってもらえるのはすげぇ嬉しい」

「冬真くん、本当に貧乏で働いてるのね。雑なキャラ設定だと思ってた」

「おいおい。誰が好きであんな時間……そうだ、如月。悪いんだけどさ、俺が24時まで働いてるの、秘密にしてくれないか。あの時間帯人がいなくてさ、店長に頼まれて……いや違うな、時給が良いから正直助かってるんだ」


 これは本当の事で、店長も募集をかけているけど深夜のお惣菜屋にバイトはなかなか来ない。 

 来ても一週間もせずにバックれたりする。だから俺は24時までバックヤードメインでバイトをしている。

 如月は束ねた髪の毛を手でくるくる回しながら俺をほうをみて、


「わかった。言わない」


 と言った。

 その言葉に俺は心底安堵した。バレて大事にされたら、あの店自体がヤバい気がする。

 やっぱ早めに22時厳守にしないと。はあーー……そうするとバイト料金結構減るんだよなーとため息をついていたら、強い風が吹いた。

 風から逃げるように目を閉じて開くと、目の前ににんまりとした口元の如月が居た。

 距離が近くて少し驚く。


「その代わり、私のいうことも聞いて」

「……お、おう」

「私が深夜にお惣菜屋で買い物してたこと、誰にも言わないで」


 ああ、そんなことか。


「分かってるよ、言わない。どこが生活圏内か知られるのも嫌だよな。絶対言わないよ」


 この学園は私立ということもあり、遠くから生徒が通ってきていて、みんな住んでいる場所をなんとなくしか知らない。

 中央沿線、地下鉄沿線、その程度しか知らない。

 如月は芸能人もしてて学校の有名人で、そんな子が夜中にフラフラ買い物してた話なんて知られたくないのは分かっている。

 俺だって裕福な家庭が多いこの学校で、あんな服装をしてバイトしてることを見られたくない。

 如月は蛇のような髪の毛を躍らせながら俺の横に戻った。


「助かるー。んで、冬真くんはあの店の近くに家があるの?」

「いや、実はあの店自転車で30分以上かかるんだ。深夜に働いてるのを近所の人に知られたくなくてさ」

「気遣い貧乏とか地獄じゃん」

「いやいや、俺は家のためだから気にならないけどさ。如月も働きすぎなんじゃねーの? なんかあの日の如月は顔が違って心配したよ」

「……顔が違う?」


 俺と如月はゆっくりと学校に向かって歩いていたのに、如月は完全に足を止めた。

 俺と如月の間に春の生ぬるい風が拭き抜けて、もう茶色に変色してしまった桜の花びらが、ザワリと形を見せた。

 あれ、俺悪い事言ったな。

 夜お買い物に来ている女子に向かって顔が違うなんて。

 菫も学校に行く時はキレイに整えてるけど、夜コンビニ行く時はメガネにひっつめ髪の毛だ。


「いや、ごめん、家に帰ってからは違うよな。ごめんごめん、妹もいつもそうだわ」


 俺は慌てて否定するが、如月は真顔で俺のほうを見たまま動かない。

 そして少しアゴを上げて、目を細めた。

 その目はどこか冷たくて冷静で、漆黒の夜に音もなく上っている三日月のようで、背中が一瞬ぞくりとした。

 如月は薄い唇をクッと均等に引いてほほ笑んだ。

 それはまるで面白いゲームを起動させたような表情で。


「どんな風に?」

「えっ……いや……」

「ねえ、どんな風に」


 そこで言葉を区切って、如月は大きく一歩前に踏み出して俺の目の前にきた。

 予想以上に如月の顔が目の前に来て一瞬後ろに身体を引く。

 どんな風に……俺はずっと考えたけど、やっと目の前に来た如月を見て言葉を見つけた。


「目が、違ったから。すごく深い、夜の目。目の奥が、違ったから」


「……へえ。目の奥が。なんでそんなの一瞬で分かるの? 変じゃない? 適当なこと言ってない?」

「いや、俺の母さんが病気で、辛いときに『大丈夫大丈夫』って言うんだよ。それでよくぶっ倒れて、また病院行きになるんだ。それがいやで、よく見る癖がついてる。目の奥は嘘がつけないから。母さんが『大丈夫』って言っても、目の奥が揺れてるときは、嘘なんだ」


 これはもはや生活の知恵だ。

 身体が弱い母さんでも、とにかく家で横になっていれば入院までいかないのに、倒れると遠くの病院に入院しなきゃいけない。

 病院は専門の所で、家から遠いし、なによりバイトにいく時間を削ることになる。

 それは生活に直結するんだ。

 だから目を見てる。

 目を見て、母さんの嘘を見破っている。強く言い切る、母さんは「大丈夫」だという。

 でも本当は?

 目を見て、その奥さえ探るように問いかけると、ぶれる、揺れる、答えが見える。

 今ではほぼ百発百中だと思う。

 だから人と接するときに、意識して見ればなんとなく嘘が分かる。

 それが嘘か本当か、本人に聞かないから確率は分からないけど、目の奥が変な動きをしている人はわりとヤバい人が多いので、すぐ逃げたりする。

 目の奥は嘘がつけない。俺はそう思っている。

 あの時は、転ばせてしまった人が怒ってないか、大丈夫そうな人か気になって、目の奥を探った。

 だから何となくそう思ったんだ。

 如月は、まとめたポニーテールに触れながら「ふーん……それで。なるほど」と呟き、俺の前でくるりと回った。


「冬真くんにそんな才能あるって知らなかった」

「いや大変なんだぜ、母さんがいつも入院するのは大森総合病院でさ、そこは自転車で一時間かかる」

「なんで全部自転車移動なの?」

「人力電池。エコロジー。SDGs。総合の課題終わった?」

「先週出してる」

「そんなバカな!」

「バカ」


 そう言って呆れかえった如月は、俺が良く知っているクラスメイトの如月で、なんだか安心した。

 いやあ、考えすぎだったか。

 俺の横で如月は「ふふ」と小さく笑い、


「へえ……貴方、試してみる価値あるかも」


 そう言って微笑んだ。

 よく分からないけど、女子にあまり「顔が違う」とかいうのはやめようと俺は心に決めた。

 怖すぎる。

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