第4話 指先に見えたものは
「初芽ちゃん~~。おっつー!」
「飯田先輩、おつかれっすー」
眠くなるような柔らかい光が差し込む昼休みの教室。
如月の席には三年生の飯田先輩が来ている。
飯田先輩は如月の口に「えい」とトッポをねじ込んで眉毛を釣り上げた。
「アンケート集まったんだけどさあ、保存会が何枚もぶちこんできてるよ。ひっどいわ、あれ」
「それ手書きです?」
「手書きっぽいけど」
「私この前テレビで筆跡鑑定の先生にあって、コツを教えてもらったんです。誰が書いたか分かるかも。鑑定して掲示板に張り出しましょう。やられたらやり返すじょ~」
「半沢初芽キターーー!」
「生徒会室いきましょう~~ひゃっほー!」
半沢初芽ってなんだよ……恐ろしい。しかも容易に想像できる。
それを聞いて如月と飯田先輩は、生徒会の役員仲間だと思い出した。
西宮学園には、西宮保存会と生徒会、ふたつの権力がある。
国会で言うところの衆議院と参議院のようなものだと聞いているけど、保存会は何かいろいろあって? 戦ってるのは如月中心だって聞いたな。
生徒会もして、アイドルもして……大変そうだ。
俺は部活は書道部(幽霊。部室も知らない)、運動は普通(電動ママチャリ選手権があったら負ける気がしない)、勉強は特待生なのでギリギリ学年トップ10を守っている。
前の席で信じられないほど大きな弁当を食べている俊太郎が首を振る。
「このクラスにいると自分の小者ぶりに涙が出て来るのう~~」
「俊太郎だってスポーツ特待生だろ。お前のバスケやべーじゃん」
「逆にいうとそれしか出来ないからな。このクソでかい身体に感謝……」
「西宮はスポーツ財団多いからいいよな」
「マジでマジで。五年現役したら裏方入りたいわ。一生バスケに関わりたい」
そう言って俊太郎はテーピングの本を取り出して俺の腕にまたグルグルと包帯を巻き始めた。
締め付けが強すぎて痛てぇ。
西宮学園は沢山の企業と共にスポーツ財団を持っていて、働きながらスポーツをする人を応援している。
同じ中学出身の俊太郎はバスケの特待生で、午前中は授業、午後は西宮の大学のバスケチームで練習している。
中学の時に根性論のチームに入って膝を壊しかけた俊太郎は、テーピングや医療にも興味があるようで、毎日練習している。
このクラスはやりたい事がはっきりしている奴が多くて、まぶしい。
俺は正直父さんのように職人になりたい気もするし……向いてない気もする。
自分があれほどストイックだとは思えない。
何が出来るのか分からないし、何がしたいのかもよく分からない。
ずっと「何かしなきゃ」「何者かにならなきゃ」という気持ちはあるけど、目の前の家の事を考えるので精一杯だ。
今一番の願いは、安定した金、美琴までは行きたい進路に進ませること、母さんの体調がもっと悪くなった時にお金を迷わず払えること。
それしか考えられない。
学校を追えて帰宅。
自転車の電池の充電をしながら夕食を作る。
特売の卵を菫が買ってきてくれたので、今日はニラと卵と豚肉の炒め物に決めた!
「モヤシも入れちゃうか~。これは大丈夫か?」
袋を開けて即クンクン! よし、大丈夫だ。
「ただいま」
「父さん、おかえりなさい」
店舗側から父さんと圭一さんが帰ってきた。圭一さんは父さんの染み抜きの技術に憧れて弟子として入ってきた人だ。
二十代の頃は他の仕事をしてたんだけど、それをやめて父さんの弟子になったらしい。
近所で一人暮らしをしているので、仕事が終わると一緒に夕飯を食べている。
母さんが入院すると家事をしてくれたり、菫や美琴もなついていて助かっている。
まるで兄貴のようで、いてくれるだけでありがたい。
畳の部屋には小さなちゃぶ台が二個。そこで父さんはお茶をいれて圭一さんと今日の反省会を始めた。
部屋の机よりこのちゃぶ台のほうが勉強が進むといって菫はそれを聞きながら鉛筆を動かしている。
外遊びから帰ってきた美琴が泥だらけで走り込んできて、庭の野良猫を撫でている。
今日は体調が良いみたいで、起きてきた母さんが縁側でそれを眺めている。
古い桜が最後の花を散らせる夕方、俺はこの時間が大好きだ。
片づけを父さんに頼んで18時には家を出て惣菜店のバイトに来た。
先日うちのコロッケがテレビで取り上げられたようで、恐ろしい速度でコロッケが売れていた。
バイト先だと油をケチらず揚げられてそれだけは楽しい。
俺は5時間延々とコロッケを揚げてバイトを終わらせた。
店から出ると気が付く……身体自体が油で揚げたようにコロッケ臭いが、まあ仕方ない。
風呂に入れば落ちる。自転車に電池を装着して荷物を入れると人影が見えた。
「如月! 来たのか」
自転車置き場の隅で立っていたのは、大きめのコートをモフリと着て、深くフードをかぶってマスクしていたが、如月だった。
4月末だけど今日はわりと風が冷たくて寒いのか、如月は両手をポケットの中にいれてぼんやり立っていた。
それは「そこにある」と注目しないとわからない雑草のように静かにひっそりと。
「どうしてこんな所にいるんだよ、寒くないか? 店に来ればよかったのに」
如月は何も言わない。フードの隙間からちらりと俺をみるが、すぐにうつむく。
とにかくここは裏口で風が抜けて寒いので、コンビニの横の机に移動した。
コンビニの光で照らされる如月の顔色は少し悪く見えた。
身体が冷えたんじゃないか?
俺は「待ってろ」と伝えて、そのまま店内に入って温かいお茶を買ってきて如月に渡した。
「店に入ってこいよ。今日来るかなーと思ってイチゴ大福もプリンも取って置いたのに、さっき帰ったパートの加藤さんが『これ残り~~?』って持って行っちゃったよ。明日は来るか? とりあえずお茶飲めよ、あったまるぞ」
「……うん、ありがとう。お茶、温かい」
そう言って如月はペットボトルの蓋を開けようするが、力が弱いのか、冷えているのか、開けられない。
ちなみに美琴も自力でこれを開けられない。結構硬いよな、これ。
手を広げて見せて「貸して?」と言うと、おずおずと俺に渡してきた。
俺はそれをカチッと開けて渡した。
静かでただ俺たちしかいない空間に、プラスチックが割れる軽い音が響く。
如月はそれを両手で大切そうに受け取って一口飲んだ。
「……温かい」
「いつから居たんだよ。って横に座りたいけど、俺ほんと油臭くて無理だわ、ごめん」
「……ううん、臭く、ないよ、ぜんぜん、臭く、ない、ぜんぜん、平気だから、座って……ほしい」
如月は静かに首を振った。それは首を振るというより、目を閉じてゆっくりと闇に沈むような静かさで。
その言葉と言い方にじんわりきて、少し距離をとってベンチに座った。
そして夜に似合うように静かに言う。
「今日も……夜の如月だな」
思わずそう言うと、如月はヒョンと顔をあげた。同時にフードが後ろに落ちて髪の毛がふわりと広がった。
見えた目は、コンビニの逆光でも分かるほどうるんでいるように見えた。
……泣いてる? まさか、そんな。
自然と目を探ろうとしていたが、すぐにフードをかぶってうつむいた。
やっぱり、どうしても違和感がぬぐえない。
昼間は如月のほうから言葉をガンガンと投げつけてくるのに、夜の如月は俺が話さないと何も言わない。
でも……ただ静かに答えてくれる話し方も、距離感も、なぜか心地よく感じていた。
フードからあふれだした髪の毛が、ふらりと舞って夜の風を見せる。
如月はお茶を一口飲んで横に置き、左手の親指を口元に運び、カチ、カチ、と爪を噛み始めた。
気になって見ると、指の先が真っ赤になっているのが見えた。
「如月、お前、指から血が出てるぞ」
「あっ……あの、いえ、これは違うんです、大丈夫です」
違うんです、大丈夫ですと如月は何度も繰り返すが、この言葉を俺は一番信用してない。
母さんが倒れる数秒前の常套句だ。俺は財布からいつも持ち歩いている指先用の分厚いバンドエイドを出した。
これはかさぶたの代わりになるもので、すぐに転んでひざから血を出す美琴のために持ち歩いているものだ。
「はれよ。血がすぐに止まるから」
「あ……はい……」
言うだけで受け取ろうとしないので、俺はベンチにそれを置いた。
如月は受け取らず、カチ、カチ……と再び爪を噛んだ。
カチ……とその音がやんで、如月が顔をあげた。
「あの……今日も、違いますか」
「え?」
「前みたいに、違いますか」
その言葉に、俺は如月の瞳をまっすぐに見つめる。
やっぱり夜の如月の瞳は、ブレないんだ。
声の淵からは怯えと恐怖さえ滴っているように見える夜の如月。
今眠りに落ちていくような身体の重ささえ感じる夜の如月。
それでもどうして、こんなに目の奥が『ブレてないんだ?』。
不思議に思いながら口を開く。
「……違う、と思う。なんでだろうな、そう思うんだ」
「はい……はい……」
はい、と答えてるわけではない。
ただ自分に言い聞かせるように、かみしめるように、それでいて、何か大切なことを確かめるように噛みしめるように、何度も如月は言い続けた。
そしてペコリと頭をさげて、バンドエイドとペットボトルを抱えて歩いて夜の闇に消えた。
全然わからないけれど、この違和感を、俺は嫌いじゃないんだ。
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