第2話 家庭環境と遭遇
「
「ううん……にぃに、美琴眠たいの。もっと寝たいの、むにゃあなの」
「もう七時半だ、起こすのは三度目、飯は冷めてるし、
「あとちょっとだけ」
「めんどくせえ、もう運ぶからな!」
「きゃははは、にぃに、朝からすごーい、お空飛んでる」
「自分で歩けーー!」
俺には妹がふたりいる。中二の
美琴は末っ子で甘やかしたのも悪かったのか、朝は自力で起きない、宿題は横に誰かいないとしない、お菓子大好きな超甘えん坊な生物になってしまった。分かってる、甘やかしすぎだ、でも俺の膝の上でシャケフレークにマヨネーズべちゃべちゃかけている美琴は正直可愛い……じゃない!
俺は玄関から出て行こうとしている菫に声をかけた。
「菫、今日月曜日だから帰ってきたら駅前の特売で牛乳二本買ってくれ」
「わかってる。北口の薬局で卵の特売あるみたいだけど。クーポンの通知きてた」
「90円? 100円?」
「90円。ついでに買う?」
「たのんだ!」
俺はやっと食事を終えた美琴をチラリと確認して、奥の和室を覗いた。
これだけうるさくしていても母さんは眠ったままだ。あまりに動かないので心配になり、布団を注視するとほんの少し上下に動いた。
うん、大丈夫、生きてる。俺は建て付けが悪い障子をググッと引っ張った。
そして薄く透けて見える向こう側の世界に心から祈る。
これ以上母さんの体調が悪くなりませんように、悪いものから母さんを守ってくれますように。
……って、障子が閉まらねえ。
これって上とか下とかの木を削ったらス~~って滑りがよくなるのか? 専用の鉋みたいのがあるの?
そもそも家が歪んでるからもう無理なのか? いや、家が曲がってる分を削ればスーッと動くようになるのか? わからん。
障子を見ていると、とことこと美琴が近づいてきた。
「にぃに、これ出てきた。ひょっこり出てきたの」
「なんでー-?! 今からじゃどうにもならんだろ」
「乾かなかったって美琴は言う」
「金曜日に持ち帰ってきて、どうして月曜日に乾いてないんだよ」
「湿った家だから……湿った家……ここは湿った家……しめりけハウス……」
美琴は「洗ってから絞るの忘れたっていう」と適当なことを言って罪など知らぬような笑顔を見せた。
今どき洗濯物手洗いしてる家なんてあるかい! うちは貧乏だけどそこまでじゃないぞ?!
美琴が今更出してきたのは、給食当番のエプロンだ。給食の配膳時に着るもので、週末に持ち帰ってくる。
洗って週頭に持って行くのだが、今、この月曜日の朝に渡されてもどうしよもない。
とにかく今日帰ってきたら洗う。そうすれば明日の朝にはアイロンかけられるだろ。
美琴は鼻歌を歌いながら髪の毛を縛り始めたが、どう考えても縛れてないので俺がサッサと縛ってしまう。
こうして何もかもやってしまうからダメな末っ子になっているのは分かってるけど、待ってたら俺が遅刻する!
美琴をランドセルと共に家から放り出して家を飛び出す。
表の店舗側に回ると、小さな窓から水蒸気が上がって見えた。
窓から顔を覗かせると、父さんがもう仕事に入っていた。
この水蒸気は業務用のアイロンが上げているもので、俺はこの独自の香り……濡れた空気と薬品が混ざった匂いが大好きだ。
俺の家は染み抜き専門のクリーニング店を営んでいる。
父さんはこの道20年のベテランで、父さんの技術じゃないと抜けないシミがある職人だ。
週にひとりくらい、父さんを頼って遠くからお客さんがくる。俺はそれをすごくカッコイイと思う。
でもまあ、お金は稼げない。母さんも病気で体調が良い時しか立ち上がれない。だから俺は家事とバイトで家を助けている。
家は店舗と隣り合わせの築50年。縁側奥には巨大な桜の木がある古い家だ。古くて雨漏りから隙間風まで、まあすごいけど、まあ生きていける。
俺は自転車に飛び乗って走り出した。学校は自転車で40分、良い運動だ!
「よっ、冬真、おはよー!」
「俊太郎、ういーす。暑い、ヤバい」
「お前汗だくじゃん!」
「いや、スマホ忘れちゃって一回帰って全力で自転車漕いだからさ」
「電車で来いよ、40分毎日漕ぐってヤバすぎだろ、てかあの恥ずかしいママチャリ止めろ! あれは高校生が乗るもんじゃなくて保育園に子どもを連れて行くお母ちゃんが乗るやつだろ」
「あれ便利なんだぞ。後ろの座席部分……上の頭の部分あるだろ? あそこに袋をひっかけられる。しかもひとつやふたつじゃない、無限にぶら下げても落ちない。便利すぎてやめられねーよ。立体駆動荷物山盛り自転車と名付けてる」
親友の俊太郎は「わけわかんねーよ! 高校生で子乗せ自転車乗って学校来てるのはお前だけだ!」と笑ってるが、そんなのどうでもいい、俺は便利を取ってるだけだ。
そしてなにより、俺は家族のために全力を出したい。
妹の菫は今中二でものすごく頭が良い。将来は弱い人を守るお仕事……弁護士になりたいらしい……と母さんから聞いた。
でも俺のように自転車で遠くの高校にいく体力はないので、電車賃がかからなくて、バイトが許可されている高校にすると聞いた。
もったいない。そんなの気にせずに好きな高校に行って学んでほしいし、勉強しないと弁護士なんてなれないだろ。
電車賃なんて安いものだから、兄ちゃんが払ってやるよ! と言いたいところだけど、その俺がこんな風に自転車で通ってるから説得力がない。
じゃあ電車に……しない、もったいない!!
自転車置き場から歩いていると、前のほうに人だかりが見えた。
人の隙間から見えたのは、如月初芽だった。サラサラの茶色の髪の毛はほんの少し入っている外国の血の関係だと俊太郎に聞いた。
そうだ、俊太郎は芸能関係にわりと強いから何か噂を聞いてるかもしれない。
「なあ、如月初芽ってさ、裏の顔とか、なんか聞いたことあるか?」
「アイツは表の顔が裏の顔みたいな奴じゃん。俺が飴ちゃん渡そうとしたら無視されたし、一年の子を呼び出して説教したとか、先生に取り入って成績良くして貰ってるとか、同じ事務所の子を恫喝して追い出したとか、裏で男アイドルに女の子斡旋して金貰ってるとか、地獄みたいな話しかきかねーじゃん」
「いやいや、なんかこう……実はすっごく悩み持ってて繊細……とかさ」
「ありえねーだろ。悪魔の如月だぞ。悩みや愚痴なんて全部ぶちまけるタイプだろ、あいつは」
俊太郎はそういってケラケラ笑った。
俺は「いや、うんごめん、なんでもないわ」と軽く手を振った。
昨日家に帰ってからずっと考えていた。店で会ったのは間違いなく如月初芽だった。
さすがにクラスメイトの顔を間違えない。
間違いないんだけど、でもなんか、どう考えても……あれは如月初芽だけど、何か心がざわざわする。
違和感がすごくて、ずっと言葉を探してる。でも的確な言葉が見当たらないんだ。
裏の顔という言葉は違う。
そう、あえて言うなら……。
「寺田冬真くん!」
顔をあげると、目の前にいた人の山がザザッ……と広がっていた。
視線の先、真ん中に如月初芽が立っていた。
その圧倒的な存在感に空気さえ退かしているように強い風が吹く。
風に押されるように如月初芽が俺の方に歩いてきて口を開いた。
「冬真くん、私と話しましょう」
長い髪の毛が蛇のように舞い上がる。
俺はコクンと頷いた。
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