第9話 真実

「両親はいるけど、私たちが何しても気にしない。入って」

「深夜にすいません、お邪魔します……」

「てか私が呼んだんだけど。ほんと真面目だね」


 そんなこと言われても、人様の家にお邪魔したことは数えるくらいしかないし、なにしろ深夜だ。

 それに裏口からこっそり……それも同級生の家、学校の有名人の家に。

 ドキドキしてるのを、妙なテンションで自ら誤魔化しているような状態だ。

 俺は敷地を見渡しながら歩く。


「しかし広いな……うちが20個くらい入りそうだ」

「冬真くんの家は犬小屋なの?」

「いや、如月の家がすげーだけだろ」


 如月初芽は笑いながら俺を連れて庭園のような場所を歩く。

 駐車場の時点で、車販売店か? ってくらい止まってたし、そこから中に入ったら森に囲まれた畑のような場所だ。

 暗くてよく分からないけど広い事だけは分かる。

 進んでいくと真ん中に大きな家にあり、そこから完全に切り離された離れのような建物に入って行く。

 そこは玄関がある普通の平屋だった。

 平屋だけど、俺たちが暮らしている家よりデカいし、なにより綺麗な日本家屋で障子に穴が開いてないし、畳がピカピカだ。

 すげぇ! うちの畳は古すぎて上に絨毯をひいて誤魔化しているが、菫のアレルギーが良くならないのは、そのせいじゃないかと思ったり。

 中に入ると廊下に囲まれた和室だった。大きなテーブルがあり、壁には掛け軸? がかけてある。


「すげぇ綺麗な家だな!」

「冬真くん、さっきからすげぇって100回くらい言ってる。ちょっと落ち着きなよ」

「……おう」


 いや、この状態で落ち着ける人なんているんだろうか。

 とりあえず道尾さんが出してくれた座布団に座る。それがまあふかふかで、この座布団を枕にしたらよく眠れそうだな……と思うほど分厚い。

 机は二十人くらいが食事できそうなくらい大きい。なんだこれ、この家は何人住んでるんだ。

 道尾さんがお茶を出してくれる。湯飲みの下に、板があるんだよな。

 なんかたぶん、名前があるんだろ、お前。俺は知らないけどな。

 ほわほわと良い香りをさせているので、緊張もあって渇いた喉を潤そうと飲んだら、甘くてすごく美味しかった。


「すげぇ!」

「黒豆茶。道尾が炒ってるのよ」

「道尾さん、すごいですね!」

「ありがとうございます」


 このお茶を飲みに来ただけでもいいや。俺は「はあー」とそれを飲んだ。

 飲むとすぐに道尾さんがお代わりを注いでくれる。すごい、自分で入れなくても出てくる飲み物とか、すげぇ。

 何をしにきたのか忘れた頃、俺から2メートルくらい離れた場所に、ちょこんと如月和歌乃が座った。

 明るい部屋の中で見ると、いや、やっぱりすごく如月初芽に似ている、というかそのままだ。

 そして目の前にドスンと大きなマックの紙コップが置かれた。中が白い……どうやらシェイクのようだ。

 如月初芽は俺のすぐ横に座って、それをずるると飲んだ。


「私と和歌乃は一卵性の双子でね、ずっと一緒だったんだけど、和歌乃のほうがメンタル弱くて小学校二年生から学校行ってないの」

 

 俺はちらりと和歌乃さんのほうを見たが俯いたまま動かない。

 如月はずるるとシェイクを飲んで続ける。


「うちのお父さんは西宮芸能の関連会社の社長で、お母さんは元女優。そんでおじいちゃんは地主。だからこの広い敷地の中に和歌乃はずっといた。勉強はカテキョが来るし何の問題もないのよ。金もあるから生きていくのには問題がない。でもね、これが私たち最大の秘密」


 そう言って俺のほうにズイと顔を寄せた。

 その瞳は全てを飲み込むように漆黒の闇。それが俺を捉えて逃がさない。 

 真っ赤な唇が大きく広がって左右から俺を羽交い絞めにする。


「女優の仕事は全部和歌乃がしてるの。私は一度だって如月初芽として演技の仕事をしてない」

「えっ……」


 天真爛漫でぶっちゃけキャラ。でもその天才的な演技があるからこそ深みがある。

 それが如月初芽なのに。

 如月は俺の横から立ち上がり、机に座り、置いてあったストローの袋をブチリとちぎった。

 それをポイと投げ捨てて微笑んだ。


「そして私はもう、如月初芽を捨てたいの」

「捨てる?」


 俺がなんだそれは……と思ったのと同時に、離れた場所にいた和歌乃さんがガタンと立ち上がった。

 同時に置いてあったお茶が全てを吐き出すように机の上に広がり、ぽたり、ぽたりと畳を濡らし始めた。

 如月初芽は机から立ち上がって和歌乃さんの方を見た。


「これが前に言ってた【私のお願い】よ。和歌乃。もう私は、如月初芽をやめたい」

「初芽、それって、どういうこと?」

「今まで【如月初芽】は、私と和歌乃ふたりで作ってきた【芸能人】よね。でも私飽きてきたの、バラエティー番組で遊ぶの。なにより自分が出てない映画やドラマの番宣ばかりで呼ばれるのに、その仕事をしてないのよ、私は。私はずっと自分がしてない仕事の営業をしてきた。そして褒められるのも、認められるのも、和歌乃よ。私はどこにもいない、私がしてない映像を見せられて、褒められて、微笑む。この気持ち、考えたことある?」


 如月初芽は表情ひとつかえず、早口で言葉を吐き出す。

 その迫力に和歌乃さんは立ったまま茫然としている。

 

「私は何度も、何度も、何度も、仕事をやめたいと父さんに言ったわ。そのたびに何て言われたと思う? 『如月初芽の仕事は二年先まで決まっている。損失を補償出来るのか?』よ。結局あの人は事務所のことしか考えてない、私たちのことなんてどーでもいいのよ」

 

 そう言って如月初芽は和歌乃さんに近づいて、胸もとを引っ張った。

 和歌乃さんは糸が切れた人形のようにカクンと引き寄せられた。

 髪の毛が顔に張り付いて、死んだような目が見える。

 その表情に向けて如月初芽は言葉を投げつける。


「才能がない? 自分が嫌い? ここまで求められてて結構なことよね、今【如月初芽】の評判の全ては、和歌乃あなたの演技よ。私はただのお飾り。いつまで被害者ぶった顔して私を表に立たせてんの? 誰よりも才能があるくせにずるい女!」

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 突き飛ばされて、和歌乃さんは崩れ落ちた。

 そのまま膝を強打したように見えて、俺は思わず駆け寄る。 

 こぼれたお茶が机から血のように滴り落ちていく。


「ほーら、みんな和歌乃の味方よ。弱くて良かったわねー。もういいの。私は全部利用して好きに生きるわ。ねえ、和歌乃、あなた、私になりなさい」

「えっ……」


 俺の横で和歌乃さんが顔をあげて如月初芽を見る。

 その目は大きな涙がたまっていて、身体は小さく震えている。

 如月初芽は続ける。


「だから冬真くんをここに連れてきたの。私の代わりに学校に行って、今度は和歌乃が私の代わりに生きるのよ」

「無理だよ、そんなのっ……!」

「私はしてきたのに?」

「っ……」

「ずっとずっとそうしてきたのに?」

「う……うう……」

「いい加減たちあがれ、如月和歌乃!」


 そうやって如月初芽が叫ぶと和歌乃さんはびくりとして身体を丸めた。

 はあ……と如月初芽は長く息を吐いた。


「……違うわ、違う違う、和歌乃。こんな風に怒鳴りたいわけじゃないの。ちゃんと考えてきたのに、ずっと考えてきたのに、いざこうなると駄目ね。我慢してた時間が長すぎたわ」


 そう言って机の上を歩いて、如月初芽は和歌乃さんの前に座った。

 足先がお茶がたまった所にズブンと入って広がる。


「大丈夫。人は思ったより人に興味なんてないよ。現に冬真くん、お店で和歌乃に会ったとき、どう思った?」


 突然話題をふられて戸惑うが……素直に答える。


「……疲れた如月初芽だと思った」

「片方しか知らないと、そう思うのよ。誰も私たちが一卵性双生児だって知らないもの。そう思うのが普通。突然別人のようになっても、そんなの誰も気にしないわ。人生生きてりゃ機嫌が悪い日だってあるわよ」

「いや……でも如月、お前有名人で派手なのに、和歌乃さんは全然性格が違うだろ」

「だからあなたを呼んだのよ、冬真くん」


 そう言って如月は薄い唇を引っ張ってにんまりとほほ笑んだ。


「保存会の対応、見せてもらったわ。あの子みたいに弱い子を、あなたがどう処理するか見たかったの。【会えたのは運が良い】。そうよね?」

「お前……」

「対応も良かったわ。ああやって和歌乃を守ってあげて。そして今まで十年以上、和歌乃を背負って歩いてきた私に自由を頂戴」


 小さく震えていた和歌乃さんが口を開く。


「……初芽は、お洋服の勉強がしたいのね」

「ご名答。そう、私は私が大好きだから、私が着る服を作りたいのよ。だから服飾の学校に行きたいの。でも父親は女優の如月初芽が女優をやめて服飾の仕事をするのは許さない。だったら【女優の如月初芽に和歌乃がなればいい】のよ。ていうか、ほとんどそうだし! 営業を私がしてただけ。これが自然なのよ。私は和歌乃として好きに生きるわ」


 和歌乃さんは震えるバンドエイドを貼った指を口に入れた。


「……全然、上手にできないと思う」

「誰もそんなの期待してないわ。ただ存在してればいい。【演技をしている如月初芽】が存在し続ければ、父親はなんの文句も言わないわ」

「……怖いよ……全部怖い、そんなの突然、できないよ……」

「高校卒業のタイミングも考えたけど、あと二年も時間潰すの、勿体ない。私はもう好きに生きたいの。和歌乃、【如月初芽】を自分のものにするために学校に通いなさい。そして女優の如月初芽も、和歌乃、あなたのものにしなさい。私はもう未練ないわ。これでやっと私は、あなたの営業をしなくて良くなるの。スッキリするわ」

「怖い……できないよ……そんなの出来ない……」


 和歌乃さんは小さく身体を丸めて震えている。

 そりゃそんなの無理に決まってるだろ。

 俺は口を開く。


「なあ、十年引きこもった人間に如月初芽をやれなんて、無理に決まってるだろ」

「冬真くんのサポートがあれば可能だと私は思ってる。そして冬真くん、あなたを如月初芽のマネージャーとして雇うわ。月給40万。どうかしら。正式にうちの事務所と契約させるわ。その代わり和歌乃にべったり付き添ってもらう。学校だけじゃなくて仕事も。悪いけどこの子を丸投げするわ。私たちはもう手を尽くしたの、もうどうにもならない。月40万で人間ひとり丸投げできるなら安いものだわ。だってねえ? 冬真くんの家、お金必要だよね?」


 その言葉に俺は絶句した。

 月40万?! それだけあれば生活はぐっと楽になるし、菫を塾に通わせて、高校も受けさせることができるし、貯金もできる。

 いや、でも、こんなの間違ってる。

 こんな気弱そうな子を、如月初芽にするなんて、この子のメンタルが持ちそうにない。

 如月初芽は続けて口を開く。


「調べさせてもらったけど、職人のお父さんの給料は十万円程度。そこに病弱なお母さんと、ふたりの妹。冬真くんのバイト料でなんとか食いつないでるだけよね? 遅かれ早かれ、あなたの家破綻するんじゃないかしら? そんな綱渡りの状態でひとつ何かあったら、お終いよね?」

「そりゃそうだけど、人に何かを押し付けてまで、自分の家をなんとかしたいと思わない」

「あらまあ、あなた横を見なさいよ。本当に【押し付けてるだけ】だと思ってる?」


 そう言うと、横に座って小さくなっていた和歌乃さんが小さく口を開いた。


「……できるか、わからない、けど。私が頑張れば、寺田くんのためになるなら……私、やる」


 その言葉に俺は開いた口が塞がらない。

 えええ?! この子、マジで言ってるのか?!

 自分がこんな状態なのに、俺のためとか言ってる場合なのか?

 和歌乃さんは指を口に運んで震えながら続ける。


「怖い、逃げたい、出来ない。でも……私だけのことじゃないなら、それは……うれしい、すごい」

「あの……」

 

 俺が和歌乃さんを見ると、和歌乃さんは唇をくっと噛んで顔を上げた。


「ううん、これも逃げてる。違うの。学校、行って、みたいの、実は、ずっと……行ってみたかった、でも和歌乃は、もう動けなくて……このままじゃ、一生動けない……ううん、動かなくてよい理由を探して生きてきた。でもそれは悲しいって、つらいって、思ってる……それでも怖く、それでも……」


 その言葉を聞いてはっとした。俺は如月初芽が強引に自分の論理を押し付けて、自分勝手に生きていこうとしているだけだと思ってたけど……この子も【逃げられないキッカケ】を待っていたのかも知れない。

 そしてそれが【俺】なのかもしれない。

 十年ずっと学校に通ってなかった子。

 それに俺は……。

 そう思って横を見た。


「何が出来るか分からないけど、和歌乃さんが頑張るなら、助けるよ」


 そう言うと和歌乃さんは、俺のほうをチラリと見てすぐに視線を外して頭を畳みにこすりつけた。

 そして、


「よろしくお願いします」


 と呟いた。

 俺はこの子に、和歌乃さんに、会いたいと思ってたんだ。

 その気持ちには、もう気が付いているから。

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