第8話 驚きの遭遇

「卵卵卵、とにかく卵を作りまくって!」

「はい!」


 惣菜屋に来ると、パートさんが大量の酢飯を作っていた。

 今うちの店では、こいのぼりに見立てたお寿司を販売している。

 魚の形をしている入れ物に酢飯を詰めて、その上にお肉と卵を載せて、目の部分は海苔で作ったものだ。

 夕食になりやすいのか、この時期よく売れる。

 俺は18時から22時までひたすら卵を割って割り、どんどん焼いて……を繰り返した。


「おつかれさまでしたー、良かったね、新しいバイトさん来て!」

「正直ここからの二時間の時給はありがたかったんですけど、お店が潰れちゃいますよね」

「そうよ~。高校生が遅くまで働いてちゃ駄目! 勉強勉強青春青春~!」


 「はやく帰りなー」と背中をバンバン叩くパートさんに見送られて俺は控え室から出た。

 実は先日、やっと深夜のバイトが決まり、俺は22時までの勤務になった。

 正直もう2時間働きたいが、24時終わりだと勉強する時間がまったく取れなくて、学校でも眠くてキツイ。

 時間が足りなくてお金も足りなくて、頭が痛い。

 今日は22時終わりだと如月には伝えていたので、頼まれたとおりイチゴ大福とプリンを持って外に出た。

 今日は油係じゃなかったから、それほど身体は臭くない……いや、自分の身体の匂いはよく分からない。

 前に会ったとき「臭くない」と言ってくれたが、やっぱり気になってトイレで制汗剤を身体中にふりかけた。

 学校での如月はバイト先で会うまで「ただの有名人」だった。

 いつも誰かに囲まれてて、派手で……まあ、正確な言葉を選ぶなら「怖い」「強烈」。

 俺みたいな教室の隅っこにいるタイプとは真逆だからだ。

 だから偶然とはいえ、バイト終わりに待ち合わせとか、やっぱり意識してしまう。

 髪型を整えて裏口から出ると、いつものベンチに如月が座っていた。

 今日は帽子もかぶってないし、マスクもなし、学校と同じ如月だった。


「やっほー、ここかあ。なるほど。ここならギリ歩いて来れるわ」

「おお、おつかれ。今日はなんつーか、元気だな」

「仕事が無かったからね。お、これがイチゴ大福とプリン? ていうか、臭っ! 何、なんか香水と油がブレンドされた変な匂いがする!!」

「あ。ごめん、厨房でずっと仕事してたから臭いかなと思って」

「臭いよ、てか匂い足さない方がいいよ。もう学校の男子たちも香水とかぶっかけすぎ。あんなの目の前にシュッとして通れば充分なのに、首とか手首とかにベショベショつけるっしょ。かけすぎだよ!」

「ごめん……」

「次からやめて」

「あ、ああ、うん」


 俺は恥ずかしくてイチゴ大福とプリンを置いて逃げて帰りたくなる。

 如月は「いただきまぁす」と言って、プリンを食べはじめた。そして「なるほど、コンビニのプリンより甘くないのね」とふむふむと頷いた。

 俺はさっき批判されて心が痛いままだったけど、気を取り直して、さっきより距離を取って、口を開いた。


「うちのプリンは砂糖控えめなんだけど、下のカラメルが旨いって評判なんだ」

「でも結局プリンで砂糖じゃん? だったらもっと生クリームとかトバトバ載せたくなる。控えるくらいなら食べないほうがいい」

「そっか……」


 ガツガツ否定してくるので苦笑してしまう。仕事で疲れてないといつも通りの如月だ。

 そしてプリンを食べ終えて、如月は俺に隣に座るようにベンチをペチペチ叩いた。

 

「……いや、俺臭いし。もう遅いから帰ろうぜ」

「これからが本番。話があるって言ったじゃん。ね、一時間だけ、私に時間くれない? うちに来てほしいんだ」

「えっ?! 今から家に?! 無理だろ」


 予想外の言葉にその場から後ずさりする。

 今は金曜日の深夜22時30分。こんな時間から如月の家に行く?!

 俺は今まで一度だって女子の家に行ったことがない。それにもう深夜だ。

 そんなのはありえない。

 いやいや……と手と首を振って断ると、如月はスマホをいじって電話をかけてベンチから立ち上がった。

 そして俺のほうを見て、ほほ笑んだ。

 その口元は学校で見たのと同じ……いや、違う。

 楽しくて仕方がないアトラクションの前で並んでいるような表情で口を開いた。


「ねえ、冬真くん。後ろ、見て」

「は?」


 言われて振り向くと……そこに女の子が立っていた。

 なぜ女の子と分かったかというと、髪の毛が長くて身体が細くて、帽子をかぶってマスクをしてて……あれ?

 これって、俺が店でぶつかった子の服装と同じだ。

 いやいや、よく見ると目の前のベンチに座ってプリンのスプーンを舐めている如月も同じ服装だ。

 は?! え?! なにこれ? 如月がふたり?!

 前に座る如月と、後ろに立っている女の子を俺は交互に見る。

 同じ服装をしている、同じ雰囲気の、同じ……?

 如月はスマホを上着のポケットに入れて指先をクイクイと自分のほうに動かした。


「和歌乃。帽子取って、こっち来なよ。私の横に並ぶのが早いって」

「……ん」


 裏口のほうに立っていた帽子をかぶっていた女の子は、俺の横をするりとすり抜けて、如月の横に立った。

 そして帽子とマスクを取った。

 すると如月にそっくりな女の子が立っていた。

 目の前に如月がふたり。

 写真でコピーしたみたいにそっくりな如月がふたり。


「……え?」


 俺は驚いて何も言えない。いつも通りの如月のほうは目元を細めて口を開く。


「私は如月初芽。こっちは如月和歌乃。私たち、一卵性双生児なの。ここ10年、誰も私たちをセットで見てないけどね。ね? 家に来てくれる? 車待たせてあるの」


 何がなんだか分からない。

 戸惑ったが……今まで「変だ」と感じていたことが、パズルのようにパチン、パチンとはまっていくのが分かった。

 前に会った如月は「俺を臭くない」と言ったのに、さっき会った如月は「臭い」と迷わずいう。


「……別人だったのか」


 横にふたり立っているのを見ると、暗い街灯で見ても全然違うふたりだった。

 いやもちろん同じ顔、同じ身長、同じ服装なんだけど、表情の気合いみたいなものが全然違う。

 もうさっきから「ここは目立つから早くしろ!!」とキレてるのが如月初芽。

 うつむいて……俺のほうも見られない……こっちが……?

 俺は一歩近づいた。


「如月……なんて名前だっけ……?」


 もうひとりの如月はハッ……と顔をあげて、一瞬俺と目を合わせた。

 それでクッと指先の爪を噛んだ。


「如月、和歌乃、です」


 わかの、さん。

 その声も、顔も、本当に如月初芽と同じなのに、全く違う人で……よく見ると爪先が真っ赤だった。

 あ、この指、この子だったのか、と納得する。

 うちの菫も、考え事や悩み事があると、いつも爪を噛んで食べていた。

 菫よりもっと真っ赤で、もう爪がない状態になっているように見える。

 そして良く見ると、その小さな手が震えているのが分かる。

 10年間一緒に人前に出たことがないと言っていたのに、今俺の目の前にいる。

 俺は顔をあげた。


「わかった、行くよ」

「判断がクソみたいに遅い男。かたつむりみたい」


 そう言って如月初芽は大きなため息をついた。

 よく知っている如月に何だか苦笑してしまった。

 如月がツイツイと手を動かして俺たちを連れて行ったのは、コンビニの横にある駐車場だった。

 如月が近づくと運転席から初老の男性が降りてきた。そして丁寧に俺に向かって頭を下げた。

 俺も慌てて頭を下げる。


道尾みちおさん。子どもの頃からお世話になってて、全部知ってる人。乗って。道尾さん、裏口から入って和歌乃の方行って」

「了解しました」


 そう言って道尾さんは俺を後部座席に乗せた。助手席に如月初芽、そして俺の横に如月和歌乃が座った。

 車が動き出した。車は大通りを出て「なんでここら辺は再開発されないんだ?」と地元民が不思議に思っていた畑を横切っていく。

 ここは駅から近いのに、無駄に広い土地がそのまま残っている所だ。表はバス通りが通り、お店が立ち並び、少し離れた場所には巨大なモールも出来たというのに、この周辺だけは周辺数キロに渡って畑だ。

 そのまま車はその真ん中の道を突き進み、森の中に入って行く。

 揺れる車の中で、街灯に一瞬だけさらりと照らされる如月和歌乃が見える。

 本当にそっくりで……すごいな。

 クラスメイトの如月初芽を知ってるから、これはちょっと……驚く。

 俺の視線に気が付いたのか、助手席から如月初芽が声をかけてくる。


「似てる?」

「あ、ああ。うん。でも……やっぱり違うなと思ってて、ごめん、気になって」


 その言葉にずっと小さなゴミ袋の中にぎゅうぎゅうに入り込もうとしていたような表情をしていた如月和歌乃が一瞬だけ溶けた。

 そして俺のほうを目だけ動かしてみる。

 俺は目が離せなくて、如月和歌乃を見たまま言う。


「全然違う。いや、変だと思ったんだ。夜に会う如月と学校の如月は、別人にも限度がある」

「ちょっと何それ! 道尾さん、言ってやってよ!」

「不躾ながら発言させて頂きますと、外見だけでは私も今も間違えるほどでございます」

「そう、ですかね」


 そう言われても、これは顔が似てるだけの完全な別人。

 それにずっと指を噛んでいて……俺は如月和歌乃のほうに向かって口を開いた。


「指、痛くないの?」

「えっ、えっ……あっ……」

「血が出てるように見えるけど」

「あの、癖で、どうしても……落ち着かないと……どうしても……」

「バンドエイド、前に渡したの、貼った?」


 聞くと、首もふらず、ただうつむいた。

 この前も思ったけど、はっきりと親指から出血してるのが見えた。噛みすぎだろう。

 俺は再び財布から指先用の分厚いバンドエイドを出した。

 それを渡したけど、噛んでいる右手とは反対側の手を、とん、とん、と動かして、俺のほうをチラリと見て、助けを求めるように助手席に座る如月初芽のほうを見た。

 如月初芽はミラーで如月和歌乃に向かって言う。


「貰っときなさいよ、まったくもう、自分で冬真くんに会いたいって言ったんだから、自分でちゃんとしようよ。そのために動き始めたんだよね?」


 その言葉に如月和歌乃は俺のほうをハッと見て、口を小さく開いて空気を吸い込んで俯いた。

 俺に会いたい。その言葉に逆に俺のほうがどうしうもなくなってしまい、バンドエイドを握る。

 同時に俺の身体から、店を出る前に身体に振りまいた制汗剤の匂いが香った。

 でも……俺も、今日は夜の如月に会えると思って……嬉しかったんだ。

 会いたいなあと、またこの前の夜みたいに静かに話せたら良いなあと思ったんだ。

 だから制汗剤を身体にかけてきたんだ。

 俺は手を伸ばして、横に座っている和歌乃さんの腕を握った。


「!」

「血が出てる」


 木のように身体を固くした和歌乃さんの腕を強引に引っ張った。

 前も渡したけど、貼らないなら、俺が貼るしかない。

 腕は熱でもあるんじゃないかと思うほど熱くて、それでも俺は血が出ているところにバンドエイドを貼った。

 真っ暗な室内に和歌乃さんの血が見える。それを覆い隠すようにクッと強く巻いた。

 和歌乃さんは俺の指先から逃げるようにバンドエイドを貼った指を、すぐに口元に持って行って「あ……」となった。

 そうなんだ。貼ると、その指は食べられなくなる。

 そうやって菫は指の爪を食べるのをやめた。

 ゆっくりと、ゆっくりとやめていったんだ。

 それは小学生の時の菫の話だけど、中学生になった今はたまにしか食べない。


「俺の妹も同じで、ずっと爪を喰ってた。だからさ、こうすると、いつかやめられる、かもしれない」

「へえ~~。冬真くん、妹いるんだ。ていうかめっちゃ居そう、十人くらい居そう。無駄に面倒見がいいよね、わかるーー」

 

 そう言って如月初芽は手を叩いて笑った。

 笑われても仕方がない、そうやって生きてきたし、理由もなく人は自分の指を血が出るまで噛まないって知ってるからそれを無視はできない。

 それが俺なんだ。

 

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