第15話 ノート返却と見覚えの無い幻覚。


 バイト帰りの日明あきらは制服姿のハヤシこと・・・氷香ひょうかと共に彼女の自宅へと赴いた。彼女の自宅まではバイト先の近所という事もあって互いに徒歩で向かったようだが。


「はい。数学のノート。今更ながら思い出して良かったよ。そうじゃなきゃ日明あきらに二度手間を与えるところだったし・・・」


 それは単純に研修前に貸し出していたノートの回収だった。バイト中に板書していた事が話題に上り、氷香ひょうかが借りていた事を彼女自身が思い出したのだ。

 日明あきらは困り顔のまま玄関先でノートを受け取り、デイパックに片付ける。


「燃えたとばかり思っていた物が次々と出てくるのな。英語は仕方ないとはいえ」

「ごめんね?」


 日明あきらはヘルメットを被りつつ、両手を合わせてウィンクする氷香ひょうかをみつめる。

 よく見れば氷香ひょうかは可愛いかった。


「いや。ためにはなったんだよな?」

「うん。予習に使えたから助かったよ」

「必要ならコピーしてくるが?」


 可愛い・・・友達として・・・・・目が離せなくなった日明あきらが必要以上に優しくしてしまうのも小動物を愛でるような気持ちが湧いて出たからだろう。

 氷香ひょうかは無駄に優しくされるとクラスがギクシャクしてしまうと恐れ、右手を振って断った。


「いや、止めておくよ。これ以上迷惑はかけられないし」


 ツナギ姿なら抱きつく真似が当たり前に出来るが今は制服姿だ。異性として意識すると顔が赤くなりかけるため、今が薄暗い時間帯である事で助かったと思う氷香ひょうかだった。

 しかし日明あきらは──、


「そうか。まぁ、バイト休みで勉強がしたかったらウチに来ればいいから。教える事くらいは出来ると思うし」


 氷香ひょうかが困る提案をあっけらかんと行った。

 単純に異性として見ているのではなく親友として見ている日明あきらだったが。

 それを聞いた氷香ひょうかはモジモジと問い返す。


「・・・いいの? 私が行っても?」

「親友が勉強に来る事を拒む親は居ないだろ?」


 だが、日明あきらの回答は斜め上だった。

 氷香ひょうかは問い返しが理解されていないと思いつつ日明あきらにツッコミを入れる。


「そうじゃなくて! 日明あきらの家は女子寮でしょ? それもクラスメイトがわんさか居る」


 そのツッコミを受け、ようやく日明あきらも気づいたらしい。それであっても打開策を直ぐに思い浮かべて提案するあたり、気にしていない事が分かる話でもあった。


「あっ・・・まぁ裏から回れば出くわす事は無いんじゃないか? 出入りはガレージだけだし」

「私も一応、単車で向かう予定なんだけど」

「ヘルメットしてたら分からないって」


 日明あきらはそう言いつつ氷香ひょうかの胸部に視線を注ぐ。平面では無いにせよ夏海なつみよりも小さな胸だ。異性という認識が皆無なのは彼女の普段の行いと胸を含めての事だろう。

 とはいえ氷香ひょうかも女性であるのは確かなので視線が何処に向いているのか直ぐに気がついた。


「私の何処を見て言ってるの!?」

「薄い胸?」


 氷香ひょうかは胸を両手で隠し、苦笑いで応戦する。


「もう! これでも気にしてるんだからね?」


 彼女自身、このやりとりが何だかんだと好きなようだ。

 日明あきらは左手袋を一度外し──、


「気にしてるなら普段から押しつけるな」


 困った顔で氷香ひょうかの頭をポンポンと叩く。叩かれる氷香ひょうかは顔を真っ赤にさせながら俯いた。


「い、今、それを言わないでよ」


 氷香ひょうかは制服姿とツナギ姿で認識を変えているのだろう。ツナギ姿ではバイト仲間として相対しているが制服姿では一人の女子に戻るようで日明あきらの対応に本気で困っていた。


(くぅ〜。日明あきらは親友なのに! 初恋では無いからまだ歯止めが効くと思ったのにぃ)


 今までは意識しないようにしてきた。

 好きか嫌いかで言えば好きではある。

 そうでなければ身体を押しつけるスキンシップなど行わないから。だが、制服姿の時に話す内容でも無かった。今の氷香ひょうかは職場のバイト仲間ではなく普通の女子高生だったから。

 その間の日明あきらは手袋をはめて暖機運転させていた。氷香ひょうかが一人で悶々としている間も我関せずでメーターを眺めていた。


「まぁ気が向いたらでいいから。一応、一言電話してくれると有り難いかな? 妹も何だかんだとハヤシの事を好んでいるから」

「う、うん。中間テスト前に一度、伺うよ。でも、学校では、その、あの・・・」


 日明あきらは俯いたまま問い掛ける氷香ひょうかの雰囲気を読みつつスマホを眺める。メッセージが一件。夏海なつみからだった。


「気にしなくていいよ。学校でも普段通りでいいから。まぁ・・・過剰なスキンシップさえしなければ問題は無いと思うし」


 最後の一言を聞いた氷香ひょうかは俯くのを止め、ツッコミを入れた。


「あったり前じゃん!? 私だって人前では行わないよ! 但し、バイト先は除く!」

「そこは除くな。まぁ普段の俺の事を黙る条件は付くがな」


 二人は互いをみつめたまま吹き出し笑い合った。単車はほどよく暖まったのか、日明あきらはエンジンを軽く吹かしつつ、ヘルメットのシールドを下げる。帰り支度が済んだとでもいうようにギアを入れようとした。

 すると、氷香ひょうかが間髪入れず問い掛ける。


「いいの? 隠したままで?」


 日明あきらはヘルメットのシールドを一度上げ、逡巡したのち答えた。


「寮の事もそうだが、女子はともかく・・・男子がウザい事になるからな。それだけは隠しておきたいかなって」


 氷香ひょうかは妙に納得した様子だった。


「ああ。お膳立て君が騒ぐもんね」


 二人のクラスは女子よりも男子が少ない。

 その中でもっとも面倒臭い男子を思い出したようだ。

 すると日明あきらはきょとん顔で問い掛ける。


「お膳立て君?」


 聞き覚えの無い名前だからだ。

 氷香ひょうかは苦笑しつつ誰なのか明かす。


「転かそうとした馬鹿男子」


 日明あきらは今朝の事を思い出し、納得してしまった。


「あぁ! そういう渾名があるのか」

「女子の中ではね。尾前おぜんじゅんが名前だけど」

「そうか・・・一応、覚えておこうかな」

尾前おぜんという名字だけ覚えておいたらいいよ。男子のクラス委員でもあるから」

「あ、あれがクラス委員・・・大変なんだな」

「大変なのよ。仕切りたがるから・・・」



  §



 そんなこんなで二人の会話は終わり、日明あきらは手を振りながら氷香ひょうかの自宅から離れた。氷香ひょうか日明あきらの後ろ姿が見えなくなるまでみつめつつ、一人呟く。


「反省だなぁ。地味男君って名指ししてた過去の自分を殴ってあげたいよ。お前の大好きな相手なんだぞって・・・」


 背後には厳ついおっさんが立っていたが。


「誰が誰を好きなんだ?」


 青いツナギ姿の厳ついおっさん。

 顔の所々に油汚れを残し、職場から戻ってきたばかりなのか、左脇にショルダーバッグを抱えたままだった。

 氷香ひょうかは振り向きながらゲッソリした。


「父さん・・・」


 それはつい先ほど別れたバイト先の店長だ。

 名前は小林こばやし真継まさつぐ

 彼女・・・小林こばやし氷香ひょうかの実父である。


「俺が認めた相手以外は許さんからな?」

「父さんが認めた相手だから気にするだけ無駄だと思うよ?」

「そうか・・・それならいいが」


 氷香ひょうかは父親の真横をすり抜け玄関に入り──


「というかさ? 日明あきらの件、教えてくれてもいいじゃない?」


 振り返りながら詰った。


「学校が同じになるだけだからな。出会えば気づくだろうと思って黙ってた」


 しかし詰られた父親はあっけらかんと返すだけだった。ショルダーバッグを床に置き、安全靴を脱ぎながら応じていたが。


「普段と全然違うから! まぁ今回は理事長に感謝だけどね・・・同じクラスになったし」

「!? そうなのか? そいつはめでたい!」

「クラス内で争奪戦が勃発しそうだけどね〜」

「なんだと!?」

「父さんも知ってるでしょ? 婚活寮の件」

「ああ。みなとさんの・・・」


 氷香ひょうかは脱衣所に引っ込みながら制服を脱ぎ捨て、普段着に着替える。


「そ。父さんが猛烈アタックしている、あのみなとさん」


 顔を玄関側に出し、狼狽する父親を眺める。


「し、してないぞ?」


 小林家は父子家庭なのだろう。

 日明あきらの家が母子家庭である事から何らかの関係があるようだ。氷香ひょうか自身が一般学生であるのもそれが関係しているのだろう。

 氷香ひょうかは顔を洗い──、


「どうだか。そのみなとさんとこの寮生もクラスメイトだからね。一日の長がある者が勝ち取るんじゃない? 父さんが頑張ってくれたら私もお兄ちゃんって呼べるのだけど?」


 脱衣所に顔を出した父親と入れ替わるようにキッチンへと移動した。おそらく、これから夕食を用意するのだろう。普段はともかくバイトのある日だけは遅い夕食になるようだ。


「が、頑張る・・・」


 ともあれ、小林家では小林家で色々と思惑があるのだろう。愛海まなみと小林父はプライベートでの付き合いがあるような雰囲気だったが。



  §



 小林家から戻った日明あきらはガレージに単車を片付け、シャッターを閉じる。


「予習する時間は何とかあるか・・・」


 自室の時計をみつめ部屋着に着替えた。

 そして夕食を食べにダイニングに向かう。


「メッセージは・・・夕食の事だったか。夏海なつみの身体が冷えたから、雑炊ねぇ。一体何があったのやら」


 そのメッセージの内容は実に不可解だった。

 夕食の事まではいいが、最後の方に怪我無かったとか意味深な単語が含まれていたから。

 夏海なつみが怪我したと返してみればそういう意味ではないと返事があったから。


「ま、風邪さえ引かなければ問題はないな」


 日明あきらは呟きつつダイニング扉を開けた──


「きゃあ!」


 瞬間に寮の扉が開き、奥から一糸纏わぬ姿の優希ゆき日明あきらの足下まで転がってきた。

 扉の奥には黒髪ボブの一ノ瀬いちのせゆうも転がっており、彼女は紫のブラとパンツを両手に持ったままだった。

 一体何があればそのような状態になるのか理解出来ない日明あきらは真っ裸の優希ゆきから視線を逸らし、ダイニングへと入っていった。


「何だったんだ? 今の? 幻だな。きっと」


 現実逃避するくらいの衝撃だったようだ。

 廊下では「見られた」と大騒ぎする優希ゆきが居たが、彼女の声はうがいに向かった日明あきらには届いておらず、ダイニングに居た愛海まなみが困り顔で廊下に出て注意していた。


「あまり騒ぐなら時間外は鍵を閉めるわよ? あら? 綺麗になったわね。昔を思い出すわ」

「何処を見てるのですかぁ!?」

「廊下は汚さないでね。一ノ瀬いちのせさんも騒ぐなら自室だけにしなさい!」

「はーい!」


 そう、愛海まなみは言うだけ言って、ダイニングの扉を閉じた。その場には座りこんだままの優希ゆきは放置され、ゆうは下着を持ったまま自室に戻っていった。


「タオルか何か下さってもいいと思うのだけど!?」

『今は裸族しか居ないんだから、そのまま自室に戻りなさい!』

「そんなぁ!?」

優希ゆきねぇ、うるさい! テレビの音声が聞こえないでしょ!?』




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