第18話 無意識と妙な安心感。


「それじゃあ、あとでね〜」

「おう。ゆっくりな」


 体育の授業を終えた後、日明あきらは更衣室前で氷香ひょうかと別れた。

 そして男子更衣室に入り──、


みなと君・・・少し話さないか?」

「次の授業は英語か。身体を思いっきり動かしたあとに座り授業とは、ある意味で苦行そのものだな」

「おい。聞いているのか?」

「しかしまぁ・・・残念過ぎるよなぁ(見た目は綺麗なお嬢様なのに中身が残念過ぎる)」

「無視するなよ!?」

「(あの姿を見たら婚活寮って)意味が痛いほどよく分かったが」

「聞けよ!? 俺の話を!!」


 先んじて着替え終えていた男子達から絡まれ完全無視を決め込んだ。彼らは尾前おぜんというリーダー格が居ない時は烏合の衆と称しても不思議ではない個性的な者達だった。


「んあ? お前も汗掻いたのか?」


 この時の日明あきらは意識の大半を思考に割いていたため、声を掛けてきた左藤さとうの顔面へと制汗スプレーを振りかけた。


「ほれ、制汗スプレー」

「ぎゃー!? め、眼が、右眼が!」

「お、おい! 左藤さとう!」

「ああ、すまん。そこに居たのか、低すぎて見えなかったわ」


 日明あきらは自身よりも二十センチ低い左藤さとうに対して誠意のこもっていない謝罪を行った。猫背ではない時は百八十センチという長身の日明あきらと百六十センチ前後の男子達では最初から勝負にすらならなかった。

 そのうえ──、


「居たのかって・・・なんだよ、その身体?」


 誰もが息を飲む上半身を晒してしまい、洗眼中の左藤さとうを除く矢島やじま達を絶句させてしまった。

 制服越しでは弱々しい印象だったが、いざ服を脱がせてみると違って見えた日明あきらの身体だった。

 これも授業前の着替えでは一番最後に更衣室へと入ったため誰もが知る事の無かった姿だ。

 日明あきらは新しいTシャツに着替えながら自身の上半身に意識を向ける。

 

「その身体って・・・ああ。別に普通だろ? こんなの真面目に部活していれば身につくぞ?」

「身につかねぇよ!? 格闘技でもやっていなきゃ無理だ!」

「そうか?」


 ズボンはさっさと履き替えていたため、太ももが見られる事はなかった。自転車を漕いだ後に筋肉痛を心配していた日明あきらだったが、あの時も自身の筋肉量を把握していないため無意識で発してしまった事だったらしい。


「それよりも着替えたなら移動しないと授業に遅刻するぞ?」


 日明あきらは洗面所で眼を洗う左藤さとうを一瞥しつつ、片付けを終えて更衣室を出た。矢島やじま達は呆然としたまま日明あきらの後ろ姿を眺め、真っ赤な右眼の左藤さとうを心配した。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃねぇよ!? こうなったら実家の力を使ってでも退学させてやる!!」

「お、おい、そこまでしなくても良くね?」

「学校長が言ってただろ? 全校集会で。実家の権力は使うなって。最悪、A組の馬鹿みたいに今宮いまみやの逆鱗に触れて退学なんて事にもなりかねないし」

「いや、使ってやる! あいつは俺の顔にスプレーをぶっかけたんだぞ!!」

「あれは・・・けいが振りかけているみなとの隣に移動しただけで、完全に自滅だったろ?」

「あん!? 俺は悪くない! 悪いのは奴だ! 大体、委員長との関係を問おうとしたのに、無視した奴が悪い!」


 左藤さとうは腹に据えかねたのか、真っ赤な顔で右まぶたを押さえ、バッグを持ったまま保健室に向かった。残りの男子三人は呆然と佇み、教室へと戻った者を祈った。


「転入して直ぐに面倒な馬鹿に目を付けられたな。けいは外道中の外道だぞ」

「だな。短い在学期間だった。馬鹿のみなとよ・・・南無」

「というか・・・みなとって学校長と同じ名字じゃね?」

「た、たまたまだろ?」

「それよりも、遅刻するぞ? 女子達と違って俺たちは」

「おっと、単位に響いたら大変だ」

「ホントにたまたまか? 学校長も筋骨隆々だったはずだが・・・趣味はボディビルらしいが」

あつし、それはいいから急げって!」


 更衣室に残っていた矢島やじま公平こうへい由長よしながきょうは慌てて更衣室を出て、一人で唸っていた田端たばたあつしを引っ張っていった。



  §



 一方、女子更衣室では──、


「二人ってどういう関係なの?」


 シャワーを浴びていた氷香ひょうかの周囲で半裸のクラスメイト達が群がっていた。

 氷香ひょうかはシャワーの湯を止め、ハンドタオルで髪の端の水分を拭いつつ応じた。


「どういう関係って・・・ただの友達だけど?」

「友達ってだけであんなに親しくなるわけがないでしょ? 胸だって・・・ホントにあった」

「あるに決まってるでしょ!?」

「見たところ・・・Cはある? 制服越しではAかBくらいにしか見えなかったのに」

「着痩せってレベルの話ではないわね。一体何を食べたらそうなるのか?」

「あまり見ないで、手をわきわきしないで!」

「良いではないか良いではないか。おお、思ったよりも張りがある〜」

「い、一ノ瀬いちのせさんは何処を揉んでるのよ!? 止めなさい!」

「皆、委員長のブラはCだった!」

「ちょ!? 果菜はなさん! 勝手にタグを見ないで!」


 日明あきらが薄い胸と称していた氷香ひょうかの胸はツナギや制服が無ければ優希ゆきと同等の大きさだったらしい。

 優希ゆきは自身の胸に右手を当て──


「予想外のところにライバルが居たなんて」


 全裸の氷香ひょうかと半裸のゆうを眺めながら呟いていた。氷香ひょうかゆうに胸を揉まれながら、扉に掛けたバスタオルを手に取り注意した。


「止めなさいって言ってるでしょ! それよりも着替えないと遅刻するよ?」

「おっと! 優希ゆきよりも張りがあったから、ついつい揉んでしまったよ〜。急いで着替えないと」

「私よりも張りがある・・・」


 氷香ひょうか優希ゆきの視線を受けながら身体中の水分を拭い、下着を身につけた。


澤田さわださんもこっち見てないで、一ノ瀬いちのせさんに服を着せてあげなさいよ。またノーブラノーパンで校内を歩き回るよ?」


 他の女子達も慌てて制服を身につけており、ブレザーだけを身につけていなかった優希ゆきは慌ててゆうを見た。


「ああ。そうだった」

「同じミスはしないよ〜。ノーパンで通学してきた優希ゆきさんじゃあるまいし」

「あれはゆうさんの所為でしょ!」


 優希ゆきゆうのブラウスを着せながら注意するが、ゆうは反省の色が見えない笑顔の言葉を返した。


「そうだっけ? まぁ、そのお陰でスッキリしたんだからいいじゃない。意中の彼にも全て見せてたし。四つん這いで真後ろからドーンと」

「ここでその話題は止めて!?」


 すると「意中の彼」という言葉を聞いた周囲のクラスメイト達が猛烈な反応を示す。


「クズ男ホルダーに意中の彼なんて居たの?」

「その渾名も止めて!」

「それって誰、誰?」

「まさか噂の幼馴染君?」

「だから!?」


 恋バナには目がないクラスメイト達。

 氷香ひょうかは標的が自身から優希ゆきに変わった事に安堵を示し、スカートを穿いてブレザーを羽織った。

 最後に更衣室へと戻ってきたが教室に戻るのは優希ゆき達が最後になると思いつつ、更衣室の扉を開けて注意だけ行った。


「次は英語だから早めに戻りなさい。注意だけはしたからね? 聞いてる? まぁいいか」


 委員長としての職務は全うしたと思いながら扉を閉めた氷香ひょうか。視線の先には欠伸を行いつつフラフラと移動する日明あきらが居たため、追いかけて背後から抱きついたのは言うまでもない。



  §



 そして翌日。

 教室内から席が一つだけ無くなった。

 学校へと通学してきた男子達は左藤さとうの実家が動いたとして、そのような事態になった事を悟った。その中には当然、一部始終を見ていなかった尾前おぜんも居り──


「ざまぁないな。この学校は一般生よりも寄付金を多く出す家を優先するからな。短い在学期間だったが、末永く生きろよ」


 通学してきていない者を哀れんだ。

 その心にも無い哀れみは女子達にも伝播し理解不能を示す者達が多かった。

 それは主に〈みなと寮〉のお嬢様達だが。

 ゆうがきょとんとしつつ、隣に立つ優希ゆきに話し掛ける。


尾前おぜん君は何を言っているの?」

「さぁ? 男子だけで完結した話じゃない」


 茉愛まいの隣で二人の会話を聞いていたかおりが思い出したようにかえでと話し合う。


「昨晩の内に退学させられた話かな?」

「自滅で難癖とか馬鹿の所業だよね」


 すると茉愛まいがスマホ画面をロックしながら、周囲に居る女子達に伝えた。


「・・・今回の件をうけて男子更衣室にもシャワーを設置するってお爺さまから連絡が来たわ」

「へぇ〜。難癖で学校の出費が酷い事になりそうだね?」

ゆうさんの心配も分かるけど、それはあちらが出してくれたって。一時的でも加害者になるからって理由でね」

「え? 加害者って? 自滅だよね?」

「自滅でも危うく大問題に発展しかけたからね。示談金と共にあちらが全額負担するって」

「あわわ。それなら馬鹿息子が辞めただけで実家は丸儲けだね?」

「そうでもないわ。相手が悪すぎて家を残そうと思ったら、婿養子を迎えないといけなくなったって。肝心の嫡男は出家コースだそうよ」

「あらら。それは災難だ」


 茉愛まいが打ち明けた意味深な内容。

 女子達は辞めた者を内心で拝み、男子達はきょとんとしたまま理解不能となっていた。

 というところで後ろ扉が開き氷香ひょうかと共に日明あきらが通学してきた。


「それは災難だったね?」

「無意識が如何に恐ろしいか理解したわ。母さんが実家で平謝りしていたのを見ると、スプレーは危険と思ったし」


 男子達は居なくなった者と思っていた日明あきらが入ってきた事で目が点となる。


「何で奴が居るんだ?」

「一般生だろ? 何で残っているんだよ?」

「という事は・・・左藤さとうが退学したのか?」

「う、嘘だろ?」


 氷香ひょうかは自席に鞄を置きつつ──


「それで、ご実家からは?」


 日明あきらを心配した。

 前には茉愛まい達も居たが、気にせず問い掛けた。

 すると日明あきらはため息を吐きつつ氷香ひょうかに応じる。


「額が額だから俺の卒業後に家業を手伝う事で話が纏まったらしい。母さんも今回の件で最大限の弱みを握られて、祖母がしてやったりの顔で俺に抱きついてきたわ。恐ろしく若い祖母だったけど」

「それはまた・・・それで家業って?」

「不動産業だよ。整備士免許を取った後でもいいかって聞いたら宅建と並行で取得しろって。母さんも同じように取得したから出来ない事はないだろうって」

「あらら。無茶な要求が出たね?」

「まったくだ。左藤さとうの顔にスプレーを掛けなければ面倒にならずに済んだのに。油断したわ〜」

「授業の後まで面倒が降り注ぐって」

「気が休まらないな」


 そう言って日明あきらは机に突っ伏した。

 氷香ひょうかは苦笑いしながら居なくなった者の席を眺める。それは今の茉愛まいが座っている席だ。一つだけ座席が減ったため、この日から日明あきらの席は氷香ひょうかの隣となった。


(あら? ご実家の事・・・御存知だったのね)


 茉愛まいは黙って会話を聞いていたが、あえて日明あきらに問い掛けた。


「それでシャワーを設置するって話に繋がるのね。スプレーが原因だから、汗を流して合流しろと。体育の後の授業も少しずれ込みそうね」


 突っ伏した日明あきらは頭だけを持ち上げ、ブツブツと呟く。


「今回の件でそういう提案をしたって母さん経由で聞いた。系列の工務店を使うそうだから費用は掛からないらしいが・・・気が重い」


 自身が招いた事。それが日明あきら憂鬱ゆううつにさせるに足る問題だった。

 実は他にも条件を付けられそうになり──、


(意中の相手が居ない場合は彼女・・を嫁にあてがうって話には参ったな・・・単車が好きですって返したら、確実に婚約させられていたぞ)


 それらは愛海まなみの交渉術で回避され日明あきらが打ち明けた内容で妥結したらしい。将来は将来という事であまり急ぎ過ぎても碌な事にならないと説得したようだ。

 日明あきらは目前で微笑む茉愛まい達を一瞥すると、隣の氷香ひょうかの苦笑を眺めて安堵を示した。

 唯一、落ち着ける相手が誰なのか? 無意識ながら気持ちが傾きかけた日明あきらだった。





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