第3話 母の味と訪問。


 日明あきらは母の手料理を久方ぶりに頂いた。その味わいは懐かしく、空腹も相俟って涙を流してしまったようだ。


「・・・」

「なにも泣かなくても・・・」

「普段から何を食べてたのやら? 身体はあの人とは似ても似つかない体型になってるけど」

「普段って、グスッ・・・夜以外は自炊して、親父が肉がいいとかワガママ言うから、ほぼ夕食は肉が中心だった。味の濃い肉料理」

「ほぼ肉料理・・・それって?」

「高い肉は頻繁に買えないから、安めの肉を買ってきて嵩増しして出してたな。味に煩くないから時には大豆肉にすり替えてたりしてた」


 日明あきらは夕食を味わいながら正面に座る母娘の問いに答えていた。返答は離れて暮らしていた母娘の想像を超える生活だった。


「あの人ったら、親権欲しさは料理人目当てだったのね。呆れてしまうわ」

「味音痴の癖にワガママって・・・お兄ちゃん、捨てられて正解だったかもね」

「言えてるわ。あの人と一緒ならこの先どうなっていたか」


 母娘は怪我の功名とでもいうような反応だった。当人からすれば色々な面倒が降って湧いたような話のため──


「どのみちやる事が山積みだから・・・俺、転校して大丈夫なのか? そのまま県立でもいいんだが」


 母を心配しつつ断りを入れる日明あきらだった。だが、母は首を横に降りつつ微笑んだ。夏海なつみはきょとん顔で二人を交互にみつめていた。


「その辺は気にしないで。言ってはなんだけど、あの学校で次席を張れるなら、問題なくこちらでもやっていけるわ。何せあちらとは授業の進み具合からして違うみたいだから」

「違う、みたい?」


 日明あきらは言葉の意味が理解出来なかった。単純に両校の進み具合は教師が組むカリキュラムに依るもので、片方だけ知っていても比較など出来ないからだ。だが、母の言い分は知っている風であった。


「ええ。寮生に同じ学科の子が数人居てね、時々授業内容を見せて貰っているの。一年の時、三者面談に出たでしょ? 実母ですって」

「あ、あぁ。親父がトンズラこいたから」

「その時ね。担任からも、どの程度の進み具合か聞いてたのね。だから授業的にはしばらく暇だと思うわよ。終わってる箇所を復習するだけだから」

「そうか。で、でも、学費は?」

「そちらの心配も無用よ。同じく奨学生でいけると思うし。明日にでも事務局に問い合わせてみるわ。どのみちアパート火災が原因で、しばらくは休みなさいと連絡がこちらにも来てるから」

「きてたのか?」

「ええ。騒ぎの中心に入ると面倒でしょ?」

「そ、そうだな。うん」


 日明あきらは母の言う面倒を聞いて頷くしかなかった。普段の日明あきらは日陰者として過ごしている。余り、表立って学校生活はしたくないのだ。そうでなくても成績優秀という事で目を付けられているのに、余計な話題で面倒を巻き込む必要はない。学校としても波風を立てたくないのか、休学を勧めてくるくらいだ。この提案は受けるに限ると思う日明あきらだった。

 すると話についていけなかった夏海なつみが会話に割って入る。


「お兄ちゃんって、頭良かったの?」

「この子ったら。奨学生って時点で分かることよ?」

「分からないわよ。そもそも学費って言うほど高くないし、そちらの方を選ぶ方が目立つと思うんだけど?」

「ま、高くはないけどね・・・寮の運営を任せられているから、大半は学費と相殺されてるだけだけど。それだけでは食べていけないから写真館を経営しているもの」

「そうだっけ?」

「改装時にそういう契約を結んだでしょ。まぁ夏海なつみが中一の頃の話だし、忘れているのは仕方ないけどね。ただね・・・突如降って湧いた転入学ともなると相殺が効かないから、県立の成績表と照らし合わせて可能かどうか審査してもらうのよ。もちろん、戸籍をウチに入れた後にね?」


 それを聞いた夏海なつみは唸る。

 自分の学費は相殺されている事に。

 日明あきらの場合は満額払わないといけない事に。それならば成績優秀者としての制度を使おうという話に落ち着いても仕方ないだろう。すると日明あきらは自身が最も気になった事を質問する。


「ところで戸籍を入れるのは分かるんだけど、車検証の件とか、通学とか許可出るのか?」


 それは転入学後の事だろう。

 車検証は移り住んだ場所のみの変更で済むだろうが、ここからそこそこ距離のある私立高校への通学が心配だった日明あきらだった。母は夏海なつみと目配せし──


「残念だけどバイク通学は不許可よ。普段乗る分には問題ないけど、行き来は基本自転車通学のみになるわ。これは寮生達に興味を持たせない事にあるの」

「うんうん。私も原付取ったけど乗ってきたらダメって言われたんだよね。だから原付を買う前に諦めた。身分証としては使えるけどね」


 日明あきらがガックリくる答えを返した。寮生に興味を持たせないという点は不可解だったが、その答えは直ぐに教えてくれた。


「それでも一般学生までね。寮生の内、御令嬢や御子息に危険な事はさせられないって意味で注意喚起されてるのよ。大半の寮生は門前から学校発の送迎車で向かうけどね」

「私みたいな一般学生は自転車のみなんだよね。徒歩で着く距離でもないし」

「そうなのか・・・」


 それを聞いた日明あきらは諦める事を選択した。その直後、リビングの扉がノックされ、外から声が響く。


『寮母さん。少しお話があるのですが』


 その声は女性の声だった。

 夏海なつみは声の主に気付き、食事を終えた日明あきらの腕を慌てて引っ張る。


「ちょっとこっちきて!」

「お、おい」

「紹介は暫く先だから、今はダメなの」

「紹介? まぁ・・・いいか」


 日明あきらは引っ張られるままキッチンへと向かう。夏海なつみは母と目配せしつつ、扉を締める。紹介というからには、この場に日明あきらが居ては不味いという意味だろう。

 日明あきら夏海なつみがキッチンへと移動した直後、リビングに一人の寮生が顔を出す。


「それで話って?」

「いえ、何か人の気配がしたので」

「気の所為でしょ?」

「気の所為ですか?」

「気の所為、気の所為」

「でも、そのテーブルの料理の量が」

「あ〜。これは夏海なつみのよ。あの子、Bカップから更におっぱいを育てたいって言ってたから、大豆肉たっぷりの料理を用意したのよ」


 キッチンで聞いていた夏海なつみは吹き出し、今にも飛び込みそうな苛立ちを浮かべていた。日明あきらは見た目ほど大きく見えない妹の胸元をチラ見すると、視線をキッチンに向け、冷蔵庫の中身を漁り出した。


「そうなんですか・・・でも、育ちますか?」

「それはあの子の努力次第ね」

「育つようには思えませんけど」

「それで、用事ってそれだけ?」

「そうですね。やはり、私の気の所為だったみたいです」


 そう言って、寮生はリビングを後にし自室へと戻っていった。母は冷や冷やしながらキッチンに意識を向ける。そこでは何やらカチャカチャと物音がしていた。母はキッチンの扉を薄く開けて中を覗き見る。そこには怒り狂う娘の姿があった。


「あんちくしょう!? 絶対、育ててみせるから!! 母さんだって遅咲きだけど育ったんだもん!」


 一方、怒り狂う娘の反対側。

 キッチンシンクの前ではミキサー片手に日明あきらが白い何かをグラスに注いでいた。


「生々しい事を言うなよ。それよりも、ほれ」

「お兄ちゃんは何してるの?」

「ヨーグルトと無調整豆乳があったから、スムージーを作ってみた。これも気休めだろうが飲まないよりはいいだろ?」


 日明あきらはそう言いつつ、慎ましやかな胸を一瞬だけ見た。夏海なつみは一瞬の視線の動きに気付き、サッと両腕で胸を隠す。


「まさか!? 同情は要らないよ!?」


 日明あきらはキッチンシンクに向き直り、後片付けを始める。そのうえで顔を赤く染める妹に対してあっけらかんと応じた。


「そうか? クラスの元貧乳が大声で喋っていたレシピそのものなんだが?」

「ふぇ? も、元って?」

「何か、BからDまで育ったとか何とか言ってたな。根拠は無いんだが運動後に飲んだとか。単純に筋肉で上乗せした感j」

「の、のむ!!」


 その光景を見た母は扉を静かに閉じる。

 兄が妹の豊胸を手伝う姿は少々微妙な感じだが、久方ぶりの兄妹関係のため、微笑ましいと思いつつテーブル上の後片付けを始めた。


澤田さわださんも勘付いたかしら? あの子ってば家政科の生徒だから油断ならないのよね。お世話したいならルームメイトの面倒だけでよいものを・・・とりあえず日明あきらは普通科だから、学生棟以外で関わる事は無いと・・・思いたいわね)



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