第2話 30キロ行軍と合流。


 それから数時間後。

 日明あきらは隣街の一角、旧市街地にある古民家街を訪れた。時刻は午後八時。途中で夕食を食べる予算も無いため、空腹なまま古民家街を一人で彷徨う。普段ならバイト終わりに途中のファミレスで簡単な夕食をいただいていたが、今回はゲームソフトの出費が痛手となり立ち寄る事すらも出来なかった。

 日明あきらは体操服越しに腹をさすりつつ、フラフラと夜道を歩く。


「腹減った〜」


 今はまだ目的地の手前。ここから少し歩いて大通りに出ると見えてくるという記憶を頼りに古民家街をひたすら歩く。この記憶もいつだったか、母から直接聞いていた場所の話である。

 行った事は無い。近くを素通りした事もない。そもそも普段の生活圏から離れ過ぎていたのだ。バイトは新市街に行かないといけない。

 今は旧市街。古民家が所狭しと並ぶ街だ。

 しばらくすると──、


「やっと写真館が見えてきた〜」


 大通りから直ぐの角。そこそこ大きな写真館が現れた。この店は日明あきらの母が経営する店だ。その建物も古民家を改装した、二階建ての・・・それはもう大きな建物の一角だった。

 日明あきらは店舗側の駐車場にて一息入れる。出入口が何処なのか知らないため、母に電話する事にした。日明あきらはクタクタなまま店舗の壁に寄り掛かる。

 この時の日明あきらは防犯カメラに映っているようで、問い合わせを受けた母は問題無しと警備会社にメールを飛ばしていた。

 そして日明あきらが掛けるタイミングを見計らい、即座に電話を受けた。


「着いた。店の前。入口がわからん」

『お疲れさま。あと少し歩けば門扉があるから、そこを越えて夏海なつみが待つガレージから入って・・・夏海なつみ!』

『は〜い。キモにぃ、やっと来た? 遅過ぎない?』

『そういう事を言わないの! ガレージ開けてあげて』

『はーい』


 それは妹が呼ぶ日明あきらの渾名だろう。今の格好であればキモいという要素は感じられないが、妹の夏海なつみからすればキモい者はキモいのだろう。夏海なつみは嫌々という声音でガレージに向かう。

 そんな二人のやり取りを聞いた日明あきらはきょとんとなりつつ問い掛ける。


「へ? ここが入口じゃないの?」

『そっちは店舗の入口よ。家の者は別の入口から入るの。あと少し頑張りなさい』


 日明あきらは母からの事実を示され、最後の力を振り絞る。空腹が過ぎて今にも倒れそうな日明あきらだった。それはそうだろう、隣街から片道30キロを歩いてくれば。電車でなら直ぐの距離でも徒歩の場合はどうしようもない。単車でもあればマシだが。

 日明あきらは嫌そうな顔でフラフラしつつ、先日の出来事を思い出しつつ愚痴る。


「あぁ。親父に単車がバレて売りに出されそうになった事を思い出した・・・」


 それは修理に出した経緯だろう。

 日明あきらは単車を父親から取り返す際に思いっきり転倒させられた。売りに出される前にもローンが残っていると口喧嘩し、売り言葉に買い言葉で破損させられたのだから遣りきれないだろう。

 修理に出したのは宿泊研修前。ミラーが割られてしまい、あちこちに傷まで付けられた。それも転倒扱いで保険金を借りろというオチまでつけて。そんなもの詐欺だと返せば何とかして用意しろと騒いだ挙句、酒を飲みつつ部屋に入って行った。

 これを受けて日明あきらは何があるか分からないため、宿泊研修中は銀行印と通帳を手元で管理していた。いつもなら自室の金庫に納めているが持ち出されたら敵わないからだ。

 その結果、研修から戻ってきたら、家その物と父親が蒸発していたのだから、酷い目に遭ったと思っても仕方ないだろう。

 日明あきらはガラガラと開く音に気づき、前方をみつめる。そこには明るめの茶髪をツーサイドアップに結った夏海なつみが顔を出していた。


「おかえり〜? ん? この場合はいらっしゃい?」

「どっちでもいいわ」

「折角、私が顔を出して労ったのに酷くない?」

「疲れてるんだ。隣街からずっと歩いてきたから」

「うへぇ〜。だから妙に汗臭いんだ・・・近寄らないでね?」

「・・・」


 夏海なつみは嫌そうに鼻をつまみ、日明あきらから距離を取る。日明あきらは行動そのもので心を抉りにくる妹に頬を引きらせ、ドラムバッグの中から制汗スプレーを取り出して身体中に振りかけた。

 そんな日明あきらの対応を見た夏海なつみはきょとんとし──、


「持ってるなら先に振ってよ〜。今日からはデリカシーが無いまま住めないからね?」


 日明あきらがきょとんとしてしまう一言を吐いた。デリカシーが無いまま住めない?

 その言葉を受けた日明あきらは困り顔のまま問い掛ける。


「どういう意味だ?」

「どういう意味も何も、母さんが言ってたでしょ? ガレージから入ってって。そっちの門扉は寮生達の門なの。私達はガレージか反対側にある裏玄関から出入りするの」

「寮? 店舗だけじゃないのか?」

「うん。元々は下宿だったんだけど、私が通っている学校から資金提供を受けて〈みなと寮〉として改修工事してもらったの。ウチは数軒ある寮の内、寄付金を多く出した家の人が住んでるの。だから家の中で勝手気ままに動き回る事だけは避けてね? 寮生・・・先輩達と出くわすと面倒だから」


 なんという事だろう。日明あきらは聞かされていない真実を妹から告げられた。日明あきらはお財布事情で県立高校を受験したが、妹は私立高校に通っているらしい。

 電話で母から転校と聞かされていた日明あきらは、今の場所から県立高校に通学しようかと考えてしまった。単車の修理が終わり次第、それ自体は可能なのだから。

 そう、呆然としたままの日明あきら夏海なつみから手を引っ張られガレージ内へと入る。


「とりあえず、予備校生が帰ってくる前に中に入って。ここに男が立ってるだけでも疑われるからね? 私に彼氏が居るんじゃないかって」

「お、おう」


 日明あきらは妹の彼氏と間違えられる事は無いと思いつつもガレージ内を見回した。

 そこには写真館の軽バンと自転車が置かれていた。脇には古びた大型自動二輪とサイドカーがあった。壁面には工具類がかけられており、日明あきらの興味は寮の事よりもそちらに向いてしまった。夏海なつみは兄の呆け顔を横から眺めつつ優しく微笑んだ。

 日明あきらには見えていない微笑みだが。

 日明あきらは大型自動二輪の前を静かにみつめ──、


「スペースあるし、置いていいよな?」


 夏海なつみに問う。

 夏海なつみは微笑みつつもあっけらかんと返した。


「いいんじゃない? 母さんもお兄ちゃんが乗ってるの知ってるし。というか今日は何で?」

「クソ親父に転倒させられて現在修理中」

「は? て、転倒って?」

「ま、色々あったんだよ。とりあえず・・・腹減った」

「そ、そうなんだ・・・母さんが夕食を用意してるからリビングに行こうか?」


 この時の呼び名がキモにぃとなっていないのは日明あきらが伊達眼鏡を外し、長ったらしい髪の毛を纏めていたからだろう。どうもこの妹は兄が地味な姿になるとそういう呼び方をするようだ。キモいキモいと言いつつ、兄の背後から楽しげに微笑む夏海なつみは素直ではないらしい。カーテンで閉じられた廊下を歩く二人の先で母さえも優しげに微笑んでいたのだから。


「おかえりなさい。今日からここが日明あきらの家よ。色々とルールとか教える事もあるけど、先にご飯にしましょうか」

「う、うん。ただいま、母さん」


 日明あきらは母から抱き締められると挙動不審となりつつも返事した。それは懐かしい抱擁だったからか、戸惑ったともいう。

 そんな親子のやりとりを見ていた夏海なつみは、先ほどのやりとりを思い出して日明あきらの背中に勢い良く抱き着いた。


「何それ!? 私の時も素直に返事して欲しかった〜」

「どの口が言うのよ〜。大好きなお兄ちゃんをキモいキモいって呼ぶ子が言っていい言葉ではないわよ?」

「私の勝手でしょ!?」


 日明あきらは先ほどとは打って変わって変化を示す妹に戸惑いつつも、ドラムバッグの中身を思い出して問い掛ける。ドラムバッグは自分の部屋へと放り込み、今は体操服姿のままリビングに移動したから。


「というか母さん、着替えすら無いんだけど」

「それなら問題無いわ。片付けした夏海なつみがコンビニまでひとっ走りしたから」

「母さん! それは言わない約束!」

「・・・」


 そんなやりとりを見せられて日明あきらはどんな顔をして良いのか分からず、呆気にとられていた。今も日明あきらの背中に妹が。正面には日明あきらより少し背の低い母が抱き着いたままなのだから。



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