第13話 授業と意味深。


 数学の授業が開始された。

 日明あきらは事前に聞いていた通りの教科書を取り出し、県立との違いを思い知る事になった。教科書は前日に読み込んでいたため大体同じと分かっていたが、同じ箇所をもう一度聞く羽目になるとは思ってもいなかった。


(うわっ・・・マジで?)


 それは既に通った道。

 県立では終わった箇所をこの学校ではようやく始めていたところだった。

 最初からの復習と呼べば相違ないが。


(まぁどのみち、ノートは取り直さないといけないから丁度良いか)


 先の火事でノートの一切合切が焼けたのだ。

 以前のように板書出来るか不安だった日明あきらは答えの分かる内容よりも板書のみに尽力した。

 今回は日明あきらが転入初日という事もあって教師も当てる事はせず、日明あきらを飛ばして次の者の名を呼んでいた。

 日明あきらにとっては好都合と思い、カリカリと書き続けていた。他の生徒達から見れば授業についていくのがやっとという印象が持てただろう。

 現に──、


(ふーん。地味男君は頭もそんなに良くないのね。聞くことよりも板書に一生懸命だわ)


 委員長と呼ばれた小林という女子生徒も斜め前の席から横目で眺め、思い違いをしていた。

 一方、日明あきらの前に座る茉愛まいは別の意味で苦笑していた。


日明あきら君は既に通った道。今は教師に提出するノートを用意するのに一生懸命であっても不思議ではないですね)


 茉愛まいは知っていたのだ。

 お爺さまから日明あきらの成績表をみせてもらっていた。復習も兼ねた広範囲の試験範囲で満点ではないものの、上位に位置していたから。それこそ抜き打ちの小テストでもあれば良いが今は始まったばかりだ。授業開始早々に試験を行う教師などいないだろう。

 それから程なくして授業が終わった。


「本日の授業はここまで」


 委員長は次の授業の用意を行いながら席を立ち、片付け中の日明あきらの隣に立って呼ぶ。


「案内するからついてきて」

「あ、ああ。分かりました」


 実に素っ気ない一言だけ言うと日明あきらの反応を無視してスタスタと教室を出ていった。日明あきらは準備中だったが、後回しとし委員長の後を追った。早足で歩く委員長は日明あきらが来ていようが来ていまいが気にせず教員棟に向かう。

 日明あきらが後ろ姿に気づいて追いかけて来ようとも足を止めず、委員長は事務局へと入っていった。流石の日明あきらも思いも寄らない対応にきょとんとなる。


「は?」


 しばらくすると委員長はお辞儀しながら扉を閉じ、一冊のパンフレットを日明あきらに手渡す。


「これを見て勝手に回って。一応、立入禁止の部分だけ塗りつぶしておいたから、間違って入る事は無いでしょ」


 そうツンケンしながら胸に押しつけるように手渡し教室に戻っていった。日明あきらがリアクションするよりも前に、職務放棄を示されてしまい呆然とするしかなかった。


(女子の思考回路、マジで分からねぇ)


 日明あきらは仕方なく時計を眺め、近場から回る事にした。とはいえ授業の合間に回れる場所などそれほど無く、移動教室の合間や昼休憩に見て回る事としたようだ。


「まぁいいか。教室の場所とか大事な箇所だけは赤ペンで示してくれてるし。昼休憩で見て回ってもいいな・・・一人の方が気が楽だし」


 最後の一言は本音だろう。

 地味なのも一人で居たいがための姿だ。

 構ってくる者は知っている者だけだ。

 この日を乗り切れば何とかなると思いつつ日明あきらは教室に戻っていった。



  §



 その後の日明あきらは授業の合間に教室外に出る。本日は移動教室自体が無かったようで回れる所から順番に回っていった。肝心のパンフレットはスマホへと落とし込み、それを見ながら場所の把握に努めた日明あきらだった。

 歩きスマホ自体は禁止だが、授業と試験以外は持ち込み禁止となっていない緩い校則に助けられたようだ。パンフレットを持ち歩かないという手段も、委員長の内申点に響かせない対処でもあった。


(任命された職務を放棄・・・減点二。自分から委員長に成りたがったのに、困った人だわ。本当なら私が案内して差し上げたいのに)


 それであっても茉愛まいから見れば確実に響いているのだが、当人達がそれで良いと思っている内は何も言えない茉愛まいだった。

 肝心の日明あきらは予鈴が鳴る直前──


(セーフ!)


 ハンカチで汗を拭いつつ教室に戻ってきた。

 パッと見、急いでトイレに向かって戻ってきている風にも見えるかもしれない。

 教室へと戻ってくる度に尾前おぜんから揶揄われる始末だ。


「腹が痛いなら休んだらどうだ?」

 

 これは踏まれた事への意趣返しのつもりなのだろうが日明あきらは無視を決め込み授業の準備を始める。


「次は英語か・・・」

「聞いているのか?」

「これが済んだら昼飯だな」

「腹が痛いなら」

「次の授業が始まるから席に戻った方がよろしいのではないですか?」

「い、言われなくても!」


 日明あきらはスマホをオフラインモードに切り替えつつ机の中に仕舞う。茉愛まい尾前おぜんと入れ替わるように自席に戻ってきており閉じられる前のスマホ画面に気づき困った顔のまま隣を横目でみつめた。


(あらあら。パンフレットですか・・・減点一ですね。成績にどう響くのか、考えた方がよろしいですよ。小林さん?)


 みつめられる委員長は知らんぷりで教科書を読み込んでいた。内申点に響いている事に気づかぬまま、当てられる箇所の音読と訳を行っていたようだ。

 一方の日明あきらは教科書を開きながらスラスラと小声で読み上げる。教科書の訳自体は終えており、いつ当てられても問題無い対処だった。これも前日に茉愛まい達から聞いていた事が功を奏したともいう。


「(ご、後藤先生・・・県立では非常勤と聞いていたけど、こちらが本職だったのか?)」

「では、授業を開始します。えっと・・・前回が」


 教師はそう言いつつ名簿を開き名前を読み上げる。普通なら当てる事など無いのだが、彼女は立場など完全無視で行う類いの教師だった。


今宮いまみやさんでしたから、次はみなと君ですね。教科書のページは分かりますか?」

「はい。問題ありません」

「も、問題ありませんって?」

「小林さん。静かに」

「はい。すみませんでした」


 委員長の言い分はもっともだろう。

 他の生徒達も心配気だったり、馬鹿にしたりする者も居たのだから。教師はそのような輩を完全無視したまま日明あきらに指示を出す。


「では始めて下さい。いつもよりゆっくりで」

「分かりました」


 直後、ゆっくりとした発音で教科書が読み上げられる。それを聞いた委員長は驚きながら後ろを向き茉愛まいは誇らしげであった。

 優希ゆきは思いも寄らない伏兵に唖然とし、教師は聞き慣れた様子で頷いた。


「結構。訳のミスもありませんでしたね。先月の授業で読み間違えた箇所も正しく発音が出来ていましたね。さて、次は・・・」

「(先月? どういう事?)」


 教師の一言を聞いた生徒達は困惑の表情を浮かべる。このページは今日初めて読み上げた場所だ。それを復習かのようにスラスラと読み上げ、訳のミスも無ければ驚くほかないだろう。

 日明あきらも最初見た時は驚いたが「いつもよりゆっくり」と指定された事で安堵を示していた。

 そして英語の授業は滞りなく終わり──、


「それと、みなと君のノートは預かったままでしたので後ほど返却しますね。みなと君は新しく板書を取らずともよいです。授業が追いついた頃合いから書き写して下さい」


 帰りしな英語教師が爆弾を落としていった。

 日明あきらはノートを提出していた事を思い出し、板書していたノートが無駄になったと突っ伏した。


(!? まぁいいか。復習用で使えば・・・)


 教師も同じ者のノートを何冊も見るのは気が引けるのだろう。既にあるならそれを使えば良い。それで全て納まると思っていたようだ。

 そんな一言を受けた直後、昼休みに入る。

 周囲の生徒達は教師の一言に疑問気となる。


「あれってどういう事? 特別視?」

「違うでしょ? 何か余所で習ってたとかじゃないの?」

「先月とか言ってたし・・・先生って授業が無い日は出勤してないけど」

「それが関係しているのかもね」


 一方の日明あきらは周囲の会話を無視しつつ昼飯と兵糧を取り出して口に含む。時間は有限とでも言うような速い昼食を終え、慌てたように教室外へと出ていった。校内を見て回るならこの時間を除いてあと二回だけだから。


「み、みなと君。先ほどの件なんだけど」

「ごめん。あと数カ所だけだから」


 モジモジとした委員長の呼び止めに応じる事なくあっさりと出ていった。

 これは職務放棄した件ではないだろう。

 授業の事で問い掛けたかったらしい。

 すると茉愛まいが訳知り顔で物申す。


「当然の対応ね。ところで知ってる? 彼が何処から転入して来たか」

「え? 知っているのですか」


 周囲の生徒達は昼食に向かい、優希ゆき一ノ瀬いちのせゆうに呼ばれたのか、茉愛まいの様子を眺めながら教室外へと出ていった。茉愛まいの後ろには、疲れた顔の狭山さやま果菜はなと取り巻きが居り学食に向かう準備を行っていた。


「当然でしょ? 私を誰だと思っているの」

「理事長の・・・」

「そういう事よ。一言で言うと後藤先生が非常勤講師している有名進学校から来たの」


 そう、茉愛まいは委員長の耳元で囁きながら微笑んだ。周囲には聞こえない声量。

 男子達は馬鹿騒ぎしており聞かれる事などなかった。委員長はその一言を反芻して驚いた。


「有名進学校・・・そ、それって例の県立?」


 茉愛まいは購買に向かう委員長と共に教室を出て共に廊下を歩む。話題はこの場に居ない日明あきらが中心だったが。


「ええ。成績は常に上位だったそうよ。一見、地味だけど頭良いのね。ノートの件は既に終わった箇所だからって意味よ。彼が言うには県立は中盤まで進んでいるそうだから」

「中盤・・・そ、そんなに早くやって?」

「教科書は早く終えてしまって、残りは応用が主らしいわ。生の英会話を行って学校教育の範疇を超えた授業を・・・って、やつね。後藤先生がゆっくりと言ったのも、本来はネイティブかってほどの速度で読み上げるらしいから」

「そ、それは・・・」


 絶句になるのは仕方ないだろう。

 どういう経緯で転校してきたのか?

 日明あきらはそれすらも話さなかったのだ。結局、他人に話す事でもないからだ。

 一般生徒はそれぞれの事情があってこの学校に居る。委員長とて同じであり、聞くのは野暮というものがあった。

 すると茉愛まいは学食の入口で──、


「まぁ・・・それはそうと。職務放棄の件、私の権限で見て見ぬ振りしたけど・・・どうする?」


 満面の笑みになりつつ委員長に釘を刺した。

 委員長は一瞬で顔面蒼白に変わり、狼狽しながら言い訳を発しようとした。


「そ、それは、その、あの、えっと・・・」


 だが言葉に出せない理由が原因だったため、最後は俯いて沈痛な表情に変わった。

 地味男と名指しし面倒だからと丸投げした。

 パンフレットの注意書きが良心だとしても。

 勝手に見てくればという対応は職務放棄に取られても不思議では無かった。

 茉愛まいは委員長の表情を一瞥しつつ背中を軽く叩いた。


「まぁいいわ。今回は担任の暴走があったから貴女も被害者としましょうか」

「痛っ! え? それって?」

「本来なら私が案内するようにって、お爺さまから言われていたのだけど、ウチの担任って労働組合長だから反発したという事でしょうね。査定に響くのは貴女ではなく反発した担任ね」

「で、では?」

「気にしなくていいわ。どのみち、もう見て回ったみたいね・・・ほら、中庭で妹に面倒を見てもらっているわ」

「妹? あれって一年の・・・」

「彼って夏海なつみさんの兄でもあるのよ。地味な兄と美少女な妹ってね?」


 茉愛まいはそう微笑みつつ委員長と別れて学食に入っていった。中庭ではベンチで横になる日明あきらの頭を持ち上げた夏海なつみが自身の膝に乗せていた。


「一年で一番可愛いと言われる女子の、兄?」


 委員長は購買に行くことも忘れ、きょとんとしたまま中庭の様子を眺めた。

 視線の先には夏海なつみが優しそうな微笑みを一人に対して向けている様子が見てとれた。日明あきらの眼鏡を外し、気持ちよさげな寝顔を黙ってみつめていたから。



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