第10話 お茶会とルームメイトに御用心。


「ほい。かんせい〜」

「「うわぁ〜!」」


 日明あきらは手慣れた様子でパウンドケーキを一本だけ焼いた。その手順は淀みなく、母屋の中に甘く優しい香りが立ちこめるほどだった。

 夏海なつみと母は洗い物だけ手伝っていたが、焼き上がる頃にはダイニングの椅子に座ったまま待機していた。それほどまでに美味しい香りが充満していたようだ。


「焼きたてだから少し熱いが・・・母さんはどうする?」

「どうって?」

「このあと出かけるなら」

「ああ! そういう事? 問題ないわ」

「なら、洋酒を少しだけ掛けてみようか?」

「それで、お願い!」


 母は食い気味にお願いした。

 夏海なつみは苦笑しつつも、取り分けられたパウンドケーキをスマホで撮影していた。

 生クリームまでも用意していた日明あきら。それはお店に並ぶような代物だった。


「いいね、キター! えぇ・・・何処のお店って返ってきた。どうしよう?」

「それなら港店って返せばいいでしょう?」

「それだと送迎車を走らせる子が現れるよ? 出来たてケーキとか滅多に食べられないし・・・というか、すごい美味しい!!」

「ホントだわ。お茶会に出してもいいくらい」


 母も夏海なつみも大興奮で日明あきらが作ったパウンドケーキを戴いていた。

 母がお茶会という意味深な言葉を吐いていたが、日明あきらは喜んでいてくれるだけで満足そうだった。これがクズなら、あれこれ文句を付けてはちゃぶ台返しを繰り出していたから。味音痴の癖にあんまりである。


「喜んでくれて良かったよ。甘すぎないよな?」

「「ちょうどいい(わ)よ」」


 母も夏海なつみも大満足で戴いていた。日明あきらは紅茶を注ぎながら二人の顔を眺めた。


「そっか。作った甲斐があるよ」


 すると夏海なつみが何かに気づき──


「ところでお兄ちゃん?」


 日明あきらに問い掛ける。

 その表情は何処か思案気だった。


「どうした?」

「えっとね・・・市販の菓子折よりこちらの方が喜ばれると思うけど・・・?」


 その問いを聞いた日明あきらは何度も頷いた。だが、慣れている者の舌はそんなに甘いものではない。煩い者はとことん煩いから。


「あぁ。そういえばそうだな・・・失念していたわ。でも、お嬢様達の舌を唸らせる物でもないだろ?」


 しかし日明あきらの心配は杞憂だった。

 母が太鼓判を押すように微笑んだから。


「それは問題ないわ。学食のパティシエかってほどのお菓子だもの。材料が必要なら言って? 夏海なつみがひとっ走りしてくるから」

「うんうん! 私、走っちゃうよ〜!」


 夏海なつみも母の意見に同意し、嬉しそうに部屋を出ようとした。パウンドケーキは既に平らげており、食後の運動という印象が持てた日明あきらだった。

 だが、この時の夏海なつみは大事な事を忘れているようで──、


「いやいや、それなら単車出して行った方が早いぞ? それに夏海なつみは片付けがあるだろ?」


 日明あきらは心配気に問い掛ける。


「あっ!」


 夏海なつみは思い出したように時計をみつめ、大慌てで寮のキッチンに向かっていった。母はそんな娘に苦笑するも、財布を取り出して日明あきらに万札を手渡す。


「それなら、お金を出してあげるから材料を買ってきたらいいわ。業務用スーパーは分かるわよね?」

「ああ。頻繁に利用してたから問題ないぞ」


 日明あきらはそう言って、母からお金を預かり自室を経由してガレージに移動した。

 ちなみに日明あきらが買ってきた菓子折は相当なまでに賞味期限が長いため、家族のお茶のお供となった。それこそ誠意を示すなら出来合よりも手作りが無難と思う日明あきらだった。


「デイパックを背負って・・・」


 日明あきらはヘルメットを被り、ガレージを開ける。単車はエンジンを掛けて暖気運転を行う。今は時間的に昼過ぎだ。三時までは少しだけ時間があるが、遅すぎるとそれはそれで失礼にあたるため、ほどほどで出掛ける日明あきらだった。



  §



 業務用スーパーから戻ってきた日明あきらはキッチンにてパウンドケーキを焼く。

 抜け毛が入らないよう三角巾を被り、両手にはゴム手袋を装着して。何処から持ってきたのか白い制服を身につけ一種の調理者に変じていた。そのうえマスクを着ける用心振りだった。

 家族に作る時はそれほど厳重に行っていなかったが、今度は相手が相手のため用心した日明あきらだった。

 ただ、その姿を見た夏海なつみは──


「気にしすぎじゃない?」


 引きった笑みで問い掛けていた。

 日明あきらは真剣な表情で応じた。

 今は余熱したオーブンの前で必要数の型に流し込んでいたが。


「出来上がるまで気は抜けない」

「そうかなぁ?」

「まぁ食品衛生法を思えばね?」

「ああ。それもあって誕生日の後に受講して」

「「資格あるの!?」」


 その一言には母と夏海なつみも驚きである。日明あきらはケーキ型をオーブンに収め、タイマーをセットしていたが。


「一応な。バイク屋に勤める前の職場で取ったんだよ。個人経営のケーキ屋だったから」

「そ、それで?」

「だから手順に淀みが無かったのね・・・」

「あくまで助手だけどな。焼くのは店長がやってたから」

「それでも材料を混ぜる事って結構大変だよ? 油断するとダマが出来るし」

「食感は確かに変わるな。空気の入れ方とか、舌触りとか」


 それから数十分後、人数分のパウンドケーキが焼き上がった。今回はアイシングしケーキの砂糖を抑えめにした日明あきらだった。

 日明あきらは端っこを小皿に盛り、母と夏海なつみに手渡す。味見をせずに提供する事は出来ないからだ。当然、日明あきらもマスクを外して味見したが。


「「ん〜!?」」

「うん。焼き加減も問題ないし、アイシングが甘さ控えめのケーキとマッチしてるな」

「私、こちらが好みだわ。酒ありもいいけど」

「私もこっちが好き〜!」

「そうか? まぁ・・・アーモンドプードルを足しただけあるかな?」

「それでなのね!」

「材料を一つ足すだけでこんなに違いが出るんだ」


 その後は切り分けたケーキをお盆に載せ、母は二階に夏海なつみ日明あきらは一階のリビングに持っていった。なんでも休日の午後はお茶会と称して、寮のお嬢様達がのんびりと過ごすそうだ。

 先ほど夏海なつみが写真をあげた時に反応したのは〈みなと寮〉内の友達らしい。


「もとちゃんの御要望にあったパウンドケーキだよ〜」


 夏海なつみの友達こと田島たじまもとむは目の前に置かれたケーキをみつめながら、大興奮で夏海なつみに問い掛けた。黒髪お嬢様の容姿なのに、その雰囲気は完全なる女子高生だったが。


「!? 何処で買ったのぉ?」

「何処って手作りだけど?」

「手作り!? どういう事ぉ!?」

「落ち着いて! お兄ちゃんの手作りだよ?」

「!!? えぇ! あの!!」

「あのって・・・まぁ、そこに居るけど」


 夏海なつみは苦笑気味で兄を指さす。

 もとむは指の先をみつめ、居住まいを正す。

 伊達にお嬢様ではないという事だろう。


「あ。初めまして・・・普通科の田島たじまもとむ、です」

「初めまして。夏海なつみの兄です」


 この時の日明あきらは白い制服と三角巾をしたままの姿だった。この制服はかつてのバイト先に伺い、お祝いとして貰ったものらしい。なんでも転校した事に対する品だそうだ。

 しかも、愛娘が家政科に通っているそうで店長が引き続きよろしくとまで言っていた。

 どういう意味のよろしくなのか不明だった。

 おそらく日明あきらがケーキ屋を辞めた原因が原因のため、その件も含めてお祝いしたのだろう。実父から離れられた件で。日明あきらがそのことを知るのはしばらく先になるのだが・・・ともあれ。

 日明あきらは入れ替わり立ち替わりで出入りする寮生達に挨拶していく。その中には二階から降りてきた三年生や寮長も含まれており、数名から感激と共に抱きつかれた。

 ただ──、


「うそぉ・・・」


 夏海なつみ優希ゆきねぇと呼ぶ寮生だけは驚きを通り越して呆然としていた。この時の日明あきらは伊達眼鏡を掛けて三角巾を外していた。夏海なつみからそうするようにと勧められたからだが。


おいひい美味しい・・・」


 反応は上々。だが、呆然なのは変わらぬままだった。何が彼女の琴線に触れたのか理解出来ない日明あきらは驚愕の中、頭の尻尾だけが揺れている事に気づき、不思議に思う。


(そういや、何処かで見たな? この風貌)


 だが、思い出そうにも思い出せない日明あきらだった。最近だと洋服店の前で見た姿と同じだが、そのことすらも忘れていた日明あきらだった。

 肝心のお茶会は盛況なまま終わりを告げ、日明あきらの紹介も無事に済んだ。

 その際に寮長こと茉愛まいが──、


「そういえば同じクラスになるみたいですね」


 日明あきらですら知り得ない謎情報を伝えてきた。これも理事長の孫という地位で得られる情報の一つなのだろう。今日の姿はいつもの痴女・・・ではなく、お嬢様然な姿だったが。

 日明あきらはお盆を腹前に抱きつつ応じた。


「そうなのですね。まだ校内の全容を知らないので・・・」


 というように反応に困る対応を行った。

 すると夏海なつみが背後から抱きつき日明あきらに願い出た。


「私が案内する! 転入初日は明日だけど、朝一で行えば問題ないよね?」

「お、おう・・・でもいいのか? 学校だと」

「誰も居ない時間帯なら問題ないよ!」


 だが、その一言は別の者を呼び寄せた。


「同じクラスの私が案内します。一年生が入れない棟だってありますから」


 それは夏海なつみ優希ゆきねぇと呼ぶ女子だった。茉愛まいもその一言を聞いて何度も頷いた。


「確かにその方がよろしいでしょうね。優希ゆきさんなら色々知ってますし。それと、私も一緒に案内しますね? 理事長の孫として案内するようにと命じられていますから」

「!!?」


 それを聞いた夏海なつみは愕然とし、ぐぬぬという表情で床に座り込み優希ゆきをみつめる。優希ゆきは勝ち誇った顔で床に座った夏海なつみを眺める。


「では明日の朝、校門前でお待ちしておりますね」


 優希ゆきは悠然とした歩みでその場を後にした。

 この時の日明あきらは視線を泳がせ──


「あれはわざとか? マジなら俺、死ぬの?」


 呆然と佇む夏海なつみに視線を向けた。それは戦々恐々という雰囲気だった。

 一方、茉愛まいも気づいていたのか苦笑しっぱなしだった。


「いえ。あれは天然ですね・・・事故も同然なので、気にしないであげて下さい」

「そういえば・・・なんでパンツ穿いてないの? スカートが捲れてお尻が丸見えなんだけど?」

夏海なつみさん。それは聞くだけ野暮ですよ・・・どうせいつもの調子でゆうさんのドジに巻き込まれた後でしょうから」

「あぁ。一ノ瀬いちのせ先輩のずっこけで、すっぽーんと脱がされたんだ・・・」

「彼女の下半身が鈍感なところだけは・・・残念ですよね。顔と身体は綺麗なのに」






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