第9話 勉強会と不本意な渾名。


 そして翌日の午前中。

 この日の日明あきら夏海なつみと共に母屋のリビングにて過ごしていた。

 それは学校の教科書が届いた事で内容を熟読する事と夏海なつみに勉強を教えるためだ。


「で、これをこちらに代入して」

「あ! そういう事? やっと解けた!」


 日明あきらは教科書を読みながら夏海なつみが楽しげに解答する姿を眺める。

 解ると楽しい。すらすらと解けると面白い。

 そんな姿を眺めつつ先々を不安視する日明あきらだった。


「やっぱり予想以上に遅れてるんだな・・・」

「進学校と同じと思ったら大違いだよ?」

「てっきり同じくらいだと思ってた」

「母さんが言ってたでしょ? 遅いって」

「確かに・・・。それで母さんは?」

「寮の方で説明してる。お兄ちゃんのこと」

「説明ね・・・出て行くって言いそうな子とか冤罪を作り出す子とか現れそうでちょい怖い」

「冤罪犯はこの寮ではおとなしい方だけどね。私に冷水をぶかっける以外は」

「? そうなのか?」

「うん。それとお兄ちゃんには風呂掃除こそ行わせないけど、共用玄関とか玄関先の掃除をお願いするって母さんが言ってた」

「そういや、寮母の家族として行うことがあったんだな」

「まぁね」


 珍しく兄妹間の会話を行う二人。

 離れていた期間を埋めるように、夏海なつみ日明あきらの近くで午前のひとときを楽しんでいた。スマホのブロックも本音をダダ漏れにしないための対応らしい。兄の前ではつい本音を語りたがる妹だった。

 するとそんな二人の仲を引き裂くようなノックの音が室内に響き渡る。

 日明あきらはドンドンドンと響く大きなノック音で若干引いていた。


「だ、誰だ?」


 夏海なつみは誰なのか察し──、


「お兄ちゃんはそこで待ってて」


 キッチン側から廊下に移動した。

 日明あきらは母の説明が失敗したかと思いながら伊達眼鏡を掛け、まとめておいた髪を下ろした。これも夏海なつみの前では出来る限り、素顔で居てほしいと願われたからだ。

 直後、廊下で騒ぐ大声が室内に響き渡る。


『やっぱり居たじゃない! なんで隠すの?』

『いちいち言う必要が無かったから?』

『無かったって・・・大事なことでしょう?』

『そう思ってるのは優希ゆきねぇだけだと思うけど?』

『そんなはずないわ! おばさんと一緒に隠すなんて酷いじゃない! 今日初めて聞いて驚いたわよ!!』

『そうかな? それよりも愛が重いよ?』

『重くて結構! 私はそのためだけに生きてきたんだから!』

『それなら一ノ瀬いちのせ先輩の面倒を先に行ったら? 一応でもメイドでしょう?』

『それはそれよ!!』


 扉越しに聞こえる口喧嘩は少々偏愛めいたものだった。日明あきらは怯えつつキッチンに移動し裏玄関から外に出た。

 それは・・・もし寮生が駆け込んできたら逃げるようにと、母から言われていたからだ。


「ヒステリー、こえぇぇ」


 日明あきらは裏に駐めた自転車に乗り込み、近くのコンビニに向かう。時間潰しに逃げても問題はないだろう。今日はバイトも休みであり、この日一日は手持ち無沙汰となるのだから。もっとも逃げたとしても後で顔を合わせる事になるので、詫びの菓子折を買って帰る日明あきらだった。



  §



 そして昼前。

 日明あきらはコンビニの袋に入れた菓子折と共に帰ってきた。

 キッチンには調理中の母が居り──、


「あら、お帰り〜」


 こそこそと戻ってきたら即座に気づき、声を掛けてきた。日明あきらは菓子折・・・寮生の人数を事前に聞いていたため、四十個ほど入った箱をテーブルの上に置く。

 その表情は何処か不安そうであり、日明あきらは恐る恐るというように母へと問い掛けた。


「た、ただいま。話は・・・うまくいってないみたいだな」


 しかし、杞憂とでもいうようにあっけらかんと返された。


「そうでもないわよ? 一人が暴走したけど、ほかの子は気にしてないわ。むしろ、好意的に思ってる子が多いわね」

「好意的?」

「ええ。進学校で二番だった事が要因みたい」

「それだけ?」

「それだけよ。いつの世も頭の良い男性がいいって言う子は多いから。ま、まぁ・・・それで愕然として暴走した子も居たけどね(・・・成績優秀と聞いて予定外って感じだったけど)」

「あぁ・・・廊下で夏海なつみと口論してた。それで夏海なつみは?」

「寮生達の昼食を用意しているわ。夏海なつみでも彼女達の舌を唸らせる物は作れないけど、家政科の子達も手伝ってるから」

「なるほど。夏海なつみも料理出来たのか」

「それは出来るわよ。私が仕事の間に一人で過ごしていたもの」


 日明あきら夏海なつみの知らない姿を初めて知った顔をした。それは両親の離婚後に身につけた術だろう。日明あきらもクズの面倒で必然的に身につける必要があったから、その苦労を思い出したようだ。


「そうか・・・これは定期的に料理して貰おうかな」

「それは本人に言ってあげてね。喜ぶから」

「ああ。戻ってきたら言ってみるよ」


 日明あきらは自分の席に座り、昼食が出来るのを待つ。目の前には夏海なつみの茶碗が置かれており日明あきらは楽しそうな笑みを浮かべ、妹の戻りを待った。

 母はそんな兄としての日明あきらを嬉しそうに眺め、昼食のおかずをテーブルに並べていく。今日の昼食は回鍋肉だった。

 しばらくすると夏海なつみが疲れた表情で戻ってきた。


「お兄ちゃん、お帰り」

「おう、ただいま。大丈夫か?」

「なんとかね〜。優希ゆきねぇが調理中もちょっかい掛けてきたから、去なすのに苦労したよ〜」

「その優希ゆきねぇって?」

「家政科の先輩。お兄ちゃんとは関わる事が無い・・・と思う、世話好きの困った先輩だね〜」


 夏海なつみは嫌な事を思い出したのか更に辟易した表情に変わる。

 日明あきらはきょとんとしつつも──


「思う? まぁ・・・寮生とは必要以上に関わらないようにしておくさ。油断すると学校が恐ろしい場所に変わりそうだし」


 怯えるように話を締めくくった。

 母はそんな日明あきらの一言を受け、山盛りご飯を手渡しながら微笑む。


「それは殊勝な心がけね」

「でも、先輩達の反応は良かったんだよね?」


 母は夏海なつみの問い掛けを受けながら自席に座り、手を合わせる。

 二人も同様に手を合わせ昼食を食べ始めた。

 母は食事の最中、夏海なつみへの返答を口にする。


「ええ。寮長なんて自室裸族勢に寝ぼけて廊下を歩かないよう注意していたわ。日明あきらが二階に上がる事は無いにせよ、風呂上がりにそのままの格好で移動する子も居るからね」

「というか寮長自身がその手合いだから大丈夫なの? 先日も下半身だけ晒してたし」

「一応、意識してるみたいだし彼女も大丈夫でしょう。婚約者が居ない者がこの寮に集まっているのは不本意だけど」

「別名、婚活寮か・・・」


 夏海なつみは母の一言を聞いて、困惑気にボソッと呟いた。その手には茶碗が握られており、回鍋肉が山盛りで乗っていたが。

 日明あきらは山盛りご飯を平らげながら怪訝な表情で問い掛ける。


「な、なんだ? その不本意な渾名は?」

あかねさんも卒業生なんだけど、行き遅れしてるじゃない?」

「卒業生だったのか!?」

「驚くのそこ? まぁその行き遅れが退寮したあとも行き来している事から他の卒業生が名付けたらしいよ。私も友達から聞いて驚いたし」

「まだポンコツ寮と呼ばれてる方がマシに思えるわね。寄付金を多く出す家の者が多かったはずなのに、多く出す代わりに婚約要件が高すぎて、誰からも相手にされないという不本意が不本意を呼ぶ状況に変化してるけど」

「だねぇ〜。私なんて逆に声を掛けられて鬱陶しいって思ってるのに」

夏海なつみは優良物件だもの。一般生でありながら文武両道だし、明るく華やかを地でいくから」


 日明あきら夏海なつみと母の会話を黙って聞いていた。この妹は何気にモテるという事を知り、意外に思う日明あきらだった。顔立ちは普通なのに。化粧すればそこそこの見た目だ。本人には怒られるので直接言わないが日明あきらは二人の会話を聞き続けて驚きが連続した。


「文武両道じゃないよ。勉強は中程だよ? 武道なんて幼い頃に習ってた合気道が出来るだけだし」

「そこがまた良いっていう男の子が多いのでしょうね。自分が護るより護ってくれそうで」

「自分の身くらい自分で護って〜」


 母も夏海なつみとの会話で苦笑し続けていた。自身の経験上、護られる男には辟易している風でもあった。夏海なつみが発した一言には何度も頷いていたから。

 日明あきらは手を合わせ茶碗を片付ける。その際に菓子折を持ったまま──、


「ところでコレ、何処に持っていけばいい?」


 食事中の母と夏海なつみに問い掛ける。夏海なつみはきょとんとしつつ母と目配せする。ひとときの間を置いて答えた。


「・・・それなら片付けに向かう時に一緒に行こう? お兄ちゃんが一人で行くと絡まれるから」


 それを聞いた日明あきらはきょとんとしてしまう。それは・・・どういう意味なのか?


「絡まれる?」

「うん。今日の片付け係は家政科の子ではあるのだけど、少し一癖がある子達だから」


 日明あきら夏海なつみが先輩と敬称を付けていない事から困惑した。


「子達? 先輩じゃなくて?」


 一応、寮生に同じ学科の友達が居る事を夏海なつみから聞いているが、他にも同年代が居るとは思っていなかったらしい。

 夏海なつみはきょとんとする兄の顔を笑顔でみつめながら、あっけらかんと答えた。


「一年生だね。部屋番号で言うと、102、103、106、108号室の子達だね。調理の方は一階の二年生が行ったけど」

「そういや全室の学年構成ってどうなってるんだ? 全員女子だって事は置いといて」

「えっとね・・・二階は寮長とメイドを除いて全員が三年生だね。一階は一年生と同数の二年生が居る感じかな? 三年生が二十二人、一年生が一階で八人、二年生が十人居るの」

夏海なつみを含めると一年生は九人か」

「含めたらダメだよ〜」


 夏海なつみは困った顔を作り、胸の前でバッテンを作るが、日明あきらは本気で悩んでいた。腕を組んで、仲間外れにしないためにブツブツと呟きながら。


「いやいや。菓子の数がギリギリだったから。この際・・・夏海なつみには菓子でも焼いてやるか。一緒に材料も買ってきたし」


 だが、この呟きを聞いた母と夏海なつみは別の意味で驚きを示した。


「「!?」」


 自炊が出来ると聞いていたが、菓子作りまで出来るとは聞いていなかったのだ。日明あきらもクズの面倒を見る時に作らされていたため、本音では出来る事をあまりひけらかしたくなかったようだ。


「パウンドケーキでいいか。未成年だから洋酒を使わないタイプで」




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