第3章
第1話
ATS不動産での聞き込みの結果は予想以上のものだった。
対応してくれた支店長は、最初は小西との関係を頑なに否定した。しかし依田がなだめたり脅したりしながら説得すると、最後には諦めて二人を応接スペースへと案内した。
そこで支店長が語った内容はこうだった。
昨年に市が発表した第四次道路計画において、市道南部五号線の大規模な拡幅工事が盛り込まれてから、梓市近郊の不動産会社の一部は道路沿いの土地を入手しようと動き始めていた。周辺に空家や古い家が多いことから、新たに宅地を手に入れれば儲けになると踏んだからであり、ATS不動産も他の業者と競うように営業をかけ始めた。
しかし進めていくうちに一筋縄ではいかないことがはっきりしてきた。元々昔から住んでいる住人が多く、土地や家に愛着のある地域で、しかも周辺で栽培されているリンゴは市の特産品として引き合いも多い。そのため敢えて自宅を売ろうという者がなかなか現れなかったのだ。
諦めかけていたとき、小西がふらりと店舗を訪れた。アルコールの臭いをまき散らす不審な男に、最初はホームレスか何かかと思ったという。しかし小西は不動産情報には目もくれず、カウンターにいた社員に、
「瀬田や下條の周辺の土地を探しているだろう」
と言い放った。どういうことかと詳しい話を聞くと、小西はその辺りの土地をATS不動産に買わせてやるから見返りをよこせ、と要求してきたのだ。
当然そんな話を鵜呑みにはできない、と支店長が突っぱねたが、小西はなおも食い下がった。それができる証拠として、しばらくのうちに土地の買取の依頼を持ってきてやる、という。その時は勝手にしろ、と追い返したものの、二週間ほどして本当に土地を買い取ってほしい、という客を連れて再び現れたのだった。
買取の話はスムーズにまとまり、支店長は考えを少し変えた。本当にこの調子で客を連れてこれるなら利用価値はあるかもしれない、と思ったのだ。それからしばらくして、支店長と小西は顔を合わせることとなった。
小西の提案は、自分が土地を売るように住人達を説得するから、それが買取に繋がった時には買値の一部をよこせ、というものだった。それと合わせて、手付金を五十万円要求した。ATS不動産にとっても悪い話ではない。先日小西が連れてきた客との取引は間違いなく五十万以上の利益を上げそうだったし、そこから後は出来高制だ。しかも自分たちは特段何もすることなく、ただ待っていればいい。小西に支払う金額のことでひとしきり押し問答はあったが、結局話はまとまった。
それから二か月ほどのうちに、小西はさらに二件の客を送ってよこした。いずれも市道沿いに空家を所有する客であり、解体費の名目で相場よりもかなり安く手に入れることができたという。客は二組とも市外に住んでいて空家を相続したという者たちで、まさかあんな空家が売れるとは思わなかった、と喜んで契約に応じた。丸山はあらかじめ取り決めてあった金額を小西の口座に振り込んだ。
しかし十月の中頃からは小西からの連絡が途絶えがちになった。交渉がうまくいっていないようだったが、支店長としても別にそれを気にすることはなかった。仮にうまくいかなくなったとして、ATS不動産に特段の損害はない。これまでの三件だけでも大いに利益を上げられるだろう。しかもそのうち一軒は道幅がかなり狭くなっているところであり、このままいけば拡幅工事に伴って市が言い値で買い取ってくれることが予想された。
「最後に小西から連絡があったのは十月の、確か二十日過ぎだったと思います。交渉のための資金が尽きてきたから、少し前金でほしいという話でした。我々としては支払わなくてもよかったんですが、これまでの労をねぎらう意味を込めて、少し払ってやりましたよ」
支店長は応接スペースの向かいに陣取っている希実たちにそう語った。
「それからは何も連絡が来てないんですね」
「ええ。かれこれひと月近くなりますかね。まあ十分利益は出せそうですし、深入りはしたくなかったのでそのままにしてありましたが」
「小西はフルネームを名乗りましたか」
「ええ。小西
これで下の名前が判明した、と希実は内心でガッツポーズをしたものである。ここまでくればおそらく偽名の可能性は少ないだろう。
「年齢や住所なんかは」
「年齢はわかりませんが、四十代くらいですかね。住んでるのは梓南駅の近くだったと思います。何かの折にそんなことを言っていました。ただ詳しい住所までは知りません」
支店長はそう言うと、これで重荷から解放されたと言わんばかりにソファに身体を沈みこませた。
「それで、もう一つ伺いたいんですがね。なぜこの小西のことを隠そうとしたんです?」
「いや、別に隠そうとは……ただ、私が警察と聞いて不安に思っただけで」
「では質問を変えましょう。あなたは小西がどのように客を捕まえているか、知っていましたよね」
支店長はまた黙り込んだが、
「まあ薄々、感づいてはいました」
とため息とともに答えた。
「地上げのようなことをやっていたのでしょう。はっきりとは言わなかったですが、我々もこの業界のプロですからね。言葉の端々から察することはできました」
「なるほどね。よくご存じのようだ」
依田もため息をつきながら皮肉を言ったが、支店長には皮肉に聞こえなかったようだった。それから軽い説教を終えると、希実たちは不動産屋を出ることにした。
店を出たところで依田の携帯が鳴った。話が終わるのを待ちながら希実は深呼吸をした。ようやくはっきりとした情報が手に入った。これで被害者の身元がはっきりすれば、そこから犯人の影も見えてくるのではないだろうか。希実がそんなことを考えていたとき、なんですって、という声が聞こえた。希実が依田の方を振り返ると依田が目を丸くしながら携帯を握りしめていた。
「日岐、樋口が連行された」
電話を切ると、依田は少し放心したようにそう告げた。
「えっ。どういうことですか」
希実も目を丸くする。まだ被害者が何者かすらはっきりと判明していないのだ。
「他の班が樋口の家のあたりをまた聞き込みしていたらしい。その時に小西のものと思われる差し歯が樋口の家の庭に落ちているのを偶然発見したそうだ。それでとりあえず小西に対する暴行があったのは間違いないということで任意で引っ張ったと言っている。それから樋口の乗っている車も白の軽バンらしい。こっちは現在証拠になる部分がないか鑑識が調べてる」
「樋口は何か認めたんですか。殺害や死体遺棄は?」
希実が聞くと依田は首を横に振った。
「認めたも認めないも、ずっとだんまりだそうだ。被害者の差し歯が見つかったくらいでは逮捕はないと高をくくっているのか……」
二人は車に乗り込んで署に引き返したが、車内は一言の会話もなく、エンジンの音だけが響いていた。確かに先日の聞き込みでは樋口の家に小西が入っていくのが目撃されてはいた。そしてそれは、小西が生前目撃されたうち一番最後の情報である。死亡推定日時にはかなり幅があるとはいえ、樋口邸に入って間もなく殺害された可能性は十分にあった。
当然ここからの聴取で小西に関することを何かしら自白すれば、被害者の身元を調べる必要もなくなる。今頃容疑者を落とすのに長けたベテランの捜査員があの手この手で樋口に自白を迫っているに違いなかった。
しかし希実は今一つ納得がいかなかった。樋口が犯人かもしれない、ということについてではない。問題は本当にこのまま樋口が逮捕できるのか、ということである。
仮に樋口が犯人ではないのなら黙秘するのは不自然だ、と希実は考えながら車を走らせた。やっていないならそう主張すればいい。黙秘するということは暗に何らかの関連があると認めているようなものだ。しかしもし樋口が犯人だとするなら、黙り込むことによって何のメリットがあるだろうか。
樋口だけが知っていて、警察の捜査では判明しにくいもの。殺害方法はおそらく絞殺か扼殺といったたぐいであろうから凶器は簡単に始末できる。しかし小西が窒息死という形で殺害されたことが明らかである以上は、それを黙秘する意味がそれほどあるとは思えない。死亡推定日がほとんど不明な以上、鉄壁のアリバイがあるとも思えない。そうなると――。
「動機か」
希実はぼそっと呟いた。仮に地上げに関するトラブルがあったとしても、それだけが動機になっているとも思えない。どうしても地上げ行為に迷惑しているというのならそれこそ石川のように、警察にでも相談すればよいことだ。それに地上げ屋にカッとなって殺してしまうほど直情的な人間が、この期に及んで黙秘という手段を取るというのは似つかわしくないように思えた。
駐車場に車を停めて署内に戻った依田と希実は、刑事課長のデスクへと向かった。
「樋口、何も喋りませんか」
依田が尋ねると、課長はため息をつきながら頷いた。
「まさか一切だんまりとは思わなかったよ。樋口の家で小西の差し歯を見つけたという報告があったときにはこれで解決したと思ったんだがな」
「このままだと逮捕も難しいですかね」
「暴行と死体遺棄についてなら可能だろうがな。樋口の車の中から鑑識がいくつか脱落毛を採取している。ここから小西のDNAが出ればあの車で死体を運んだことも裏付けられるだろう。しかし殺人の証拠がないことには……こればっかりは自白してもらわんと難しいかもな」
課長は腕組みをしながら再び大きなため息をついた。
「ともかく二人は引き続き被害者の周辺を洗ってくれ。樋口の方は県警の捜査員が鑑取りをしてる。それから川本陸雄が小西と話していたという内容も余裕があれば当たった方がいいだろう。なんでもいいから手がかりを探してあの男に突きつけてやるしかあるまい」
小西と陸雄が話をしていたという場所は、表通りから一本入った線路沿いの通りにある飲み屋街に面したところだった。個人経営の小さな焼き鳥屋と怪しげなネオンで飾られたバーの間にある、隙間のような細い路地である。それぞれの店舗がそちら側に厨房の勝手口を設けているらしく、路地には所狭しと空の酒瓶やごみ箱などが置かれていた。一応、地図上では表通りに抜けられるようにはなっているが、本当に道路として通り抜けてもよいのか迷うような乱雑さである。
通り沿いにはチェーンの居酒屋や趣味の悪い色合いの看板を掲げたスナックなどが軒を連ねているが、平日の午後だけあって、流石に人通りもまばらだった。
本来ならばもう少し遅い時間にならないと、このあたりで聞き込みをする意味はない。それでも陸雄と小西が目撃された時間帯はまだ辛うじて明るい時間帯だったこともあり、念のため昼間のうちに一度現場を見ておくことにしたのだ。
希実と依田は近隣の飲み屋を端から訪ねていったがどこも不在であった。やはり夕方以降にもう一度出直す必要がある。付近を通る者もまた同様に、見た覚えはない、と口を揃えた。
依田と希実は駅の方へと戻り、喫茶店で少し時間を潰すことにした。聞き込みをしているうちに時刻も三時を回っている。もう一時間もすれば、早い店なら開店準備のために店員がやってくるだろう。これから署に戻っても、出直すまでには大して仕事をする時間もなかった。
注文を取りに来たウェイターに依田がコーヒーを二つ注文した。
「陸雄君のこと、どう思いますか」
希実はおしぼりで手を拭きながら質問した。
「どう、っていうのは何だ。精神的な病気があるんじゃないかってことか」
「この前話を聞いた時の感じからすると、確かに妄想があるんじゃないかとは思うんです。ただなんというか、その中にも真実が含まれてるんじゃないかという気がするんです」
「まあ全てが嘘じゃないとは思うがな」
「だとすれば、小西が陸雄君の彼女とやらの周辺にいたという可能性はありますよね。そのあたりから当たれば、今回の事件に関係ある情報が出てくるんじゃないかな、と」
「日岐は川本陸雄が関係してるんじゃないかと思ってるのか?」
「いえ、そうは言いませんけど……ただ地上げ行為をされただけで殺害までするような感情優先の人間が、逮捕されてもなおずっと黙秘を続けるかな、と思いまして。何か他に裏があるかもしれないと。少なくとも陸雄君は何かを知っているのかもしれません」
樋口の車から採取された髪の毛は小西のものである、という結果が科捜研から送られてきたのはその日の朝のことであった。それを受けて警察は死体遺棄容疑で樋口を逮捕したのである。しかし身柄の取り扱いが変更になっただけで、他には特段の変化はなかった。樋口は相変わらず何も喋ろうとはしなかった。
「もう一度川本家を訪ねる必要があるかもしれんな。もっともこの後の聞き込みの結果次第だが」
依田は運ばれてきたコーヒーを啜った。
それからしばらくとりとめのない話をしながらコーヒーを飲み干すと、希実たちは聞き込みに戻ることにした。依田が伝票を持ってレジへと向かう。店の外で頭を下げながら希実は、飲み屋街へと向かう依田の後に従った。
先ほど確認した路地の隣にある焼き鳥屋では、店主が仕込みを始めているところだった。
「刑事さんかい。おらんとこじゃここんとこ大した事件はねえが」
依田と希実が名乗ると、店主は手を休めずに肉を捌きながら言った。
「いや、この店のことじゃないんです。そっちの路地でね、十月の十八日の日曜なんですが、ちょうどこのくらいの時間帯に高校生が中年の男と話をしていた筈なんですよ。何かその時に見たり聞いたりしてないかと思いまして」
依田が説明すると、店主は手を止めて少し考え、それから笑いだした。
「いやいやいや、そんなもん覚えてねえじ。いくらなんでももうひと月以上になるじゃねえかい。そりゃもしかしたらなんか聞いてるかもしれんがせ、勝手口の方ずら?おらも時々ゴミ出したりはするけども。けどそんな頃のことはわからねえなあ」
店主はなおも笑いながら仕込みを再開した。無理もない、と希実は思った。店主の言うように、既に一か月以上も前のことである。自分が一か月前にたまたま見かけたことを思い出せるかと聞かれたら、恐らく答えられないだろう。
依田は小西の写真を見せたりしてなんとか思い出させようと頑張ったが、結局何も情報は得られなかった。とりあえずは諦めて焼き鳥屋を後にする。
続いて路地の反対側のバーを訪ねた。こちらも開店準備を始めたところのようで、店員が一人で店内のフロアを掃除しているところだった。夜の商売とは無縁そうな、地味な眼鏡の女性である。聞けば接客はほとんどマスターが一人でやり、掃除や簡単な調理、店の経理などを任されている、とのことであった。
「先月の十八日ですか……ちょっと前過ぎてなんとも……」
店員は希実の質問にしばらく考え込んだ。
「一応、日曜日のこの時間なら私が一人で掃除をしているタイミングですので、見かけている可能性もありますけど。ちょっと待っててください」
そう言って店員は一度店の奥に引っ込む。それからしばらくして手帳を手に戻ってきた。
「ああ、そうか、椅子を入れた日だ。思い出した。見ましたよ、その人たち」
「本当ですか」
「はい。ちょうど店の椅子が酔ったお客さんに壊されちゃったもんですから、その日に新しい椅子が二つほど届いたんですよ。通信販売でマスターが買ったやつですけど。手帳見て思い出しました。それで確か、椅子を受け取った後、いつもみたいに空き瓶を出そうと思って勝手口を開けたら、若い人とおじさんとが言い争いをしてたんです。それで勝手口を開けるのちょっと躊躇って。いなくなるまで様子を窺ってました」
「どんなことを話してましたか。何か少年の方が男に激昂してる様子とかは」
希実が聞くと、店員はあっさりと頷いた。
「なんかかなり怒っていたみたいでしたね。こっちには背中を向けていたので何を言ったか全部聞こえたわけじゃないですけど。最初は『なんでこんなことをするんだ』みたいなことを若い方が言っていました。おじさんの方は声が小さくてあんまり聞き取れなかったです。それでしばらくしたら段々と若い人が興奮してきたみたいで、『邪魔をするな』とか『ふざけるな』とか、そんなことを叫び始めたので、私も気になってしまって」
「他には何か言っていましたか?」
「あとは……女の子の名前らしいのが出てきたり、『殺してやるからな』みたいにかなり怒っているような声がしていました。ああ、おじさんの方も一度だけ、『俺の娘に手を出すんじゃねえ』とかって大きな声を出してましたよ。それからしばらくして二人ともいなくなったので、それでやっと空き瓶が出せたんですけど」
「女の子の名前というのは?どんな名前か覚えてないですか」
「いやあ、それはちょっと思い出せないですね……もしかしたら聞き違いかもしれませんし。でもとにかく若い人の方がずっと怒鳴ってる感じでしたね」
希実はメモを取り終わると、依田の方を見た。依田も僅かに頷く。十分だということだろう。二人は店員に礼を言って店を後にした。
どうやら陸雄が小西に対して咎めるようなことを言っていたのは事実のようである。しかし小西は娘がいると言っていたという。そうなると小西の娘が陸雄にストーカーのような被害を受けていたということだろうか。
「どうもこの小西って男は得体が知れないな。娘がいるって?それにしては殺されたのに娘からも女房からも何の連絡も来ないじゃないか。一体どうなってやがる」
依田は車に乗り込みながらぼやいた。
「そうですね。ただこうなると、陸雄君と小西の確執が随分強いように見えます。小西の娘が陸雄君に付きまとわれていた。陸雄君から見れば自分の彼女の父親が自分を邪魔してくる、ってことだったんですかね。なんか動機も陸雄君の方が樋口よりもあるんじゃないかって思い始めましたよ」
「被害妄想が高じたあげく、彼女と思い込んでる子の親父を殺した、か。可能性がゼロとも言い切れんのがなあ」
「お母さん、心配でしょうね」
希実はふと口にした。相談に来た悦子の、憔悴した表情が思い出された。
翌日の朝一番で警察は市役所の住民課に小西智行の身元を照会した。以前に照会をしたときには小西という苗字で四十代から五十代の男性、というだけで該当者が多すぎたが、フルネームが判明したことで市からの回答は二人に絞られていた。
捜査本部から配られた資料に記載された二人の小西の家族構成を見て、希実はそういうことだったか、と納得した。
片方の小西智行は市の北部の高山地域に住んでおり、妻と高校生の娘、中学生の息子の四人家族である。一方で、もう一人は梓南駅の周辺に一人で住んでいた。そしてそこには、『妻とは別居しており、妻が高校生の娘を引き取っている』という注記がつけられている。
これで謎がひとつ解けた。後者の方が被害者に間違いないだろう。同居していないのならば殺害されても家族から何もアクションがなかったのも無理もない。離婚しているということだろうか。
「これ、娘の名前とか住所は書いてないんですね」
希実が資料を読み返しながら尋ねると、同じように資料を手にして眉間に皺を寄せている依田が答えた。
「うん、どうも別居の原因が小西のDV、つまり家庭内暴力らしくてな。DV被害者保護の観点から、現段階で役所では娘と妻の個人情報は出せない、ということだそうだ。死亡したのがこの小西智行に百パーセント間違いないと確認されればDV被害の心配もなくなるだろうから教えてもらえるのかもしれんが。大方情報を出していいかどうかで中で揉めてるんだろう。お役所仕事ってもんだな」
「どっちにしても娘に当たるのは後回しですね。こっちの小西という人物が被害者だと確認するとなると、まずは小西の住所からですか」
「そうだ。明日は朝から鑑識も含めて何人か小西の家に行く予定だ。俺たちも行くからそのつもりでな」
希実はわかりました、と返事をすると再び資料に目を落とした。後者の小西智行が被害者だったとすると、地上げだの家庭内暴力だのと随分下劣な男のように思える。この分だと陸雄が以前に言っていた通り、他にもあくどいことに手を染めていてもおかしくはない。だとすれば地上げの他にも、何かしら樋口が凶行に走るほどの出来事があったのだろうか。
「陸雄君に対して、『俺の娘に手を出すな』みたいなことを言ってたって話ですけど、こうなるとどっちが正しいのかわかりませんね。案外小西の方がおかしかったのかも」
希実は昨日のバーの店員の証言を思い出しながら言った。
「その辺はお互いに言い分があるってことなのかもな。男女関係なんてもんは得てしてそういうもんだ。それぞれが相手の気持ちをわかろうとするくせに、本当にわかることなんてありはしないんだから」
依田が妙に悟ったような言い方をした。もしかすると自分の経験の中で何か思うところがあったのだろうか。希実はその辺りをもう少し詳しく聞こうかと悩み、結局話題を逸らすことにした。
「これ、住所からするとアパートじゃないですね。一軒家ですか」
「部屋番号がないし、おそらくな」
「ああそうか、当然奥さんや娘の方が小西から逃げたんですもんね。そうなるとそれまで家族と住んでた家にそのまま住んでるのかな」
「ま、そのあたりは行けばわかるだろう。一人暮らしで不慮の死を遂げたんだ、色々証拠になるものが出て来ても不思議じゃない」
依田はそう言うとひとつ伸びをした。希実も細かな資料を机にしまい込んでふう、と息を吐き出す。明日になればまた一歩前進できるだろうか。
終業を告げるチャイムが署内に響き渡ったが、席を立とうとする者は誰もいなかった。希実もスリープモードになっていたパソコンを開き、報告書の作成にとりかかった。
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