幕間4

 サヤカの両親は、母の方が七歳年下の夫婦だった。やや太めの体形で、目がぎょろっと大きく、無精ひげを生やした父に比べ、母は近所でも少し評判になるような、小顔で切れ長の目をした美人だった。


 母が一体父のどういうところに惚れたのかは定かではないが、父が働いていた不動産会社に母が受付として入ったそうなので、そこから付き合いが発展したのだと想像できた。きっと首尾よく一回りも若い新入社員を捕まえた父は有頂天になったことだろう。


 やがて二人は結婚して、三年後にサヤカが生まれた。その頃はまだ祖母が健在であり、サヤカは両親と祖母の四人で暮らしていた。


 サヤカは赤ん坊の頃、よく夜泣きをする子だった。生まれてからしばらくは、母も気を張っていたのだろうか、母親としての仕事をとてもよくこなしていた。しかし折しも父の勤め先の会社は事業規模を拡大している真っ只中にあり、毎日遅くまで残業してほとんど子供の世話ができなかったため、次第に両親の間には喧嘩が多くなっていった。


 それでも祖母は、母と娘をサポートしてくれた。サヤカも成長するにつれて、古い家中を遊び場にして元気に駆け回るようになり、いつも遊び相手になってくれる祖母を慕うようになっていった。


 会社の事業が広がるにつれて父の給与も上がり、やがて両親は家を建てることにした。父の不動産会社勤務という職業柄、色々と有益な情報が入手できたこともこの決断を後押しした。土地を購入することも考えたが、結局すぐ隣のリンゴ畑の一部を潰してそこに建てることになった。そこなら祖母の家にもすぐに遊びに行けるし、そうすれば両親と祖母のお互いにとって有益だと考えたのだ。


 その頃からサヤカは保育園に通うようになり、少し手のあいた母も社会との繋がりを求めて簡単なパートを始めた。園への送り迎えは主に祖母が担当しており、家に帰ってからは母が仕事を終えるまで祖母の家で過ごしていた。少し生意気なことを言うようになったサヤカに対しても祖母はたくさんの愛情を注いでくれ、サヤカも両親より祖母の方が好きだったから、週末は祖母の家に泊まることもあった。


 しばらくはそうして円満な日々が続いた。父はその頃から営業の部署に回されて仕事の忙しさも増していたが、サヤカは仕方のないことだと子供ながらに理解し、あまり不満を言わないようにした。母の帰りが次第に遅くなり始めたのがこの頃だったが、それでも平穏な日々だったと言えるだろう。


 小学校に入ってから何年か経った頃、両親の仲が急激に悪化し始めた。きっかけが何かあったのかは今となってはわからない。ただ、ひと世代違う夫婦の間に、生活の中で生じる様々な問題に対する見解の違いがあったのは確かだ。夕食のメニュー、サヤカの躾、購入した洋服の値段、そんな些細なことが大きなトラブルへと発展した。そして父は家に帰りたくないがために残業や接待をするのが日常になり、嫌気がさした母もまたパートをやめて近くに住んでいたかつての同級生などと遊びに行くようになる。


 ある日いつものように言い争っている両親を見ていられず、サヤカは祖母の所へと駆け込んだ。ぽろぽろと涙を流しながら訴える孫を見て、祖母は優しく頭を撫でながら言った。


「大丈夫よ、サヤちゃん。昔から子はかすがい、と言ってね。親はいくら喧嘩をしたって、子供のためと思えばまた仲直りができるんだ。だからサヤちゃんが元気でいてくれることが、お父さんとお母さんがうまくやっていくための一番の特効薬なんだよ」


 それを聞いたサヤカは、自分なら両親の喧嘩を止められるんだ、と考えた。恐らく祖母はそこまでは言わなかっただろう。しかしまだ小学生のサヤカにとっては、両親が仲良くなるには自分が頑張ればいいのだ、という意味にしか聞こえなかった。


 翌日、母が突然美容院で金髪にしてきたことに対し、父は帰宅して母の姿を見るなり靴を脱ごうともせずに非難を始めた。母も負けじと言い返し、やがてまたしても大喧嘩へと発展した。これまでも幾度となく繰り返された光景の中で、唯一違ったのはサヤカが仲裁に入ろうとしたことである。母の後ろで様子を見ていたサヤカは、父に詰め寄る母の手を取って、「もう止めてよ、仲直りして」と言いかけた時だった。


 母の平手が娘の頬を直撃した。


 サヤカによれば、親から暴力を振るわれたのはこのときが初めてだったという。


 あまりのショックに呆然とする娘に謝ることもなく、母は父をなじる捨て台詞を残して、父と入れ替わるように外に出て行った。その日は夜遅くまで帰らなかったようだから、どこかの居酒屋にでもやけ酒を飲みに行ったのだろう。


 父は最初こそ母を追いかけようとしたものの、涙さえ流すことができずに立ち尽くす娘を見て諦めたようだった。ようやく靴を脱ぎ、鞄を脇に置くと、サヤカを抱きしめて「ごめんな、怖かったよな」と言った。それを聞いてサヤカはようやく泣き出した。肩に顔を埋めて泣く娘の背中を、父は優しくさすっていた。


 それから二人で遅い夕食を食べた。母が作りかけていたサラダと生姜焼きをサヤカが見様見真似でなんとか仕上げ、ダイニングテーブルに向かい合って座った。


 食べながらサヤカは祖母に言われたことを話した。すると父は、


「そうだね、確かにおばあちゃんの言う通りだ。サヤカのためだと思えば、お父さんもお母さんも仲良くやらないといけないな」


 と何度も頷いた。


 やがて夕食が終わると、父はサヤカをソファに座らせ、叩かれたところを見せてみなさい、と言った。サヤカが横を向いて平手を受けた頬を差し出すと、父はなぜかそこを優しい手つきで撫でまわし始めた。それでも撫でられて少しずつ痛みが引いてきたかな、と思っていると、やがてその手は頬を離れて肩へ、そして二の腕へと移動してきた。


「どうしたの。そこは痛くないよ」


 とサヤカが聞くと、父は、


「そうか、でも辛い思いをしたからな。身体全部が強張っているんだよ」


 と返しながら、さらに手をサヤカの背中へとまわした。


 背中を撫でる手が脇腹を通り過ぎ、まだ膨らみも僅かな胸部へと移ってきたとき、初めてサヤカは父に嫌悪感を覚えた。そして父の手を振り払って立ち上がると、あたしもう宿題やって寝なきゃ、おやすみなさい、と告げて自分の部屋へと逃げ帰った。


 階段を登るとき、後ろからまるでへばりつくような父の視線が絡んできたように思った。



 大きな転機はサヤカが小学校の五年生になってすぐに起こった。大好きだった祖母が他界したのだ。元々いくつか持病を抱えていた祖母は、ある日突然風呂場で倒れ、夕飯を終えて遊びに来たサヤカが発見したときには既にほとんど手遅れの状態だった。半狂乱で自宅の両親を呼びに行き、母が救急車を呼んだものの、病院に運ばれるまでの間に祖母は息を引き取った。


 辛うじて体裁を保っていた家族は、これをきっかけにしてとうとうバラバラになり始めた。サヤカは塞ぎ込むことが多くなり、学校を休みがちになった。対照的に、母はサヤカが学校から帰る頃になると、どこかへ出かけていくことが多くなった。どこへ行くのか、と尋ねると、私だって息抜きが必要なのよ、お友達と会ってお茶飲んでくるから遅くなるようならお父さんと夕食先に食べてなさい、と言った。一方の父はこれまでの残業が嘘のように早く帰るようになり、父と二人での食卓が珍しいものではなくなった。


 まるで二人、お互いに顔を見ないように打ち合わせてあるみたいだ、とサヤカは思った。自分の部屋で布団にくるまりながら、両親が離婚するとしたらどちらへ着いていけばいいのかを幾度となく考えた。


 夕飯が終わった後に、父は酒を飲むようになった。これまでは帰宅する前に外で飲んで帰ることもしばしばだったが、早く帰るようになってからはビールやウィスキーを飲みながら、サヤカを相手に仕事の愚痴などを延々と並べ立てた。そうして時には隣に座らせて酒を注がせ、肩を抱いたり腰を撫でまわしたりするような、明らかに過剰なスキンシップをするようになったが、サヤカにとっては今唯一頼れる肉親を無理に突き放すことができず、努めて気にしないように心を殺して耐えるしかなかった。

 


 ある日の午後のことだった。サヤカが帰宅すると珍しく母に、一緒に出掛けるから支度しなさい、と言われ、有無を言わさず車に乗せられた。


 とはいえ、それは決して嬉しいことではない。最近の母は、サヤカが帰宅すると露骨に面倒くさそうな顔をする。それでも出かけてしまうのならいいが、たまに予定が立たなかったのかそのまま家にいる時などは、険悪な雰囲気の中で夜まで耐えなければならない。その時間が不快なのは母も同じだったようで、料理がうまくいかなかったとか宅配便の配達人がぞんざいだったとかの小さなストレスのはけ口が次第にサヤカにも向けられるようになった。それは暴力となって身体に傷を作り、心を抉った。だから母と一緒に小さな密室の中に閉じ込められることはサヤカにとって常に緊張を強いられることを意味した。


 車で向かった先は、隣の西小学校だった。車を来客用の駐車場に停め、あんたはここで待ってな、と言い残し母が事務室へ向かった。しばらく何事か話をして帰ってきた母の顔は、またしても小さなストレスが貼り付けていた。


「ちっ、裏門の方の隣だってさ。ふざけるなよ、わかりにくい……」


 とぶつぶつと悪態をつきながら車を再始動させる。


 着いた先にあったのは児童クラブの建物だった。授業を終えた様子の子供たちが何人か、玄関に入っていく。自分と同じくらいだろうか、とサヤカは思った。


 母に連れられて建物に入ると、中は子供たちが遊びに興じる声で満たされていた。母が右手にある事務室の小窓から声を掛けると、中にいた女性がこちらへやってきた。そこで母はいくつかの書類を記入すると、サヤカに向き直って言った。


「ここは児童クラブよ。あんたこれから、放課後はここに通うの。お友達も沢山いるからいっぱい遊べるわ」

「どうして西小の方に来るの」


 とサヤカは尋ねた。確かに同年代の子供は沢山いる。しかしそれはみんな西小の子であり、同じ学校の顔のわかる人は一人もいないのだろうということは容易に想像がついた。


「東小には児童クラブがないのよ、小さいから。だから役所で聞いたら、東小の子は希望があればこっちに通うんですって。送り迎えは私がやってあげるから」


 ということは、毎日車に乗ってあの気詰まりな時間を過ごさねばならぬということだ。サヤカは早速気が重くなった。しかも仲の良い友達は誰もいない。母はサヤカを女性に預けると、七時までには迎えに来るから、と言い残して早々に帰っていった。


「えーと、サヤカちゃんね。私は斉藤といいます。一応皆には先生と呼んでもらうようにしているわ。本当は教師じゃないから少し変なんだけどね」


 そういうと斉藤先生は施設の中を案内してくれた。ここが体育室、ここが教室。本は結構あるから自由に読んでね。こっちは休憩室。具合が悪くなったらここで休めるから――。


 サヤカは連れられて歩き回りながら、説明をぼんやりと聞いていた。家に帰って一人ならいっそありがたかったが、母も毎日出かけるわけではない。週に何日かは夜まで母と過ごさねばならず、それを考えたら確実に母と顔を合わせずに過ごせるこの施設は悪くないんじゃないか。そう思い始めた。


 翌日から学校の授業が終わると、母が校門まで車で迎えにくるようになった。そしてそのままクラブまで送ってもらい、七時くらいまでそこで過ごすのが日課になった。迎えに来た時の様子で、母がこのあとそのまま出かけるのか、それとも家に戻るのかがわかった。出かけるつもりの時はいつも念入りに化粧をして、肌の見える部分が多い服を着ており、それを見る度にサヤカは嫌な気分になった。



 僕が初めてサヤカのいる休憩室に入って行ったとき、サヤカは本当に寝ていたらしい。先生の声で目が覚め、反射的に布団をずらしたりしたが、新たに入ってきた少年が何者なのか、どうしてここにきたのか、寝ぼけた頭ではよく理解できなかったという。


 僕が隣に寝てからは逆に寝付けなくなり、僕の寝息を確認すると起き出して少し僕を観察し、それから座椅子に座ってぼんやりとしていた。


 最初こそこの同学年の男子とどのように接していいのかわからなかったものの、母から解放された安心感もあり、次第に打ち解けていった。友達の誰もいないところで顔や名前がわかる人がいるのはとてもありがたい。そんなきっかけでサヤカは僕らと遊ぶようになり、すぐに友達になり、やがて秘密基地の事件が起きた。


 僕たちと同様に、サヤカも秘密基地のことを親に言ったりはしなかった。夏休みに入って児童クラブが休館になり、必然的に外で友達と遊ぶことが多くなるから、特に母も気にしなかったのだろう。ただ「友達と遊んでくる」とだけ言っておけば何も文句を言われることはなかった。


 土地の所有者に見つかり、学校に苦情の電話が行ったあと、東小の方でも僕に起こったのとほとんど同じことが起きた。つまり、学校の事務から各学年の担任に連絡が行き、比較的現場に近い家の方から順に特徴に合う子の家庭に電話があり、そしてサヤカにまでたどり着いたのだ。その日家におり電話を受けた母は、最初はまさかうちの子はそんな基地遊びなんて、と面倒そうに否定していたが、西小の男の子と二人で、と聞いた瞬間目つきが変わったという。西小の児童クラブに通い始めた直後だったし、母が迎えに行ったときにはサヤカが男子と一緒に遊んでいるところを見ているから、すぐにピンと来たのも当然だった。


 サヤカは散々に母から罵られた。人気のないところで男と何をしていたんだ、小学生の癖にませやがって、どこまでやらせたんだ――。サヤカが必死に「私は何もしてない」と否定すると、次は「じゃあ相手が何かしたのか」と短絡し、怒りの矛先を相手の男子に変えた。うちの子に手を出しやがって、傷物にされてお嫁に行けなくなったらどうしてくれる、少し顔が可愛いと思えばすぐこれだ、これだから男なんてろくなもんじゃない……。


 そして母は西小学校に連絡を取り、相手の男子の家を探り当て、あの日の出来事に繋がっていく。あの後すぐに児童クラブを運営している社会福祉協議会へ出向き、母はサヤカの利用申請を取り消した。サヤカは夏休みの残りの間、どこにも行かずに家に引きこもり、母は以前にもまして出かける頻度が増え、父は酒の量がまた少し多くなった。



 中学に入る頃には、母は外泊を繰り返すようになり、夜ですら家にいないことが増えた。頼れるのが父しかいなくなり、サヤカは必死に父の機嫌を取った。母に代わって買い物をし、料理を作り、晩酌の相手をした。父は母がいなくなったことで益々大胆になり、サヤカを膝に座らせたり、太股や尻を触るようになった。それでも一人で生きていくことなどできない彼女は、それをじっと我慢した。これで父にまで見放されてしまえば、自分の居場所はどこにもなくなってしまう。


 そうやって耐える生活が続き、サヤカの精神は疲弊した。学校では保健室の先生が受け入れてくれたので教室には行かずに保健室登校を続けた。ぼんやりと横になっていても退屈だったので、少なくとも教室で授業が行われている時間は自分で勉強を進めることにした。勉強に集中していられる時間は少なくとも他のことを考えなくてよかったからだ。


 二年生になって僕と再会してから目に見えて明るくなったのも、新しい居場所ができたことが大きかったようだ。だから僕やカズマといる時間は彼女にとってかけがえのないものだった。教室にほとんど行かなかったがために友達ができなかったサヤカは、ようやく学校という場所に光を見出した。受験に向けて友達と一緒に頑張るその時間こそが、自分が自分でいられる唯一の居場所だった。



 そのおぞましい出来事は受験を目前にした二月に起こった。


 ある日の夜、父はその大きな目に暗い光をたたえて帰ってきた。いつものようにサヤカが夕食を用意し、二人でそれを食べ、そして酒を飲み始める間中、父の視線は嘗め回すようにサヤカを追った。やがて父は酔っ払い、サヤカを強引にリビングの隣の和室へ連れて行き、力ずくで押し倒した。


 流石に抵抗したが、ただでさえ男と女の体格差がある上に父は体重も筋力も平均よりはあったから、華奢なサヤカがはねのけるのは不可能だった。それでも尚も抜け出そうともがくサヤカに対し、父の右の拳が顔面に飛んだ。あまりの痛みと恐怖に涙が溢れ、自然と力が緩んだ。すると父はサヤカの衣服を強引にはぎ取り、自分のズボンを脱ぎ捨てると、あろうことか自分のものを無理やりにサヤカの中に押し込んできた。必死に足を使って引き離そうとすると、父は折れそうなほど強く左足を掴んで動きを封じ、サヤカの奥へと侵入してきた。


 初めて挿入された異物にサヤカの身体は悲鳴を上げた。ただ痛くて、怖くて、悲しくて、絶叫にも近い声が喉からほとばしった。父は左手でサヤカの口を塞ぎ、荒い息づかいで腰を振っていた。徐々に抵抗する気力もおこらなくなり、サヤカはじっと痛みを押し殺すことだけに集中した。


 永遠にも思えた時間が終わると、もはや何の感情も湧いてこないことにサヤカは気づいた。精を放出して幾分我に返った父は、サヤカの頭を撫でながら言い訳を並べた。父さんも母さんに裏切られて辛かったんだ、その上仕事でミスをして責められ、もう耐えられなかった、サヤカはいい子だからわかってくれるよな、だいたいお前もいけないんだぞ、そんな男を誘うような身体をして、もっとちゃんとしなさい、もっといい子に――。


 まるで理解の及ばない言葉を並べ立てる父の口元を見ながら、サヤカはもう何もかもどうでもいいと思った。父は私を母の身代わりとして捉えているのだろうか。サヤカという人間はただの入れ物に過ぎなくて、そこに宿る母の面影を見ているのだ、と思えた。


 殴られた目の周りと、強く掴まれた左足はひどい痣になった。何をしていても屈辱と恐怖が襲ってきた。それでもこのときはまだ父のことを憎むことができなかった。これ以上見捨てられては生きていけない。その一心で家事をし、父の晩酌の相手をした。流石に夜同じ屋根の下で寝ることは恐ろしく、父が酔っぱらってしまうとこっそり祖母の家に行き、そこで寝るようにした。朝はどちらにしても父と顔を合わせることは少なかったから、気づかれて何か言われる心配はそれほどなかった。


 

 受験までの短い時間で、サヤカは父による虐待を心の奥底に押し込めることになんとか成功した。僕と一緒に勉強に集中することで家にいる時の抑圧を忘れるように努めた。その甲斐あって晴れて坂代高校に入学することとなった。


 やがて僕と一緒にいるようになり、身体が触れ合うようになると、男に対する恐怖がまた少しずつ忍び寄ってきた。手を繋ぐ度に、あるいは抱き合う度に、その感情は彼女の身体を強張らせた。一方で、初めて自分にとって特別な存在、頼れる第三者ができたことで、サヤカはまた笑顔を取り戻した。所詮高校生のままごとみたいな恋愛だと思う人もいるかもしれない。しかしサヤカにとってはそれが世界の明るい部分の全てだった。


 その頃には母は全く帰らなくなり、どこにいるのかももはやわからず、連絡も取れない状態となっていた。正式に離婚の手続きをしていないようだから不倫相手と再婚したというわけでもないらしい。家の中には、母の残したあらゆるものがあちこちに潜んで、時々サヤカの感情を逆なでした。それは時に抜け落ちた髪の毛だったり、時には箪笥の奥のストッキングだったり、あるいはサヤカが鏡を覗き込む度に移る自分の目だった。母であることを捨てた女の残滓を見つける度にこみ上げてくる、それらを懐かしむような思いが、ひたすらに不愉快だった。


 僕と親密になるにつれて、サヤカは次第に強い不安に苛まれるようになった。この人もやがては自分の身体を求めるだろう。その時にどうすればいいのだろうか。私は身体を預けられるのだろうか。初めてを肉親に奪われた、こんな穢れた身体をこの人は受け入れてくれるのだろうか。そんな考えがとめどなく流れ出て、止められなくなった。


 あるいはこの頃に僕に打ち明けてくれていたなら、まだ取り返しがついたのかもしれない。しかしサヤカは全てを告白することを恐れ、隠そうとした。そうしているうちに父の行為はエスカレートしていった。二度目に暴行をされたのは高校最初の夏休みが終わろうとする頃のことだった。今度は暴力こそなかったものの最初の時の恐怖が呼び起こされるには十分で、はじめから抵抗などできなかった。翌日の僕とのデートでは、母が帰ってきたことにして、実際に起こったことは隠した。事実を口にしたら最後、この人もまた私の元を去っていくかもしれない。その考えが僕に真実を打ち明ける邪魔をした。


 抵抗されないということがわかると、家事をしている間でも、時には素面のときでさえ、父はサヤカを犯し、あるいは手や口での奉仕を要求するようになった。気づいたときにはアルコール依存症になっており、仕事も首にされていた。ひげは伸ばし放題のままとなり、家の玄関の前には酒瓶の山が築かれた。毎日朝からギャンブルへ出かけていくようにもなり、このままでは近いうちに大きな借金を作るであろうことは明白だった。



 秋のある日、サヤカは僕を家に誘った。


 その日は近所のパチンコ店でイベントがあるとかで、父は浮かれながら出かけて行った。こういう時はたとえ大負けしても夜まで帰らないので、少し安心ができた。


 サヤカは僕に身体を許した。それは彼女なりの禊であり、浄化だったのだという。それでも行為の最中は、父のぎょろ目や無精ひげが脳裏に浮かび、それを消そうと唇を噛んで耐えたのだ。僕に全てを打ち明けようと決めたのはその時だった。



 ゆっくりと、そして淡々と語り終えると、サヤカは振り絞るようにして僕に言った。


「お願い、助けて。もう耐えられないの」


 それを聞いた僕は目の前が赤く染まるような怒りに震えた。自分の娘を犯すなどという話が現実として存在するということが信じられなかった。まるで獣だ、と思った。あの男は畜生と同じだ。娘が生きていくために自分を頼るしかないのをわかっていて、逃げられないのをいいことに、そして誰にも相談できないのをいいことに、己の歪んだ欲望のためだけに辱めた。何の罪もないサヤカを。


 だから僕は周りに助けを求めようとは思わなかった。あの男が罰を受けるとしたら、それは誰かの手に委ねるようなものじゃない。僕が下すべきものだ。何か法律で罰せられたとしても、そして何年か刑務所で過ごしたとしても、そんなことで許せるものじゃない。


 僕があの男に償わせる。僕の一番大切なものを汚した罪の代償を支払わせてやる。

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