第1章
第1話
いつものようにおざなりの朝礼が終わると、
「空家対策法の平成三十八年度施行状況に関する情報提供について」「司法書士会の事務局担当者の変更について」「弁護士法違反の事例に係る注意事項について」――、どれも大して重要な内容ではない。尊はそれぞれに判子をつくと、まとめて隣の係長デスクの上に置いた。
梓市役所市民部ワンストップ相談室、通称「よろず相談室」。これが尊の所属する部署である。五年前の二〇二一年に初当選を果たした市長が、二期目の市長選にあたり公約に掲げた、いわば「なんでもあり」の相談窓口で、昨年度から設置された部署だった。
開設した当初は相談ごとに訪れる市民で窓口も賑わった。その内容は実に様々で、隣人との騒音トラブル、息子の非行、犬の飼い方相談、引きこもりの対応から、果ては学校の自由研究の相談まで多岐に渡った。だが結局のところ、ワンストップと謳ってはいるが、当然すべてをここで解決できるわけではない。相談室の業務は相談を聞いて適切な部署、あるいは外部の専門家に繋ぐところまで、というのが基本である。
そのため、最初は物珍しさもあってやってきていた住民たちも、自分で相談すべき専門家がわかるならばその方が話が早い、と気づいたようで、一年経つ頃には早くも利用者数は減少傾向となった。
勿論ただのつなぎ役ということだけでなく、これまでになかった特色として、繋いだ先の部署などにまで一緒に行ってスムーズな引継ぎを実施する、いわゆる伴走支援ということを掲げていた。
だが案外若い世代にはこれがかえってうっとうしがられてしまったようで、今では窓口を訪れるのは、自身の判断能力に疑問を持ち始めた高齢者世代が大半となった。中にはほとんど世間話をしに来るような常連も二、三おり、職員を困らせていた。
「アンちゃん、ちょっといいかい」
声を掛けられて、尊ははい、と返事をし室長席に向かった。
「この議会用の資料なんだけどさ、今年度の相談実績のところ、数字入れてほしいんだよ」
「わかりました。今日現在でいいですか」
「いや、キリよく八月末現在にしとこう」
「承知しました」
尊は室長から渡された紙の資料を持って再びデスクに戻った。内容は九月議会に向けた委員会説明用の資料で、昨年度の相談室開設からの相談件数がグラフで示されていた。やはり徐々に減少傾向にあるのが見て取れる。今年度分の数字を入れるまでもなく、何かテコ入れが必要だと市議から指摘を受けるのは明らかだった。
実務的な面から言えば、そもそも開設当初のような相談件数は捌くだけで精一杯であった。なにしろ室長を含めて全部で四人の小さな部署である。室長は当然管理職としての仕事がたっぷりとあったので、相談に実質的に係るのは難しい。他には係長と尊、それからもう一人ヒラの職員がいるだけだ。それを考えると、現在くらいの件数の方が一件ずつに対して丁寧な対応ができる。事実、相談者に対して任意で回答してもらっているアンケートの結果をみると、最近の方が肯定的な意見が増えていた。
議員説明にはこのアンケート結果も少し追加した方がいいかな、と尊は考えながらデータを入力していった。このまま数字だけ出したのでは、尊たち職員の対応がいけない、などという意見まで出かねない。むしろ最初の頃に寄せられた相談から必要な知識を学び情報を収集することで尊たちがより幅広く対応できるようになってきたということが、アンケート結果からも読み取れる筈だった。
尊がデータ入力をさっさと済ませ、資料の末尾にアンケート結果の要旨を付け加えていると、係長席の電話が鳴った。パソコンを打つ手を止め受話器を上げる。
「はい、こちらよろず相談室の
「ああ、アンちゃんか。土木建設課の太田です。服部係長は留守かい」
「ええ、今日は朝から打ち合わせで現地へ直行したのでまだ来てないです。昼までには来ると思いますけど。折り返させますか」
「いや、いいよ。俺も出たり入ったりだからさ。一応電話あったことだけ伝えといてくれや。市道拡張の地上げ屋の件って言ってもらえればわかるから」
「わかりました、お伝えしておきます。」
「そういやアンちゃん、こないだ日曜日にさ、なんか女の子と駅前歩いてたろ。彼女かい」
「いやあ……同級生ですよ、高校の頃の。たまたま行き会ったもんで」
尊は急に振られた自分の話題でちょっと言葉に詰まった。その女の子とは五年ぶりに会ってしばらく立ち話をした程度だ。しかも彼女の左手には結婚指輪がはまっていたのをまだ覚えていた。
「ははは、そうかい。彼女じゃねえのか。まあいいや、係長によろしくな」
そういうと太田の方から電話を切った。まったく適当な人だ、と思いながら尊は忘れないうちにメモを作ると係長の閉じたパソコンの上に貼り付けた。
地上げ屋の件と言っていたか。都会だけの話かと思っていたが、太田の話を聞く限りではこの辺にもいるということだろうか。かつてのバブルの頃ならともかくこんなご時世に珍しいことだ、と尊は思いながら資料の作成の続きに取り掛かった。
しばらく黙々と作業を進めていると、今度は向かいの席の中島大悟が、アンさん、ちょっといいですか、と声を掛けてきた。
「はいよ」
と顔を上げてそちらを見る。
中島をはじめ、職場の後輩が尊を呼ぶときの「アンさん」という呼び方には最初の頃はどうしても違和感があった。坊主頭で目つきも鋭く、どちらかと言えば強面の部類に入るだろう三十路前の男に、アンさんではあまりにも可愛らしすぎる。しかも中島に至っては、尊とは真逆で日本人離れしたような端正な顔立ちをしているので、「アンさん」などと呼んでいるのを見るとまるで外国人の彼女に呼び掛けているように聞こえた。
「昨日相談に来た、川本さんの件なんですけど、あれ、今日現場を見に行きたいんですけど、同行してもらえますか」
「ああ、いいよ。そうだな……午後ならいつでも大丈夫だ」
尊は自分の予定表を見ながら答えた。
「場所はどこだったっけか。
「そうです。豊川温田の、梓南駅からちょっと東へ行ったあたりですね」
尊は頭の中で地図を思い浮かべる。この職場に就職するまでは、正直に言って自分の住んでいる市の地図など、ほとんど頭に入ってはいなかった。しかし市役所という仕事場は、当然ながら市のあらゆる場所へ出かけていく機会があるし、また住民から場所を聞いたときに大体の位置が把握できないと仕事にならない。尊も他の職員の例に漏れず、入庁して一年もすれば市内の地図が大体思い描けるまでになっていた。
「ちなみに、アンさんは虫、大丈夫ですか」
「俺は平気だよ。昔から生き物は大体好きだから。大悟は苦手なんだっけか」
「いやあ正直苦手ですね。特に今回みたいな芋虫、毛虫系は一番ダメです」
中島はそう言うと今にも身震いしそうに整った顔をしかめた。
なるほど、つまり内容が苦手な虫のことなので自分を引っ張り出そうというわけだな、と尊は苦笑いした。相談への対応については、言った言わないのトラブルや様々な危険防止のため、可能な限り二人で行動するように、と部署の内規で決められていた。
とはいえそこは少人数の部署のこと、トラブルになる可能性の少ない案件などは必然的に一人で対応せざるを得ない。今回寄せられた川本という女性からの相談は中島が受けたため、本来ならそのまま中島が一人で対応するところだったが、内容が虫絡みとなれば話が違う、というわけだ。現地で何の虫なのかを確かめるのは尊の役目ということらしい。
昼食に近くの弁当屋で購入した唐揚げ弁当を食べながら、尊はパソコンでインターネットサーバに接続し、該当しそうな生物の情報を調べた。
川本が言うには、「隣の家の敷地から、細長い虫が湧いてうちの家にまで入り込んでくる」ということだった。黒っぽくて毛のない、つつくと丸くなる虫で、どうやら地面から大量に湧いてくるようだという。
それは虫じゃなくてヤスデだな、と尊は推測していた。ヤスデは時折、そうやって大量発生することがある。雨の影響だとか気温が関係しているとか聞いたことがあったが、いずれにしても自然の営みというやつだ。とりたてて毒があるというわけでもないので強いて言えば不快害虫ということになるが、対応としてはその隣人に湧いてくる地面を消毒してもらうくらいしかないだろう。
日本で見られる一般的なヤスデ類の画像を眺めながら唐揚げをほおばっていると、後ろから中島が声を掛けてきた。
「アンさん……よくそんなもの見ながら飯が食えますね」
「なんだよ、そんなに変か」
「だってそんな虫の写真……俺には無理っす」
「大悟も信州人だろ、虫を見たら旨そうだくらい思わなきゃ」
「いつの時代ですか。俺だって生まれも育ちも信州ですけど虫なんて食ったことないですよ」
それを言えば尊だってそれほど食べたことはない。昔祖母の家でハチの子とイナゴの佃煮を食べたことがあるくらいだ。だがハチの子はともかく、イナゴは旨かった記憶がある。かつてはどこの農家でも自分たちで捕まえて佃煮にしていたようだが、今ではスーパーの郷土料理コーナーで見かけるくらいになってしまっている。
「イナゴの佃煮は旨いぞ。特に脚のところがカリッとして絶品だ」
「勘弁してくださいよ。それにその虫は脚なんかないじゃないですか」
「それを言うならこれは昆虫類ですらないぞ。こいつはヤスデだ」
「大して変わりませんよ」
そう言うと中島はしかめっ面のまま去って行った。
実際のところ、昆虫天国ともいえるほど生物相の多様な長野県にあっても、最近は虫とほとんど触れ合わずに育つ子が多いと聞いている。中島もきっとその一人なのだろう。自分が結婚して子供ができたら、休みの日は虫取りに連れて行ってやろう、と尊は常々思っていた。
川本の家は、駅前から少し東へ外れた、田園地帯の住宅街のはずれにあった。
周囲を見ると築十年くらいの建物が多い。道の形状から見てもその頃に分譲された宅地なのだろう。その住宅地に隣接して何件か建っている、もうひとまわり年季の入った住宅のうちの一軒が目指す家だった。
現場に着くと中島が車を降り、川本邸の呼び鈴を鳴らす。その間に尊は家の右側の壁の周辺を見て回った。なるほど、確かに大量のヤスデがそこいらを這い回っていた。しばらく観察しているうちに中島が相談者らしき高齢の女性を連れてやって来る。
「そうそう、この虫。これがなんだかわかんねえがたーんと湧いてくるだいね」
川本が開口一番に言った。
「うわあ、こりゃ確かにいっぱいいますね。なんですかこれ、アンさん、さっきのヤスデですか」
「うん、ヤスデだね。川本さん、こりゃヤスデだわ」
尊は川本に言った。
「ヤスデかね。そりゃ虫と違うだかい」
「そうだね、どっちかっていうとムカデとかの仲間だで、まあ昆虫とは違うわね。どっから湧いてきてるかわかります?」
「多分そっちの家のせ、ほれ、あっこの車庫の横の、柿の木が植わってるあたりあるずら。おらもそんなにしっかり見とるわけじゃないけんど、あの辺じゃないかと思うがねえ」
「ほいじゃあっちの家のしょうに消毒するように頼んどくかいね」
尊は言いながら隣の家の方を見た。普段はそうでもないが、特に高齢者と話しているとついつい引きずられて方言が出てしまう。市役所としては、今時は職員もおもてなしの心で丁寧な言葉遣いを心がけるように、といった具合であまりフランクな喋り言葉は歓迎されない風潮だった。しかし高齢者の中には、堅苦しい丁寧語で話すとかえってわかりづらいとか、とっつきにくいなどという声もあった。そのため尊は、相手の反応を確認しながら、信州弁の方が話が通じるな、というときには敢えて丁寧語に直さないようにしていた。
「アンさん、これ毒はないんでしたっけ」
一方の中島は大学が東京だったからか、ほとんど方言を使うことがない。
「うん、まあないといっていいかな。だけど潰したときに体液が皮膚に付くとかぶれることがあるみたいだから気を付けてください」
「ああそうかね、ほんじゃゴム手袋でもして退治するわ。しかしなんでまたこんなにたんと出てきただいね」
「ヤスデは元々、雨の後とかにこうやって大量発生することがあるんです。まあ今は台風のシーズンだで、こないだの大雨のせいじゃないかと思うがね。なんにしてもほっといてもそのうちいなくなるけどね」
「そうかい、ほいじゃはるかじゃないだね」
川本の言葉に中島が少し怪訝な顔をする。意味が分からなかったのだろう。「発生しているのがずっと続くわけじゃないんだね」という意味だった。尊は中島を無視して会話を続けた。
「そうだね、まあそんでも我々の方で一応、消毒してもらうように言っとくで」
「いやあ悪かったね、兄さんたち。こんなの初めてだもんで、おら、へえ、まあずおどけちまって」
と川本は笑った。今のは「私はとってもびっくりしてしまって」の意味だったが、今度は中島にも辛うじて通じたようだった。
それから早速ゴム手袋と竹ぼうきでヤスデを掃き集め始めた川本を横目に、尊たちは原因とされた隣の家に行き声を掛けた。こちらも在宅していた初老の男は、そりゃ悪かったね、明日にでも農協で薬買ってくるで、と約束してくれたので、差し当たりこの案件は解決となりそうだった。特段の同行も必要なく、現地に行くだけで解決するケースはそれほど多くない。
車に戻りがてら、早くも壁の脇にヤスデの山を築きつつある川本に挨拶をする。それじゃ失礼します、と中島が声を掛けたとき、家の玄関が開いて中から少年が出てきた。
見たところ高校生くらいだろうか、俯いたまま足早に停めてある自転車の方へ向かう。反射的に尊がこんにちは、と挨拶した。少年は尊たちを一瞥して聞こえるか聞こえないかという声でこんにちは、と返すと、そのまま自転車に跨り漕ぎだした。
「
川本がその背中に向かって呼び掛けたが、既に少年は停めてある公用車の向こうへと去ったあとだった。何かを心の中に抱え込んでいるような、不思議な印象の少年だった。
「すみませんね、うちの孫なんだがね。どうも難しい年ごろなんだか、こっちの言うことなんか聞きゃしねえで、へえごただわ」
「いやいいですよ、高校生くらいですか」
中島が苦笑いしながらも応じる。すると川本は思いのほか暗い顔になった。
「一応高校生なんだけどもねえ。ここんとこずっとああやって家にいるだいね。ほいでそこいらほっつき歩いたりして、昔はいい子だったんだけんどもどうしちまっただか……。」
「そうなんですか。まあ思春期になると子供も色々ありますからねえ」
「前はおらんとこだってよく懐いて来てくれただけども、ここ何年かは話もしてくれねえだわ。年寄りだでつまらんのだろうが、せつねえもんだ」
見ると川本の目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。確かに可愛がっていた孫に無視されるようではなんともやりきれないだろう。とはいえまだ高校時代の記憶も鮮明な年齢の尊には、陸雄少年の気持ちもわからないではなかった。ことあるごとに口出しをされるのが嫌になる年齢だな、と尊は少し懐かしい気分になった。
「まあまあ、ああいうのだってはるかじゃねえせ。そういう時期もあるもんだわ」
尊が慰めると、川本はだといいがねえ、とため息をついてヤスデの掃き掃除を再開したので、尊たちももう一度挨拶をして車に乗り込んだ。
「いやあ、なんかすいませんでした、結局全部アンさんにやってもらっちゃって」
帰りの車を運転しながら中島が謝った。
「いや、いいよ、俺はこういう生き物関係は好きだしさ。人が相手の時より楽だから」
尊がにやりとすると、中島も確かに、と笑った。
カーラジオからはまた台風が沖縄近海で発生した、というニュースが流れていた。それを聞きながら、これでまた大量発生とかしないといいですね、と中島が言い、尊も無言で頷いた。
尊が服部に呼ばれたのは、その日の終業時刻も間近のことだった。
「アンちゃん、ちょっと一件、相談の対応してもらいたいんですがいいですか」
「これからですか」
尊が時計を見ながら言うと、服部は少し大袈裟に両手をひらひらとさせた。
「いやいや、今日すぐってわけじゃないです。明日のどっか空いてる時間でいいので。午前中にアンちゃんが受けてくれた、太田係長の伝言のことなんですけどね」
「ええ、地上げがどうとかいう」
「そう、それそれ。なんでもその関係で相談が土木建設の方へ行ったらしいんですよ。それでちょっと向こうじゃ対応が難しいからとりあえずこっちでってことで頼まれてるんです。最初は私の方で受けようかと思ってたんだけど、明日は一日別件で出ちゃうもんだから、アンちゃんが引き受けられないかなと、そういうことなんですが」
「わかりました。一件、午後に他の約束が入ってるもんで、午前中なら大丈夫です」
「悪いですね。じゃあ朝イチで来てもらうようにしときます」
尊は自分のスケジュール表を取り出した。
「なんて方です?」
「石川さんっていう女性の方」
「石川さん……ですね」
言いながら尊は予定欄に書き足していく。服部は幾分薄くなり始めている髪の毛を手で整えながら話を続けた。
「そう。まあはっきりと地上げだって言ってきたわけじゃないらしいんですけどね。梓南駅から東へずっと行って山越えてく市道あるでしょ」
「ええ、東小の脇を抜けてく道ですよね」
「それです。その市道の拡幅が予定されてるんだけど、その道沿いに住んでる人らしくて」
服部の話によれば、石川の相談内容というのはこういうことだった。
市道南部五号線は梓南駅から市街地を通り、田園地帯から山を越え、隣の池川町へと抜けていく道路である。その道沿いに、何年か前から市が工場団地を造成して企業誘致を始めたのだが、思いのほか製造業の企業が多く進出してくれることとなった。
さらに市内でも中心部へのアクセスがよく、適度な田舎暮らしが望めてかつ地価も安い、ということで沿線の中でも山に近いあたりで宅地分譲が増加していたこともあった。
そこで市では、昨年度に策定した第四次の道路計画の中に重点整備道路としてこの道路を位置づけたのだ。製造業者のトラックや、人口増加が見込めるこの地区の基幹道路としては現在の五号線は少々狭い。そのため来年度から大幅な拡幅工事が行われる予定となっていた。また新たに分譲される地区の一部の住人は、この道を通って東小へ通うこととなるから、小学生が安心して歩ける歩道の整備も必要だった。
ところがこの道路計画が公表されてからというもの、道路周辺の住民の家に不審な電話や訪問者があったという相談が何件かあったらしい。どれも自宅を売ってほしいとか、道路に面した土地を買いたいなどという内容で、市で用地買収を始めたのか、という住民からの問い合わせがあって発覚したのだった。
これまで判明した類似の件では、いずれも断られると相手が大人しく引き下がったようだが、今回の相談者である石川の元へかかってきた電話は少し毛色が違うらしい。
「どうも内容的に、明らかに脅しと取れるようなものだったようなんだそうです。それで怖くなって、市では本当にこんな話をするのか、と問い合わせがあったということで」
「なるほど、確かに地上げ行為のように聞こえますね」
尊はメモを取っていたペンの尻で顎ひげを掻きながら言った。ここまでの話から推測すると、何者かが道路沿いの土地を安値で買い集め、市の拡幅工事の際に高値で売りつけようとしているように思える。まさに一時期の都心で横行した地上げ屋の手法だ。ただ、市内でこういう地上げ行為があったという話は、尊は今まで聞いたことがなかった。
「しかしそれだと警察へ行ってもらった方がいいんじゃないですか。うちでも結局警察の担当窓口を紹介することになりそうですけど」
「まあ最終的にはそうなるでしょうね。ただ一応市へ相談してきてる以上、右から左というわけにもいかないし、ご本人も警察がまともに取り合ってくれるかを不安に思ってるみたいだから。一通りここで話を聞いて、やはり警察に、ということなら同行してあげる、ってことでいいんじゃないかと」
「そうですね、承知しました」
そう言ってメモを取り終えると尊はペンをしまった。
午前中のように、尊たちが現場に行って解決する相談はどちらかと言えば珍しいケースで、大半は専門の窓口へ同行することになる。比較的多いのは弁護士や司法書士といった士業の事務所だったが、警察署へ同行したケースもこれまでに何回か経験していた。
なんにしても少し珍しい相談である。尊としても、単純な相続関係のトラブルで弁護士事務所にお婆さんを連れていくだけの仕事よりやりがいがありそうである。
その時ちょうど終業のチャイムが庁舎内に鳴り響いた。真剣にパソコンを叩いていた中島が、その音にはっと顔を上げる。そしてもうこんな時間か、と呟き、大きく両手を伸ばした。無論そこに続く言葉は、さて、帰るか、ではなく、一服したらもうひと頑張りするか、であることを尊は知っていた。
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