第4話

 尊の手元に登記簿謄本が届いたのは、現地を訪れた翌日の十月二十八日のことだった。


 前日に現地調査を終えて市役所へ戻ったあと、尊は早速調査に取り掛かっていた。撮影してきた廃屋の写真をプリントアウトし、それを手に建築指導課へと行き、空家として対応できないか、と依頼したところ、渋られてしまったからであった。


 空家の元担当者としても、渋る気持ちはよくわかった。つまるところ、他に緊急性や重要度の高い空家案件が多すぎるのだ。そちらへの対応が手一杯なので、微妙な案件は抱えきれないというわけだった。それに加えて、尊が元担当者だということもある。


「いやね、そもそも苦情の出た原因が損害賠償絡みなわけだしね。原則として民民のトラブルなら空家対策よりもそっちの専門家の方がよくはないかい。弁護士とかさ、なんならアンちゃんも一通り所有者調査のノウハウあるんだしさ」


 と担当者は言った。要は相談室の方で対応してくれ、ということだ。


 尊もそれ以上は無理に頼まず自分でやることにした。空家対策であれば、固定資産税の課税情報が利用できる。しかし今回の建物は農業用倉庫であり、しかも経年劣化が激しい。登記や課税がされているかも怪しいところだったし、されていないとなればいずれにしても課税情報は使い物にならない。


 それでとりあえず土地の公図と所有者名義を調べるため、公用で登記簿の取得を申請したのだ。今日の夕方になってM市内にある法務局から運ばれてきたその書類の束を維持監理課の職員から受け取ると、尊は早速デスクに戻って一枚ずつ捲り始めた。


 まずは建物の登記を確認する。しかし申請一覧には、廃屋の住所である「梓市豊川町六四二〇番地二」の欄の横に、「建物登記なし」と手書きのメモが残されていた。やはり廃屋は未登記建物のようだ。一方で念のため合わせて取得した「六四二〇番地一」の方には、木造平屋建てのひと棟と、付属建物がいくつか登記されている。これが樋口の家の建物ということになる。


 建物の登記は最初からあまり期待はしていなかったので、尊はさほどがっかりもせず、建物分の書類をまとめてクリップから外してデスクの隅に置いた。それから土地の方へと目を移す。尊は記載されている事項を一行ずつ目で追った。


 地番、六四二〇番地二、面積、五二七・三三平方メートル、このあたりはどうでもよい。それから所有権に関する事項、原因、昭和三十七年二月十二日相続、所有者、宮澤恭一みやざわきょういち。ここで所有者の名前が出てきた。そこから先は空白であった。つまりこの宮澤恭一という人物が現在登記上の所有者となるわけだ。住所は西梓郡豊川町六四二〇番地一――。尊はおや、と思った。


 西梓郡豊川町は平成の大合併により消滅し、現在は梓市豊川町という地名になっている。ただし地番表記は変わっていないから、現在の住所では梓市豊川町六四二〇番地一、つまり現在の樋口の家の番地である。樋口が引っ越してくる前にこの宮澤という男がそこに住んでいたということだろうか。そうなると既にどこかへ転居しているか、亡くなっている可能性が高くなる。


 尊は書類を急いで捲った。樋口宅の土地の登記簿も申請してあった筈だ。それを見つけると尊は一人うーんと唸った。そこには先ほどと全く同じ文面が記載されていたのだ。昭和三十七年二月十二日相続、所有者、宮澤恭一、住所、西梓郡豊川町六四二〇番地一。樋口の名前はない。それから慌てて先ほどあまりよく見ずに放り出した建物登記を確認する。樋口宅の所有者欄には三たび同じ文章が載っていた。所有者、宮澤恭一。つまり樋口の家も建物も、そして問題の廃屋も、全て所有者は登記上宮澤の所有になっているというわけだ。


 尊は腕組みをしながら考え込んだ。これはどういうことだろうか。


 最も考えられるのは、宮澤恭一が死亡した後、あるいはそれからしばらく経って、直系の相続人がいなくなったか、あるいは管理しきれなくなったため、親戚の樋口がそこに住むことにした、というケースだ。これだと相続登記をさぼっていれば当然樋口の名前は出てこない。

 

 登記の整理をほったらかしておいて、実質的な所有権だけを変更してしまうというパターンは古い空家では特に多かった。本来であれば相続登記をする必要があるのだが、関係者の間で合意が取れていればトラブルになることは少ない。そうなるといざというときに誰が所有者なのかわからなくなったり、遺産相続の段になって困るということも多かった。尊は前の部署でこの手の空家に散々苦労させられたことを思い出した。


 とにかくこの宮澤という男のことを調べなければならない。尊はまず住民登録を確認することにした。住基ネットに接続しているパソコンを立ち上げてログインする。住基システムを開き、みやざわきょういち、と打ち込んでみた。


 検索結果はすぐに表示された。該当するのは一件のみだった。クリックするとその世帯員全員の住基情報の画面が開く。尊は画面を眺めて独り言をこぼした。


「二人とも死亡、か……かなり前の人だな」


 恭一は昭和五十八年の三月に、妻の多佳子たかこが平成七年の十二月に、それぞれ死亡となっていた。世帯員は夫婦二人だけである。住所は登記で確認したとおり豊川町六四二〇番地一と表示されていた。つまりこの住所のまま最期を迎えたということになる。


 システムを立ち上げたついでに尊は樋口についても確認しておくことにした。検索欄にひぐちまさと、と入れエンターキーを叩く。こちらは該当情報が二件と出た。ただしどちらも樋口理人ひぐちまさととなっており、うち片方のステータスは転出となっている。一度どこかへ転出し、Uターンしてきて今の住所に移り住んだということのようだ。この場合、同一人物の情報が転出前と再転入後の二件出てくることになる。尊はひとつずつ内容を確認した。


 やはり片方は樋口の転出前のデータだった。住所が豊川温田二二二八番地となっている。生まれたときからここで育ち、仕事か何かの都合だろうか、平成二十四年に転出していた。もう片方のデータは平成三十二年に転入しているので、八年ほどの間どこかの街で過ごしていた計算になる。こちらの住所は現在樋口が住んでいる地番になっていた。生年を見ると昭和六十一年生まれとなっているから今は四十歳であるが、単身世帯だった。結婚はしていないか、あるいは転出先で離婚したというところだろう。


 一通り調べ終えると、尊は住基用パソコンを閉じて腕組みをし、目を瞑って思考を巡らせた。とりあえず恭一の戸籍を取り寄せる必要がある。恭一と多佳子に子供がいれば、相続登記がされていない以上はその子が法定相続していることになる。ただ、子供とはいっても年齢から推測すると既に還暦は越えているだろう。


 そうなると樋口の年齢からして恭一と多佳子の孫にあたる可能性もあるな、と尊は考えた。このあたりは戸籍を確認すればわかるはずだ。


 目を閉じたまま次の方針をあれこれ検討していると、服部が、


「アンちゃん、大丈夫ですか」


 と声を掛けてきた。尊は我に返り、あ、はい、と答え、自分のデスクへと戻った。そして住民課へ提出するための書類を作成しはじめた。

 


 翌二十九日に尊は再度樋口の家を訪ねてみることにした。昨日申請書を提出した戸籍を確認してからとも思ったが、考えてみれば樋口から直接聞くことができればそれが一番手っ取り早い。とはいえ樋口は年齢的にもどこかへ勤めに出ている可能性が高いため、訪問は夜の七時頃と決めた。残業代は出ないが致し方ない。


 その日は結局、相談者は夕方に一件あっただけだった。閉庁間際に来た中年の女で、隣の家の柿の木が自宅の庭まで枝を延ばしていて、このところ熟して潰れた柿が庭に大量に降ってくるという。自分では言いづらいから市から言ってもらえないか、というその相談者を中島に任せ、尊は終業のチャイムと同時に夕食を食べに外に出た。このタイミングで食べておかないと食べられるのがいつになるかわからない。夜遅くに帰宅して一人で食べる夕食ほど虚しいものはない、と尊は常々思っていた。


 庁舎から出ると、辺りは既に暗くなり始めていた。秋の日はなんとやらというやつで、このところ日没が一気に早くなったような気がする。


 尊は行きつけの食堂に入り、とんかつ定食を頼むと、店の隅にあるテレビをぼんやりと眺めた。秋雨前線の影響で今週末はまとまった雨になる、とキャスターが喋っている。家族連れやカップルには週末の雨は残念なニュースだろう。山が紅葉し、ドライブなどにはちょうどよい季節である。しかし独り身である尊はそれほど残念には感じなかった。間もなく運ばれてきたとんかつを口に放り込みながら尊は、週末は積んであった文庫本を端から読もう、と心に決めた。


 職場に戻る頃にはすっかり夜になっていた。尊は作りかけていた書類を急いで完成させてしまうと、一人相談室に残っている室長に、


「相談のあった件で、現場へ行ってそれから直帰します」


 と報告し、部屋を後にした。


 職員駐車場で自分の車に乗り込む。一昨年のボーナスを頭金にして購入したコンパクトSUVだった。どうせ自分しか乗らないのだから、と軽自動車にすることも考えたが、デザインと使い勝手の良さに魅かれたのだ。キーを回すと心地よいエンジン音が響いた。


 しばらく走ると車は坂道を登り、見覚えのある家にたどり着いた。樋口邸の広い敷地に乗り入れ外へ出る。ふと右隣の家に目をやると灯りのこぼれるリビングに人影が動いているのが見えた。山﨑夫妻は夕食の時間らしい。一方の樋口の家にも灯りがついている。どうやら在宅らしい。尊はやや湿った土を踏みしめながら玄関へと近づいた。


 チャイムを押すと、中で男の声がはい、と言うのが辛うじて聞き取れた。しばらくして昔ながらの引き戸の玄関ががらりと開き、男が顔を出した。


 一瞬、少し自分と似ているな、と尊は思った。樋口の方が髪が長く、整髪料をまだ落としていないのか玄関の灯りに照らされて少し光っている。しかし目つきの悪い表情やえらの張った顎回りは鏡の中で見かける男と同じタイプだった。少し親近感を覚えながら尊は努めてにこやかな表情を作った。


「夜分に恐れ入ります。市役所ワンストップ相談室の杏と申します」

「市役所?なんの御用ですか」


 と樋口も少し掠れたような声で返す。


「樋口さんですよね。実はそこの裏手にある農業倉庫のことで、少しお聞きしたいことがありましてね。遅い時間に突然お訪ねして大変申し訳なかったですが、昼間はお勤めかと思ったもんですから。今少々お話お伺いしてよろしいですか」

「ああ、それのことですか」


 樋口は言いながら、一度顔を引っ込めると改めて引き戸を大きく開け、玄関の外に出てきた。尊が想像したより全体に一回り大きい体格だった。身長は百八十弱くらいだろうか。尊より頭半分くらい背が高く、筋肉質でがっしりとしている。自分より数倍威圧感があるな、と思いながら、尊は半歩だけ後ろに下がった。


「こないだもお隣の山﨑さんから聞かれたんですけどね。そのことですよね」

「そうです。一応、山﨑さんからも、樋口さんはご存知ないらしいと聞いてはいたんですけどね。念のためということで来たんです」

「そう言われましてもね。うちの敷地じゃないですから。裏の畑の持ち主のものでしょう。市役所なら所有者もわかるんじゃないですか」


 樋口はあくまで丁寧な口調を保ちながらも、内心面倒くさがっているのが尊にもありありとわかった。早めに切り上げた方がよさそうだ。尊は早速核心を聞いてみることにした。


「実はそのことなんですがね。裏の畑の持ち主が宮澤恭一さんという方なんです。ただこの登記簿の情報は随分古いんですよ。樋口さん、宮澤さんという方はご存知ないですか」

「いや、まったく知りません。会ったこともないですよ」


 この返事を聞き、尊は少し緊張した。全く知らない、と言った。ではこの男は本来の所有者とどういう関係なのか。一度生唾を飲み込み、尊は言った。


「しかし、失礼ですが樋口さんのお宅の土地や建物もこの宮澤さんという同じ方の所有になっているんですよ、登記簿上では。ご存知ではないんでしょうか」


 その台詞に、樋口は僅かに狼狽した表情を見せた。


「ああ、つまり、この家と土地は知り合いから買ったんですよ。だけど登記がそうなってるなんて知らなかったな」

「ということは購入する際に樋口さんのお名前で登記をしなかったと?不動産会社がそんな取引をするとは……」


 思えませんが、という尊の言葉を遮るように、樋口はやや語気を強めて被せてきた。


「不動産屋は間に入ってません。直接購入したんですよ」

「そうでしたか。それは失礼しました」


 尊が引き下がると、樋口もまた声のトーンを抑えた。


「いや、こちらもすみませんでした。登記がされてないとは思わなかったもので」

「まあ所有が変わっているのであればきちんと登記をしていただくようにお願いします。司法書士に相談していただければいいかと思いますよ。このままですといずれ相続が発生したり売買しようとしたときに困ることにもなりかねないですし、宮澤さんの親族の方なんかが家の権利を主張すれば争いになることもありますから」

「わかりました。近いうちに相談してみます」

「それはそれとして、それじゃ裏の土地はその売買には含まれていなかったということですね。それでご存じないと」

「そういうことです。なので申し訳ないが、私にはどうにもなりません」

 樋口はそれで話は終わりと言わんばかりに身体を背け、家の中へ戻ろうとした。

「あ、最後にひとつだけ。その土地や家を売ってくれたお知り合いの方について、どこのなんという方なのか教えてもらえませんか」


 尊はそう尋ねたが、樋口は少し睨むように尊を一瞥すると、


「もう忘れました」


 と言い捨て、戸を尊の鼻先でぴしゃりと閉めた。


 尊は引き戸の向こう側に聞こえないように静かにため息をつくと、回れ右をして車へと戻った。まあいい、戸籍から追いかけるしかあるまい。エンジンをかけると、尊は音楽に合わせて口笛を吹きながら家路についた。

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