幕間6
留置場の面会室で僕を待っていたのは依田とかいう名前の年配の刑事だった。僕は今のところ、小西の殺害に関しては何一つ喋っていなかった。国選弁護人が何度か接見に訪れていたが弁護士に対しても同様だった。
ただ、ユウタの息子の陸雄君が疑われていると聞いた時には正直驚いたものである。どうやら警察は、陸雄君が犯した犯罪を父の親友である僕が庇っているのではないかと疑っているらしい。
思わず陸雄君に罪をなすりつけようかという考えが浮かんだが、何度口を開こうとしてもそんな言葉は出てこなかった。僕のニックネームからとった名前を持つ、親友の一人息子にそんな仕打ちはできない。かといって庇っているわけではないと否定すれば、それだけ警察に情報を与えることになる。結局僕には黙り込むしか手がなかった。
「会わせたい人ってのは誰ですか」
僕は依田に聞いてみた。
「まあ会えばわかるだろうよ。ちょっと待っててくれ。呼んでくる」
依田はそう言って僕を面会室に入れ、また外へと出て行った。部屋には僕と係員の警察官がひとり残された。
「一般面会は十五分くらいって言いましたか」
僕はその警察官に聞いてみたが、警察官は肩をすくめて頷いただけで一言も発しようとはしなかった。僕はため息をついてから透明な板で仕切られた部屋の真ん中付近に置いてあるパイプ椅子に腰かけた。
ありそうなところで言えばあの公務員の男だろう。確か杏とかいう名前だった。思えばあの男が僕の家に首を突っ込むようになってから色々と狂い始めたのだ。空家対策の担当をしていると言っていた。僕の過去について色々とよく調べているようだった。もしも僕がなぜ小西を殺したかがわかるとしたら、警察ではなくあの男からかもしれない。
しばらく待っていると、やがて板の向こうにあるドアが開き、依田の姿が見えた。依田は誰かを中に入るように促す仕草をしている。そして依田の向こうから現れた人物に、僕は呼吸をするのさえ忘れて見入った。
そこにはサヤカが立っていた。僕と同じように歳を重ねて、少し皺が増えているが、その姿は見間違えようがなかった。信じられなかった。今自分が置かれているのが現実なのか、それとも幻想なのか、それを確かめようとして一度強く目を瞑り、それからゆっくりと開く。サヤカは悲しげな笑みを浮かべたまま、まだそこに立っていた。
「サヤカ?」
僕の発した間抜けな響きの問いに、彼女は伏し目がちに頷いてみせた。
「りっくん、久しぶり」
面会室の仕切りに開けられた細かい穴を通して、僕が恋い焦がれていた鈴のような細い声が響いた。
「どうして――」
それ以上は言葉にならなかった。放心した僕を見つめる目元は昔と変わらない。間違いなくサヤカだ。
「市役所の杏さんという方と、日岐という刑事さんが私に会いに来てくれたの。りっくんのことを教えてくれた。逮捕されたって聞いてすぐに飛んできたんだ。りっくん、あの」
想定外の衝撃にまだ身動きが取れずにいる僕に、彼女は目を伏せながら言った。
「今まで会いにこれなくてごめんなさい。色々聞いたわ。私の家を守ってくれてたのね。本当にありがとう」
「いや、そんなことは……。結局守り切れなかったんだし」
「私が帰って来なかったからこんなことになっちゃったんだね。本当にごめんなさい。私も帰りたかった。りっくんに会いたかった。でも私、生きていくには夜の仕事をするしかなくて。こんな汚れた女が会いに行ったらいけないと思ったの。そのことを知ったらりっくんはきっと私のことを嫌いになるから――」
「そんなのもういいよ。こうして会いに来てくれたんじゃないか。それにどんなことがあっても僕はサヤカを嫌いになんかならない」
僕はサヤカの言葉を遮って言った。サヤカの目には涙が浮かんでいる。
「サヤカ、とても綺麗になったね。昔よりもっと綺麗だ」
「そんなことはない。もうこんな歳になってしまったもの。もっと早く会いに来ればよかった。そうしたらりっくんがこんなことにならずに済んだのに」
「いや、もういいよ。サヤカに会えたのなら僕はそれで」
それから僕たちは仕切りを挟んで向かい合い、これまでのことを話した。僕が家をリフォームした話をすれば、彼女は児童養護施設の話をした。どうして手紙のやりとりが止まってしまったのかも判明した。よかった、嫌われたんじゃなかった、と僕はそれを聞いて安堵した。まるで昔に戻ったようだった。とはいえ、与えられた時間はそれほど多くない。やがて後ろに控えていた係員が、樋口、そろそろ終了の時間だぞ、と告げた。
「会いに来てくれて嬉しかった。ありがとう。こんな僕でごめんね。さよならだ」
僕は立ち上がりながら言った。彼女には彼女の人生がある。これから待っているだろう長い刑務所生活の前に、一度だけでも会うことができてよかった。これできっとこの先も耐えていける。
しかし僕が立ち上がっても、サヤカは座ったまま下を向いていた。
「どうしたの?」
「りっくん、私ね」
サヤカはゆっくりと顔を上げた。その切れ長の美しい両目には涙はもう浮かんでいなかった。
「こっちに戻ってくるよ。今の仕事はもう辞める。またりっくんと一緒に居たいから」
それを聞いた瞬間、僕の喉元に痛みを伴って何かの塊がこみ上げてきた。
「だからちゃんと罪を償って。私はそれまでずっと待ってる。あなたの帰る家がこの街にあるように。ずっと待ってるから。あなたが守ってくれたあの家で」
僕は何度も何度も頷いた。堪えきれずに涙が後から後から溢れ出した。ありがとう、とか、愛してる、とか、何か言おうと思ったが言葉にならなかった。
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