第4話ただいま
ルアザとクラウは森を抜け、家のある平原へとたどり着く。
自分の影を見てみると短く、足先にしかなかった。
太陽も自分の清すぎるせいか繊細な肌を攻撃してきて鬱陶しい。
今日はまだ何も食べていないし、走り回ったから体が栄養を求めている形をしていた。
子供の身に空っぽな空腹はこたえるものがある。
家が見えるところまできたら、エウレアが土煙をあげながらこちらに向かって来た。
ルアザの名前を何かに解放されたかのように叫びながら。
「ルーゥゥゥゥゥー!!」
それを見たルアザは歓喜の表情を浮かべるが、最初に浴びせられるのは怒りの言葉だと予想するため、後悔し縮こまる。
クラウはルアザの表情豊かさに苦笑し、エウレアの方へと手を振る。
「ルー!良かった無事で。怪我はない?」
エウレアはルアザに抱きつき、つむじから髪の毛の一本一本認識し分けているかのように身体中を診察し、靴を脱がせて指先、爪先まで注視しルアザの体を診察する。
怪我は一つもないと診たエウレアはルアザの存在をもう一度確かめるように、強く抱きしめる。
ルアザはまず怒られると思ったが、予想外のことに一心不乱になって自分のことを案じてくれたことに驚くと同時に胸に熱が籠る。
そしてルアザも母親を安心させるために背に手を回して抱きしめる。
ルアザもエウレアも互いの心音が聴こえる。
その暖かさを感じ合い、どちらも人心地し安楽する。
しかし、その気持ち良さは長く続かなかったが。
「ねぇ、ルー。何で森の中に入ったの? お母さん入らないようにって言ったよね?」
エウレアは先程の熱が籠った声とは逆に冷たく、少し威圧感がある声がルアザの耳元で発せられた。
このがっしりとした抱擁が決して逃げ出さないようにするための檻へと化すのを感じてしまった。
ルアザは心臓を強制的に握られるような感覚だった。
「あー(クラウ、ヘルプ)」
隣でその光景を見ているクラウに目線を送るが、顔に浮かんでいる微笑みは変わらず、行動も変化しない。
ルアザは変わらない微笑みを見て諦める。
クラウはその微笑みを崩さない限り、決して動かないと日常生活の中で何度も経験をした。
「聞いてるの?ルー」
「えっとね、憶えてないというか。その、思い出しそうというか。その、えーっと……」
母親の声で現実に戻されたルアザは正直全く憶えていないことを、頭の中をフル回転させながら、どうやって言い訳をするか考えている。だが、口に出たのはどれも要領がよくわからない回答だった。
「忘れたのね」
エウレアはハァと、ため息を一つつき、抱擁を解く。
ルアザの赤い目と自分の青い目をしっかりと合わせて、肩を掴む。
ルアザも母親の眉が傾いた目を見て、目を反らそうとするが、蛇に睨まれた蛙のように、思い通りに体は動かなく、仕方なく母親と目を合わせる。
首を回せばいいだけのことかだが、悪いと自覚しているため、あえて動かさなくしている。これから叱られるだろうと予想される言葉を覚悟を決め、黙って耳を傾ける。
「自分が悪いとわかっているのよね?」
エウレアはルアザが素直に言いやすいようになるべく優しげな声でルアザに問答する。
自分がルアザと同じ年頃の時は理不尽に叱られることが多かったため、いきなり叱りつけることは否定的だった。
それに、ルアザの顔を見れば反省する気持ちはあるとわかるため、必要以上に叱る必要もないと判断した。
「うん」
ルアザも先程の堅い声とは違い柔らかくなった声の変化を察して恐る恐るだが、心の中の扉を開く。
「じゃあ、最初に言う事は?」
母親が前言った事を思い出す。
『悪い事をしたら、まず謝る。これができなきゃ他人から嫌われてしまうし、お母さんも嫌いになる。人は助け合って生活できているの、自分が悪かったらすぐに謝る。これは基本だけど一番大事なことよ』
「ご、ごめんなさい」
母親に嫌われるのは世界一、嫌なことだし、まだ見ぬ他人にも嫌われたくない。
それに加えて自分への贖罪のため謝る。
「うん、許す。次からはお母さんかクラウに一言言うか、一緒に行く。今度は忘れないように。いいね?」
互いのおでこを合わし、次はこのような事がないように反省し約束する。
エウレアは親としての責任として、自分も言い足りなかったことや優秀なルアザを少々過信しすぎたため反省する。
ルアザは母親を決して裏切るような結果にならぬように約束する。
「わかった。気をつけるよ」
ルアザは小さく頷く。
「あとは?」
「………………? ………………!」
謝ったのに何かあるのか?と、疑問が出る。
しばらく熟考した後に正解が導きだされる。
いつも当たり前のように言ってきた言葉だった。
外に出て、家へと帰ってくるとき必ず言う言葉を。
この言葉で家に帰ってきたという証拠であり、もう恐れる必要のない、すでに安全な領域へと入った、と事件の終わりを告げる。
「ただいま」
「おかえり」
エウレアは肩を離し、ルアザの頬にキスをする。
その時、頬が口に触れる時、若干湿っていることに気づく。
息子の顔をじっと見て、よく観察すると目元辺りが、ほんのりと赤く腫れていることに気づく。
それを見たエウレアは苦笑しこう言う。
「怖かっただね。ほら、お母さんに跳び込んでいいよ」
腕を開き、ルアザを誘うようにして片目を閉じてウインクする。
思わず、絶対に安心安全で幸せが約束されている母親の胸の中に一瞬跳び込みそうになったルアザだが、理性を総動員して力を入れようとしている足を止める。
「そういうの、いらないから」
そっぽを向き、意地を張る。
母親の言う通りに跳び込んだら、自分の中にある何かが砕け散りそうだった。
この名状しがたい何かは努めて維持した方が良いと判断した。
でも、ルアザは正直に言えばこの甘美な誘いに乗って気持ち良くなりたかった。
表には出さないが、この何かを捨てておけば良かったと早々と後悔し始めた。
エウレアは息子の反応に残念そうな顔をするが、ある意味息子の成長を感じ、微笑む。
立ち上がって、家の方とルアザ、クラウの方を向き言う。
「お腹すいてるよね。さあ、皆と一緒に食事をしようか」
「じゃあ、早く食べよう! さぁ速く!」
それを聞いたルアザは先程までの疲れが忘れたかのように走り、風が吹く草原でこちらを見つめる二人を促す。
「ルー、先に帰ってて。お母さんクラウと話すことがあるから。いいよね?」
エウレアはクラウに目配せをし、問う。
「いいですよ。ルー、先に食べててください」
クラウもエウレアと話し合うことがあるため、それを了承しルアザを先にかえす。
「……わかった」
◆◆◆
白昼の中、微風が吹き、草木が靡く草原で二人の保護者が会話をしている。
エウレアは息子の様子を見たところ、かなり恐ろしい体験をしてきたのは察していた。
息子の方はそれを隠そうとしていたが、我が子の隠し事くらいはすぐに見抜ける。
でも、何があったかは詳しくは知らないため、クラウに聞く。
「ルーはどういう状況だったの?」
「〈迷森妖精(レー・シー)〉に襲われてました」
眉間に皺を寄せて言う。
クラウはルアザに何があったかすでに聞いていた。
そこで何を体験したのか、詳しく質問し聞いた。
「妖精(シー)の存在を頭に入れてなかったわ」
頭に手を添え、思い悩む。
自分でも何をするかよくわからない相手を最愛の息子に近づけてしまったことに、反省する。
たった一度の失敗でも母親の立場から見ると取り返しのつかない大失敗と同じだ。
その失敗で子供に何かあったら絶望とか、そんな生易しい物ではない。
自分の希望が存在意義が木っ端微塵となり、人生の終わりを示されるようなものだ。
特に守ってあげなければならない小さい時期の時は。
母親失格の証だ。
自分に烙印が増えたような物だった。
それほどエウレアは思い悩む。
「子供は大人よりも妖精(シー)被害が多いと聞いたことあるし。本当に油断してたわ」
エウレアは言い訳がましく出た言葉に憂鬱となり、大きなため息を吐く。
沈んでどこか感情的になっているのを覚まして、落ち着かせる。
「たしか、エウレア殿は都市が故郷でしたよね?」
「そうよ。クラウと同じような形ね」
詳細は省くが、二人は都市部で生まれ育った。
「都市は妖精(シー)の出現数は少ないですから。私も妖精(シー)を見るのは久しぶりです」
妖精(シー)の中にも人にとっては有害なものもいるためその有害な妖精(シー)の被害を防ぐために、防衛措置をしているため、妖精(シー)を見ることはない少ない。
一応、妖精(シー)は都市にも出るが、せいぜい何かあったら追い払える程度のものしか出てこない。
だから、都市部の人々は妖精(シー)を驚異な存在だと頭で理解していても実感はないため、特にこれといった警戒もしていない。
「自然界は妖精(シー)が多いと聞くし、これまでが奇跡だったかもしれないわね。何か良い対策はないかな?」
都市部に比べ、森や川、海などの自然界は妖精(シー)達の元々の故郷であるせいか、それなりの頻度の数を見る。
それに、大抵自然界に近い人類生息圏は妖精(シー)被害も含めて、様々な災害に合うから慣れているし、対策方法もしっかりと存在している。
「とりあえず探知結界を張り様子見ですかね? 探知結界は広範囲に広げられるので大丈夫でしょう」
だが、二人は都市部の人間だ。
災害から身を守るために作られた都市の人間が、そんな、災害から身を守る知識は少ない。
それは都市の防衛力を無意識レベルで信頼している証拠でもある。
だが、今いる場所は山々の深い森の中、探し求めていた場所だ。
ここに住み始めて何年かたったが、環境に関しては知らない事の方が多い。
その結果ルアザを危険に晒した。
今まで目立った被害は無かったから、楽観視してきた自然の驚異について改めて真面目に考え、行動する必要がある。
「クラウ悪いけど、家の周囲一帯をもう一度調べてきてもらう必要があると思うの。行ける?」
まずは情報収集から始める。
最初ここに居着いた時一回すでに調べたが、昔と今じゃ、環境が違っているのかもしれないからだ。
「………………エウレア殿。一つ提案があります」
エウレアの質問にひとしきりの時間を考えたあとに一つの案を思いつく。
それは、今の暮らしを大きく変える案だ。
「それは何なの?」
「山を降りましょう」
「それは、元々の計画に戻るということ?」
山を降りる。
それは今の暮らしを捨てるということ。
この平和な自然の中での暮らしをだ。
この生活を作るのはそれなりの苦労があった。
書本や道具はたくさん所持していたため、まだマシな状態だが、家を建てるのにも、畑を耕すにもそこそこな労力はあった。
その苦労を徒労となることを意味している。
だか山を降りれば、今までの苦労と同等なメリットがある。
「そうです。ここは村や町程の安全面は保証しがたいですし、ここでルーを育てる環境というのは悪影響の方が強いと私は判断します。まだ影響は少ないですし、どうですか?」
大人二人と子供一人。
そんな歪んだ環境でルアザは真っ当に育つのか?
たぶん歪んだまま育ち、いずれここから出ていき、普通を合間見れば自分はおかしいと知ってその普通に馴染めず、そのまま潰れてしまうのではないか?と、クラウは考えている。
「たしかにその通りだけど、そっちはそっちでルーは歪むかもしれないわ。それに……………いや、この話はここは離れているから大丈夫」
「どちらにせよ人間関係で問題がありますね」
二人は大きくため息をつき世の中の小さいが大きく不条理に憂いを持つ。
しかし、自分達もルアザが産まれる前まではルアザにとっては悲哀な考えを持っていたため、自分達も一概には言えないな、と思う。
「……とりあえず保留にして、ルーの様子を見ながら結論を出すという感じかな」
環境は長所もあるが短所もある。
どちらの短所も致命的とも言える短所なため非常に難しい判断を二人は迫られており頭を悩ませる。
どちらもルアザのためとなる長所はあるからこそ悩みをさらに加速させる。
「そうですね。もう一つ提案があるのですが、ルーを鍛えるというのはどうですか?」
ルアザの体質上、体や体力が他の人と比べ、弱く欠けているところがあった。
それを鑑み、早い内に体力をつけさせていた。
幸い、この場所は高地のため地上と比べ空気が薄く、年中涼しい。
だから、体力作りには非常に適した場所だった。
「必要ね。ルーを一人にさせる可能性はないわけではないからね」
その体力作りに加えて、本格的に力や知識を付ける鍛練をさせてあげたかった。
もしかしたら、自分達がルアザの前に永遠に消えてしまうかもしれないから。
だから、ルアザの前を歩ける今のうちに様々な幾多ものの道を導き教えなければならない。
二人は真剣な顔に憂いと憤りを僅かに混ざった表情を浮かべる。
忌々しい記憶だ。
だが、忘れられない。
あんなことがなければルアザはもっと安全な場所で育てられたはずだから。
でも我々は大人だ無いものを縋っても何も前に進まないことは知っている。
だから今できることをできるだけする。
ルアザが一人になっても生きられるように、最低限の能力を付け、できれば自分の考えや技を継がせたい。
家の向こうにある、厚い雲を貫く巨大な槍のような山々をみながら、そう二人は思っていた。
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