第24話初対面は罵倒

 ルアザが故郷を離れ三ヶ月。

 熱帯気候であるこの場所は雨季に入った。

 膨大な降水量と地獄のような熱、それらが組合わさった絶妙に精神の隙間へと入りこむ気温と湿度。


「あつ……」


 暑い、暑いと言えば言う程、暑くなっている気がするルアザだが、この声は体の悲鳴のため出さざる得ないのだ。


 顔には元気がなく生気が抜けきり、抜けた体に蒸し暑さが入り込み、生命までも抜こうとしている。

 その抜こうとする証拠に顎から垂れ落ちる大量の汗だ。


「……休憩しよう」


 ルアザはその場で座り込み、魔術で氷を周りに生み出し、そよ風を吹かせる。

 あまり疲労に繋がる行為はしてはいけないが、ルアザはこの魔術を何度も使い続けているため、疲労など溜まらない程、熟練した魔術の一つになっていた。


「辛ければ、辛い程この一時に涙が出る」


 ルアザはこの風を受けていると、瞳を歪み、潤ませる。

 暑さで参ってしまうルアザには自分で生み出した物だが、そよ風と氷はまさに救世主と言っても良いのだ。


「この一瞬のために、頑張れる」


 ルアザは思う、どうせなら、一瞬ではなくこの心地よさが永遠に続けば良いと。

 だが、この辛さが一瞬にはなれないように、心地よさもなれないのだとも思う。


「さぁ、行くか」


 濡れた布のように重くなったルアザの心が風で乾き、軽くなり足取りも軽やかに地面を蹴り、進んで行く。




 ◆◆◆




「こ、これは……!」


 ルアザが今、驚愕しながら瞳に写しているのは、何の変哲もない木の板だった。 


 板は横縦と綺麗に切り揃えてあり、断面も何か使わなければ、真っ直ぐにはならない。

 ルアザはその文明と知恵の証をついに発見したのだ。


「少し汚れているけど、染みになるほど汚れてない。ついに来たかもしれない!」


 ルアザは軽く板の汚れを払い、状態を確認した。


「昨日は洪水だったから、流されてきたのだろうか」


 ちなみにルアザは今日睡眠を取って居ない。

 洪水から避難する場所が空しかなかったため、一夜中、宙に浮いていた。


 ルアザとしては色々と工夫や実験がしていたため、洪水は困るが、深刻な事ではない。


「……ということは、この洪水が人里を襲いかかっている可能性が高いな」


 ルアザは先程までの笑みを消し、悲しく、悲惨な可能性に憂いを持つ。

 己の希望を無くすような考えだが、余裕のある今の内に覚悟しておいた方が楽でその後の対処案を考えられる。


「まだ見ぬ、人達の無事を祈ろう」


 この祈りには、失礼だが、ルアザは黙祷の意味合いも含めた。


 そして、夜となりルアザは眠りつこうとしていた。


 眠りの世界に意識を入れる前にルアザはこれから人と会う時の事を考えていた。


「何かを救うとは誓ったけど、まず自分を救って欲しい。世間知らずと非常識という致命的な物から……」


 ルアザは苦笑しながら、ため息を放つ。


 ルアザ自身も世間知らずとか非常識とかの次元を越えた無知度合いだろうと予想はしている。


 世間知らずに関しては、まず、一般的な世間で暮らしてないから、知る、知らないの前に知れない、という例外的な次元にいた。


 非常識に関しては少しくらいの常識は知っている。

 母親とクラウに少しくらいなら聞いていたからだ。

 それでも、少しだけだ。

 常識と言うものは、全てが揃って常識が備わっていると言うのだ。


「本当にその辺どうするかな。あと人と会った時なるべく印象は良くした方が良いよね」


 ルアザは少し、肌と服の匂いを嗅いでみると、何か匂うため、明日は全て洗おうと予定をたてる。


 髪にも目を向け、触ってみればどこか艶がなく汚れているため、いつもの雪のような白さを持つ純白の髪色ではなく、どこか灰色が混ざった灰銀の色をしていた。




 ◆◆◆




 青空の下でルアザは岩に座りながら髪を温風で乾かし、櫛でとかしている。


 髪一本一本に空気を馴染ませ含ませるように、何度も優しく撫でるくらいの力加減で櫛を髪に入れる。


 サラサラになった髪が雪のように吹く風で舞い上がらせる。

 ルアザのような体質の特有の幻想的な雰囲気を漂わせる。

 ただ、顔に付く髪を払い頭部にまとめる動作をするだけで、芸術作品になりうるだろう。


 そして櫛を鞄の中にしまいこみ、結び紐を取り出し髪を結ぶ。


 外套を羽織、少し水を飲んだあと岩から降り、出発する。


「服も体も洗うと、やっぱりスッキリするな」


 青空は嬉しいが日光は煩わしいルアザは気分上々という生気に溢れた表情をしていた。


 僅かに上がった口角に関してはどこか貼り付けたような微動だにしない形をしていた。


 ルアザはやはり人を安心させるのは笑顔が重要だと予想した。

 真顔は他人から見れば何を考えているかわからず、無意識に警戒をしてしまう。

 暗い表情をしていれば、誰も近づきたいとは思わない。

 しかし、満面な笑みを常に浮かべいれば、安心させるかと聞くと、どこか狂っているように見え難しいため却下である。


 ルアザは論理的に合理的にどのくらいの笑みが良いか考えた。

 ルアザが経験した中で常に笑みを浮かべていたのはクラウだという事を思い出す。

 その微笑みは安心したという事実は変わらないためルアザはクラウの微笑みを真似をすることにした。


 もちろん、時と場合によって使い分けるが。


 ルアザもまだその微笑みは神経が張り積めているように固く、弧線を描いているだけのため目が笑っていない。

 まだ、クラウの優しい目付きと柔らかな笑みを作り出せていない。


 そして、しばらく歩いていると、ほんの僅かな鳴き声のような音がルアザの耳に入る。

 ルアザは聞こえた物を確かめるように、耳を澄ませて立ち止まる。


「近い……!」


 ルアザは情報の精度と量を上げるため、魔術を使用する。

 まずは方向を定めるために薄く広く、感知する。


「くっ……!」


 入ってくる膨大な情報量に体の防衛機構が働き拒絶してしまうが、かなりの速さで動いている何かを見つけたため、その方向に感知の魔術を集中させる。


 感知し終わった後にすぐにルアザは駆け出す。

 髪を靡かせて、気体が液体だと感じる程の速さで真っ直ぐと。


「いた……! 」


 ルアザはついに視界に捉える。

 二足歩行で二本の手足と五本の指、そして理性がしっかりと確認できる瞳を持つ人の姿を。


 感動で跳び跳ねたい程、歓喜を越えて狂喜に打ち震えたいが、視界に捉えた人と状況がかなり危うい状況なため感動よりも、焦りにより増幅した危機感や使命感がルアザの内心を引っ張る。


「まずいな、あの状況」


 ルアザの視界内は、まだ十歳程度の子供が牛を巨大化させたような動物に襲われていた。


 ルアザもこの牛とは合間みることがある。

 また、この牛は雑食であるため、子供を食らおうと襲いかかっているとルアザは容易に予想できる。


 子供は棒切れを手に持っているが、膝を震わせており、体を上下させながら息が以上に荒く切れているため、すでに体力が尽きているのだろう。


「助けなくては」


 ルアザは魔術を併用し、さらに加速する。

 走りながら背中に背負う弓を取り、妖精の鞄から矢を取り出す。

 牛がこちらに気づく前にルアザは加速した勢いと身体強化の魔術で強化した肉体で地面を強く蹴り宙へと跳び高く上がる。


 そして、今まさに恐怖から目を瞑る子供へと向かい、豪快に土を撒き散らしながら、地面を駆ける牛と子供の間に上から一つの矢が落ちてくる。


 地面に矢が刺さった瞬間、強烈な光が牛を襲う。

 子供は目蓋を閉じていたため、視力を奪う光線から難を逃れる。


「ブオオォオォォォォ!!」


 強烈な光が牛の視覚を失い、意識外からの攻撃に立ち上がる程の驚愕と進行方向を見失う混乱に状態が変わる。


 そして、ルアザは混乱している牛と子供の間に剣を抜き牛の前にたち塞がる。


「速く逃げて」


 ルアザは後ろを振り向き、安心させるように小さく笑みを浮かべながら子供を促す。


「前! 前!」


 ルアザが振り返った瞬間に、牛は平常感を取り戻し怒りの炎を燃やしてルアザへと駆けていた。

 それを見た子供は指を指しながら、ルアザへと注意を促す。


 ルアザは視界の隅に捉えている牛に意識を分けているため、突進してくる牛にすでに気づいていた。


 突進する牛がルアザへとぶつかる前に、ルアザは横に避ける。

 牛は自身の重量と速度を制御しきれず、そのまま子供をはねようとするが、横に避けると同時にルアザは横に大きく伸びた牛の角を掴み、牛の勢いを利用して横へと押し込む。


 牛はバランスを崩し、転倒する。

 草を土の中へと埋め込みながら。


 ルアザは電気とそれを防ぐ結界を足に纏わせて、倒れた牛の首元へと足を当てる。

 当てた部分が毛も皮も黒く焼き焦げ、異臭を放つようになるとルアザは足を離し、牛の首元に手を当て脈が無いことを確認する。


(殺すのはやりすぎたな。逃がすだけでも良かったかもしれない。でも、どちらを選択しても子供を怖がらせるのは容易に想像ができる)


 ルアザは牛の脈を確認しているときにそう思う。


 逃走を促す場合、恐怖や危機感を煽るような威嚇を出す必要がある、牛の言葉はわからないため強硬手段だ。

 基本的に生物は危機感というものがどの生き物も共通していることが多い。

 だから、子供を怖がらせて仕舞うかもしれないらだ。


 今のように殺した場合は、確実に危機感を煽ることになる。

 ルアザも一応助けるような素振りを見せたが、相手がそれを察してくれるかわからない。

 最悪の流れに流れやすい方だと、ルアザは理解してしまった。


 だからこそ、次の行動で流れが変わる。

 ルアザはその分岐点に立っている。


(さてと、どういう言葉をなげかける? とりあえず自分には何も危険だと思わせないことが重要だろう。手の平を見せ笑みを浮かべながら、相手を思う言葉を言おう)


「やぁ、こんにちは。君、大丈夫だった? 怪我はないかい?」


 太陽のような強烈な明るさはいらない。

 安心できる月くらいの明るさの笑みを浮かべ、手を振る。


(どうくる?)


 ルアザは顔は余裕のある表情をしているが、心情の方は命を握られているわけではないが、一切の余裕がなかった。


「おーい! どこにいる?!」


 子供が何か言う前に遠くから、大人の声がこちらに届く。

 互いに二人はそちらを向く。

 子供はパッと花が咲くような表情を浮かべ、惑いに囚われていた瞳孔が収束し鮮明な方向性が出現する。

 ルアザは僅かに笑みを崩し、また新たに増えた可能性に悩ませる。


「こっち! こっち!」


 子供は元気良く手を振り、大人に自分がいる場所を示す。


(この子にとって、信用ができる相手なのだろうか?。少なくとも自分に対しての反応は警戒心を持っていたから、今この場で無邪気に警戒を解ける程の影響力のある存在なのかな?)


 互いの顔が見えるくらいの近さになると、大人は最初に子供に視線を向け、次にルアザの姿を眺め、側に倒れている巨大な牛を見る。


 ルアザも警戒心で瞳を鋭くさせるが、それを悟らせないように、その鋭さを瞳の奥に隠す。


 大人はルアザとは逆に警戒心で目を険しくさせ、隠そうとはしなかった。


(若干、腰を下ろしたな)


 ルアザは戦闘に携わっているため、相手の微かな動きも見逃さない。

 そのため、反射的にその動きに対応する動きをルアザもとってしまう。


「こんにちは。これに襲われていたので、この子をたすけた者ですから、危ない者ではありません」


 ルアザは警戒心を隠しながら、まず誤解される前に事実を述べ先手をうつ。

 誤解とは相手が思い込んでいる状態のことだ。

 思い込みはそれが正しいと確信し、疑いもしないから、誤解されるのは非常に厄介で、出鼻を挫かれることになる。

 思い込んだ相手を説得するには時間をかける必要がある。


 近づけば近づくほど大人は身構え、険しく、厳しい表情をする。

 ルアザはその反応に不思議に思いながらも、今悪い方向へと流れていると感じ取ってしまう。


 今は剣は鞘にしまってあるが、その射程圏内に届き、そのまま進みとうとうルアザの目の前までやってくる。


 ルアザも判断しきれなく、近距離で話すのが常識なのかもしれないとも思い、別の行動に移せなかった。


「息子に近づくな! 忌み子め!」


 そして、大人なその太い豪腕で心臓を激しく脈動させているルアザの胸を突飛ばし、ルアザを後ずらせる。


「……!? (えー!?)」


 ルアザはその突飛ばしに反応し、対応できるはずだったが、最初に来る言葉が予想以上に最悪で戸惑いを隠しきれなかった。


 ルアザのかけられる初対面の言葉は罵倒から始まったのだ。


 ルアザは長い旅で磨耗し、疲れ果てた心に言葉の暴力を浴びせられて、本当に磨り消えそうだった。


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