第28話 後悔
どうしても登校を確認したい御婆様との折衷案として、校門手前の角まで送ってもらうことになった。何度も振り返って御婆様に手を振り、生徒玄関で上履きに履き替えて、教室の前にたどり着く。
たったの一日、他の生徒とは違う一日を過ごしただけなのに、なんだかぜんぜん知らない別の建物を歩いているみたいな感覚になって、背中がぞわぞわしてしまった。
そんなはずはないのだろうけれど、私を拒絶するみたいな教室の引き戸をそろそろと開けると、教室内のクラスメイトたちの視線が一気に集まり、サーッと波が引くみたいにそれまでの喧騒が遠退いていった。
昨日、私が自宅謹慎だったことは、たぶんすでに噂となって周知の事実なのだろう。
注がれる視線の類いは、奇異や驚きが色濃く浮き上がっているみたいに感じた。
そんな、ほとんど強制的に食指を刺激されてしまうみたいな雰囲気の中、ただ一人だけ無反応なクラスメイトがいた。
かのちー、いや、
かけた眼鏡の位置を直すみたいにクイッとわずかに動かして、宇津木さんは自分の席で教科書を開いて予習をしているみたいだった。
教室内が水を打ったみたいに静まり返ったことにもまるで無反応。
俯いて迷いもなく真っ直ぐに教科書に落とされる眼鏡越しの視線は、私の姿を映そうともしない。
それはあたかも、この世に存在してさえいないみたいに。
おとといの男子更衣室での件で
そのおかげか、昨日の
さらに、更衣室のロッカーにぶつけてしまった宇津木さんのカメラが壊れたりしていないか、気になることは後からいくらでも湧き上がってくる。
けれど、とてもそれを許してもらえそうな空気感ではなかった。
無視を遙かに通り越した、存在を否定されているみたいな感覚。
はっきりと敵意を向けられていたり、隠すことさえない嫌悪の視線を向けられたりした方が、認識されている分いくらかマシに思えてしまう。
それほどまでに宇津木さんを傷付けてしまったのかと思うと、まるでかける言葉が見つからない。こんな風に気にすることこそがことさら迷惑になるのかもしれない。
だって「二度と話しかけないで」と宣告されてしまったのだ。
話しかける勇気がないことの言い訳にするつもりはないけれど、事実としてどうすることも出来ない。
宇津木さんの席を迂回するみたいにクラスメイトの間を抜けて自分の席に座り、鞄から教科書を出しながら視線を俯けていると、
「ねえ」
おそるおそるといった風に別のクラスメイトに声をかけられた。
確か、仮想お野菜クラスメイトとして、キャベツさんとニンジンさんに仮認定していた女子二人だ。いまだに名前を認識していなくて、どうして良いかもわからずに瞬きを繰り返すことしか出来ない。
「
どういった経緯で噂が広がったのかはわからないけれど、人の口に戸は立てられないのだから仕方ない。キャベツさんは窺うように慎重に言葉を選んでくれているみたいだった。
「ええ。……恥ずかしいのだけれど」
「そんなことよりさ!」
質問の意図を探ろうとキャベツさんを凝視するけれどさっぱり読めず、口角を引き攣らせながら何とか持ち上げて辛うじて笑顔を作りながら応じると、キャベツさんを押し退けるようにしてニンジンさんが好奇心を隠しきれない様子で割って入ってきた。
「どうでもいいよそんな話! それより惣引さん、すっごいスタイル良いよねっ! もしかしてモデルかなにかやってたりするの?」
「そうそう! 超かわいーよねー! どーしたらそんな顔ちいさくなるのー?」
「えー、化粧品なに使ってるの? って、もしかしてノーメイク!? すごっ!」
「あーん、わたしも惣引さんみたいになれたらなー!」
私が自宅謹慎だったことは単に会話の糸口だっただけで、そんなものは実際のところまったくどうでもよかったのだろう、二人並んで私に覆い被さる勢いで前のめりに質問を畳み掛けてくる。あまりの勢いと圧に仰け反ってしまうほどだった。
これまでも話しかけるチャンスを窺っていたのだという二人が、次から次へと交互に質問攻めを繰り返す。
ちっともうまく返事が出来ている自信もなく、おろおろとしながら無意識に視界の端に宇津木さんを捉えてしまう。
当然ながら、少し離れた斜め前の席の宇津木さんは、こっちを気にする様子もない。
そこに負い目を感じる必要なんてないのだろう。
それはきっと傲慢に過ぎる考えだろう。
何を聞かれても生返事しか返さない私に、さすがに二人とも熱が冷めてきたのか、「惣引さん、今度いっしょに買い物行こうよ」と、お出かけに誘いながらも返答を待つことはなくヒラヒラと手を振って席に戻っていってしまった。
せっかく話しかけられたのに、うまく会話出来なかった。
もったいないとか仕方ないとかじゃなく、もちろん恩着せがましいつもりだってさらさらなく、ここで私が楽しそうに会話に応じるのは違う気がした。
宇津木さんに迷惑をかけておきながら私だけが楽しそうにするのは、なぜだかとてつもなく後ろめたい気持ちに苛まれてしまうのだ。
そのまま放課後まで、私は誰とも会話することなく一日を終えた。
これでいいんだ。
誰とも接することなくやり過ごしていれば、きっと誰にも迷惑をかけずにいられるのだから。
放課後の人気のない校舎裏で、漫然と力無く箒を動かしながら、ダメだとわかっているのにチラチラと背後に視線を動かしてしまう。
追ってなんてくるはずがないと何度も自分に言い聞かせながらも、当然のごとく見つかるはずのない瀬尾くんの姿をわざわざ確認して、重いため息を零して自己嫌悪に陥る。いったいあと何度繰り返せば気が済むのだろう。
瀬尾くんのこと。
宇津木さんのこと。
そして、自分の成すべきこと――。
何一つ噛み合わなくなってちっとも動かなくなってしまった歯車を前に、分解して組み立て直せばいいのか、油を差して動きを良くしてやればいいのか、はたまた私が手を出すべきではないのか。
いったい何を、どこからどう手を付けていけばいいのかさっぱりわからずに途方に暮れてしまう。
これが都会の洗礼を浴びるということなのだろうか。
そんな風にまた自分ではない誰かの、何かのせいにしていることに思い至って、自己嫌悪の限界を超えてしまいくずおれそうになる。
助けてほしい。
けれど、誰でもいいわけじゃない。
ほら、殊勝な気になったつもりでなんて図々しいんだろう。どんどん自分が嫌になる。
だからこそ、助けてほしい。
もうどうにもならないし、できない。
「ねぇ」
いつの間にか箒を動かす手さえ止まって、前のめりに倒れてしまいそうなほど俯いていたところに声をかけられた。
最初、それが私にかけられたものだとは思わなくて、ぜんぜん反応することが出来なかった。
「……ねぇ?」
改めて、確認するみたいに声をかけられる。
……まさか本当に来てくれたの?
一縷の望みに縋り付くみたいに顔を上げる。
それはまるで、光を求めて祈りを捧げながら天を仰ぎ見る人みたいだったかもしれない。
ひどい顔してないといいな、そんな風にも思いながら視線を上げた先に、
――長身の男子生徒が笑みを浮かべて立っていた。
見たことのない人だ、もちろんクラスメイトではない。
「君、一年の惣引さん、だよねぇ? お話したくってさぁ」
願いは叶わないし、奇跡なんて起こらない。
だって、私はまだ犯した罪に対する罰を受けていないのだから。
はつゑ御婆様から手渡されていた催涙スプレーとスタンガンは、ジャージに着替えて荷物と一緒に更衣室に置いてきてしまった。
今の私の手元には、この頼りない箒が一本あるだけ。つまり、ほぼ丸腰だ。
ちゃんと、助けてと言えば良かったのかな。
お願い、なんて遠回しじゃなく。
後悔ばかりが押し寄せる。
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