第11話 チラッと見せて
「ごめんなさい。けれど、もう大丈夫。ちょっと驚いちゃって吐きそうになっただけなの」
「驚いて吐きそうになるの!? それぜんぜん大丈夫じゃないわよ!?」
私の説明を受けて
確かに大丈夫ではないのかもしれない。
間違いなく触れることが出来たはずなのに、ただの大声で反応しかけてしまった。
もしかすると、保健室での一件が脳裏を掠めて過剰に反応しているだけなのかもしれない。
あるいは、つい先ほど触れた時の拒絶反応が時間差で起こったとか?
どうしたものだろう……、これでは
「え、っと……、お願いがあるの。瀬尾……、くん?」
「……なんでボクの名前を呼ぶのに疑問形にするんだよ?」
もちろん、本当は女の子かもしれない相手をくん付けで呼ぶことに若干の抵抗があるからだ。
けれど、現状では本人が男だと言い張っている以上、なんとか頑張ってくん付けで呼んでみることにしたのだ。
ただ、そんなことは今はたいした問題じゃない。
「その、保健室でのことだけれど」
「保健室って、それってクラスで噂になってる話のことでしょ? ……何があったのよ?」
ひとしきり制服の匂いを嗅いで気が済んだのか、宇津木さんが興味深そうに眼鏡をクイクイ直しながら食いついてきた。
「ぜんぜん大したことじゃないのよ? ただ、ちょっと――」
「胸を揉まれて顔にゲボ吐かれた」
説明途中の私を遮って、瀬尾くんがあの日の惨状を思い出しているのだろう、苦々しく表情を曇らせながら吐き捨てる。
「大したことよ!? 何してんのっ!? って、え、なに? 吐いたの? やっぱり具合悪いんじゃないのアンタ!?」
「お願い、聞いてちょうだい。……じつは私、ちょっと、癖というか、体質というか――」
取り乱すように声を荒げる宇津木さんを制して、私は保健室であんなことになってしまったそもそもの原因の説明を試みた。
自分の拒絶反応について人に話すのは初めてのことだった。
男性に近付かれただけで気分が悪くなり、ほんのわずかでも触れようものなら条件反射で吐いてしまう。そんな厄介な体質であることの掻い摘まんだ説明を、瀬尾くんと宇津木さんは訝しそうに眉根を寄せながらも黙って聞いてくれた。
「……男性恐怖症ってこと、なの?」
「恐怖、なのかしら……? 全ての男性に対して一律に恐怖を感じるわけではないの。だから少し違う、と思うわ」
例えば、子供のころに食べて食中りした食材を改めて食べてみると、味覚としては美味しいと感じるものの食中りの記憶を思い出してしまい、反射的に吐き出してしまうような感覚。あえて喩えるのならば、それが一番近いように感じる。
「だから、触れても反応しない瀬尾くんに触れ続けていたら、もしかしたらこの体質が治せるかもしれないと思って」
「いやいや、保健室でおもいっきり吐いたじゃん!?」
「でも、あんなことありえないもの」
「うん。確かにあんなことありえないよ? 今でも夢だったと思いたいくらいだよ?」
「触れられるどころか、あんな抱き締められても平気だなんて――」
「だっ、抱き締められるっ!?」
宇津木さんがとんでもない反射速度で聞き捨てならないと言わんばかりに割って入る。
「いや、違くて! 変な言い方すんなよ!? お前が倒れそうになったの支えようとしたら結果的にそうなっただけだろ!」
「アンタさっきのあたしの時もだけどいっつも倒れそうになってんじゃない! 平衡感覚狂ってんじゃないの!?」
あまりに心外なのだが、矢継ぎ早に私の三半規管に疑いをかけられてしまう。
「そんなことないわ。あ、そうだわ! この箒で、アレってなんて言うのかしら? バットを額に当ててぐるぐる回って真っ直ぐ走るやつ、やって見せてあげるわ!」
「アンタそれ絶対目が回って吐くフラグでしょ!?」
「そんなことないわ。小学生の時の運動会のバットぐるぐる競争では6人中3番でゴールしたのよ。こう見えてもけっこう得意な方だわ」
「6人中3番でよくそんな自信満々な顔できるわね!? その順位は極めて普通よ!?」
「そんなことないわ。一位のちよちゃんも二位のまほちゃんも三位の私も、みんな観客席のテントに脱線しながらもほとんど横一線でゴールしたんだもの」
「全員フラフラじゃない! それはもう普通以下よっ!?」
「け、けれど、バットぐるぐるの早さは私が一番だったのよ。今から証明してみせるわ!」
バット代わりの箒を額に押し当てたところで、
「おかしな事しなくていいから。まずそもそも、お前のその体質を治すのにどうしてボクが協力しないといけないんだよ?」
どこまでもぞんざいな口調で瀬尾くんに遮られた。
「それは、……あなたからは、普通の男性からは嫌ってほど感じる圧迫感というか、抵抗をぜんぜん感じないから」
「普通の、男性……?」
「そう。なんて言えば良いのかしら、まず男性っぽい雰囲気がまるでないでしょう」
「まるで、ない……?」
「ええ。その見た目はもちろんとして声だってまるっきり男性って感じがしな――」
「断る」
まるで熱のこもらない平坦な声でぴしゃりと遮られ、あえなく私は言葉を詰まらせてしまう。
しかも、その即答を問いただすことさえ許さないと言わんばかりの半眼でジットリ睨み付けてくる。
たぶん何か気に障るようなことを言ってしまったのかもしれないけれど、そんなムスッとした表情でさえもどこか愛らしく見えて、うっかりキュンとしてしまう。
「……じゃあ、触らない代わりと言ってはなんだけれどいいかしら?」
「何の代わりだよ? ここまでの流れのどこに代わりを要求出来る要素があったの?」
ため息と一緒にあきれた様子で瀬尾くんが視線を外す。
躊躇っていても仕方ないので、私は変に飾り立てることなく目的を伝えることにした。
「――おちんちん見せてくれないかしら?」
「「はあ!? なに言ってんのっ!?」」
先ほどと同様に、やはり二人揃って身体を仰け反らせながら口まで揃える。
さすがは幼馴染みっていうだけはある。息ぴったりだ。
「宇津木さんだって気になってるんでしょ? お願い、チラッとでいいから」
「嫌に決まってるだろ!? て、宇津木も気になってんのっ!?」
「ちょっ、お、おおっ、おかしなこと言わないでっ!?」
「あなたが、その見た目の通りに本当は可愛い女の子なのだとしたら、反応しなかったのは当然だから話はそこで終わるのよ」
「生まれて初めて女のフリしたくなってきたんだけど……」
「けれど、男だって言い張るんでしょう? そこまで言うならおちんちん見せてくれればいいじゃない?」
触れさせてもらえないなら、せめて瀬尾くんが本当は男の子か女の子かだけはきっちり確認して、この胸のモヤモヤくらいはすっきりさせたい。
そのためにはもう、四の五の言ってないでおちんちん見せてもらえれば何より手っ取り早い。
付いてれば確実に男の子だし、そうじゃなければ女の子なんだから。
「いつの間に、そんな売り言葉に買い言葉みたいな流れになったの!?」
「良いのかしら? このままだと私、あなたのこと、女の子だと思うことにするわよ?」
「思うことにするって、なんなのその脅迫!? え、脅迫なのこれ!? ……うん? ボクにデメリットって特にないよ、ね?」
一向に着地点の見つからない言い合いを続けていると、背後から突然、
「
私の名を呼ぶ甲高い声が響き渡る。
三つ巴で対峙していた私たちが揃って声の響いてきた方に視線を向けると、そこには白衣姿の
「前庭の方をお願いって言ったでしょう? 持ち場を離れて何をしてるの?」
おそらく清掃作業の進捗を見回りに来たのだろうけれど、指示した清掃箇所に私がいなかったから探しにやって来たようだった。
これはマズい。
結局、前庭がどこを指しているのかはわからないままだし、仮にここが前庭だったとしても、私が清掃作業をちっともしていない事実は揺るぎようがない。
しかもこの状況だと、本来関係のない宇津木さんにまで迷惑がかかってしまうかもしれない。
保健室ではあれだけ優しかった岡林先生の怒った顔を前にして、慌てるばかりでちっとも思考がまとまらない。
どうしよう、とりあえず簡潔に説明しないと――
「す、すみませんっ、私……、どうしてもおちんちんが気になって!」
「……は?」
怒っていた岡林先生の表情が変わった。
「あのっ! 宇津木さんはパパ活してただけで関係ないんですっ!」
「えっ!? 宇津木ってそんなことしてるの!?」
「ち、ちがっ、アンタほんとになに言ってんのっ!?」
宇津木さんに肩を掴まれて揺さぶられる。
しかし、私は何一つ間違ったことなんて言っていないはずだ。ありのまま、いま起こったことを話しただけなのだ。
岡林先生はぽかんとした表情を浮かべて、何を言っているのかさっぱり理解出来ないって顔をしている。
私も何を言ってしまったのかわからなかった。頭がどうにかなってしまいそうだった。
ああ、まただ。またやってしまった。
すぐに慌ててしまう悪い癖を治そうって思ったばっかりだったのに。
「……惣引さん。宇津木さんも一緒に、生徒指導室まで来なさい」
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