第12話 二人の疑問

「おはよう、宇津木うづきさん」

 

 あたしの席の前に立ち、にっこりと笑顔で挨拶してきたのはなんと惣引そうびきみさをだった。

 

 入学初日になにやら問題行動を起こしたと噂になり、昨日まではジッと席について誰とも会話もせず、何か考え事でもしているのかミステリアスな雰囲気を醸し出していた子だ。


 さらに一年生の中でも飛び抜けて目を見張るほどの美少女なのだ。


 しかも問題行動を起こした相手が、これまたその見た目のせいで話題を呼んでいる瀬尾せおくんなのだ。おそらく入学後の一年生たちに持ちきりの噂話は瀬尾くんか惣引節のどちらか、またはその両方だろう。

 

 そんな話題性に事欠かないミステリアスなクールタイプ然としていた子の方から、あたしみたいな目立たない女子に挨拶してきたのだ。


 にわかにクラス内がざわめき立ってしまうくらい当然だろう。

 こんな美少女の横に恥ずかしげもなく並び立てるほどの容姿とはとても言いがたい、あまりにも不釣り合いすぎる地味なあたしははっきりと困惑してしまった。

 

「お、おは、よう……」


 そのうえ昨日、この女と一緒に生徒指導室に連れて行かれ岡林おかばやし先生の誤解を解くのに散々だったのだ。

 持ち場を離れていたことでずいぶんと怒られてはいたが、今のところその件は噂にはなっていないようだった。

 まあ当然だろう、あたしみたいな地味な女の関わっていることなんて噂する価値などあるはずがない。

 

「その、昨日はごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げてしおらしく謝罪を述べる惣引節の姿にいっそうクラス中がざわめく。


 ちょ、やめてよ……。


 あたしはこんな一挙手一投足に注目を集めるような騒がしい人生を歩んできていないのよ。これ以上、目立つようなことは――


「それで私、昨日一晩考えてみたの。おちんち――」

「ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 ――危なかった。


 ギリギリセーフ、だったと思いたい。

 あたしの叫び声でなんとか掻き消せたはずだ。


 アンタ一人がおかしな言動で悪目立ちするのは知ったことじゃないけど、あたしまで一緒に悪目立ちに巻き込まれてはたまったものじゃない。


 まだ、平穏に戻れるはず。あたしみたいな地味な女の叫び声なんて、すぐにクラスの興味から霧散するはずだから……。


 ひとまずこの場から離れて色めき立ってしまった教室内が落ち着くのを待とう。


 噂の美少女の謎の行動にわき上がったクラスメイトたちのざわめきを掻き分けるようにして、そんな状況などまるで気にする風もなく、あまりにも良い笑顔で朝から迂闊すぎる単語を繰り出そうとしてきた惣引節の手を引いて教室を飛び出す。

 

「いきなりなに言い出すのよ!? 恥じらいとかどこに忘れてきたの!?」


 階段の踊り場までやって来ていまだに笑顔を浮かべたままの惣引節を窘める。


「どうすれば瀬尾くんのおちんちんに手っ取り早く辿り着けるか。一晩、考えに考えた最高の作戦の意見を聞きたくて」

「一晩中そんなこと考えてたの!?」


 まるで昨日観たテレビのバラエティー番組がどれほど面白かったかを伝えるみたいに、惣引節はウキウキと興奮気味に答える。


 口が塞がらないって状態はこういうことを指すのだろう。


「大切なことよ。だってこの目できちんと確認しないと本当に男の子かどうかわからないわ」

「ちょっと待って。確認の必要もなく瀬尾くんは男の子だから」

「――えっ、宇津木さん、……おちんちん見たの?」

「見てないわっ!!」


 一人だけズルい! とでも言わんばかりに惣引節は口を尖らせる。


「だったらわからないじゃない?」

「そ、それは……」


 確かにこの目で実際に確認したことはない。あるはずがない。


 そもそもどんな人生を送っていれば、同級生の男子のそんなピンポイントな部位を目視で見極めて確認する必要があるのか。

 いや、必要の有る無しではなく、瀬尾くんがずっと男の子として学校生活を送ってきたことをあたしは知っているのだ。


 瀬尾くんとあたしは同じ小、中学校の出身で自宅もごく近所の、しいて言うならば幼馴染みだった。


 ただ、幼馴染みとは言ったものの特別な親交があったわけでもなく、お互いに顔と名前だけは知っている間柄と言ってしまった方がいっそ正しいぐらいだった。


 だから瀬尾くんがあんな見た目をしていようと、本当は男の子だとあたしは知っている。

 疑う余地が一切無いかと問われてしまうと言葉に詰まってしまうが、ほぼ確実に間違いない。


 特に印象的だったのは、小学校でのプールの授業だった。


 小学一年生の時の最初のプールの授業で、女の子が男子の水着で泳がされていると参観中の保護者からクレームが入ったのだ。

 瀬尾くんはその時以降、学校側からの指示でプールの授業中はラッシュガードを着させられていた。


 あの時の、わずか六歳ながらでこの世の不条理に苛まれたかのような表情を浮かべ、憮然として準備運動をする瀬尾くんの姿だけははっきりと脳裏に焼き付いていた。


「宇津木さんも直に確認はしていないわけでしょう? だったら、本当は女の子かもしれない可能性は捨てきれないわ」

「いや捨て去って? そんな性別を偽る漫画みたいなこと現実にありえないから」

「そこで、私たち二人の疑問を解消するための作戦の出番よ」

「いつの間に二人の疑問になったのよ!? ナチュラルにあたしを巻き込まないで!?」

「宇津木さんは気にならないの? 瀬尾くんのおちんちん?」


 言い方っ!! 気に、なら……、なくも、ない……、いやいや! 論点はそこじゃない!


「ね、念のために聞くけど、一晩考えてきた作戦ってなによ?」


 話題を逸らすためと、どんなろくでもないことを言い出すのか少し興味もあったので聞いてみることにした。


「コホン。宇津木さんが瀬尾くんに話しかけて気を逸らしてる背後から、そぉっと私が近付いてひと思いにおちんちんに掴みかかろうと思うの」

「一晩考えてその程度!? 捨て身過ぎるにもほどがあるでしょ!?」


 得意気に胸を逸らせて、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに言い放つ。


 ろくでもないに決まっていると予想はしていたが予想以上にろくでもなかった。


「捨て身かもしれないけれど背に腹は代えられないわ」


 まるで目的のための自己犠牲を耐え忍ぶみたいな殊勝な言い方だけど、どう転んでも一方的に搾取する側がしていい言い草じゃない。


「触るなって怒鳴られただけで吐きそうになってたアンタにそんなこと出来るの……?」

「昨日は油断しただけよ」


 そんなヘマは二度としないと言外ににじませる即答だった。しかし保健室ではリアルに吐いたらしいから、残念ながら説得力など微塵も感じられない。

 

「ところでさ、瀬尾くんに触れても反応しないって言ってるけど、仮に瀬尾くんから触れられた場合はどうなるのよ?」

「……普通だったら、吐くわ」


 どうにしろ吐くことがデフォルトなのだろうか?


 何をもってして普通なのかはさっぱりわからないし、触れた、触れられたを区切る明確な差がどこにあるのかもぜんぜんわからない。


 それなのに、ふいにハッと何かに思い至ったかのようにひとつ手を打ち、惣引節は大きな目をまん丸にしながらあたしの両肩を掴んできた。


「宇津木さん! 良いこと思いついたわっ!」


 大きな目をらんらんと輝かせながらぐいっと顔を近付けてくる。逃がす気などないみたいな距離感の近さに、なぜだかどぎまぎしてしまう。


 ……けれど、嫌な予感しかしない。


 一晩考えた挙げ句に背後から急所に掴みかかるだなんて、まるで野生の獣みたいな作戦と呼ぶのもおこがましい程度のことしか思いつかないくせに、たったいま思いついたことが絶対に良いことなわけがない。


 そもそも、良いこと思いついたって言う人の良いことが他人にとっても良いことである可能性なんてほとんどない。


 もっと言えば、それが本当に良いことかどうかもどっちだっていい。


 アンタが何をしようと知ったことじゃないのだから。


 とにかく、あたしを巻き込まないでよ……。


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