第13話 ミッヒー

 本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、あたしは鞄に荷物を投げ込んでダッシュで教室を飛び出――、そうとして惣引そうびきみさをに捕まってしまった。

 

宇津木うづきさん、荷物まとめるの早いのね。置いて行かれるかと思ったわ」


 置いていこうとしてたのよ……。


 まさしくタッチの差だった。


 最後に教師が予習箇所のページを思い出したように言い出さなければ逃げ切れていたかもしれないのに。じつに悔やまれる。


 そして、この女があたしに話しかけることによって今日何度目かわからないクラス中の視線が集まりはじめる。


 朝いきなり話しかけてきたこの女は、その後も休憩時間のたびにわざわざあたしの席までやって来て、なにがそんなに嬉しいのかニコニコと満面の笑みを浮かべて話しかけてきた。


「今の先生の板書、だんだん右上がりになってたわね」

「私の席、窓際だからすごく日差しがまぶしい時があるのよ」

「さっき、すごくくしゃみが出そうになっちゃって我慢するの大変だったわ」


 そんな、取るに足らない、記憶にも残らないような内容のない話を。

 へえ、そうなの。と返す以外に、何を言えば良いのだろう?


 そんな調子なのだから当然、昼休憩にもやって来た。


 昨日は市販のサンドイッチを適当に摘まんでさっさとお昼を済ませ、瀬尾せおくんをカメラで狙うために隣のクラスをチラリと覘きに行った。

 瀬尾くんは同じクラスなのであろうギャルっぽい数人の女子に囲まれて居心地悪そうに黙々とお弁当を食べている姿が見えた。


 はっきり言って、邪魔だった。


 あたしは構図の中には瀬尾くんだけを収めたいのだ。


 どうせ瀬尾くんの見た目を面白がって一時的に群がってるだけだろう。中学時代にもままあった光景だし。しばらくすれば飽きて散り散りになるだろうから、それまでは辛抱するしかないか……。


 それで昨日の昼休憩は諦めて退散したけれど、そうは言っても気にはなる。


 昨日のギャルの群れが瀬尾くんにおかしなちょっかいを出したりして、あの無垢な可愛らしさが損なわれてしまうようなことになったりしてないだろうか? 具体的に言えば、ケバケバしいメイクを施されたり、おかしなギャル語を強要されたり……。


 今日のお昼はどんな様子になっているのか気が気じゃない。

 もう一度確認に行くためさっさと昼食を済ませようと、昨日と同じ市販のサンドイッチを取り出していると、お弁当箱を抱えた惣引節が満面の笑みを浮かべて立っていた。

 

「宇津木さん、お昼それだけ? 足りるの……?」


 そう言いながら、空いていたあたしの前の席の椅子に勝手に座りながら、文字通り抱えていたお弁当箱をドンッと机に置いて唐草模様の包みを解いた。


「……唐草、模様?」

「あんまり見ないで、恥ずかしいわ」


 いや、包みの模様もだけど、恥ずかしがるべきはそのお弁当箱のサイズだから。


 重箱というのは大袈裟かもしれないが、高級店のうな重が入ってるやたらどっしりと重厚な漆器の容器みたいな、とにかく年頃の女の子が一人で食べきれるとは到底思えないサイズのお弁当箱だった。……ううん、お弁当箱、なのかな、これ?


「昨日はお気に入りのミッヒーの包みだったのだけど換えがなくって」


 あくまで包みの模様に照れながらちょっぴり頬を染める。


 いや、サイズの方! 唐草模様がかすむレベルのサイズの方に照れて!?


 あと『ミッヒー』ってどっち!? ウサギの方なの!? それともネズミの方!?


「アンタ、お昼そんなに? 一人で食べるの……?」

「ええ、そうよ? 重くなっちゃうからこれくらいにしてもらってるの」

「……はっ? ちょっと待って。そ、その言い方だと、本当はもっと食べたいのを我慢してるみたいに聞こえるんだけど……?」

「ええ。けれど、腹八分目って言うでしょう」

「これで……、八分目……、なの……」


 腹八分目なんて言葉を今の時代に使う人間がいることに驚きを隠せないけれど、一般的なお弁当箱の倍くらいの容量なのに、それで腹八分目ってどういうことなの……?


 そりゃあこの女、あたしよりも若干身長が高いからその分は当然あたしよりも食べるとは思うけれど、そのほっそい身体のどこに納まっていくの……?

 てゆうか、普段からそんな量を食べててそのモデルみたいにスラリと整ったスタイルを維持してるの……? 嘘でしょ……??


 この世は本当に不平等だと思う。

 あたしなんて、そんな量を食べようものなら体重はもちろんとして、翌日の肌荒れとか想像するだけで気が滅入りそうになってしまう。

 なのにこの女は、こんなに食べてもモデルみたいなスタイルをキープしたうえで、まだ腹八分目だなんて……。


 憎々しく思いながらハムサンドに噛みついていると何を勘違いしたのか、

「宇津木さん、本当にそれだけで平気なの? ……少し、食べる?」

 と、あたしが羨ましく思いながら見つめているとでも思ったのだろうか、お箸で摘まんだ椎茸の煮物を差し出してきた。


 丁寧に飾り切りされて、しっかりと味がしみこんでそうな肉厚な椎茸だった。


 しかしこの女、差し出してきたお箸を小刻みに震わせて、明らかに自分の発言を悔やんで唇を噛み締めている。


「……い、いや、あたし、小食だから」

「そう? じゃあ仕方ないわね」


 言い終わるのが先かくらいの早さで椎茸を口に運び、んん~……っ! と顔中からハートマークを零すみたいに幸せそうな顔を見せつけてくる。勧めておいて逡巡するくらいなら初めから余計なこと言わなきゃ良いのに……。


 ああ、それにしても、とにかく食べることが大好きな人の顔だ。

 口に運んでもぐもぐするたびに見せる幸せそうな顔を見ていたら、それだけでこっちの食欲が満たされる気さえしてくる。


 試しにあたしの残したサンドイッチを勧めてみたら「えっ、本当にいいの? いいの?」ってパチパチ音がしそうなほど瞬きを繰り返して見せ、あっさり完食してしまった。


「宇津木さん、とってもいい人なのね」


 丁寧に口元をハンカチで拭いながら人懐っこい笑顔を見せる。いや、これはただ単に満腹で満たされた顔なだけかもしれない。ちなみに、ハンカチの柄は市松模様だった。


 もちろんその間も、少しだけ距離を取った様子でクラス中の視線がチラチラと注がれ続けていた。


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