第21話 父親
そして放課後、清掃活動三日目にしてボクは初めて心穏やかに清掃活動を終えた。
清掃活動をさせられているのはボクが原因じゃないんだから、心穏やかってことは全くないんだけど、初めてきちんと指示された分の清掃活動が滞りなく終わった時にはやり遂げた充実感に満たされてしまった。
というよりも、何の邪魔も入らなければこんなに手際よく終わる程度の活動だったのだ。
どんだけ作業の邪魔になっていたんだろうあいつ。ずっと謹慎してればいいのに。
いやそれだと、明日もボク一人が清掃活動しないといけなくなるからなんだか割に合わない気もする。本当にいてもいなくても迷惑なやつだな……。
今日の作業を全て終えたことを
たぶんだけど、何の問題も起こることなく初めて作業が順調に片付いたことに岡林先生自身が一番驚き同時に感動を覚えたのだろう。
うん、その気持ちよくわかるよ。はっきり言って同感だもん。
生徒指導係を何年担当しているのか知らないけど本当に不憫でならない。
作業が片付いたのだから当然もう帰っても良い、お疲れ様と笑顔でねぎらわれ、さっさと着替えて帰ろうと生徒玄関で上履きに履き替えていると、少し離れた応接室の前で遠目にもはっきりわかるほどしょげ返って俯いている女子生徒の姿が見えた。
見間違えるはずもない、全ての元凶である
本当に絵に描いたみたいにしゅんとして視線を落としていたけど、そうやって大人しくしてさえいれば、物腰の落ち着いた清楚な面だけがやけに強調されてドキリとしてしまう。どうして普段からそうして大人しくしていられないんだろう……。
そんな沈痛な面持ちでさえ美しさに拍車をかけてるみたいなあいつの側で、隣のクラスの担任と壮年のスーツ姿の男性が話をしていた。
自宅謹慎だったってことは、入学後たったの三日間で度重なる問題行動をこれでもかと起こしまくった結果、まあ順当な流れとして保護者の呼び出しとなったのだろう。
つまるところ、あの壮年の男性はあいつの父親で間違いないはずだ。
……さて、どうしよう。
言うまでもなく、あいつの父親への挨拶について悩んでいるわけじゃない。
「お、お父さんっ、む、娘さんをっ、大人しくさせてください……っ!」
って懇願するべきかどうかについて悩んでいるわけでもない。そもそもそんなこと言えるはずがない。
悩んでいるのは、応接室の前を通らないと更衣室に行けないってことだった。
厳密に言えば、反対方向の階段を使って迂回すれば、応接室の前を通ることは回避できるんだけど、校舎の端まで歩かなければならずあまりにも遠回り過ぎる。
だいたいこんなことになってる元凶はあいつなんだから、ボクの方が気を揉んで校舎を遠回りしないといけない理由なんてないはずだ。
ただ、揺るぎない事実としてボクは被害者という形で完全なる関係者だった。
そのままスーッと通り過ぎることを許されるのかどうかが定かではない。
軽く会釈しながらやり過ごすのも、完全に無視して足早に通り過ぎるのも正解じゃない気がする。ていうか、事の経緯を見守る以外に正解なんて存在しないんじゃないかな……?
隣のクラスの担任が打ち解けているみたいな感じで談笑している様子から、特別に込み入って深刻な内容の話をしているわけではなさそうだけど、どことなく気が引けてしまう。
なんでか、クラスメイトとか友達とかの両親って必要以上に緊張しちゃうのってボクだけじゃないよね?
まあ、あいつはクラスメイトでも友達でもないんだけど。
そんなことを考えながら生徒玄関でもじもじしているとようやく話が済んだのか、立ち去っていった担任を見送ってふいに振り返ったあいつとうっかり目が合ってしまった。
――しまった!
ぼんやりくだらないことを考えていたらバレてしまった。
覗き見してるって思われたかな? いや、確かに覗き見してたんだけど!
そんな必要なんてあるはずないのに、無駄におろおろするボクに向かって「あっ」と口だけ動かしたあいつは二歩三歩とこっちに近付き、しかしどこか躊躇の混じる足取りのままのろのろと歩みを止めて俯いてしまう。
「節? ……あの子は?」
「あ、え、っと……、と、友達……」
あいつが歩み寄ろうとした先にいるボクの姿に気が付いて、あいつの父親が伺うような上目遣いをこちらに投げかけてきた。
おいおい、いつからボクとお前が友達になったんだよ?
そんなやたら可愛らしい仕草で、宣言と同意をまとめて投げて寄越すなんて卑怯だぞ。そんなことされたらもう強い否定なんて出来ないじゃないか。
「やあ、こんにちは。節の父親です。こっちに来て間もないのにこの子にもうお友達がいたとは思わなかったよ」
朗らかに微笑みながら近付いてくるあいつの父親を前に、ボクは引き攣ったような愛想笑いを浮かべてぺこりと会釈を返す。
「ちょっと御父様……」
「知ってると思うけどね、この子は今日一日謹慎処分でねえ。いやはや恥ずかしい限りだよ」
自虐的に頬を掻きながら人好きのする柔和な微笑みをたたえて見せるが、止めようとしてきた自らの娘を鋭い視線で制したのを見逃さなかった。
「この子はちょっとね、うーん……、なんというのかな、男性に対して過剰に反応しすぎて振る舞いが逸脱する傾向があってね」
少しだけ声のトーンを落とし話しにくそうに歯切れ悪く言葉を選ぶ。
男性に対して過剰に反応……、はい、よく存じてますけど?
そのおかげでこうして放課後にやりたくもない清掃作業に勤しんでいるんですからね!
あ、でも今日の清掃作業は快適でしたよ。だって一人でしたから!
なんて口が裂けても言えるはずもなく、あ、そうなんですか? へえ~……。と、さも初耳みたいな顔をしながら曖昧な笑みを返す。
「けれど、お嬢さんみたいなお友達がいてくれるなら一安心だよ。これからも節と仲良くしてやってくれるかな」
……ん? お嬢さん?
あれ、聞き間違えたのかな?
それって誰のことを言ってるのかな?
もしかして、ボクの背後に別の女子生徒がいて、ずっとそっちに話しかけていたのかな?
いやまさか、そんなコントみたいなことはありえないよね。
だったら……、あ、ジャージだからかな?
そっか、ジャージ姿だからだな。それで勘違いしちゃったのかな。
それじゃあ仕方ないか。そうかそうか、うん。
……んー? あれあれ? おっかしいなー、いったいどこが仕方ないんだろう?
曖昧な笑みを辛うじて死守したボクの強張った表情を肯定と受け止めたのか、あいつの父親はぽんぽんとボクの肩をなでるように優しく叩いて改めてにっこり微笑んでみせた。
あーっ! 触ったーっ!
娘の友達(と勘違いしている)の年頃のお嬢さん(と勘違いしている)の柔肌に勝手に触ったーっ! いくら娘の友達(と勘違いしている)とはいえ異性(と勘違いしている)に馴れ馴れしく触れるなんて、時と場合によってはとんでもないセクハラになるんだぞーっ!!
ただ実際は、娘の友達でも何でもない一方的に被害を被っている男子の肩に触れただけなので、どれほどの時と場合であろうとたぶん公権力は相手にしてくれないだろうな。
本当に相手がボクでいろいろと命拾いしたんだからな、全く自覚なんてないだろうけど感謝してほしい。
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