第22話 憔悴
「それじゃあ
チラリと腕時計に視線を落とし、一喝するように重い声音でぴしゃりとそれだけ告げると、返事も待たずに来客者用の玄関に歩いて行ってしまった。
今の今までボクの視界の隅でずっとおろおろしていたあいつは、突然、凜として背筋を伸ばし、父親の姿が見えなくなるまで恭しく深い礼をしていた。
んんん? どうしたどうした?
なんていうか、普通の親子の間で交わされる振る舞いに見えないんだけど……?
そういえば、うっかり聞き流してたけど『御父様』なんて呼び方してたな。
え、御実家は武家かなにかなの……?
深々と礼をしてたのにどうやって父親の姿が見えなくなったのを確認したのか、物音一つ立てない所作で上体を起こし、上目遣いでちょっぴり口をへの字に曲げて、忍びないとでも言いたげな気持ちを表情に滲ませる。
構わんよ、と軽く返すべきなのかどうかを考えるより早く、ボクは気恥ずかしさからサッと目を逸らしてしまった。
「ごめんなさい。御父様が迷惑かけて……」
どちらかといえば御父様よりもお前の方が遙かに迷惑かけてきてるんだけど、まあ今わざわざ言及することじゃないよね。
「あー、えーっと……、自宅謹慎だったって?」
「ええ。でも謹慎は今日一日だけで明日からは普通に登校できるわ」
「へえー、そうなんだ」
気のない返事に聞こえてしまっただろうか。
自宅謹慎のことは噂ですでに知っていたし、ずっと謹慎してればいいのに、なんてつい先ほどまで思っていた手前、良かったな! なんて軽々しく口にするのもおかしい気がする。
やっぱり気のない返事に聞こえてしまったんだろう、なんともいえない沈黙がべったりと寝そべってしまう。ずっしりと空気が重く感じ、なぜだか酸素が薄くなった気さえしてくる。
「かの……」
「え、なんて?」
よしっ! 何を言いかけて口籠もったのか知らないけど、この重い沈黙を打ち破ってくれるなら何でもいいよ!
「……
ああ、『かのちー』って言いかけて、わざわざ言い直したのか。
昨日の「二度とあたしに話しかけないで」って捨て台詞が相当堪えてるっぽいな。
仕方ないよね。ボクだったら謹慎じゃなくても学校休んで一日中布団にくるまって震えてるレベルで落ち込むだろうし。
沈黙を打ち破ってくれるなら何でもいいって確かに乗っかったけど、さっきよりも輪をかけて空気重くなったじゃん……。
「詳しくは、知らないけど、今日も普通に登校してたし、清掃活動もボク一人だったから」
「そう。……良かった」
良かった、は口を動かしてるだけでほとんど聞こえはしなかった。
ボク今日一人で清掃活動だったんだ! って情報もちょこっと織り交ぜてみたんだけど、何か思うところはあったりしないかなー……? うん、なさそうだね。別に良いけどさ。
あ、そうだ。清掃活動で思い出したけど、ボクずっとジャージのままだ。
制服に着替えるために更衣室に行こうとしててこの状況に巻き込まれたんだった。
あー……、これは仕方ないかー。
お散歩がてらに用もなくぶらぶらしてたわけじゃないからね。早く着替えてしまわないと。
間違っても、この息の詰まる二人きりの空間から抜け出すためじゃないんだよ?
それなのに、そそくさと立ち去ろうとしたボクの隣で、それ以上何か話すでもなく伏し目がちに俯くこの女ときたら……!
つややかな黒髪の毛先を指に絡めながら、たとえ初対面の人が見たとしても絶対に誤解しないだろうってくらいわかりやすく、叱られた小さな子供みたいにしょんぼりとしている。
なんだよ、ほんっとに卑怯だぞそれ。本当はわかってやってるんじゃないのか?
「あー……、その……、お父さんも知ってることなんだな。その、拒絶反応? ってやつ」
放っておいても全然良かったんだ。
だってボクにはまるで、小指の先ほども関係ないことなんだから。
それじゃあって手を振って我関せずとここから立ち去ったからって誰にも咎められるはずがない。むしろボクは明確な被害者なんだし。
でも、昨日まであれだけむちゃくちゃな勢いではつらつと訳のわからないことに猪突猛進してたやつが、たったの一日でここまで弱々しい態度で俯いて髪の毛をくるくるイジイジしてるだなんて。
そんな態度を目にした上で素知らぬフリしてこの場を去れるほど、ボクの男らしさは失われちゃいない。そもそも失ったつもりなんて一度もないんだけど!
それに何度でもいうけど全面的に被害者なんだよボクは。
加害者の言い分を聞く権利くらいあって当然だよね。一連の釈明だって聞かせてもらってないわけだし。
「……ええ。これは、御父様の言い付けをきちんと守り通した結果でもあるから」
ぴくりと毛先をいじる指を止めて顔を上げる。
叱られて拗ねた幼子みたいな顔をしてたけど、上目遣い気味に何かを見極めようとしてるみたいな視線とぶつかり、そのまま有無を言わせず射貫かれる。
あまりに整いすぎた造形は逆に恐怖を感じる。
そんな言い知れぬ力強い威圧感をビシビシ放つ視線に捕らえられ、自然と背筋がしゃんとしてしまう。
ひとしきりボクのことをジッと見つめて、気が済んだのだろうかツイッと視線を外すと意を決したように、こちらに引っ越してくる前の田舎での話を語り始めた。
さっきもそうだったけど、やっぱり自分の父親のことを御父様なんて呼ぶ人種が現実に存在していることに改めて驚いた。
けどそんな話の腰を折るようなことは言わないでおこう。
図らずも、すぐにその理由もわかってしまうのだから。
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