第30話 友達
あっ!!
と思った次の瞬間には、カシャンと軽い金属音が響いた。
センパイの手にしていたスマホが地面に叩き落とされた音だった。
そして、両手で箒を構えた姿勢でセンパイを真っ直ぐに睨み付けるアイツの姿。
一瞬でその場の空気が張り詰めた緊張感に包まれる。
おそらく反射的な行動だったのだろう、いきなり距離を縮めてきたセンパイに抵抗するために、アイツが手にしていた箒を突き出したんだ。結果、偶然にも位置が悪く、箒の柄がセンパイの腕に当たり手にしていたスマホが叩き落とされたのだ。
どうして偶然ってわかるのかというと、箒を構えたアイツの姿を見れば一目瞭然だった。
教科書に載せたいくらいの『ザ・へっぴり腰』
竹刀のごとく両手で構えた箒も「超局地的な地震ですか!?」と心配したくなるほどガタガタ震わせていた。
さっきの武道の達人みたいにスッて避けたのも、本当に偶然そうなっただけだったんだろうな。良かった、あまりにも突然すぎるバトルものへのジャンル変更じゃなくて……。
けれど、張り詰めた緊張感は絶賛継続中だ。
それまでのチャラついた笑みを引き攣らせて、箒の柄を強かにぶつけられた腕をさすりながら、センパイは叩き落とされたスマホから視線を戻しつつ、
「……痛えーんだけど?」
と、それまでは欠片も感じさせなかった凄みを利かせてきた。
――これはさすがにやばい。
場の緊張感が一気に増したのが肌で感じ取れた。
「え? ちょっとふざけてみただけじゃん?」
センパイはもちろんアイツの拒絶反応を知るはずがない。
スマホを拾い上げようとほんのわずかに体を動かしたセンパイの、ただそれだけのことにアイツはビクッと怖じ気づいてジリジリと後ずさる。
「チッ、あぁーあ、壊れてないかなぁ。……ねえ? どーすんの、これ?」
そもそも、男に対してのみ拒絶反応を起こす、なんてことがあるなんて普通は考えもしない。
だからこそ、スマホを拾い上げたセンパイはなじるみたいなキツい口調で、無遠慮にずかずかと距離を詰める。
「……こ、来ないで」
ボクは散々被害に遭ってきたから、それをたまたま知っているだけだ。
そう、知っているんだ。全部。
昨日のことだってある。本当はきちんと言いたいことがあるんだ。
――だから、全部知ってるボクが、他の誰でもないボクこそが、今ここで、アイツを助けてやらないとダメなんだ!
「ち、ぢょっ! ちょっみゃてよっ!!」
えいやっ! と校舎の陰から飛び出して、あらん限りの振り絞った声を張り上げる。
……結果、見事に声が裏返ったあげく噛んだ。
うわ、めっちゃやり直したい……。「ちょっと待てよ」って言おうとしたんだけど、ちゃんと伝わったよね……?
ほら、あれだよ、ずっと息を潜めて黙りこくってると咄嗟に声が出にくいことってよくあるでしょ? あれのせいだから!
今まさにアイツに掴みかかろうとしていたセンパイが、露骨に驚いた表情でボクに向き直り、へっぴり腰のまま怯えて首を竦めていたアイツは、ボクの姿を見るなり構えていた箒を取り落とした。
つかの間の逡巡。
アイツは愕然としていた顔を今にも泣き出しそうに歪めて見せて、けれどすぐに何かを諦めたみたいに視線を落としてしまう。
……え、ちょっと待って。なんなのその態度?
ピンチに駆けつけて颯爽、とは言い難かったものの、現れたのがこんな頼りないやつでがっかりしたの? ええ……、だとしたらヒドくない?
それとも昨日の「さよなら」の件について、この状況で何か思うところがあるの?
いやいやもしかして――って、ああああああ、もうっ! めんどくさいっ!!
頼りなかろうが、ここには今はボクしかいないんだ!
ぐだぐだ考えるのは後回し!
「なにしてんだよっ! こっち来いっ!!」
先ほどの裏返ったうえに噛んでしまった登場をやり直すみたいに改めて声を張る。
よし! 今度はなんとか舌が回った!
ビクンと肩を震わせて、一度ギュッと堅く目を閉じ、おずおずと踏み出した小さな一歩を皮切りに、手足をばたつかせる不格好な走り方で、それでも懸命に何かを振り払う勢いでアイツは駆け出してきた。
元々、そんなに距離が離れていたわけじゃないのに、今にも倒れて転げてしまいそうなもつれる足取りでボクの前までやって来て、改めてためらいの色を滲ませて俯いてしまう。
コイツ絶対、運動下手なんだろうな。走り方見ればはっきりわかる。なぜなら、ボクも苦手だからだ。
バットぐるぐる競争6人中3番って言ってたけど、コイツに負けた残りの3人って生活に支障きたしてたりしないのかな……?
まあ、そんなことはどうでも良いんだけど、駆け出してボクの目の前まで来といて今さら尻込みして俯くとかやめてくれるかな?
「えっと、センパイ。あー……、うまく説明は出来ないんですけど、コイツって男に対して拒絶反応があるんですよ。近寄らないでやってもらえますか?」
言葉通りのそのままの意味。
本当にうまく説明は出来ない。だから、センパイが聞こえたままに受け取って理解してくれると助かるんだけどな。
ボクの言葉を聞いた
ためらいの色はそのままに、何事かを推し量ろうと眉を寄せて、喉元まで溢れかける問いを必死に堪えているみたいだった。
……喉元まで溢れかけてるの、本当に問い、だよね? ……ゲボじゃないよね?
その堪えてる問いは、ずっと堪えてていい。
いちいち確認なんてしなくたってわかるだろ?
そうだよ。信じるってことだよ。
ボクのことを信じて、信じてたからこそ、昨日あんな大事な話をしてくれたんだろ。
だからこそ、センパイに対してうまく説明が出来ないんだよ。
誰にも彼にも、冗談交じりでもその場しのぎでも、おいそれと簡単にしていい話じゃないってことくらい、いくら察しの悪いボクでもさすがにわかる。
とまあ、そんなわけで、足りてるとは到底思えない説明だったけど、センパイが驚異的な物わかりの良さを発揮してくれて、この事態がまるっと収拾されたりなんてしてくれると本当に助かるんだけどな……。
ひとまず、立ち尽くしたままの惣引を背後に隠すように歩み出てセンパイに向き直る。
惣引とは身長差がそれほどない、……もしかするとコイツの方がほんのわずかに背が高いかもしれないから、背後に隠したところで頼りないかもしれないけど、こんな見た目のボクにだって男として盾になるくらいはできる、はず。……たぶん!
格好付けたかったわけじゃなく、そんな強がりだけで歩み出たところで、背中越しに惣引が小さく震えているのがわかった。
――この目で見るまでもなく雰囲気だけで。
隠しきれない恐怖が、怯えきって震えている様が、触れられることさえなくありありと伝わってしまう。
「あれあれぇ? みさちゃんの友達かなぁ?」
自分で言うのもなんだけど、ボクのあげた金切り声めいた叫びに露骨に驚いていたセンパイが軽薄さを取り戻して、まとわりつくみたいな間延びした喋り方で近付いてきた。
うーん、予想はしてたけれど、男に対して拒絶反応があるって説明だけじゃ、やっぱり都合良く理解してはくれないか。
それでも、近寄らないでくれますかって言ったはずなのに、まるで気にしてる風もなく近付いてきながら、ボクのことを上から下まで品定めするみたいに視線を這わせてくる。
ああ、そうだった。ボクは今ジャージ姿だった。
まあ制服だったとしても、正直ちょっぴり怪しかったかもしれないって自分が誰よりもわかってる。じつに腹立たしいんだけれども。
「はい、友達ですよ。あと、ついでに言わせてもらうと、ボク、男ですよ」
どうせ勘違いしてるに決まってるんだ。惣引の『女友達』が揉めてるのを見かねて仲裁に入ってきたって。
こんな立派に盾になれるボクを女扱いするなんて失敬だぞ!
――ボクはコイツの男友達だ!
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