第29話 チャラ
元々そんな敷地の端と端ってほど離れていたわけじゃないので、
本当にいつもいつもどこかにいなくなるやつだな。前世は猫だったのかな? それとも放浪癖でもあるのかな? 葛飾柴又の生まれなのかな? それだと猫じゃなくて虎だな。いやいや、田舎の生まれって言ってたから違うな。
ボクの気遣いと無駄な緊張を台無しにしてくれてまったく! と息を吹き返したみたいに毒づきながら建物をぐるりと回り込むと、校舎の裏手で立ち尽くしているアイツの姿を見つけた。
びっくりした、ちゃんといるじゃん。
ただ、やけに不自然に両肘を突っ張って体の前で箒を握りしめている。
え、何をやってるんだろう? 大道芸のスタチューの練習でも始めたのかな? それとも宇宙と交信するために精神統一でもしてるとか……?
割と失礼な想像が次々に思い浮かぶけれど、アイツのこれまでの奇行の数々を思い返せばそれくらいあり得てしまうのが恐ろしい……。
不審に思いながら校舎の陰に身を潜めて首だけ伸ばし様子を窺うと、箒を握って微動だにしないアイツの前に、見るからにチャラそうな長身の男子生徒が笑顔を浮かべて立っている姿が見えた。
ふむ。男性に対する拒絶反応で、おかしな姿勢のまま立ち尽くしているって感じなのかな。
「話って、なんですか?」
その声のトーンに耳を疑う。
ボクが今日までに聞いていたアイツの声より、ずいぶんと低く響いて聞こえた。
警戒しまくって唸って威嚇する猫みたいな声だ。たぶん尻尾があったらブワッと毛を逆立てて太くしてるに違いない。
「惣引、みさお? って名前なんだよね? みさちゃんって呼んでいい? いいよね! いやあ、ずっとさぁ、すっごい可愛いなぁって思っててさぁ! 一度お話したかったんだよねぇ」
うわぁ、馴れ馴れしい上にウザッ!
その語尾をわざとらしく間延びさせるみたいな喋り方ほんとウッザ!!
チャラそうな見た目を裏切らない軽薄な明るさを押しつける態度で、その男子生徒は惣引をビシッと指差す。
しかし当のアイツは、男子生徒の指先から見えない何かが飛び出してきたみたいに、凍り付いた真顔のままジリッと半歩後ずさる。
うーん……、これはいわゆる、口説かれている現場と捉えるべきなのかな?
その数々の奇行と無駄な行動力、言葉足らずな上に恥ずかしげもなく局部の名前を連呼してるのは、おそらくボクの前でだけなんだろう。
うぬぼれでも何でもなく、さっきの声のトーンを聞けばわかる。
警戒してる男性相手だとああなのだから、アイツが奇行種になってしまうのはボクの前でだけなんだ。
だからって嬉しくもなんともない。そりゃあ、何の成果も得られませんよ……。
若干の噂がつきまといはするけど、そんな奇行のことなど何も知らない普通の男子生徒からしてみれば、艶やかな陶磁器のように白い肌の大人びた美少女にしか見えないはずなのだ。
しかもその若干の噂が良い具合にアクセントとなって、余計にミステリアスな印象に拍車をかけている。
真実を知る由もない普通の男子生徒が、うっかり熱を上げたところで何ら不思議じゃない。
「俺さぁ、二年の
「知りません」
再びビシッと指差しながら本人が証言したとおり、確かに二年生のようだった。
うちの学校はネクタイの色が学年ごとで分かれているから、各学年が一目でわかるのだ。
それにしてもアイツはものの見事に即答だったな。むしろちょっと食い気味の即答だった。
そして、そんな即答を受けても更岡センパイは気にする様子もなくニヤついた笑みを浮かべている。おぉ、センパイなかなかの強キャラだな。
けれど、どんなに見た目がチャラそうとはいえ、他人の恋路に水を差すのは気が引ける。
いや恋路なのかなこれ? お友達になろうよウェーイ! 的なチャラいやつ特有のふわっふわに軽い感じのノリってだけみたいにも見える。
ただ実際のところがどうであろうと、アイツの交友関係にボクが難色を示して然るべきな間柄じゃない。
もちろん、この後の展開がどうなるか気にならないと言ったら嘘になってしまう。嘘になってしまうけれど、そもそもボクには関係がない。
関係ない以上、ここで何をどうしたってそれは邪魔することにしかならないんだから、何も見なかったことにしてさっさと退散するべきなんだろう。
しかし、アイツには男性に対する拒絶反応がある。そして、センパイはきっとそれを知ってはいないはずだ。
アイツだっていくら田舎から出てきたとはいえ、ある朝いきなりあれだけの美少女になっていたわけじゃないだろうから、これまでにも好意を持って言い寄られたり、告白されたりしたことがまるで初めてってことはまさかないだろう。
そんな興味が湧いてしまった。
本当にただそれだけ。
アイツがどんな手段でこの状況を切り抜けるのか純粋に気になってしまった。
「そぉだ、みさちゃーん、ライン交換しちゃおぅよぉ」
チャラい笑顔を浮かべた顔の横で、まるでチャラチャラ音がしそうな感じでギラギラ輝くトゲトゲが付いたケースに収まったスマホを振って見せる。
相手の視線を自分のご自慢のスマイルに自然と誘導する術が手慣れている。
一朝一夕でチャラくなったわけじゃなさそうだ。チャラ先輩は伊達じゃない。更岡からチャラ岡に改名すればいいのに。
「持ってません」
更岡、あ、チャラ岡センパイの渾身のチャラスマイルに対して眉一つ動かさずの即答。
持ってません、か。ラインはやってません、ではなくて。
高校生にもなって今どきスマホ一つ持ってないって逃げ口実はさすがに無理があるんじゃないかな?
でも地元が田舎って言ってたから、もしかすると電波が届かないくらいの山奥で本当に持っていないのかもしれない。ただ、いくら田舎とはいえ今の日本に電波が届かないほどの秘境めいた場所がどれだけあるのか知らないけど。
「あははは、それ面白いねぇ。みさちゃんサイコーじゃん! なーんて言いながらぁ、じつはポケットに隠してたりしてぇー?」
そんな面白くもなかったけれど、おどけた態度で文字通り腹を抱えて笑って見せながら、スルリと距離を詰めてアイツのジャージのポケットに手を伸ばす。
あっ、それはやばい!
アイツに不用意に触れたりしたら!
思わず声が出そうになった瞬間、
――ふいに伸びてきたセンパイの手を、惣引は軽い身のこなしで音もなく躱していた。
ええ……、なにそれ、もしかして武道の達人なの……?
漫画だったら大コマでスッて効果音が聞こえそうなくらい華麗な避け方だったよ、スッて。
昨日話してた一子相伝の伝統技能って、やっぱり世紀末の荒廃した世界でアタタタタッて戦うやつなんじゃ……? え、まさかここからバトルものにシフトするわけじゃないよね? ここまでが長いプロローグだったわけじゃないよね?? おい作者、どうなんだよ??
「私に触れないでください。作業の邪魔なので帰ってください」
眉根を寄せて蔑むような視線をセンパイに容赦なく浴びせかける。
うわ、なんか超怖いんだけど……。抑揚のない声のせいで必要以上に冷酷に響いて聞こえる。
しかしセンパイの方も負けてない。伸ばしたものの行き場を失った手のひらをおどけた態度でひらひらさせながら、
「えぇー、触れるとどうかなっちゃうのぉ? 気になるぅ! みさちゃんのこともっともっと知りたいなぁ! ほら、ハイタッチしよぉ、ハイタッチー!」
男のくせに鼻にかかったような苛つく声を出して、両手を挙げてわきわきと手のひらを握って見せる。もっと知りたいもなにも、そもそも全然知らないだろ。
美しい人の冷たい言葉と態度は、美しいがゆえにそこに含まれるわずかな棘でさえ、とんでもない鋭さで殺傷能力を増してしまう。アイツに至ってはその棘を隠す気もなく剥き出しにしてる分、ことさらに鋭利だ。
それなのにこのセンパイ、取っている行動も口にする言動もことごとくチャラいのにほんとに逞しい。心折れたりしないのかな? ぜんぜん挫ける気配がない。
そんな意味もなく感心するような眼差しを投げかけていると、ハイタッチしようと掲げた両手のまま勢いでボディタッチでもしようとしたのか、センパイが大きく踏み出してアイツとの距離を一気に縮めた――
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