第17話 先っちょだけ
頃合いを見計らって逃げ出さないと……、と目論んだ矢先に、
「あっ、来たわ!」
再び腕を掴まれて引っ張られてしまった。あたしの心を読んでるのだろうか……?
二人で廊下の角に身を潜めると、反対側からてくてく歩いてやって来た
うちの学校に限らずどこでもそうだろうけど、体育の授業の着替えなどのために各学年ごとに男女の更衣室がそれぞれ用意されていた。
体育会系の部活には部室があるため放課後にこちらの更衣室を使うのは、部として認定されず部室があてがわれていない同好会所属の生徒や、瀬尾くんやこの女のようにやむにやまれぬ理由で放課後に着替えざるを得ない生徒のみだ。
つまり、今この更衣室の中には高い確率で瀬尾くんしかいないだろう。
「入ったわね。さあ、行きましょう」
「え、行くってどこに……?」
「決まってるじゃない、更衣室によ」
「はっ、入るの!?」
「もちろん。そのために来たんだし、その方が邪魔も入らないからすぐに済むわ。さあ、行きましょう」
ろくでもないこととは予想していたけれど、まさか男子更衣室に乱入するだなんて、どこまでこっちの予想を裏切れば気が済むのよ!
しかも、邪魔を入らせず済ませることっていったいなんなの!?
目まぐるしく頭を駆け巡る疑問が言葉になるよりもずっと早く、この女はあたしの腕を掴んだまま、爪の先ほどのためらいさえなく男子更衣室の引き戸を開け放った。
「ひっ、ひゃわあっ!?」
まさにワイシャツのボタンを外そうと手をかけていた瀬尾くんが悲鳴を上げる。
あまりに突然すぎることとはいえ、少女のかわいらしい悲鳴にしか聞こえなかった。絶対にそんなこと言えないけど。
あと、カメラに添えた手が無意識にシャッターを切ってしまう事態も辛うじて堪えた。内緒だけど。
「かわいい悲鳴ね、こっちがびっくりしちゃうわ」
後ろ手に引き戸を閉めながら、あたしが絶対に言えないことを事も無げに言ってのける。だからといって、そこにシビれもしないし憧れもしない。
「う、うるさい! てゆうか何の用だよ!? ここ男子の更衣室だぞ!?」
「わかってるわ。じつは、
「ちょっと! あたし提案なんてしてないでしょ!?」
アンタが勝手に思い付いた良いこととやらのせいで、あたしは完全に巻き込まれてるだけでしょうが!
「……ほんとに仲良しだな」
「ええ、もちろん。ベストフレンドだもの。ねー、かのちー!」
「か、かのちー!?」
「宇津木さん、
「ちょ、かわいい、って、そんな……」
「私のことも、ミサミサって呼んでいいわよ」
……だ、ダメだこいつ、早くなんとかしないと。
「いや呼ばないわよ!? あ、あとベストはやめて!?」
「あら、ベストじゃ気に入らなかった? じゃあ、もっともっと特別なオンリーワ――」
「世界に一つだけにもしないでっ!?」
「そう? んー……、じゃあ、ちょっとそれは後で話しましょう。ところで」
いやいや後回しにしないで? どうしてあたしがしつこく絡んでるみたいになってるの?
改めて瀬尾くんに向き直った
「――私のこと、触ってくれないかしら?」
と、自らの胸を指差して高らかに言い放った。
「はあ!? アンタどこ触らせる気なのよっ!?」
「どこ、って、そうね……、手、とかかしら?」
なんだ……、自分を指差していただけだったのか。驚いた。
てっきりこの女のことだから、自分の胸でも触らせる気だったのかと肝を冷やしてしまった。
瀬尾くんだって呆気にとられ……、て、ない。
というより、ちょっぴり残念そう……? いやいや、呆気にとられて固まってるでしょうが。
「昨日は触らせろ、それで今日は触れって、お前いったい何がしたいんだよ?」
「だって触らせてはくれないのでしょう? だったらあなたが触ってくれればいいわ。それでも反応が起こるかは確かめられるもの」
「……そんなこと言っておいて、近付いたところで飛びかかってきたりするんだろ?」
「しないわ、そんなふしだらなこと」
ちょっぴり語気を強めて反論したけれど、男子更衣室に乱入してる時点で説得力の欠片もない。この女にふしだらの概念があったことの方に驚いてしまう。
「嫌だ。着替えるから出てけよ」
ここまでの行動と発言から信憑性がないと判断されたのだろう、じつにもっとも過ぎるすげない返事で瀬尾くんはプイッと顔を背ける。
「すぐに済むから、お願い」
「嫌だ」
「本当に、絶対に何もしないから、お願い」
「嫌だっ」
「本当の本当に、4回だけでいいから」
「多いな!? そこは1回にしとこうよ!? 欲張りすぎだろ!!」
「ちょっとだけ、先っちょだけでいいから……」
「先っちょってなんなんだよ!? もう、しつこい! い、や、だ、って言ってるだろ。また吐かれたりしたらたまったものじゃないし!」
こちらには目もくれず、瀬尾くんは着替えるためにワイシャツを脱ぎ始める。
もちろん下にTシャツを着ているので裸になったわけではないけど変にドキドキしてしまう。
再びカメラに添えた手がシャッターを押そうと力が籠もるが、なんとかすんでの所で思いとどまった。……これはカメラマンの性なのだ。決してあたしの趣味嗜好が歪んでいるわけじゃない。
小さく深呼吸して気持ちを落ち着かせていると、ひとしきり瀬尾くんから冷たくあしらわれて、万策尽きたみたいな顔で惣引節があたしの方に振り返ってくる。
……いやいや、こっち見たって知らないわよ。
男子更衣室にまで飛び込んでおきながら万策尽きるのが早すぎるでしょ……。ていうか、瀬尾くんのあんな嫌そうな顔を見てまだ諦めないつもりなの? アンタの精神どうなってんのよ、鋼で出来てるの……?
「くっ……、こうなったら……」
どうやらフェーズ2にでも移行したらしく、わきわきと両手を動かしながら姿勢を低くする。
「ちょっと、何する気よ?」
「仕方ないわ。当初の予定通りに昨日一晩考えた作戦――」
「やめて!? その、にぎにぎ動かすのホントにやめて!?」
そぉっと瀬尾くんのおち――、局部に掴みかかるって言ってた捨て身の作戦を決行しようと握る気満々でいた。
たったあれだけで本当に万策尽きていたのか……。
「なにしてるんだよ? ほんとに早く出てけよ」
あたしたちのやり取りに、あいかわらずこっちを見ようともせず瀬尾くんがため息交じりに言い捨てる。
「……なによ、触るくらい良いじゃない、ちょっとのことなのに。昨日からあれもダメ、これも嫌ってぐずぐず言って、――本当に男らしくないのね」
瀬尾くんのそんな態度にカチンときたのか、むーっと口を尖らせながら惣引節がボソッと言い返す。
――っ!
おそらく無意識だったのだろうけれど、それはダメだ。
それは本当に良くない。
「……いま、なんて言った?」
ワイシャツのボタンを外していた手がピタリと止まって、すぅっと瀬尾くんの表情が変わる。
ああ……、手遅れだった……。
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