ギリギリの戦い


《王島英梨香視点》


「ふふふ、どういう気分ですか? 宇佐美杏。」


「いい気分とは言えないですね。でも、この腕を縛っている縄を解いてくれたら少しはいい気分になりそうですけど」


「オホホホホ、冗談もほどほどにして欲しいわ。せっかく捕まえたのに、逃すわけないでしょう。これからアナタが破滅に落ちる様を見れるというのに」


 王島英梨香は頬を限界まで吊り上げ、自身から湧き立つ高揚感に身を任せる。彼女の体に絶えず走る高揚感は彼女を夢見心地にさせ、ここ最近かつて無かったほどの快感が彼女に押し寄せる。


「オホホホホホホホホ! これも周王春樹とかいう木偶の坊のお陰ですわ!」


 彼女の言葉を聞き、これまで冷静な顔を保っていた宇佐美杏の顔が初めて歪む。


「王島英梨香……もしハル君に乱暴してみろ。私のすべてを擲ってでもアンタを潰すわよ」


 ドスの効いた声で言う宇佐美杏の言葉も王島英梨香には、もはや負け惜しみにしか聞こえなかった。


「負け惜しみもそこまで行くと、清々しさすら感じますわッ! でも、現実にはアナタが出来ることは何一つとして無いんですのよ」


 顔を歪めた宇佐美杏は歯をギリっと噛み締め、何も出来ない自分の無力さを恨む。しかし、そんな彼女の姿も王島英梨香にとっては、気分を良くする材料でしか無かった。


 気分を良くした彼女は更に笑い声を上げる。


「オホホホホホホホホホホホホ!」


 止める者のいない彼女の笑い声は、体育館ほどの大きさもある広さの室内に響き渡る。宇佐美杏も彼女に仕える執事もただただ彼女の笑い声を黙って聞くしか無かった。


 私は勝ったッ! ついにこの女に勝ったんですのッ! 私はやっと昔の自分を取り戻したのよ! これで私を止められる者なんて誰もいない! 私は頂点に立ったのよ! 宇佐美杏ッ! アナタの時代は終わりですわぁぁぁッ!


 王島英梨香は勝利の高揚感に浸っていたのだが、不意にあと何時間かは開くはずもない扉が開く。ギィッという音を立てて開いた扉の先には、別の場所で拘束されているはずの男、周王春樹がいた。


「ハル君ッ!」




ーーーーーーーーーー




「ハル君ッ!」


 俺が扉を開けると、椅子に座らされ、俺の時と同様に縛られている宇佐美の姿が目に入る。宇佐美は俺に気が付くと、すぐに嬉しそうに俺の名前を呼ぶ。


「宇佐美ッ! 助けに来たぞッ!」


「うん!」


 俺の言葉に宇佐美は元気に応える。とりあえず、元気そうで良かった……。でも、まだ安心している場合じゃない。宇佐美の周りには今回の計画の首謀者、王島英梨香と俺と宇佐美を一瞬で気絶させた執事がいる。


 目の前にハッキリと敵を確認し、俺の中で熱いものが込み上げる。


 コイツらだけは許さないッ! 俺だけならともかく、コイツらは宇佐美にまで危害を加えたッ! 絶対に許さないッ!


 俺が眼前に立つ2人の敵に闘志を燃やしていると、王島英梨香は突然の俺の登場に動揺したようで、横にいる執事に半狂乱で話しかける。


「ちょっと、神崎ッ! どうなってのよ!? なんであの男がここにいるのッ! 連絡は来なかったのッ!」


「そう言われましても、此処はお嬢様の指示で一切、電波が通っておりませんので、連絡しようにも出来ません」


「クッ!」


 王島英梨香は自分で自分の失態に気付いたのか、苦しそうに顔を歪める。そして、次に俺を睨む。


「どうやら、自分で自分の墓穴を掘っちまったみたいだな、王島英梨香ッ!」


 俺の言葉に王島英梨香は更に顔を歪め、俺の言葉に言い返す。


「うるさい! うるさい! うるさい! 大体、アンタがここに現れたって、もう一度捕まえれば一緒よ! 神崎ッ、やっちゃって!」


「やはり私ですか……」


 王島英梨香の指示で側で大人しく控えていた執事が動き出す。のそりのそりとした動きだが、俺は知っている。目の前の執事が動く時は一瞬で、片時たりとも油断してはいけないという事を。


 やっぱりあの執事が相手だよなぁ。ハッキリ言って実力差は明白だろう。でも、俺は諦めるわけにはいかない。目の前のコイツも奥に居るお嬢様も倒して、俺は宇佐美を助けると決めたんだッ!


「来いッ、執事ッ!」


「ふぅ、若いっていうのは良いですね〜。勢いがあって思わず応援したくなる」


 俺と執事の距離が少しずつ縮まっていく。警戒しながらも、俺と執事は言葉を交わす。


「だったら俺と宇佐美、両方とも逃してくれて良いんだぜ」


「そういう訳にはいきません。お嬢様の命令は絶対。残念ですが、アナタにはここでもう一度、私に倒されて貰います」


「やっぱりそうだよなぁ。まぁ、期待はしてなかったけどな……」


 もう少しでお互いの攻撃が届く位置に入る。3歩……2……1……今だッ!


 お互いの攻撃が距離の近づくと同時に俺は執事に拳を突き出す。しかし、俺の出した拳は空を切り、避けた執事は一瞬で俺の背後に回る。


 これは……ッ!


 背後に回った執事を見て、俺は咄嗟に首をガードする。遅れて、首に凄まじい衝撃が走る。


「ぐっ……!」


 咄嗟に首をガードして良かった……。でないと、俺は誘拐された時と同じように今頃は地面に転がっていただろう。


「ほう、学習能力が高いですね。咄嗟に首を守るとは……。この勝負、一瞬で片がつくかと思っていましたが、案外楽しめそうですね」


「そうかよ。それは何よりだよ」


 俺は精一杯の虚勢を張るが、正直先程の一撃で視界がクラクラと揺れていた。ガードしたというのに、これだけダメージが入っているのだ。執事の一撃の凄さが分かる。


 それでも諦めるわけには……負けるわけにはいかねぇんだよッ!


 俺は再度、執事に突貫する。しかし、執事は俺の拳を軽く躱し、頭に蹴りを放ってくる。


 ドゴッ!


 俺はなんとか腕でガードする事に成功するが、鈍い音が鳴り、蹴りの衝撃で横に吹き飛ぶ。


「ぐわああああッ!」


 俺は吹き飛ばされた衝撃に無理矢理逆らい、なんとか体を起こし、体勢を整える。蹴りを放った当の本人の執事はといえば、蹴りが当たった場所のズボンの所をパッパッと手で払っている。


 クソッ! なんて重い一撃なんだ……。このまま続けてたら、腕の骨が折れてもおかしくないぞッ!


「おや? 来ないのですか? それではこちらからッ!」


 ズボンの埃を払い終わった執事は、俺に休む暇を与えず、追撃してくる。執事が繰り出すパンチやキックに俺はなんとかガードで対応するが、繰り返しガードをした腕はついには痺れ始めていた。


 クッ! このまま続けてたら何も出来ずに戦闘不能になっちまう! そうなる前になんとかしなくてはッ!


 俺は目の前の執事をどうやって倒そうかと必死で頭を回す。しかし、そんな俺の隙に気付いたのか、ついに俺は執事の蹴りを頭にもらってしまう。


「グガッッッ!」


 執事の蹴りをもらった俺は、地面を転がりながら吹き飛んでいき、しばらくして吹き飛ばされた衝撃が収まり、なんとか俺は立つ。


 頭からは血が噴き出し、俺の視界の半分を覆っていた。視界を確保するため、俺は何度も腕で血を拭くが、拭いても拭いても血は噴き出し、止まることはない。そんな状態の俺を遠くからゆっくりと近付きながら、執事は口を開く。


「そんな状態では私に勝ち目はありません。早いこと降参しなさい。そうすれば、傷の手当てぐらいはしてあげますよ」


「ふざけろッ! 誰が降参なんてするかッ! 俺は絶対にお前に勝って、宇佐美を助けるんだよッ!」


「しかし、誰から見てもアナタに勝ち目はありませんよ? これ以上の戦いは無駄です。早く降参なーー」


 俺は近付いてくる執事に近くに落ちていた廃材を投げる。しかし、俺の投げた廃材はいとも簡単に執事の腕に弾かれてしまう。


「……そこまでの覚悟なら仕方ありません。いいでしょう。例え、アナタの命が尽きようとも、全力で相手をさせて貰いますッ!」


 そう言うと、執事は俺に猛烈な勢いで迫ってくる。


 足に来て、まともに動けないからアッチから来てくれるのはありがたいが……さて、どうするかね? どうするも何もねぇわな。もう体が動くままに動かすしかねぇ。頭で考えた事にもはや、体が追いついてこない。見てろ執事……これが俺の最後の反撃だ……!


 執事は猛然と俺との距離を潰し、もう少しで俺を攻撃できる距離まで近付いていた。執事が俺を攻撃できる距離まで入った時、俺は今日初めて体が動くままに任せた。


「これで終わりですッ!」


 執事の拳が俺の顔に近付いてくる。その拳を見て俺は、拳の軌道にまっすぐ当たるように掌底を当てた。


「なっ……!」


 俺の掌底に当たった拳はその勢いのせいか、執事の肩まで衝撃が伝わり、ガコンッという音を立て、執事の肩が外れる。


 直感的に俺は、ココだッ! と思い、執事の肩が外れていない方の腕を掴む。


「うおおおおおおおおおお!」


 そして、腕を引っ張った勢いのまま執事の体を思いっきり地面に叩きつける。


 バシーンッ!


 もの凄い音が執事の体が地面にぶつかった衝撃で鳴り、執事は沈黙する。そして、投げ終わった俺は勝ったという脱力感で尻餅をつく。


 かっ、勝ったッ! やったぞ! 執事に勝てたッ!


 俺は執事に勝てた嬉しさで頭の痛みも忘れ、喜びに体を震わせる。しかし、すぐに本来の目的を思い出す。


 そうだッ! 宇佐美ッ! 宇佐美を助けなくちゃっ!


 俺は悲鳴の上げる体を無理矢理起こし、宇佐美の方へ向かう。宇佐美の近くには王島英梨香も立っており、その表情は怯えているようだった。


「いっ、いやっ! 来ないでッ!」


 怯えた王島英梨香は徐々に近付いてくる俺に後退りし、やがて足が縺れて尻餅をつく。尻餅をついた状態のまま逃げる王島英梨香を俺は追いかける。


「王島ぁ……!」


「ひっ! おっ、お願い助けてッ! じょ、冗談のつもりだったのッ! 本気でやるつもりは無かったのッ!」


「今さら……そんな嘘が通じると……思ってるのか!」


 俺は息も絶え絶えになりながらも、王島英梨香を追いかけ、ついに壁の隅に追い詰める。王島英梨香は恐怖に染まった表情で俺に怯える。


「いいか……お前は女だ。だから俺はお前を殴らない……でもな!」


 ドゴッ!


 壁に追い詰められた王島英梨香の顔の横の壁を俺は思い切り殴る。


「ひぃ!」


 そして、俺は王島英梨香に宣言する。


「もし、また宇佐美に手を出してみろ! 今度は俺の命を賭けてでも……お前を地獄に叩き落とすッ!」


「ひいいいいいぃぃぃぃぃ!」


 俺の脅しに怯えたのか、王島英梨香はついには意識を手放し、気絶するのだった。


「ハァ……ハァ……」


 待ってろ宇佐美……! 今助けてやるからな……!


 俺は椅子に縛られている宇佐美の方へポンコツと化した体を引きずり、なんとか宇佐美のところまで辿り着く。


「宇佐美……随分待たせちまったな」


「ううん、全然待ってないよ。ハル君……!」


 俺の言葉に宇佐美はパッと笑顔を咲かせる。元気そうでなによりだ……。


「待ってろ宇佐美。今、縄を外してやるから」


 そう言って、俺は宇佐美の腕の縄を解く。縄を解いたことで宇佐美は自由になり、元気に立ち上がる。


「ハル君、ありがとう!」


「ああ……宇佐美……お前が……無事で……」


 なんとか意識を保とうとしていた俺だったが、どうやら宇佐美を解放したという安心感で緊張の糸が切れてしまったらしい。意識がどんどんと薄れていく。


「ハル君……? ハル君、しっかりして!」


 宇佐美が俺を呼びかける声が聞こえる。でも、それも少しずつ遠くなっていく。


「すまねぇな宇佐美……俺は少し眠る……」


 俺はそう言うと、完全に意識を手放すのだった。

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