修行


 ラブレターの騒動も終わり、俺は宇佐美の家へと帰ってきていた。そして、今は使用人室で宇佐美の家のメイド長、二条纏さんと対面していた。対面している二条さんは相変わらず、感情の見えない表情をして、俺の顔をまっすぐ見つめている。


 そして、俺は二条さんに使用人室まで来てもらった要件を伝えるのだった。


「二条さん、俺を強くしてください! 俺、宇佐美の隣に立てる男になりたいんです! お願いします」


 俺の要件を聞いた二条さんは、しばらく沈黙した後、不意に口を開く。


「なぜ、私に頼むんですか? 私以外にも、執事長の榊など、適任者はたくさんいるように思えるのですが?」


「榊さんには一度頼みました。そしたら、少し怒られましたけど、二条さんが一番適任だって教えてくれました」


「執事長がそんなことを……」


 俺の言葉を聞き、しばらく顎に手を当てて考えていた二条さんだったが、考えがまとまったのか、顎から手を離し、言葉を発する。


「わかりました。私で務まるかは分かりませんが、精一杯、周王様が強くなれるよう、私が鍛えて差し上げます。しかし、相応に厳しいので覚悟はしておいてください」


「はい! よろしくお願いします!」


 その日から、二条さんの指導が始まった。


 二条さんの指導は厳しく、しかし、同時に二条さんが課してくる課題をクリアするたびに、自分が肉体的にも精神的にも強くなっていることを実感することができた。


 そして、今日も学校から帰宅し、宇佐美と食事を済ませた後、宇佐美の家の敷地の中にある運動施設に俺と二条さんはいた。


 二条さんは体にピッチリと貼り付くボディラインがしっかりと見える服を着ていた。動きやすくするために、敢えてピッチリとした服を着ているらしいが、近くで見ている俺にとっては動くたびに二条さんの一般的な女性ぐらいの胸が揺れ、目に毒である。


「さあ、今日も始めましょうか」


 そう言って、二条さんと俺の指導の時間が始まる。最初の方こそ、体力作りや筋力作りが中心だったが、最近は筋力トレーニングの方は自主練習で、指導の時間中のほとんどは二条さんとの手合わせとなっている。


 これまで何百回と手合わせをしてきたが、俺は未だに一度も二条さんを触ることすらできないでいた。


「ほら、フォローが遅いですよ」


 二条さんは俺が突き出した腕を掴み、俺の懐にいとも簡単に入り、がらあきの顎に拳を寸止めする。流れるようなその体捌きに尊敬と同時に悔しさが込み上げてくる。


 俺と二条さんの手合わせはいつも俺が全力で二条さんに当てにいき、二条さんは当たる寸前で止めるという、二条さんだけ、マス・ボクシングという形で行っている。


 最初こそ、全力で当てにいくことに抵抗が有ったが、再三、拳を寸止めされ、実力に大きな開きがあると理解してからは、俺も全力で当てにいくようになっていた。


「今日はこれくらいにしておきましょうか」


「ハァ……ハァ……はい」


 俺は地面に仰向けになりながら、息も絶え絶えになりながらもなんとか返事をする。気がつけば、俺と二条さんの指導が始まってから、1ヶ月以上が経っていた。


 手合わせははっきりとした結果が目に見えるわけではないが、たった一度だけだが、二条さんの頬を拳が掠めたことがあり、それなりに強くなっているのだと信じたい。


 この時間に意味があるのかはわからない。でも、何もしないわけにはいかない。何もしなければ、何も変わらない。俺は一生、宇佐美の隣に立つことが出来なくなるだろう。だから、俺はもしこの時間が無駄になったとしても後悔はない。間違いなく、前に進んではいるのだから。




ーーーーーーーーーー




《二条纏視点》


「執事長、意外でしたよ。まさか、あなたが私を周王様に推薦するとは。あなたは周王様に良い感情は持っていなかったと記憶していましたが?」


 使用人室、その一角で私と執事長、榊清十郎は対面していた。


「ふんっ、今でもあの小僧に良い感情は持っておらんわ」


「なら、なぜ?」


「……」


 私が訊ねると、執事長はしばらく閉口していたが、私から顔を背け、ゆっくりと口を開く。


「……努力しようとする者の足を引っ張るほど、儂の性格は悪くないわ。あの小僧のことは気に食わんが……努力しようとする姿勢だけは認めている」


「……そうですか」


 そう言うと、執事長は使用人室から出て行く。


 これが彼が宇佐美家の執事長を務めている由縁ですかね。お嬢様への行き過ぎた忠誠こそ問題ですが、平常の彼は人格者ですからね。


 少し心配していましたが、この分なら周王様と和解する日も近いかもしれませんね。さて、いいかげん私も仕事を始めなくてはいけませんね。


 私は使用人室を出ていった執事長を追うように、私もまた、使用人室から出て行くのだった。

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