転落3


《綾川冥視点》


「ご機嫌は麗しいですか? 綾川さん」


 綾川冥が勢いよく振り返った先には、物陰から出てきた宇佐美杏の姿があった。


「あんたッ……! なんでここに!?」


 綾川冥は目の前に広がる惨状と、一昨日に自分に屈辱を味合わせた張本人が現れたことに酷く混乱する。そんな混乱した彼女を無視し、宇佐美杏は口を開く。


「私がここにいること、それは大して重要じゃありません。重要なのは……あなたがここに来て何をしようとしていたのか……。違いますか?」


 そう言って、宇佐美杏は薄く微笑む。普通ならば、見惚れるような表情をしていると感じる宇佐美杏の微笑も、綾川冥にとっては恐怖に感じる表情でしかなかった。よく見ると、周りには一昨日に見た黒いスーツの人間達が潜んでいた。


 私の考えがすべて読まれている! そう思って、一瞬顔が引き攣った彼女だったが、すぐに表情を作り、去勢を張る。


「なっ、何のこと言ってるの!? 私はただ、今日は星が綺麗に見えそうだから、高い場所に登ってきただけよ!?」


「なるほど……。あなたはそこに倒れている人達の事なんて何も知らずにここへ来た、ということてですか?」


「えっ、ええ! そうよ!」


 自分が目の前の女を陥れようとしていたことを知られまいと、彼女は自分がここにいる理由を誤魔化す。


「なるほど……。では……この発言はどういうことか、説明してもらえますか?」


 そう言って、宇佐美杏はスカートのポケットから何かを取りだし、細長い何かの物体を綾川冥に突きつける。彼女が何を持っているんだ? と不思議に思っていると、宇佐美杏が持っていた物体から音が鳴る。宇佐美杏が持っていたのは、ICレコーダーであった。


『アイツら、絶対に許さない! 春樹と宇佐美とかいう女、両方とも地獄に落としてやる!』


 それは、一昨日の夜、彼女が自室で実際に言っていたことだった。彼女が呆然としている間にも、ICレコーダーからは絶え間なく彼女の声が流れる。


『あの女、ホームレスに犯されている時、どんな顔をするかしら!』


『春樹、あんたはまた私の奴隷にしてあげる!』


『泣いて、助けを乞うアイツらの顔が今から楽しみだわ!』


 ICレコーダーからは、一昨日の綾川冥の発言が流れ続ける。呆然としてただただ見つめるしかない彼女を尻目に、ICレコーダーはその後、3分ほど流れ続けたあと、やっと止まる。ICレコーダーが止まり、やっと意識が戻った彼女は、目の前で薄く微笑んだまま動かない宇佐美杏へ弁明をしていく。


「ちがっ、これは私じゃない!? 私はこんなこと言ってないわ! きっと別人の発言よ!」


「なんなら、声紋分析でもしましょうか?」


「ッ!」


 畳みかける宇佐美杏の言葉に、綾川冥は口をつぐむ。彼女の内心は、もう既に混乱と焦りで限界に達していた。


 どうしよ!? どうしよ!? どうしよ!? ここから、この女から逃れるにはどうすればいいの!?


 一向に整理しきれない思考を捨て、彼女は宇佐美杏に言い訳をする、という愚行を実行してしまう。


「わっ、私まだあんたに何もやってないじゃない!? だから助けてよ! まだあの時の約束は破ってないわ!?」


 言い訳をする彼女の言葉も聞かず、宇佐美杏は不意に語り出す。


「ハル君は優しいから……あの時、あなた達を逃してあげた。あなたはそれに感謝するべきだった。二度と関わらないっていう……ハル君との約束を守るべきだった……。そうすれば、私がこんなことをすることもなかったのに……」


「ひぃぃぃぃ!」


 綾川冥は三日月のように頬を吊り上げて笑う宇佐美杏を見て、情けなく悲鳴を上げる。そして、その場から逃げようと試みるが、一瞬で目の前に現れた黒いスーツの男に逃げ道を塞がれる。


「ッ!」


 逃げ道を塞がれた彼女は、後ろに引き返そうと急に方向転換をしようとしたことにより、床に尻もちをつく。


「逃げようとしても無駄ですよ? あれ、見えますか?」


 そう言って、宇佐美杏は空を指差す。釣られて、綾川冥も指差している方を見る。そこには、赤く、一定間隔で点滅している光が見える。


「あれは……なに?」


 綾川冥は恐る恐るといった様子で宇佐美杏に問う。


「あれは人工衛星【アルゴス】。あなたを監視する為だけに私が買った人工衛星ですよ」


 私を監視するためだけに……人工衛星を買った!?


 その、あまりにも規格外な行動に彼女の口が空いたまま塞がらない。


「ふふっ、丁度安かったんですよ? 廃棄寸前の人工衛星があったので、格安で買ったんです!」


 そう、何の気なしに言ってのける宇佐美杏に彼女は今日1番の恐怖を感じる。


「【アルゴス】の機能は、この世でたった1人だけ地球のどこにいても認識することができること。登録した人間のデータをインプットし、その人間が死ぬまで追いかけ続ける。元々は千人単位で認識できるように開発されたんですけど、悪用されると危険性が高いからって認可が下りなかったんですよ!」


 そう言って、宇佐美杏はコロコロと笑い出す。一方、それを聞かされた綾川冥は目の前にいる存在が自分とは別次元の人間だとやっと認識する。


「……それを使って、私を一生監視し続けるつもり?」


「一生? アハハハハ! さすがにそれはお金がかかり過ぎちゃいますよ! もって30年って所でしょう!」


 綾川冥の言葉を否定し、宇佐美杏は楽しそうに笑う。


「じゃあ……どうするつもりなの?」


「……」


 彼女が再度問うと、宇佐美杏はピタッと笑うのをやめ、沈黙する。そして、ゆっくりと口を開く。


「……知ってますか? ここら辺の裏稼業は、水島組っていうヤクザが仕切ってるんですよ?」


「?」


「水島組の組長さんに教えてあげたんですよ。最近、シマを荒らす人達の素性を。……そして、その主犯格があなただって」


「ッ! あんたまさか……!」


 綾川冥を目を見開き、宇佐美杏の姿を見る。


「ええ、あなたのことを絶対に許さないそうですよ? 地の果てまで追いかけるって! 私が居場所を教えたので、あと20分くらいでここに来るんじゃないんですかね?」


「ひぃぃぃぃ!」


 綾川冥はこれからヤクザに追い回されるという未来があることが分かり、情けなく悲鳴を上げる。そんな彼女を気にせず、宇佐美杏は話し続ける。


「さぁ、早く逃げた方がいいですよ? じゃないと、捕まっちゃいますから。まあ、逃げても私が居場所を教えるので、すぐにバレちゃいますけどね!」


 その言葉を聞き、すぐに逃げ出そとする彼女だったが、宇佐美杏に呼び止められる。


「あっ! ちょっと待って。これ持っていってください!」


 そう言って、円状のブレスレットのようなものを彼女に投げる。彼女も落ちたブレスレットを拾う。


「それは、ヤクザの人達が100メートル以内に近づいたら、音を出して知らせてくれる物です。すぐに捕まったらつまらないですからね!」


 そう言う宇佐美杏の言葉を聞くと、ブレスレットを持ち、勢いよく綾川冥は下へ下りる階段へと向かう。彼女が廃ビルから逃げ出したすぐ後、黒塗りの高級車が何台も廃ビルの近くに止まる。宇佐美杏は廃ビルの屋上から見える綾川冥の姿を見ながら、


「自業自得ね」


 と、ポツリと呟くのだった。

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