誘拐


「うっ、う〜ん」


 くっ、首が痛い……! 俺は何してたんだっけ? そうだ! 宇佐美は、宇佐美は無事か!


 俺が慌てて顔を上げ、周囲を見渡すが、周囲にいたのは、つい1ヶ月前に俺に告白してきた人物、王島英梨香だった。そして、王島英梨香の側には何人もの執事たちが控えていた。俺がいる場所はとても広く、元々何かの工場だったようだ。


 さらに、俺の腕は縄で縛られており、身動きが取れない。目の前の事態をまだ把握していない俺は、ただただ頭を混乱させる。


「あら、気がつきましたのね、周王春樹さん」


「王島さん、あなたは一体……! これはどういうことなんだ、王島さん!」


「ふふふ、薄々勘づいてるんじゃありませんの? 私があなたと宇佐美杏の誘拐を指示した人間だって……」


「ッ!」


 王島さんの言葉に、俺は最も当たって欲しくない最悪の予想が当たっていたと知り、唇を噛む。でも、なぜ王島さんが俺たちを攫うんだ? ハッ! それより宇佐美は無事なのか?


「王島さん、いや王島英梨香……宇佐美は無事なんだろうな!」


「ふふふ、そんなに声を荒げないでください。心配しなくても、あの女は無事ですわ……今のところはね」


 王島英梨香の言葉に、宇佐美がとりあえず無事であることに安心する俺だったが、最後に付け足された言葉に不安を感じ、訊ねる。


「今のところはってどういうことだ? お前、宇佐美に何かするつもりなのか!」


「いやですわ、私そんなに野蛮な女ではありませんわ。ただ、少しだけ……そうですね。明日の昼ごろまで拘束させて貰うだけですわ」


 そう言って、王島英梨香はオホホホホと笑い出す。しかし、俺の方は王島英梨香の言葉が気になって気が気でない。


「何をするつもりなんだ?」


「明日が何の日かご存知ですか?」


「いや……」


「では、教えてあげましょう。明日は宇佐美家が所有する大企業の株主総会ですのよ」


「それがどうしたのか?」


「その大企業の名目上の取締役は宇佐美杏になってるんですの。そして、明日の株主総会で彼女は取締役を解任されるんですの」


「……されるとどうなるんだ?」


 まだ、話の流れがしっかりと見えていない俺は王島英梨香に訊ねる。


「宇佐美杏が将来、宇佐美家の当主になることの条件、それが件の大企業の取締役を高校を卒業するまでに務めること。つまり、明日、宇佐美杏が取締役を解任されれば、彼女は宇佐美家の力を引き継げなくなってしまう。おそらく、分家辺りの人間が代わりに当主になるでしょうね」


「お前……!」


 王島英梨香が描いている最悪の未来を理解した俺は、動かない体を王島英梨香の方に近づけようとするが、すぐに執事達に取り押さえられてしまう。


「やっと、あなたにも理解できたみたいですわね。そう、明日、宇佐美杏は宇佐美家の力を失う」


「お前、なんでこんな事をするんだ! お前だって財閥の一人娘で力なんて幾らでも持ってるんだろ!」


「……」


 俺の言葉にしばらく沈黙を保っていた王島英梨香だったが、不意に目尻を吊り上げ、口を開く。


「私の上に誰かがいるのが許せませんのッ! あの女が来てから、周囲の人間が讃えるのはみんなあの女ッ! あの女ッ! あの女ッ! あの女さえいなければ、私は永遠に頂点にいるという喜びを味わえるッ!」


「そんなことでッ!」


「そんなことではありませんッ! まぁ、庶民のあなたには一生理解できませんわよね」


 目の前にある渦巻く悪意に目眩がしそうになる。でも、ここでこの悪意に屈してしまうわけにはいかないッ!


 俺が必死に王島英梨香の悪意に耐えていると、彼女が言葉を発する。


「でも、あなたには感謝してるんですのよ、周王春樹君。あなたがいなければ、この計画は実現しなかった」


「……どういうことだ?」


「あなたの弱みを調べている時に何も出なかった時は困りましたわ。でも、それならあなた自身を囮にすれば良いって考えついたんですの。あなたを捕らえようとすれば、あの女は間違いなく、あなたを守ろうとする。だから、あなたとあの女が一緒にいる時に襲撃したんですの」


「ッ!」


「あの女、一人だけなら簡単に逃げられたでしょう。でも、あの女にはそれができない。あなたという存在が近くにいるから。あなたを置いて自分だけ逃げるわけにはいかない。その結果、あの女は私の手のものに捕らえられた」


「……!」


 俺がいたせいで宇佐美は捕まってしまった? 俺を守るために逃げなかったから、宇佐美はコイツらに捕まってしまった? クソッ! 俺はいつも宇佐美に守られてばっかじゃないかッ!


「それでは失礼しますわ、周王春樹君。私もそろそろ、あの女の屈辱に歪む顔を見たいですからね」


 そう言い残すと、王島英梨香は一人だけ執事を伴い、その他の執事達を残して去って行ってしまう。


 クソッ! このままでいいのか俺ッ! 宇佐美は俺がドン底にいた時に助けてくれた。傷ついて動けない俺の側にいつまでもいてくれた! 覚悟を決めろッ! 今こそ俺が宇佐美を助ける時だッ!


 宇佐美を助けるという覚悟を決めた俺は二条さんの指導の時の言葉を思い出す。


『いいですか、周王様。もしかしたらこの先、あなたやお嬢様が危険な目に遭う時が来るかもしれません。もしかしたら、身動きが取れない時が来るかもしれません。その時のためにコレを教えます。ですが、コレをやる為には少しだけ覚悟が必要ですよ?』


 二条さんが教えてくれた技、それを思い出す。行くぞ、俺ッ! ケツの穴締めて、覚悟を決めろッ! うおおおおおおおおお!


 ゴキッ。


 鈍い音が聞こえ、談笑していた執事達が俺に振り返ろうとする。でも、もう遅いッ!


「オラァッ!」


 俺は一番近くにいた執事の腹に蹴りを入れる。蹴りを入れられた執事は床を少しの間、滑ったあと止まる。


「ハァ……ハァ……」


 やっぱり痛ええええぇぇぇぇ! 俺がしたこと、それは親指の関節を外すことである。親指の関節が外れたことにより、縄は解けたが、今でも右手の親指は力なくプラプラと揺れている。


「お前ッ! 関節を外したのかッ! なんて野郎なんだッ!」


 俺がした事を理解した執事の一人が信じられないものを見るような目で俺を見る。


「ハァ……ハァ……正解だッ! 足も縄で縛らなかった自分達を恨みなッ!」


 周王春樹の反撃が、今始まる。

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