幕間:甘くてとろける日


 これは周王春樹が宇佐美家に居候を始めてから、少し時間が経った頃の話。人によっては最高な日であったり、逆に最低の日だと言う者もいる、そんな日の話である。


「今日は結構冷えるなぁ〜」


 俺がハァーッと息を吐くと、息は白く濁り、風に流されて消えていく。隣にいる宇佐美の息も俺と同様に白く濁り、今日という日がどれだけ寒いかを認識させてくれる。


「本当に寒いですね〜、ハル君。でも、学校に入っちゃえば問題無いですから」


 そう、俺たちは今、リムジンから降りて学校の中へ向かっている最中であった。俺たち以外の学生たちも皆、白い息を吐き、ある者は制服の上からコートを被り、その寒さに耐えている。


 しかし、そんな寒い日だというのに、一部の生徒、主に男子生徒はとても元気であった。昨日、登校した時なんかは今日よりマシとはいえ、寒くてどの生徒も学校の中に入るまでは元気が無かった。だが、今日という日では一部の生徒たちが元気になっており、人によっては複数人ではしゃいでいる者もいた。


 今日ってなんかあったっけ? 俺、あんまりイベント事とかには詳しくないんだよなぁ。宇佐美の家に居候してからは、世間の情報もあまり入って来なくなってるし。


 俺は首を傾げ、男子生徒の様子に疑問を持ちながらも、学校の中へと入っていく。




ーーーーーーーーーー




 学校の中へ入ると、男子たちのどこかソワソワとした様子はあちこちで見られた。その中には、偶に席を外しては、5分ほど経つと戻ってくるのを繰り返す者や下駄箱なんかでは、何度も何度も中を見ている者もいた。


 男子たちの様子に不思議に思っていた俺だったが、ある女子生徒の発言でなぜ男子たちがソワソワしているのかが分かった。


「男子〜、アタシたちで義理チョコ作ってきたから、欲しい奴から取りに来て〜!」


 そう言うと、女子生徒たちは紙袋から軽くパッケージされた小さな箱を取り出した。取り出した箱付近からは、甘い匂いが漂ってくる。


 そうか! 今日はバレンタインデーだったか。だから、男子たちがあんなに落ち着きが無かったのか……。どこの学校でもバレンタインの日の男子は落ち着きが無いんだなぁ。バレンタインにお金持ちとかそうじゃ無いとか関係ないか。


 俺は苦笑しながら、女子生徒たちが用意した義理チョコへと群がる男子を見つめる。すると、隣にヒョコッと現れた、宇佐美が訊ねる。


「ハル君は義理チョコ、貰いに行かなくて良いんですか?」


 宇佐美のズバッとした質問に、少し呆れながら俺は質問に答える。


「あのなぁ、宇佐美。こういう時、男は素直に取りに行けないもんなの。さっきだって、恐る恐る一人が貰いに行ってから、少しずつ男子たちが取りに行ってただろ?」


 俺の指摘にふむふむと言いながら、宇佐美は首を縦に振る。


「カッコ悪いかもしれないけど、男はこういう時、カッコつけて素直に取りにいけないもんなの。ましてや、俺はついさっき今日がバレンタインだって気付いたんだ。今更取りに行ったら、目立ってカッコ悪いだろう?」


「へー、そういうもんなんだねー」


 俺の回答にとりあえず、宇佐美は納得したようである。


 宇佐美、なかなか答えづらい質問をしてくるものである。しかし、さっき俺が言った事に当てはまる男子は多いのではないだろうか。男とは素直になれない生き物なのである。


 その後、俺はチョコを貰った、貰ってないで騒いでいる男子を見ながら、ホームルームが始まるのを待つのだった。



ーーーーーーーーーー




 あの後、結局俺はバレンタインのチョコを貰うことはなかった。まぁ、当然といえば当然なのだが。つい数ヶ月前に転校してきた男に誰があげるというのか。


 正直に言うと、宇佐美から貰えるのではないかと期待していたが、今のところそんな素振りはない。宇佐美に用意してないかを聞こうかと頭をよぎることもあった。


 だが、自分から宇佐美に聞いて、もし用意されて無かったとすれば、俺の心理的ダメージは計り知れない。それゆえに、俺は聞けずにいた。


 ホームルームが終わり、俺と宇佐美は迎えの車まで歩いているが、隣を歩く宇佐美の表情はとても楽しげである。


「フンフンフフン♪」


 可愛らしく鼻唄まで歌っている。そんな姿を見ていると、チョコ1つで心を乱されている自分が情けなくなる。


 そうだよな……。宇佐美が俺の隣にいる。それ以上に望むものなんてねぇよ。今はとにかく、この幸せをしっかりと噛み締めよう。


 そう心で思いながら、俺は目に見えるところまで来ていた迎えの車まで歩いて向かう。




ーーーーーーーーーー




 宇佐美の家に帰ってきた俺は、食事と風呂、そして二条さんとのいつもの修行を終わらせ、部屋で休んでいた。今は宇佐美に取り寄せて貰った本を読んで、寝るまでの暇を潰しているところである。


 俺が部屋で暇を潰していると、不意に部屋のドアからコンコンッという音が響く。どうやら、誰かがノックしたようだ。持っていた本を近くのテーブルに置いた俺は、扉を開けようとドアノブに手を掛ける。


「はーい、今開けまーす」


 扉を開けると、そこに居たのはネグリジェを着た宇佐美であった。白をベースに作られたネグリジェはよく宇佐美に似合っている。宇佐美の顔を見ると、心なしか、顔が赤くなっているような気がする。


「ハッ、ハル君!」


 突然のやや上擦った宇佐美の声に俺は少しびっくりする。


「な、なんだ宇佐美?」


「……10秒だけ目を瞑ってください」


「?」


「早く!」


「はっ、はい!」


 いつにない宇佐美の強い口調に俺は素直に言われた通り、目を瞑る。


 どうしたんだ宇佐美!? 今日はちょっと様子が可笑しいが……。おっと、いけない。10秒数えないとな。


 心の中で俺は10秒を数え出す。


 さーん、にーー、いーち。もう良いよな? 目を開けても。


 俺が恐る恐る目を開けると、そこには長方形の箱を俺に突き出した状態で固まっている宇佐美がいた。


「これって……」


「バッ、バレンタインのチョコです! ちょっと遅くなっちゃったけど、受け取ってください、ハル君!」


 もう今日は貰えないと思っていた俺は、宇佐美からチョコを貰えたという嬉しさで体が跳ね回りたくなる衝動を必死に抑える。


「今日は貰えないと思ってたからビックリしたよ」


「うっ、すいません……」


「なんで宇佐美が謝るんだ?」


「そっ、それは……」


 俺が疑問を投げかけると、宇佐美は少しの間、沈黙した後、口を開く。


「ハッ、ハル君も言ってたじゃないですか。男はチョコが欲しくても素直に出せない生き物だって」


「ああ、そうだな」


 朝の義理チョコのくだりの時に言ったかな? まさか、ちゃんと聞いてくれてたとは……。


 俺が朝のシーンを回想している間にも、宇佐美は言葉を続ける。


「おっ、女の子だって素直にチョコを渡せないものなんです! だから……」


「だから?」


「こんな時間になってしまった言いますか……」


 そう言うと、宇佐美は顔を俯かせる。その顔は俯いていても分かるほどに赤くなっており、そんな宇佐美の様子に俺は笑いが込み上げてくる。


「アハハハハハハ!」


「なっ、なんで笑うの!?」


「いやー、こんなに動揺してる宇佐美なんて初めて見ちゃったからさ。それがちょっと可笑しくて」


「むーーー!」


 笑っている俺を見て、宇佐美は頬を膨らませる。普段なら俺が揶揄われているが、今日という日は珍しく宇佐美を俺が揶揄うという図式になっている。


 ひとしきり笑った俺は、まだ膨れている宇佐美に感謝の言葉を伝える。


「宇佐美、今日はありがとな。このチョコ、大事に食べるよ」


「……約束ですよ」


「ああ!」


 そう言うと、膨れた頬を戻した宇佐美はいつもの優しい表情に戻る。その姿を見て、俺も薄く笑みを浮かべる。


「それじゃ、今日はもう遅いし。お互いに寝よう」


「うん! おやすみハル君」


「おやすみ宇佐美」


 互いに夜の挨拶を終えた俺たちは、それぞれの部屋へと戻っていく。俺はというと、宇佐美のチョコを日の当たらない場所に置くと、ベッドの中に潜り込む。


「ふぅー」


 まさか、宇佐美がチョコを用意してくれてるなんて……。嬉しさでどうにかなっちゃいそうだな。間違いなく、今日は人生の中でもトップクラスに良い日だな……。


 そんな事を考えながら、俺は今日という日を噛み締めながら、眠りにつくのだった。

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