宇佐美の家


「よろしくお願いします」


「……ゃ……ぁ…………」


 宇佐美は体を小刻みに震わせ、小声で何かを呟く。


「?」


「やったー!!! それじゃあハル君、今すぐ向かおう!」


「おっ、おう……」


 宇佐美の勢いに呑まれ、俺は曖昧に頷く。


「さぁ、善は急げです! うちの者には連絡を取りましたから、迎えの車がすぐに来るはずです!」


 宇佐美の発言通り、迎えの車は5分と経たず、空き地の前にきた。ただ、問題なのが、いや問題ではないのだが、迎えの車がテレビや漫画の世界でしか見ないお金持ちだけが許される車、リムジンであった。


「さぁ、ハル君! どうぞ、どうぞ! お先に!」


 唖然とする俺を尻目に宇佐美はリムジンに乗るように促す。はじめは尻込みしていた俺だったが、もはや自棄になり、開き直ってリムジンに乗りこむ。


 俺が乗り込んだことを確認すると、宇佐美も続いて乗りこみ、俺の横に腰掛ける。


 もうどうにでもなれ! 俺はこうなったらとことん成り行きに任せてやると覚悟を決めて、リムジンの窓から見える空き地が遠くなっていく様を見届ける。




ーーーーーーーーーー




 30分ほど乗っていただろうか。


 俺達が乗っていたリムジンは驚くほどの快適さで俺達を目的地に運び、停止する。乗っていた間、びっくりするくらい揺れなかった。これは車が凄いのか、運転手が凄いのか。いや、両方か。


 乗っている間、宇佐美はどこから取り出したのか、フルーツ盛りを取り出し、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。宇佐美自身が楽しそうなこともあって強く断れず、30分間、俺は宇佐美の思うがままに動くしかなかった。


「それじゃ、行こう?」


 宇佐美はいち早く、リムジンから降り、俺に手を差し出す。


「ああ」


 多少の気恥ずかしさがありながらも、その手を取り、リムジンから降りる。リムジンから降り、最初に目に入ったのは何階立てだろうか? 写真でしか見ないような西洋のお城であった。


「こんなお城……いつできたんだ?」


 こんなお城ができていたら、噂になりそうなもんだが……。


「ふふっ、1ヶ月前から突貫で建ててもらったんだ。その分、お金は割高だったんだけどね」


「へっ、へー」


 実際、いくらぐらい掛かったの? という問いを寸前で飲み込む。おそらく、聞く必要もないだろう。聞かなくてもわかる。とても、高いってことは。


「さぁ、行こ? ハル君」


 そう言って宇佐美は俺に手を差し出す。その姿に小さい頃の宇佐美の姿が被る。この手を取れば、引き返せないだろうと本能的に感じ取る。俺は半ば、諦観のような覚悟を決める。


 宇佐美が差し出してきた手を取り、眼前に聳え立つお城へと歩き出す。




ーーーーーーーーーー




 お城の中に入ると、そこはまた別世界であった。天井は信じられないくらい高いし、床に敷かれているカーペットも信じられないくらい柔らかい。


 宇佐美は、「急ぎだったからあまり装飾はできなかったんだよね〜」なんて言っているが、俺には充分、凄い装飾のように思える。後ろからは当然のように執事さんとメイドさんが一定の距離感を保ちながら、付いて来る。


「まずは、食事にしましょう。榊、準備して!」


 宇佐美が後ろの老齢の執事さんに目配せすると、すぐに後ろに控えていた執事さんとメイドさんが動き出す。無駄のないその動きに感心している俺の手を取り、宇佐美はお城の中を案内してくれる。


「えーっとここが大浴場でー、……ここが書斎だよ」


 宇佐美は俺の手を引っ張りながら、いくつもある部屋を逐一教えてくれる。そんな説明をボーっと聞くが、正直今の状況が現実離れすぎてほとんど説明は入ってこなかった。5分ほど歩いたところで、食事が用意された部屋に着く。


 通された部屋はお城の中の広さと比べると意外に狭く、ちょうど2人ぐらいが座れるテーブルに食事が置かれている。宇佐美に促されるまま、椅子に着き、遅れて宇佐美も俺の隣に座る。


「さぁ、ハル君! 食べよう!」


 緊張していた俺だったが、宇佐美の笑顔に体の力が抜ける。


「ああ、いただきます」


 近くにあったスープを掬って一口飲むと、その美味しさもそうだが、何よりその温かさに俺の心が解きほぐれる。


 思えば、温かいものを食べたのはいつだろう。冥と付き合う前は毎日のように食べていた母の料理も、付き合ってからはバイトと冥のワガママで忙殺され、食事はコンビニで買ったおにぎりやパンで済ませていた。


 久しぶりに感じた温もりのある食事は、俺の喉を胃を伝い、やがて体の芯まで染み込む。


「ふふっ、ゆっくり食べてくださいね」


 宇佐美の忠告も上の空に、俺は目の前にある料理を無心に口へ運び込む。




ーーーーーーーーーー




 食事を終えた俺は、次に浴場に通され、やたらと広い浴場を堪能した後、俺の私室だという部屋のベッドにボフンッと倒れ込む。


 流れでここまで来てしまった……。宇佐美には迷惑をかけちまったな。8年ぶりに会った幼馴染をこんな簡単に受け入れてもらって、食事からお風呂、服まで用意してもらった。こんな俺なんかには、もったいないもてなしだ。


 よし決めた! 明日になったらここを出ていくと宇佐美に言おう。幸い、俺の銀行口座には15万ほどの現金が入っている。ここを出ても、バイトをやりながら、しばらくは食い繋いでいけるだろう。宇佐美にばかり、世話になりっぱなしは良くない。


 ベッドで横になりながら、明日のことについて考えを巡らしていると、部屋のドアからコンコンッというノックが聞こえる。


「私、宇佐美だけど、今いい? ハル君」


「あっ、ああ。大丈夫だぞ!」


 俺は少し声を上擦りながらも、宇佐美に部屋に入っていいと促す。


「……失礼します」


 部屋に入ってきた宇佐美はお風呂から上がったばかりのようで、その体からは薄く蒸気が浮かび上がる。身に纏っているネグリジェは薄いピンクで統一され、宇佐美から香ってくる甘い匂いと相まってクラリとする。


「ハル君……隣に座っていい?」


 宇佐美は上目遣いで俺にお願いしてくる。その姿に思わずドキッとする。


「いっ、いいぞ」


 俺の返事を聴くと、宇佐美は嬉しそうに隣に座る。


「えへっ、えへへへへ」


 緊張している俺とは裏腹に、宇佐美は本当に楽しそうだった。


 くそっ! 宇佐美が可愛い。先ほどまでこのお城から出ることを決意していたのに、宇佐美の様子に「もう一生、このままでいいんじゃないか?」という自分が現れる。


 宇佐美に甘えたくなる自分を一喝し、先程まで考えていたことを必死に口に出す。


「うっ、宇佐美!」


「んっ……? 何、ハル君?」


「やっぱり……俺、明日になったらここを出るよ。宇佐美にずっと甘えっぱなしって訳にはいかないし、俺の問題に宇佐美を巻き込めない」


 もはや、俺には宇佐美の顔が見れなかった。俯いたまま、自分の内心を吐露する。


「俺だったらもう大丈夫だよ! だから、明日になったらここをーー」


 頭を引かれる感覚に気がつくが、不意打ちで俺は抵抗することなく、宇佐美の膝に頭を落とす。


 いわゆる、膝枕のかたちになっていた。


「ハル君……そんなに気を遣わなくていいんだよ? ここにはハル君が居ることを嫌がる人なんて一人もいないよ」


 宇佐美はまるで子をあやす母のように俺の頭を撫でながら、優しい声で囁く。宇佐美の膝枕に抵抗できず、ただただ促されるままに宇佐美の優しい声を聞く。


「私……正直ちょっと嬉しいんだ。小さい頃はどんな時も元気いっぱいで、何をされてもへっちゃらだったハル君がこうして私に頼ってくれてる。小さい頃は何にもハル君にできなかった私がハル君に何かをしてあげられる……。私、今とっても幸せだよ……。だから、ずっとここに居ていいんだよ……」


 もはや、俺は宇佐美の声に、優しさに溺れていくばかりだった。頭を撫でられる気持ちよさと宇佐美の甘い香りに包まれ、ゆっくりと俺は意識を落とす。




ーーーーーーーーーー




 目が覚めると、部屋の大きな窓からは絶え間なく光が降り注ぎ、夜が明け、朝が来たことを告げる。


 昨夜のは、夢……じゃないよな? 昨日の現実離れした体験に夢であることを疑うが、ベッドからかすかに香る匂いが昨夜の出来事が嘘ではないと否定する。


 部屋にあったお手洗いで顔を洗い、歯磨きを終え、部屋を出る。部屋を出ると、すぐにメイドさんが控えていた。


「周王様、おはようございます。お食事の準備は既に出来てございますが、いかがしますか?」


「えっと……お願いします」


「それでは、案内させていただきます」


 メイドさんが常に周りにいるなんて……慣れないなぁ。それにとっても綺麗だし。


 目の前を先導してくれるメイドさんは、肩につくか、つかないかまで黒髪を伸ばしており、ピシッと綺麗に前髪から後ろ髪までパッツンとカットされている。


 俺がボーっとメイドさんを見つめながら歩いていると、やがて昨日、食事をとった場所に着く。


「到着いたしました。もし、今後も御用がありましたら、お呼びください。私は二条と申します。それでは、失礼いたします」


 そう言って、二条さんはスススと近くに控えているメイド・執事集団に混ざる。


「おはようございます、ハル君」


「おはよう、宇佐美」


 部屋に入ると、すぐに宇佐美が挨拶をし、俺もそれに返す。宇佐美は既に着替えを済ませており、ピシッと皺のないセーラー服を着ている。


 椅子に座ると、いただきますという言葉を合図にすぐに食事が始まる。30分ほどかけて食事を済ませ、食後のコーヒーを楽しむ。


 うまっ! コーヒーって苦いだけだと思っていたけど、本当に美味しいコーヒーはこんなに美味いのか!


 俺が呑気にコーヒーの本当の美味しさについて考えていると、宇佐美が不意に口を開く。


「ハル君、どうやらハル君はタダで私にお世話になるのが心苦しいようですね?」


「うっ、うん」


 宇佐美の問いに俺は素直に認める。


「だから、ハル君には今日から私の付き人をやってもらいます」


「付き人?」


 あまり聞き馴染みのない言葉を聞き、思わず聞き返す。


「はいっ! 私の学校では1人だけ身の回りの世話をしてくれる付き人を連れ歩くことができるんです。ハル君には付き人になってもらって私のお世話をしてもらいます」


「俺が宇佐美をお世話……」


 話を聞くと、どうやら宇佐美の通っている学校はいわゆるお金持ちだけが通う学校のようで、そこに通う生徒の中には、過保護に育てられた子供も多く、日常の生活を送ることも難しい子供も少なくないという。そのために付き人というシステムを学校が認めているらしい。


 今回、宇佐美は俺にその付き人にならないかと持ちかけているらしい。


「私はハル君にお世話してもらってハッピー。ハル君は罪悪感がなくなってハッピー。両方Win-Winだよね!」


 宇佐美の提案に俺の中で、それでいいのか? という気持ちがないまぜになる。


「……ダメですか?」


 宇佐美は不安そうに俺を見つめ、返答を待つ。


 宇佐美がこんなに言ってくれてるんだ。ここまでしてもらって断るのも悪いだろう。何より、俺自身が宇佐美と一緒に居たい!


 俺は自分の気持ちを素直に受け止め、宇佐美に返事をする。


「……よろしく頼むよ、宇佐美」

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