神のイタズラ
「ハル君、服が欲しいって言ってたよね? それじゃあ、今からデパートの方へ行こうよ」
昼食を終え、俺たちはしばらく談笑していたが、腕時計を見ていい時間だと思ったのか、宇佐美がデパートへの移動を提案する。
「ああ、そうだな。行こうか」
俺たちはベンチから立ち上がり、このへんで一番近いデパートに向かって、歩みを進める。宇佐美と一緒に歩くと、すれ違った男たちは皆一様に振り返り、宇佐美に見惚れている。中には、彼女連れの男まで宇佐美に見惚れ、隣にいる彼女に頬をつねられている。
さっき歩いてる時も思ったが、宇佐美は本当に目立つなぁ。そんな相手と俺はデートをしてるんだから、ホント人生とは何があるかわからないものである。
俺がそんなことを考えていると、いつのまにかデパートは目で見えるところまで近づいていた。
「着いたよ、ハル君! 早く入ろうよ!」
「おいっ、宇佐美。そんなにはしゃいでると段差とかで転ぶぞ!」
デパートに着くなり、宇佐美は嬉しそうな表情を浮かべ、店の中に小走りで入っていく。俺も慌てて宇佐美の跡を追う。
「見て、ハル君! 猫すらダメにするクッションだって! 試してみようよ!」
「おっ、おう」
宇佐美の勢いに押され、俺は宇佐美に連れられるまま店の中に入る。
「店員さん、これに寝てみても良いですか?」
「……ハッ! えっ、ええ。良いですよ」
宇佐美は店に入るなり、人1人がすっぽり呑み込まれそうな大きなクッションを指差し、店内でボーッと立っていた店員に寝転がっていいかを尋ねる。どうやら店員の男性は宇佐美に見惚れていたらしく、すぐにハッとなり、宇佐美に了承の意思を示す。
「ありがとうございます!よーし……」
宇佐美は少しの間溜めを作り、勢いよくクッションに飛び込む。クッションは宇佐美の体を優しくキャッチし、宇佐美の形に沈み込む。
「ふわぁぁぁ……。ハル君! これすごく気持ちいいよ! ハル君も寝てみなよ!」
クッションに飛び込み、気持ちよさそうにしていた宇佐美だったが、仰向けになると両手を出して俺も寝てみないかと提案する。俺が今、クッションで寝るということは、宇佐美と体を密着させるということになるのだが……。
近くで見ている店員もおいっ、どうすんだよ? やんのか? と意思を込めて、俺に視線を送っているように見える。
「ほら、早く!」
ええい、ままよ! 俺は宇佐美が寝ているクッションに覚悟を決めて寝転がる。
「ふふっ。気持ちいいでしょ、ハル君?」
「ああ、気持ちいいな……」
確かに気持ちいい。気持ちいいのだが、近くにいる店員の視線がとても痛い。レジに方にいる女性店員なんかはおいおい、バカップルが来やがったよといった表情で一緒にクッションで寝ている俺たちを見ている。至近距離にいる宇佐美からは、桃のような甘い香りが漂ってくる。
もうこれ以上は無理! 店員の視線に耐えられなくなった俺は結局、すぐにクッションから起き上がる。
「あれ? もういいのハル君?」
「あっ、ああ。俺はもう充分堪能したよ……」
これ以上、一緒に寝ていると、店員に見られているという羞恥と至近距離に宇佐美がいるというドキドキでどうにかなってしまう。
その後、宇佐美は猫すらダメにするクッションを存分に堪能し、やっとクッションから起き上がる。
「うーん、気持ちよかったぁ。ねっ、ハル君!」
「ああ」
「あっ! あっちでは北海道物産展がやってんるんだって! 行ってみようハル君!」
「あっ、おい!?」
その後、俺は2時間以上も宇佐美にデパートの中を引っ張り回されるのだった。
ーーーーーーーーーー
「あー楽しかった!」
「そっ、そいつは良かった……」
2時間以上デパートの中を引っ張り回された俺は、一旦近くにあったベンチに座る。続けて、宇佐美も俺の横にゆっくりと腰を落とす。そして、顔を曇らせて俺の方を見る。
「ハル君……もしかして楽しくなかったですか?」
宇佐美は不安そうに瞳を震わせながら、俺に訊ねる。
「いや、そんなことないさ。こんなに動き回ったのは久しぶりだからさ、ちょっと疲れただけさ」
「ふふっ、それなら良かったです!」
俺が宇佐美の問いを否定すると、宇佐美はパッと顔を明るくする。その無邪気な笑顔が目に入り、俺も笑みを浮かべる。
「あっ、いけない! ハル君の服をまだ買ってないよ!」
宇佐美は不意に立ち上がり、当初の目的を失念していたことを思い出す。
「こうしちゃいられません! ハル君、早く洋服売り場の方へ行きましょう!」
「おい、宇佐美。そんなに急ぐなって」
「善は急げです!」
宇佐美はベンチに座っていた俺の手を取ると、勢いよく、洋服売り場の方へ駆け出す。
ーーーーーーーーーー
5分ほど歩き、俺たちは洋服売り場に着く。洋服売り場に着くと、そこはメンズだけでなく、レディースも取り扱っている店のようだ。店の中にいち早く入った宇佐美は、少し入ったところでクルッと振り返る。
「ハル君、どうせならお互いの服を選びあいませんか?」
「え?」
宇佐美の提案に俺は目を丸くする。
「そっちの方が楽しいし、何より……ハル君の好きな服を私に着せられますよ?」
「……!」
上目遣いで提案する宇佐美に俺はクラリと来る。そりゃ、こんな美少女に自分の好きな服を着てもらえるなんて男の夢である。俺は宇佐美の提案を喜んで了承する。
「そっ、そうだな。それじゃあ、お互いに服を選びあうか」
「はい! それじゃ、20分後に試着室の前に集合するってことでお願いします!」
「ああ、OKだ」
「ふふっ。それじゃあ……服選び、スタートォォ!」
宇佐美の元気な開始の合図で、俺たちは各々がメンズコーナーとレディースコーナーに散っていくのだった。
……20分後。
服を選び終えた俺たちは、事前に取り決めた通り、試着室の前に集まっていた。
「フフフフフ、ハル君も無事選び終えたようですね」
「ああ、バッチリだ」
宇佐美はイタズラっ子のような笑みを浮かべ、俺に話しかける。話しかけられた俺も、自信満々な感じを出して宇佐美に応える。
「ふふっ、期待していますよ。それでは、まずは私が選んだ服から試着してもらいます!」
「ドンと来い!」
宇佐美は後ろ手に隠していた買い物カゴを持って試着室の中に入り、少ししてからピョコッと試着室から出てくる。
「試着室の中に上下セットで服をかけてきました。さぁ、ハル君! 試着室へと赴くのです!」
宇佐美の芝居がかったセリフを聞き、苦笑しながら俺は試着室の中に入っていく。そして、俺は中のハンガーにかけてあった服を試着していく。
「宇佐美、もういいぞ」
「わかりました! それでは……ハル君の登場です!」
宇佐美の言葉を聞き、試着室のカーテンを開ける。
「おお! カッコいいですよ、ハル君! よっ、男前!」
宇佐美が選んだコーデはボーダーの入ったロンTにピタッとした黒いパンツを合わせ、その上からカーディガンを羽織ったものである。俺が選べば、こんなに良くはならないだろう。さすが、宇佐美である。
「ふふっ、次は何を着てもらおうかな〜?」
1度目の試着が終わり、宇佐美は2着目の服を選び始める。その後、3着ほど試着し、俺の試着のターンは終わるのだった。
「あ〜、わたしはとっても満足だよ!」
「ハハッ……それなら良かったよ」
心底楽しそうな宇佐美の様子に俺は苦笑する。
「じゃあ、次は私の番ですね! ハル君がどんな服を選んだか楽しみだなぁ!」
「あまり期待はしないでくれよ」
俺は、宇佐美がさっきしていたように試着室のハンガーに選んできた服をかける。俺が試着室から出てきたのを確認し、宇佐美は俺と変わりばんこに試着室に入っていく。
「できましたよー、ハル君」
試着室に入ってから少しして、宇佐美は試着が着終わったことを伝えてくる。
「りょーかーい!」
俺は心の準備ができていることを宇佐美に伝える。
「ふふっ、それじゃごかいちょー!」
勢いよく試着室のカーテンを開けた宇佐美は……とても可愛かった。宇佐美が着ている服は、白いワンピースであった。白いワンピースは宇佐美の清楚な雰囲気にとっても合っており、腰を紐で絞ったことから、宇佐美のスタイルの良さがより浮き立つ。
宇佐美の可愛さに見惚れ、少しの間ボーっとしていたが、宇佐美の声を聞き、ハッとする。
「どうですか……似合ってますか、ハル君?」
「あっ、ああ。すごく可愛いよ、宇佐美」
俺の言葉を聞き、宇佐美の顔がパッと顔が明るくなる。そして、すぐに顔が赤くなり、俺から顔を逸らす。
「えへ、えへへへへ。ハル君に可愛いっていってもらっちゃった!」
顔を逸らした宇佐美がゴニョゴニョと何かを言っているが、俺の耳までは届かない。しばらく、ゴニョゴニョと言っていた宇佐美だったが、不意に顔を上げる。
「それじゃあ、次の服の試着にいきましょう!」
「おっ、おう」
宇佐美の勢いに押され、俺はさっきと同じように試着室のハンガーに服をかけ、宇佐美が着替え終わるのを待つ。俺が宇佐美の試着が終わるのを待っていると、中に入っている宇佐美から声をかけられる。
「ハルくーん。背中のファスナーが上げられないから、上げてくれないかな?」
宇佐美の言葉に俺の心臓が飛び跳ねる。
「うっ、宇佐美!? そんなことできるわけないだろ!?」
「そんなこと言っても、このままじゃ私の柔肌がハル君に全部見られちゃうよ? あっ、そっちの方が良かった?」
「いっ、良いわけないだろ!?」
「それじゃあ、背中のファスナー上げてよー」
宇佐美の言葉に俺は一瞬躊躇ったが、意を決して試着室の中に腕を伸ばす。できるだけ見ないようにと、目線を逸らしながらファスナーを探していることもあり、なかなかファスナーに手がかからない。
その間、俺は事故で宇佐美の体に何回か触れてしまう。俺が触れる度、宇佐美は『あっ……』や『ちょっと……』、『そこはダメェェ』などと言い、俺はその度ドギマギしてしまう。
そうこうしていると、俺は体勢を崩し、試着室の中に入ってしまう。
「ごっ、ごめん宇佐美! わざとじゃな……い」
試着室の中の宇佐美は俺に背中を向けていた。ファスナーの閉じた服を着て。この瞬間、俺は自分が揶揄われていたのだと自覚する。
「宇佐美、おまえファスナー閉じてるじゃないか。俺を揶揄ってたんだな?」
「エヘッ、バレちゃった!」
「このヤロー、宇佐美!」
俺は宇佐美に仕返しの意味を込めて、宇佐美の脇をくすぐる。
「アハハハハ! ちょっとやめて、ハル君。笑い死んじゃうよぉ!」
「うるさい! 俺をからかった罰だ」
そんなこんなで服屋での買い物は騒がしくも、楽しいものになった。服を買い終えた俺たちは、デパートを出て、帰路に着くのだった。
ーーーーーーーーーー
「今日は楽しかったね、ハル君!」
「ああ、そうだな!」
デパートから出てからも、宇佐美はずっと楽しそうにニコニコとしている。俺自身も昼間の緊張が嘘のように、今は緊張が取れ、口が自然と笑みを浮かべる。
「良かった。ハル君、今日はいっぱい笑ってくれたね」
「え?」
宇佐美の言葉に、俺は間抜けな声を上げる。
「ハル君、ウチに来てからもあまり笑わなかったからさ……。だから、今日はこんなに笑ってくれて私も嬉しいよ!」
「宇佐美……!」
宇佐美、俺を笑わせるために今日はあんなに説教的だったのか……。自分ではもう大丈夫だと思ってたのに、心配かけちまってたんだな……。
「宇佐美……ありがとな」
俺は、宇佐美に心からの感謝の言葉を伝える。
「そんな、気にしなくて良いよ! 私はハル君が幸せだったら……それだけで良いんだから」
そう言って、宇佐美は優しい笑みを浮かべる。宇佐美の優しさに俺はいつも、助けられている。いつか、この恩は返さないとな!
俺は新ためて自分の心に宇佐美への恩返しを誓う。
「それより、ハル君! もうそろそろ暗くなってきたよ。家に帰ろ?」
宇佐美に指摘され、俺は左腕の時計に視線を落とす。時計の針は、もうすぐ17時を指そうとしていた。
「そうだな……。じゃあ、帰るか!」
「うん!」
俺たちは家に向かって足を進める。
この時の俺は間違いなく心の底から幸せだった。しかし、悪意というのは神のイタズラか、最高に幸せの時にこそ、訪れるものである。
「……春樹?」
俺はその声を聞き、胸がギュッと締め付けられる。その声は何度も、何度も聞いた。しかし、二度と聞きたくないと思っていた声だった。
俺が振り返ると、俺の元カノ【綾川冥】が周囲に友達を連れ、立っていた。
「あんた……まだ生きてたんだ? キャハッ!」
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