第6話 「ここまで来ればもう安心だから」(非フラグ)
「ここまで来ればもう安心だから」
しばらく走って、ようやく足を止めた音夢の第一声がそれだった。
「ここまで来れば、ねぇ……」
俺は、辺りを見回す。
空は見えない。
何故なら、天井があるからだ。
辺りは薄暗い。
何故なら、切れかけた照明が明滅しているからだ。
はっきりいって生臭い。
何故なら、そこかしこに淀み、濁った色合いの水たまりがあるからだ。
「……地下じゃん」
そう、ここは地下だった。
天館の三角の一角を担う駅ビル『天館ソラス』の地下繁華街に、俺達は来ていた。
近くの壁に、大きく『天館ジョイフルストリート』と書かれている。
音夢に腕を引っ張られ、俺は地下への階段を下りた。
天館駅には地下鉄も通っていて、地下への入り口はそこかしこにある。
俺達が降りたのは『天館ソラス』の近くにある、地下への入り口のようだった。
「ゾンビは、ここには来ないのか」
「来るときもあるけど、大丈夫よ。この辺りは巡回区画だから」
「ふむ……」
巡回区画。
つまり、何某かの組織か、あるいはまとまった複数名がここら辺を巡回している、と。
そしてどうやら、音夢はそれを知れる立場にあるらしい。
「音夢、おまえ一体……」
「話はここからもう少し歩いてからにしましょう。この先に『城門』があるから」
……城門、ねぇ。
『なぁ~んか、怪しい雰囲気ですわねぇ』
『怪しさでいえばこの世界でおまえに優るモノはないと思うがな』
人の言葉を喋る小鳥。その正体は異世界の女神様。
怪しい。どう考えても怪しい。怪しすぎてもはや怪しい者認定しかできない。
『そうやって話の腰を折るの、トシキ様の悪いクセでしてよ』
『へいへい。とにかくついていこうぜ。聞きたいことは山ほどあるしな』
肩に小鳥エラを乗せて、俺は音夢のあとに続いていく。
薄暗い地下繁華街には俺達の足音以外には何の音もなく、ただただ静寂に満ちていた。
住宅地で感じた無機質な空気感に近いものがあるが、ここはさらに雰囲気が重たい。
きっと、ここが地下だから、というのもあるからだろう。
空も見えず、外にも通じていないここは、こうしてみると随分と息苦しいな。
「さっきは、助けてくれてありがとう」
前を歩いている音夢が、こっちを見もせずにいきなりそんなことを言ってくる。
「あんな数のゾンビに追われて、もうダメかと思ってた。……だから、ありがと」
「音夢……」
重ねて礼を言ってくる音夢の名を一度呼び、俺は――、
「そうやって何かしながらこっち見ないで礼言ってくるのって、照れてるときのおまえのクセだよな。え、照れちゃってんの? 俺にお礼を言うの、恥ずかしいの?」
「あのねぇ!!?」
あ、音夢がこっち向いた。顏が真っ赤だ。何か怒ってる。
『ないわー、ですわ。……今のはないわー、ですわよ、トシキ様』
肩にとまっている小鳥エラが、自分の羽根で『あいたたた』と頭を抱えていた。
「うるせぇな、二年ぶりくらいだろうが、今さら礼なんて言い合う仲でもねぇだろうがよ、俺らは。違うかぁ、音夢。俺は違わないと思う。だから礼はいらん」
「あああぁぁぁぁ~、そうよね。そうだったわ、橘君だもんね、橘君って……」
何をワケのわからんことを。
身内を助けるのは当たり前の話、ってだけだろうが。
「で」
俺は、肩を落としている音夢が今もしっかり抱えているものに目をやる。
「体張って、命かけて、手に入れた戦利品がそいつかい?」
「うん。ごめんね」
今度は急に謝られた。音夢は目を伏せて、申し訳なさげだ。
「助けてもらったのに、これ、分けてあげられないの。ごめんなさい」
「あ~、いやいや、そういうのいいから。マジでいいから」
俺は眉間にしわを寄せて、軽く手を振る。
そんな、カップ麺欲しさに助けたとか思われたくないわ、よりによって身内から。
「まぁ、でも、色々教えてくれ。こっちに戻ってきたばっかなんだ」
「戻ってきた……、って、旅行でも行ってたの?」
あ、やっべ、相手がダチだから、ついつい口が軽くなっちった。
『おバカですわ~。この勇者、相変わらず身内相手だとガードガバガバですわ~』
『うるさい。自覚はしてるんだ、うるさい。……ごめんて』
アルスノウェでもそこを敵に突かれて何回も死にかけたが、結局治らんかった。
こればっかりは性分というか、気質というか……。
「えー、あー、うん。ちょっと界外行って帰ってきたばっかなんだ」
「へぇ、海外行ってたんだ。いいなぁ。どこ?」
ど、どこ……?
どこって答えればいいんだろう、異世界のこと……。え~~~~っと。
「…………。…………。…………よ、よ~ろっぱ?」
「何、その長い溜めは?」
「まぁまぁ、いいから。それで、何だって突然、ゾンビなんかが?」
俺は強引に誤魔化して、音夢に促す。
再び前を向いて歩きだした音夢は、沈んだ声色で俺に語り始めた。
「二週間前、雨が降ったの」
「雨?」
「大学からの帰り道、天館駅に着いたときだから、夕方くらいかな。降ったの」
雨、と、音夢は言う。
それがゾンビの大量発生と、どんな関係があるというのか。
「黒い雨だった。墨みたいな黒い雨。それがザーッと、数分だけ降ったわ」
「黒い、雨……?」
「うん。その雨を浴びた人は急に苦しみだして、そのまま倒れちゃって……」
音夢の肩が小刻みに震える。
おそらくはそのときのコトを思い出して、恐怖を追体験しているのだろう。
なるほどな、その黒い雨を浴びた人間は残らず死んだんだな。
そして程なくゾンビとして起き上がった。確証のない推測だが、そんなところか。
「ゾンビに噛まれると、噛まれたヤツもゾンビになるのか」
「外に出た人が腕を噛まれて、それからすぐに倒れてゾンビになったのを見たわ」
ふむ……。
人をゾンビに変える黒い雨。人から人に感染する、ゾンビ化の病原。
考えられる可能性としては、毒か。
それも、即効性で極めて毒性も高い上、死んだ人間をゾンビに変える毒。
『ありえねぇ~。平和な現代日本にあっていいもんじゃねぇだろう、それは』
『広範囲を一気にゾンビ化させる毒ですか。ちょっと使い道が難しいですわね』
有効な使い道を考えてんじゃねぇよ、殺伐異世界の女神が。
だがまぁ、気になるっちゃ気になる。
『近いうちに、ゾンビ捕まえて解剖でもするか』
『あ、いいですわね。魔力で動かないゾンビの構造、興味ありますわ~』
と、俺とルリエラが念話で話していると、音夢が足を止める。
「ここよ、橘君」
「ここ?」
俺が見る先は、見るからに分厚い金属のシャッターが下りていて、通れない。
しかし、俺の探査魔法もシャッターの向こう側に人の反応を感知していた。
だが、感知しているのはそれだけじゃない。こいつは――、
「国民ナンバー113、回収班の小宮音夢です! 開門をお願いします!」
「国民って何だよ?」
いきなり声を張り上げた音夢に、俺は首をかしげる。
しかし音夢はこっちには反応せず、緊張した面持ちでジッと何かを待ち続けた。
「国民ナンバー113、回収班の小宮音夢。照合が終わった。帰着予定時刻より三十五分の遅刻だが、それよりも上納用物資の回収はできたのか?」
と、シャッターの向こうから、くぐもった男の声が聞こえてくる。
「はい! 手つかずのカップ麺入り段ボールを回収できました!」
「何ッ!? それは本当か、国民ナンバー113! 貢献度として大きいぞ!」
音夢の報告に、途端に喜色を露わにするシャッターの向こう側の男。だが、
「また生存者を一名発見したので連れてきました。帝国への参加を希望しています」
「……何だとぉ?」
続く報告によって、男の声から喜色が薄れる。
いやいや、何だよ帝国って。いつどこで俺はそれへの参加を希望したよ。
「おい、音夢?」
「いいから、橘君は静かにしていて。悪いようにはしないから」
言おうとする俺を、音夢が遮る。
少しして、前方をふさいでいたシャッターが重い音を立てて上がり始めた。
「地上がゾンビだらけになって、私達は地下への避難を余儀なくされたの」
急に、音夢が神妙な顔をして説明し始める。
「それで『天館ソラス』を中心にして、一つの共同体が出来上がったの。それが」
ガラガラとシャッターが上がり切って、その向こうに男の姿が見えてくる。
俺と音夢より少し上くらいの、ガタイのいい赤茶ロンゲのにいちゃんだった。
にいちゃんが着ている白地のTシャツの胸から腹にかけて、何かが描かれている。
黒く太い手書きで、しっかり目立つように書かれた文字は――『吉田』。
「それが、この『吉田帝国』なのよ、橘君」
音夢が遠いところに逝ってしまった。
そう思った俺は、本気で蘇生魔法の準備をしかけたのだった。
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