第27話 この話をできるのは、今しかない。(断言)
この話をできるのは、今しかない。
俺と音夢がゆっくり話をできるタイミングなど、これからしばらくは訪れない。
だから俺はしっかりと音夢を見据えて、もう一度問うた。
「俺は殺すぞ。おまえはどうする」
「……それは」
予想通り、音夢は言いよどんだ。
先週、音夢にとっては一年前、俺は吉田帝国の皇帝を殺した。
そのときに、音夢はそれを怒り、悲しみ、そして泣いた。
日本人の感覚など摩耗し尽くして、殺人に何ら抵抗を覚えなくなった俺の前で。
音夢は、あれからアルスノウェで一年を過ごした。
こいつはあの世界で何を感じた。そして、どう変わったのか。
それを確かめる必要がある。
「音夢」
押し黙ろうとする音夢に、俺は軽く詰め寄る。
「私は、殺してほしくないわ」
返ってきた答えは、先週と変わらないもの。――のように聞こえた。
「でも、それが甘えた考えだってことは、今はわかってる」
「甘えた考え、か……」
俺が言うと、音夢は「ええ」とうなずいた。
「人道とか、人権とか、そういうのって私達にとっては生まれたときから当たり前にあったものものだった。でも、それが成立するまでには長い時間がかかったのよね」
「……何が言いたい?」
「考えたのよ、色々と。私も」
音夢が、強いまなざしでこっちを見つめ返してくる。
「令和の時代だって、日本は平和だったけど、近くの国はキナ臭くて、もっと遠い国じゃ普通に戦争してたりして、人権とか人道が戦争の口実になったりもしてて……」
「ああ」
「人が人でいられた平和な時代ですら、言い訳程度にしか使われてなかったのに、人が人でいられなくなった今の時代にそれを持ち出すのは、自殺行為よ」
「そこまで言うか、おまえが」
「言ったでしょ。色々考えたんだって。アルスノウェで一年も過ごしたのよ?」
音夢が、小さく笑う。
だがその笑みは、明らかに無理して作った強がりの笑みだ。
「人道も人権も、法っていう社会的な基盤があるからこそ成り立つものなのよ。それがなくなって、今はもう、人は人じゃいられなくなった。だから――」
「だから、人が人を殺すことを許容するのか」
「我慢するのよ。許容なんて、できるはずがないでしょ」
我慢、か。
何とも音夢らしい言葉だと、俺は思った。
「人を殺すことが普通になってたら、そんなの、モンスターと一緒じゃない」
「じゃあ俺は、とっくにモンスターだな」
「違うわ。橘君は、人よ」
苦笑しようとする俺に、だが、音夢はきっぱりと言い切る。
「だって、あなたは『あなたの正義』に反しない人は殺さないわ。そして私は『あなたの正義』がどういう基準のもとに成り立っているか、知ってるもの」
「…………」
俺は、絶句した。
何というか、音夢の言葉に、まなざしに、心臓をギュッと掴まれた気がしたのだ。
「会話が成り立って、お互いを思いやれて、心の中に法と正義を持つなら、それはもう人でしょう? 姿形が違っても、私はそういう相手は人と一緒だと思う」
「改めて思うけど、おまえ、すげぇな……」
ああ、すごいわ、こいつ。
やっぱりこいつは、俺が知ってる小宮音夢だ。
異世界での一年を経ても、まるで、何にも変わっちゃいない。
「言っておくけど、私は本当は誰も殺してほしくないんだからね。橘君にも。でも、今は何より生き延びることが最優先で、だからその必要に迫られたら、きっと――」
「きっと?」
「きっと、私も殺すわ。自分の罪を、しっかり自覚した上で」
言い切る音夢の瞳には、確かな覚悟の光があった。
それを見て、俺は小さく息をつくと、音夢の背中をポンと叩いた。
「な、何よ?」
「おまえは真面目過ぎんだよ」
まぁ、知ってはいたが肩肘張りすぎ。もう少し力を抜いてもいいだろうに。
「そんな難しく考えんなって。もっと単純明快でいいんだよ」
「単純明快って?」
「つまり、今は何事も破壊と暴力で解決する時代ってことだよ!」
そう考えれば、実にやりやすい。
敵がいれば撃破粉砕。障害があれば破壊滅却。ああ、何てわかりやすい。
力こそ法であり、力こそ掟であり、力こそが全てを決める。
「……前言撤回するわ。橘君は、人であり、モンスターだわ」
とてもひどいことを言われた。
「だけど、今は力がないと何もできない、っていうのは同意よ」
音夢が、道路の先へと目をやる。
そこでは今も、冒険者達とゾンビの軍勢の戦いが続いていた。
『あらあら~、痴話喧嘩は終わりましたの~?』
「痴話喧嘩なんぞしてねぇ!?」
パタパタと羽根をはばたかせながら降りてきた小鳥エラに、俺は思わず叫んだ。
その間も、音夢はゾンビ軍と冒険者の戦いを凝視している。
「……こいつは」
俺は、広域探査の反応を確認して、気づいた。
『気づかれまして? 皆様、大いに奮闘なされておりますわよ!』
「ああ、そうみたいだな」
ルリエラの興奮した物言いが面白い。
だが、こいつが声を荒げるのも理解できる。ゾンビの数が、随分と減っていた。
「……ハハッ」
思わず、笑いが漏れた。
嘲笑じゃない。面白いからじゃない。体の芯が熱くなって、それが俺を笑わせた。
俺は、今回の戦いのラインとして千体程度を見込んでいた。
ゾンビ千体。それくらいが、今の冒険者連中の限界だろう、と。
それだけ頑張ってみせたのなら、この世界で生きていく力の証明としては十分。
あとは、そこまでの奮闘を見せた連中への返礼として、俺が引き継ごう、と。
そう考えていた。
そう考えていたのに――、
「攻撃、どうしたぁ! 手が鈍ってるぞ!」
「何だぁ、もう疲れたのかよ、おまえら。情けねぇなぁ!」
魔法が飛ぶ。
とっくに限界を超えているはずなのに、気力を振り絞って、魔法が飛ぶ。
「まだまだァ、数だけの雑魚なんて、大したことない!」
「そうだ、踏ん張れ! 俺達はやれる。まだまだ、やれるんだぁ!」
雄叫びと共に、矢が射られる。
もう、弦を引くだけでも精一杯だろうに、まだまだと言いながら、矢が射られる。
オイオイ、嘘だろう。
四千体いたゾンビが、もうすぐ半分まで減りそうだぞ。
何だよ、やれるんじゃねぇか、おまえら。
「みんな、生きようとしてるのよ。必死に」
目を瞠る俺の横で、音夢がさも当然のようにそう言ってくる。
「この戦いは、橘君が言ってたように理不尽への怒りを晴らす戦いでもあるわ。でも、同時にみんなが、この世界で生きていくための自信を得る戦いでもあるの」
「自信、か……」
「そうよ。この激戦を生き残れれば、きっと壊れた世界でも生きていけるっていう自信を持つことができる。だから、みんな必死なの。頑張ってるの」
そうか。そうだよな。
思いながら、俺は、あの冒険者達との最初の出会いを脳裏に反芻する。
天館ソラスの地下繁華街。
明かりが明滅する薄暗い空間で、どいつもこいつも下を向いてうなだれていた。
誰もが、力なく生きる希望も見いだせないままに、打ちひしがれていた。
だってのに、それが、今はどうだ。
うなだれてるヤツなんか一人もいやしない。全員が、前を向いて攻め続けている。
「嬉しくなるでしょ?」
俺が呆けているところに、音夢はこっちを振り向いた。
「これが、あなたがあの人達に道を示してあげた結果なんだから」
「……ああ」
嬉しい。
ああ、そうだ。今、俺は嬉しい。
どうでもいいと切り捨てかけた連中が、俺に、答えを示してくれている。
音夢を助ける『ついで』でしかなかった連中が、俺の予想をも上回って――、
『討伐数、二千体を超えましたわ~!』
「わかった」
俺は一歩踏み出した。
「行くのね?」
「ああ、そろそろあいつらも限界だからな」
秀和の『ターゲット集中』も、かなり薄れつつある。
玲夢の『超広域歌唱バフ』も、さすがに玲夢が歌い疲れてきている。
魔力も尽き、矢球もなくなって、いよいよ皆が追い込まれている。
だが、そこにある景色は百点満点中二百点のもの。
俺の思惑を超えて、七十人の冒険者は俺にその景色を見せつけてくれた。
「嬉しくなるに決まってるじゃねぇか、こんなの」
笑いが抑えられない。
口角が吊り上がるのを、自分の意志で止められない。
体が熱く火照っている。高揚してるからだ。
歴史に残るスポーツの名場面を生で目の当たりにしたときのように。
もう、いてもたってもいられない。だから――、
「ちょっと、ゾンビを二千体くらい殺してくるわ」
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