第31話 さぁ、修羅場の時間だ。(無表情)

 さぁ、修羅場の時間だ。

 場所は先週と同じ、市庁舎高層階の市長室。壁も窓も、壊れたままだ。

 そこでは、ミツが待ち構えていた。


「やぁ、来たね。思っていたより早かったなぁ」


 ミツは軽く手を挙げて、目を細めて笑った。

 その様子は、高校のときからまるで何も変わっちゃいない。


 変わったのは、まず服装。

 高校のときは学ランだったのに、今はいかにも高そうなスーツを着ている。


 次に、髪型。

 高校のときは特に髪なんて弄ってなかったのに、今は似合わないオールバック。


 あと違うところは――、人をやめちまったところ、くらいか。


「……三ツ谷君」


 俺と一緒に美崎夕子と転移してきた音夢が、一歩前に出ようとする。


「まずは、先に言っておくよ」


 だが、ミツは反応を見せず、勝手に話を進め始めた。


「おめでとう、このたびの戦争は君達の完全勝利だ。僕達、天館市政府は、その勢力を完膚なきまでに叩き潰され尽くした。市政府の首長として、敗北を認めるよ」

「あァ?」


 思わず、俺は変な声を出してしまった。


「オイ、ミツ。何言ってんだ、おまえ。まだいるんだろ、『昏血の者』とかいう連中。さっさと出せ。一人残らず俺が殺してやるから。敗北宣言はそのあとにしろ」

「相変わらず壊すことだけしか考えていないというか、まぁ、トシキらしいけど」


 俺が凄むと、ミツはそれを平然と受け流して笑う。

 だが俺は知っている。『昏血の者』は他にも何人かいるはずだ。


 最初に市庁舎を訪れたとき、俺はここに十近い数の人の反応を感じている。

 ミツと美崎含め、俺がこれまで遭遇した『昏血の者』は四人。まだいるはずだ。


「でも、本当だよ。市政府にはもう、僕以外に誰も残っていないんだ。四千体のゾンビ兵と、三人の『昏血の者』。それが、市政府の全戦力なんだよ」


 ミツは誤魔化すこともせず、そう断言した。

 俺は訝しむ。確かに、今はこの市庁舎に感じる反応は、ここにいる俺達だけだが。


「……美崎さんは?」


 俺とミツのやり取りを見守っていた音夢が、それを尋ねる。


「美崎さんは僕の秘書だけど、実は市政府所属じゃなくて、協力関係にある別組織から出向してもらってるんだ。だから――、美崎さん、もういいよ」

「もういい、というのは?」


「市政府への出向は終了ってこと。『結社』の人達によろしくね」

「そうですか。わかりました。では――」

「逃げられると思ってんじゃねぇぞォォォォォ――――ッ!」


 俺は、美崎夕子に殴りかかる。

 しかし一瞬早く、美崎の体は消え去ってしまった。


「クソッ!」

「やめなよトシキ。いくら美崎さんでも、今のは怖かったと思うよ?」


「次は、恐怖なんぞ感じる間もなく仕留めてやるよ」

「う~ん、この軽々しく物騒極まりないところが実にトシキだなぁ……」


 しみじみと言うミツの言葉が、俺の神経を見事に逆撫でする。


「そうやって軽々しく俺をブチギレ寸前まで追い込むところが実にミツだぜ」

「だろ?」


 俺の皮肉に、だがミツは嬉しそうに笑うだけだ。

 それもまた高校のときと何ら変わりなく、だからこそ俺の中に疑問が膨らむ。


「ミツ、何でだよ……」


 絞り出すように言うが、ミツの顔は笑ったままだ。


「……いや、いい」


 答えを聞く前に、俺はかぶりを振った。

 今、この場面での主役は俺じゃない。俺は第三者。ただの脇役に過ぎない。


「三ツ谷君」


 俺が一歩下がると同時、音夢がその分、前に出る。


「やぁ、音夢。二週間ぶりだね」


 ミツは、音夢を前にしても変わらない様子で声をかけた。

 俺は感じとっていた。物言いこそ変わらないが、ミツの声がわずかに低くなった。


 俺がわかるようなら、音夢も当然感じているはずだ。

 そこに含むものを、ミツの方にツカツカ歩いていくあいつは、どう解釈するか。

 と、疑問に思っていたら――、


「三ツ谷君、歯、食い縛ってね」


 その一言と主に、音夢の右手はミツの頬を打っていた。

 鋭く鳴った乾いた音に、俺は「あ~ぁ」と手で目を覆って天を仰いだ。


 そういえば言ってたなぁ。

 とにかく一発ブン殴る、って。言ってたモンなぁ。まさに有言実行だな。


「……痛いね」

「三週間も連絡しないで、こんなところで政治家ごっこなんかしてるからよ」


 低い声。硬い顔つき。厳しいまなざし。

 友人同士の、恋人同士の間に流れるものとは思えない空気が、そこにあった。


「連絡なら、あの日にしたじゃないか」

「これのことでしょ」


 言って、音夢はミツにスマホを差し出す。

 昨日俺が見たメールのことだろう。ミツもそれを見て「ああ」とうなずいた。


「そうだよ、音夢。僕は君と別れた。だから連絡なんてしなくてもいいだろ」

「勝手なこと言わないで。私は、同意したつもりはないわよ」


 確か、メール文面は『別れよう。さようなら。』だったっけか。

 そんなモン、どう納得しろって話だ。

 第三者の俺ですらそう思う。ましてや当事者なら余計に反発するに決まってる。


「三年以上付き合って、その終わりがこれなんて、あんまりじゃないかしら?」

「う~ん、それは謝るよ、音夢。でも僕は、もう君に愛情を感じていないんだよね」


 困ったように苦笑して、だが、ミツはあんまりな言葉を口にする。


「こうして君に詰め寄られても、僕は『めんどくさいなぁ』としか感じてないんだ」

「もしそれが本当なら、最低だわ」

「だよね。自分でもそう思う。でも、事実だよ。もう君のことはどうでもいい」


 ミツ、この野郎……!

 怒りに、視界が赤く染まりかける。俺は痛むほどに拳を握り駆け出しかけた。


「橘君は、見ていて」


 だが、寸前に音夢に止められ、俺は我に返る。

 そうだ、この場は音夢とミツの話し合いの場であって、俺は部外者なんだ。

 それを思い出して、かろうじて「ああ」と声を出し、引き下がった。


「何だい、来ないのかい?」


 ミツの方は、俺を見てにこやかに笑っていた。煽ってくれるじゃねぇか、こいつ。


「三ツ谷君、今話しているのは私よ。はぐらかさないで」

「……とは言うけどね、音夢」


 ミツはため息と共に音夢と俺に背を向ける。


「見てごらんよ」


 軽く掲げられたミツの右腕が、ジワジワと黒く染まり始めた。

 その右腕を、ミツは真横に軽く突き出す。突き出した先の壁が、派手に砕けた。


「ほら、この通りだよ」


 市長室を小さく震わせながら、ミツがこちらに振り返る。

 その顔は、右半分が黒く染まっていた。


「僕はもう、人間じゃない。あの『昏き賜物ダークマター』の雨を浴びた瞬間に、人間じゃなくなってしまったんだよ。身も心も、髄から、底から」


 それは、先週俺と会った際にもミツが言っていたことだ。

 人ではなくなったことで、心の在り方まで変わった。それが理由だ、と。


「肉体と精神は不可分さ。肉体が変質すれば、精神もそれに応じて変質する。……トシキなら、理解できるんじゃないかな? 異世界で勇者をやってたトシキなら」

「……それは」


 俺は、ミツの言い分をすぐには否定できなかった。

 実際に、その理屈を納得できてしまうからだ。

 アルスノウェの二年半で、俺の価値観は変わった。変わりすぎてしまった。


 これ以上変わったら、もう本格的に日本にいた頃の自分に戻れなくなる。

 そこに起因する恐怖と焦燥が、俺が帰りたいと思い続けた理由の大半だった。


 自分が自分じゃなくなってしまう。

 その怖さを知る俺は、だから、今のミツの言い分にも納得せざるを得ない。


 そうか。ミツは変わってしまったのか。

 肉体が人をやめたことで、心まで人のときとはかけ離れてしまった。


「人だったときは、音夢を大事に想ってたさ。でも、僕は人じゃなくなった。すると不思議なことに、心の中に確かにあったはずの愛情が薄くなったんだ。だから――」

「だから、このメールを送ったの?」


 音夢が色のない声で問う。

 俺の場所から音夢の顔は見えない。今、あいつはどんな表情を浮かべているのか。


「そうだよ。君には悪いと思ってる。でも、もうどうでもいい人なんだ、君は」

「じゃあ、先月、一緒に遊園地に遊びに行こうって誘ってくれたのは?」


「ん、先月? ……ああ、そんなこともあったね。忘れてたよ。よく覚えてるね!」

「年が明ける前に二人で旅行に行って、そこで年を越そうって言ってたのは?」


「あ~、ごめん。そんなこと、僕言ったっけ?」

「覚えてないのね。思い出すつもりも、謝る気もないのね」

「ないよ。だってどうでもいいからね」


 音夢の詰問にも、ミツは悪びれることなく平然とそうのたまう。


「私のこと、好きだって言ってくれたわ」

「先月まではね」


「ずっと大切にしたいとも言ってくれたわ」

「先月まではね」


「一生、私の隣にいてくれるって、何度も言ってくれたわ」

「それは僕も反省してる。今後は二度と言わないよ。っていうかさ――」


 そこで、突然、ミツが顔をしかめた。

 いかにも、音夢が鬱陶しいと言わんばかりの嫌悪感に満ちた表情が浮かぶ。


「何度説明させる気だよ、音夢。いい加減にしてくれ。しつこいよ」

「やっぱり、今のあなたは先月までの三ツ谷君じゃないのね? 別人、なのね?」

「そうだって言ってるだろ、うるさいな。面倒くさいだけの女に用はないよ、僕は」


 そこで、ミツは露骨に舌を打って顔をそむけた。

 マジかよ、ミツ。マジかよ、ミツ! いくら何でもそりゃあねぇだろうが!


「ミツ、何だよ、その居直り方は! 音夢は三年も付き合ったカノジョだろうが!」


 我慢できなくなって、俺は口を挟んでしまった。

 音夢の体が、小刻みに震えている。ミツのひどすぎる答えに、こいつも――、


「……アハ」


 と、思ったら聞こえたのは、笑い声?


「アハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 俺の目の前で、音夢が盛大に笑いだした。

 腹に両手を当てて、体をくの字に曲げながら、音夢は全力で爆笑する。


「ね、音夢……?」

「あ~、ごめんね、橘君。だって、あんまりにもおかしくて……」


 呆気にとられる俺に、音夢は呼吸を乱したまま目に浮かんだ涙を拭った。

 そして、音夢はニッコリ微笑んで、ミツに向かって明るく告げる。


「三ツ谷君ったら、嘘ばっかり」

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