3話 ミカエラ・デ・カヴァッリという女

 2日前のことだ。高名な英文学者、デクスター・ワイズ氏が殺されていた。発見者は、新聞配達の青年だ。

 いつも新聞配達をするとき、少し話をする程度の仲だったらしい。その日、いつも家から出てくるはずのデクスターが、声をかけても全く反応がなかったことから不審に思い、ドアに手をかけると鍵がかかっていなかった。

 中に急いで入ると目に飛び込んできたのは、デクスターの遺体だった。まぁ、ミステリーでありきたりな展開だな。

 だが新聞配達の青年は、このせいでPTSDになってしまったらしい。よほどショッキングな出来事だったのだろう。

 なんていったって、ダイニングルームには、『彼の下半身しかなかったのだから』


「というのが、今回の事件のあらましだ」


 長くゆるい癖毛の黒髪を軽く縛り、目の前に座る姉さまは淡々と語った。私と同じ黒い髪と、青い瞳、顔立ちはよく似ているといわれる。

 まぁ、中身は全然違うのだけど。


「上半身は見つかっていないのですか?」


 横にいるハワードが質問した。胡散臭くて、どこか飄々としたこの人も、姉さまだけには頭が上がらないらしく、生真面目な態度になっていた。

 私と姉さまへの態度の違いに、なんだかイラッとするけれど、それが吹き飛ぶほどに、このあと姉さまは信じられないことを口にした。


「あぁ、そのことだが、上半身は焼かれていたらしい」

「では、焼けた半身が見つかったということですか?」

「いや、そうではない」


「灰しかなかったんだ。上半身の部分のな。肉も骨もなく、灰が床に散らばっていたらしい」


 姉さまはそう言うと、私に向かって一枚の写真を渡してきた。デクスターと思われる遺体の写真。そこには、確かに人間の下半身が移っている。デニムを履いた、男性と思われるものが。

 けれど、その下半身の上が問題だった。デニムのベルトの上にあるはずの上半身はなく、灰色の砂が広がっていた。

 床の青いカーペットの上に、砂浜のように、灰が散らばっていた。部屋に焼け跡はない。肉もなく、骨もなく、ただ床に広がった灰は検査の結果、デクスターのもので間違いないらしい。


 ありえない、ありえるはずがない! 人間の肉が灰になる最低限の温度は、約800度とされているのに!

 それに、骨は燃えにくいリン酸カルシウムで出来ているから、800度以上の熱が放出されたことになるのよ!?

 それだけの高温が一気に放出されれば、家は焼け落ちて、発見者の前に消防隊員が、駆け付けることになっていたはず。

 現代科学では解決できない、不可能な殺人となると、一つしか考えられない。


「姉さま、やはり奴らの仕業なの?」

「そうだろうな。一瞬にして肉体を灰にする高温放射器は、現代文明には存在しない。焼け跡もなく、ただ肉体のみを焼く技術。古の神々共の技術を用いる奴らの常とう手段だ」


 そう姉さまが言うと、ハワードの目がぎらりと変わる。

 拳を震わせ、目は怒りに燃えている。激高するのも、無理はない。私も同じだった。

 私たちの宿敵が、関わっているかもしれない。

 強張った声で、彼は口を開いた。


「楽園の使者共の仕業……で間違いありませんね」


 そう、楽園の使者。私たちの敵であり、人類を脅かす存在。

 奴らの願いは、ただ一つ。『神々による支配の復活』、それを実現させる神との交信機、『契約の箱』を探して利用すること。

 神々は、今のところ地球にはいないわ。

 なぜ今はいないのか、今どこで何をしているのか、それはわからないけれど、そのおかげで、私たちは尊厳と自由を『今は』保てているの。

 でももし奴らに箱が渡ってしまえば、また人類は神々の傀儡となってしまうわ。神話や伝説と同じように、人間は支配され、理不尽な目にあってしまう。

 だから奴らよりも先に、私たちは一刻も早くに箱を手に入れて、それを完全に破壊しなければならないのよ。

 それが殺神部隊の、最優先事項でもあるの。何百年も前の創立以来のね。


「お前たちには、ワイズ氏がなぜ殺されたのか、『何の遺物』によって殺されたのか、主にこの二つについて、解明してもらいたい」


 姉さまは、私たちをじっと見つめた。その瞳からは、強い決意と揺るぎない闘志が感じられた。

 誰もこの瞳から、目を逸らすことなどできはしないわ。それほどに強烈で、強く惹かれてしまう。

 殺神部隊イタリア支部のリーダー、それが私の姉さま。二つ上の彼女は、どのような国籍・身分・性別関係なく、能力のある者を誰でも迎え入れる。その反面、裏切りや反勢力には容赦ない。寛容であり苛烈。


「了解しました、姉さま」

「承りました」

「「必ずや神々の遺物を破壊し、奴らを殲滅いたします」」


 私たちが最も信頼し、指示を仰ぐ唯一の人間。

 それが世界の命運を握る一人、ミカエラ・デ・カヴァッリという女。

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