第1章

1話 彼女に触れるべからず

「ちょっと、汚い手で触らないでくれる?」


 後ろにいた男の腕を、バシっと振り払う。

 そして飲みかけのビールを、勢いよくテーブルに叩きつけた。ジョッキの中身が大きく跳ねて、水滴が零れる。

 あぁ、最悪! 人が気持ちよくお酒を飲んでるってのに!

 あろうことかこの男たちは、立ち飲みする私のお尻に手を伸ばしてきた。

 古風なパブの中には、私と5匹の発情期のサル共、怯えている店主しかいない。


「私のお尻を触ろうとしたのよ、どうなるか、わかっていらして?」


 5人は、お互いに顔を見合わせると、ぎゃはははと下品に笑った。

 こいつらから見れば、弱弱しい女が、体の大きい自分たちに、不利な喧嘩を売っているようにしか見えないのね。

 まぁ、そういう油断が、追々命とりになるのだけれど……


「姉ちゃん、おもしれぇ冗談言いやがる!」

「どうなるか、俺たちに教えてくれるかなぁ?」

「ぎゃはははは!!!」


 5人の中で一番背が低い小猿が、私に近づいてくる。

 相手は私が怖がって、何もできやしないと、油断している。

 今がチャンス。私の頭の中で、開戦のゴングが鳴り響く。


「あら? 先に手を出したのは、あなたたちよ?」


 小猿が私の目の前に来ると、私は腕を伸ばして、奴の頭の後ろに回す。

 驚いたように目を見開いたときには、もう遅いわ。

 奴の目には、一瞬で私の膝が見えたはずよ。

 だって……

 腕を引き寄せて、顔面に一発膝蹴りを、食らわしてやったのだから。


「どうしたの? 教えてあげたでしょう? どうなるかって」


 小猿は鼻血を出しながら、顔を抑えてよろけ、ついにふらふらと倒れた。

 そんな様子を見て、残り4人の顔から下卑た笑みが消える。

 予想外の展開に、頭がついていかないようね。

 可哀そうに、小さい脳みそだこと。

 いつの間にか、私を見る眼差しには、明らかな敵意が宿っていた。

 私がただの女ではないと、ようやく気が付いたらしい。


「どこからでも、かかって来なさいな。Stupid boys(お馬鹿さん)」


 私がそう言い放つと、一気に襲い掛かってきた。

 狭いパブの中、椅子をなぎ倒して、私目掛けて拳を振り下ろす。

 店内にかかっていたしんみりとしたジャズが、いつの間にか切り替わっていた。

 「I'm on the top of the world.」あらいいわね。

 「私こそ世界の頂点」だなんて、なんて魅力的なタイトルの曲なのかしら。

 奥に隠れていたマスターが、レコーダーの前に立っていた。どうやら彼の選曲らしい。

 音楽の趣味が合いそうね。せっかくだから、ノリノリでいこうかしら。


 Don't be a fool, baby! I'm the winner and you're the loser. (馬鹿にしないでよベイビー、私が勝者であなたは敗者なの)


 爆音で流れ始めたメロディーに、自然と笑みがこぼれる。相手は挑発してると思ったのか、顔が真っ赤になった。

 相手は、ただ図体がでかいだけの、ただの素人。動きでわかるわ。

 怒り、動揺、焦り、感情に身を任せた単調な攻撃。

 はっきり言ってド素人。そんな動きで、私に勝てると思っているの?


 You've already fallen over the ground. (あなたは既に地に伏している)


 拳を振り上げすぎて、図体ががら空き。「ここを殴ってください!」って言ってるようなものよ。

 1人目は膝蹴りで腹を蹴り上げ、2人目と3人目はこの勢いのまま、顔面にパンチをかましてやった。

 あっという間に残り1人。あまりにあっけなさすぎて、あくびが出ちゃう。

 残り1人は大男。だけど彼、臆病な『赤ちゃん』だったみたい。上着のポケットから、ナイフを出してふりかざした。

 よっぽど私が怖いのね。ナイフを持つ手が、震えているわよ?

 「う、動くなよ!これで、刺されたくなかったらな?お、おとなしk?!」

 驚くのも無理はないわ。けれどご愁傷様。生憎と私、大人しくするのが苦手なの。

 曲はどんどん進み、ラストのサビに入っていく。


 That's a fact that even God can't change.(神様だって、この事実を変えられはしない)


 素早く足を突き上げ、勢いよく回し蹴りをする。私の足が、ナイフを持つ手に当たる。特に足技にはね、自信があるの。

 大男がうめき声を上げながら、ナイフを落とす。それでもまだ、私に歯向かおうとしてきた。馬鹿な人ね、これだけ実力差があるのに。

 ナイフを拾いもせず、私に殴りかかってくるけれど、もう勝負はついているのよ。


 I'm the one who should be at the top. (私が頂点に立つべき人間なの)


 私は腕を広げ、相手の背中から抱き寄せる。そして、思いっきり! 渾身の膝蹴りを鳩尾に味合わせてあげた。

 これには相当こたえたようで、男は膝から崩れ落ちる。それに合わせるかのように、曲が終わる。


 Then get the hell out of here.(わかったらとっとと消えなさい)



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