6話 形見

 なんとしても、書斎にいる誰かを、引きずりだして、目的を吐かさなければならないわ。

 問題は、侵入した目的。書斎に何かがあるのか、あるいはまた人を傷つけるつもりなのか、確かめないと!


「ハワード、突入するわよ。もし相手が攻撃してきたら、私が取り押さえる」

「……やれるかい?」

「当然」


 銃を構えて、ハワードが呼吸を整える。私も銃を取りだして、彼の後に続く準備をする。

 ハワードがドアを蹴破るために、足を上げようとした時だった。


「うぁぁぁぁあぁぁああぁぁああ!!!」

「ッ!?」


 書斎のドアが突然開くと、中から人が、少女が飛び出してきた。その手には、銀色のペーパーナイフが握られている。

 ナイフはハワードの腹部に、一直線に向かっている。予想外の侵入者に、一瞬出遅れてしまったけれど、何も問題はない。

 ハワードは、飛び出してきた少女を、間一髪で避ける。そして私は手刀で、ナイフを持つ手を攻撃して、それを落とさせた。


「いたっ!?」


 私は痛みでひるんだ少女の手首を掴み、床に押さえつける。ハワードは、落ちたナイフを蹴って、遠くに飛ばした。

 武器もなく、身動きも取れない。

 彼女は袋のネズミね。


「さてと、一体あなたは、ここで何をしていたの?」

「あ、あなたたちこそ、誰なんですか?!」


 綺麗な赤毛の少女は、グリーンの瞳で私たちを睨みつける。

 ガタガタ震えているのに、結構強い子なのね。

 今も拘束から逃れようと、懸命に腕を振りほどこうとしていた。


「警察だよ」

「え?」


 このハワードの一言で、彼女は動かなくなった。ハワードの手には、写真入りの警察手帳が握られていた。

 まさかという顔で、私のことを見つめる少女。腕を離してあげて、私も手帳を見せる。

 面白いくらいに、少女の顔がさぁっと青ざめていった。



「本当に、すみませんでした! まさか、警察の方だったなんて……」


 その後、私たちはダイニングルームに移動し、彼女から話を聞くことにした。

 涙ぐみながら、必死に謝る少女、アリシア・ラングレー。

 どうやら彼女は、大学生で教授の教え子らしい。

 教授は町では孤立していたようだけど、大学関係者とは話していたようだから、教え子くらいいても不思議じゃないわ。

 部屋にある椅子に座り、ワンピースの裾を握りしめている様子は、ちょっと可哀そうね。


「私たちも、怖がらせてごめんなさいね。」

「い、いえ! 私の方こそ、いきなり襲うなんて……」

「いいんだよ。誰も傷ついてないんだからさ」


 私たちは、コーンウォール地方に配属された、遺留品捜査官として振舞っている。彼女に見せた警察手帳は、当然偽造されたもの。

 教授の家に向かったのは、新たに事件の手がかりがないか調査し、それを持ち帰ること。

 そう説明すると、彼女は信じてくれたわ。

 もちろん、彼女が楽園の使者じゃないとは、100%言えないこともわかってる。

 でもハワードは、彼女が使者だとは思っていないみたい。

 本人からは、「彼女が帰ったら、その証拠を見せる」と言われたけれど、警戒を怠るつもりはないわ。


「それで、君が書斎にいた理由は?」

「それは、先生の本を、形見を持ち出したくて……」


 突然黙ったかと思うと、段々と小さな嗚咽が聞こえてきた。

 彼女の目から、零れ落ちた涙が、机に小さな染みを作っている。


「私、人が多い場所が苦手なんです。それで、大学では浮いてしまって。でも、先生だけは、私と話してくれたんです」


 段々と声が大きくなって、頬を伝う涙の量も増えて、感情交じりに、彼女は叫んだ。

 そんな彼女に、私はかつての自分を重ねてしまう。大切な人を、ある日突然失って、でも何もできなくて。ただ悔しくて、悲しむだけの自分が、大嫌いになった、あの時の私みたいに。


「不器用で無口で、人付き合いの悪い方でしたけど、だからって……殺されていいはずありません」


 彼女はそう言うと、そっと目を伏せた。

 嗚咽交じりに言い放った彼女の言葉は、とてもじゃないけれど嘘とは思えない。

 使者たちは、一体何人傷つけて、何人殺せば気がすむの?

 怒りがこみあげて、拳を握りしめた。

 爪のあとが、手のひらに残るくらいに。



 その後どうなったかっていうと、彼女を諭して家に帰させたわ。

 形見の件は多少渋ったけれど、一応家にあるものは、警察の管理下にあるからと言うと納得してくれた。

 本当は一冊くらいあげても良いと思うけれど、その一冊に使者の手がかりがあるかもしれない。それに、その一冊を使者が狙って、彼女を襲うかもしれない。

 そう考えると可哀そうだけど、彼女の身の安全にはかえられない。

 送っていこうとしたけれど、「自転車で来たので、大丈夫です」と断られてしまった。

 寂しそうな背中が、林道に消えていくのを、見守るしかなかった。


 今私たちは、書斎にいる。

 ものすごい本の数ね、本棚にも床にも、ありとあらゆる書物が沢山……

 ここだけ図書館みたいだわ。今にも司書さんが、出てきそうね。


「さて、彼女が使者じゃない理由だったね。それはこの部分さ」

「この本? それがどうかしたの?」


 ハワードが指し示したのは、机にあった一冊の古びた本だった。

 長い間掃除をしなかったせいか、机の上にほこりが舞っている。


「おそらく、彼女が持ち帰ろうとしたのは、この机の本だと思う」

「どうしてそう思うの?」

「それは、この本だけ埃がないだろう。ご丁寧に、何かで拭いたような跡がある」


 確かに本には、ハンカチのようなもので、埃や汚れを拭った跡があった。

 もし何も思い入れがない本なら、そんなことしようとは思わないわね。


「でもだからって、彼女が使者ではない理由にならないわ」

「違うよ。問題は、この本の内容なんだ」


 古ぼけた本の表紙を、私もよく見てみる。

 読みにくいけれど、なんとか読めるわね。

 これはもしかして、フランス語かしら?


「これはフランスの作家、ハインリッヒ・ハイネが書いた本だよ。名前は”流刑の神々”」

「あら、随分と面白そうな本ね。内容はどういうの?」

「これはね、新しい宗教に追いやられた古来の神々が、追い詰められ、孤独に過ごす日々を記したものなんだよ」

「……なるほどね」


 ここで、ようやく気付いた。

 楽園の使者は、ありとあらゆる神々を崇拝し、彼らに導いてもらいたがっている。それは、世界を占める新しい宗教の神も、古代に栄えた、例えばギリシャ神話の神も含まれているの。

 だから、どんな神々でも、惨めな日々を送っているっていう内容は、奴らにとって地雷ってわけね。


「神々を崇拝する奴らが、この本を丁寧に扱って、それを持ち帰ろうとするとは思えないわ」

「そういうこと。実際、奴らがそういった内容の本を見て、烈火のごとく怒り狂って燃やしたのを、僕は見たことあるからさ」

「そういうことだったのね。でも、いつわかったの?」


 私がそう尋ねると、ハワードが心底不思議そうな顔をして、私に聞き返した。


「何を言っているんだい? 一瞬見れば、わかるだろう?」


 つまり彼は、アリシアを私が捕まえている間の、あの一瞬で、書斎の状況を把握し、推論を打ち立てたということになる。

 持ち前の知識はもちろん、短時間で状況を把握し、推理を組み立てることができる彼は、まさに天才と言わざるを得ないわね。

 悔しいけれど、そこのところ『だけ』は、尊敬しているのよ。


「えっ、君あんなに時間があったのに、何もわからなかったのかい?お気の毒に……」

「今すぐにぶちのめしますわよ」

「発言を撤回させていただきます」

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