5話 赤い屋根の小さなお家
「急ぐわよ、ハワード。時間を無駄にしないようにね!」
「いたた、どっかの誰かさんのせいで、すねが痛くて……」
「なら、お姫様抱っこでもしてあげましょうか? 私、あなたより筋力あるし」
「すみませんそれだけは勘弁してください」
ペンリン駅に着くと、私たちはすぐにタクシーを捕まえて、デクスター教授の家に向かった。
運転手は陽気な40代くらいの男性で、「この町のことなら、なんでも知っている」と豪語している。
本当かどうかわからないけれど、少しでも事件の情報を集めるために、私は彼に、教授のことを聞いてみることにした。
「ワイズさんかい? ありゃあ、偏屈な爺さんでなぁ。大学の関係者さん以外とは、あまり関わろうとしなかったんだよ。それに、『噂』もあったしな」
「噂とは、一体どのようなものだったのですか?」
私が聞き返すと、運転手は、内緒話でもするかのように、息をひそめてこう言った。
「ワイズさんは昔、女をさらって今でも監禁してるんじゃないかって噂さ」
「えっ……」
あまりの衝撃的な内容に、思わず驚いて声を上げてしまう。隣にいるハワードも声を上げなかったものの、驚いたように目を見開いていた。
「まぁ、あくまで噂だしな。今はもう亡くなった近所の婆さんが若いころ、ワイズさんが女たちを家に連れ帰ったところ見たって、騒いだらしい。
でも証拠もねぇし、なにより婆さんには、虚言癖があったんだ。みんな信じなかったけど、ワイズさんは誰ともかかわろうとしなかったからな……」
なるほど。どうやら、噂に信ぴょう性はないようね。
けれど、教授は偏屈で人付き合いが悪かったから、みんな嘘か本当かわからなくて、怪しんでいたようね。
「もう着いたぞ。ここが、ワイズさんが住んでた家だ」
運転手がブレーキをかけると、車体が大きく傾く。気づけば、随分と町から離れた場所に来ていたようだった。
すぐ近くにある森の方を見てみると、昼間だというのに、中は薄暗くて、奥の方がよく見えない。なんだか、不気味な場所ね。こんなところに、本当に一人きりで住んでいたのかしら?
けれど、家の外観は気に入ったわ。赤い屋根の平屋、小さなお家って、なんだか可愛らしいじゃない?
「にしても、随分とこじんまりとした家だね」
横のハワードが、なんだかがっかりしたように呟いた。教授は英文学の権威で、その道の人なら、彼のことを知らない人はいないってくらいに、有名だったらしいわ。
それくらい有名な人の家って、どんな豪邸なのかと彼は思ったようだけど、期待外れだったみたいね。
「その分、調査範囲が少なくて助かるわ。さぁ、行きましょう」
「は~い」
間延びした声で返事をするハワードを無視して、私は家の中に入っていった。
情報によれば、教授の遺体があったダイニングルームは、玄関のすぐ前のようだった。
そこに繋がっているドアは、固く閉ざされている。
遺体を発見した青年の話では、このドアが開けたままになっていたせいで、彼は教授の遺体を、直視してしまったらしいわ。
つい、その話を思い出してしまって、一瞬ドアを開けることをためらってしまう。
「何してるんだい? 早く入ろうよ」
「ちょっと!」
ハワードが無遠慮にドアを開ける。
そこには、当然『何もなかった』
遺体や灰は、とっくの昔に回収されたみたい。
当然よね、私ったら馬鹿みたい。
でも、残っているものはあった。
生前彼が使っただろう家具や、あの灰が散らばった青いカーペットまで、何もかもそのままの状態で。
それらが、『デクスター・ワイズ』という一人の人間が、ついこの前まで実際に生きていたという事実を、証明していた。
「どうやら、相続人がいないみたいね。遺品がそのままだわ」
「あぁ。彼は独身で子供もいないし、教授自身がかなり高齢だからね。親戚も、ほとんど亡くなっているそうだよ」
「そう……」
たった一人で、この小さな家で、彼は何を思って生きてきたのかしら。
そして、何を理由に殺されてしまったの?
家族もなく、友人もなく、ただ一人きりで生きていただけなのに。
「相続人候補はまだ見つかっていないし、探すにも時間がかかるわ。時間は十分ある」
「そうだね。じっくり調査して、彼の無念を晴らし」
—ガタン—
突然の物音。
私は後ろを振り返り、ドアの向こうを注視する。
隣のハワードは、ポケットから拳銃を取り出して、ドアに標準を合わせていた。
なぜ? 私たちが着いたとき、誰も周りにいなかったはず。
それとも、タクシーに乗っているとき、付けられていたの?
「奴らかしら?」
「いや、わからない。けど、警戒を怠らないで」
—ガタガタッ—
「ドアの向こうからだ。今から外にでる」
「気を付けて」
ハワードが小声で囁いた。私もそれに答える。
窓をちらりと見ると、車は止まっていなかった。
となると、答えは一つ。
元から家の中にいたのね。気配を消して、私たちを殺すために。
—バタン!—
ハワードがドアを蹴破り、拳銃を構えながら、周りを注視する。
けれど、廊下や玄関には、人影一つ見えなかった。
すると、
—ガタッ—
本かなにかが倒れるような音が、ドア向こうから聞こえる。
書斎の中だわ。
ハワードと私は、顔を見合わせて確信を持つ。
書斎に、誰かいる。
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