9話 古城にて1人


「了解。13時になったら、ここで落ち合おうか」


 僕がそう言うと、後ろを振り返ることもなく、彼女は左へと進んでいった。

 とりあえず彼女に言われた通りに、僕は右へと進むことへしようか。

 13時になるまでまだ2時間ほどあるし、じっくりと調査することができそうだ。

 石造りの階段を、一歩一歩下っていく。大きさが不揃いなせいで、若干歩きにくいけれど、牧歌的な風景が疲れを癒してくれた。

 手すりのすぐ向こうには、空の青さを映した美しい海がある。階段を下っているというのに、まだかなりの高所のようで、下を覗けば、思わず足がすくんでしまった。

 高いところは、ほんの少し苦手でね……。


 ようやく階段を下り終えると、前方に看板と城跡の一部が見えた。看板によれば、このあたりは城の倉庫だったらしい。

 けれど、今はその見る影もなく、壁が一部分しか残っていなかった。


「哀れなものだね、リチャード伯は」


 この城が、ここまで荒れ果ててしまったのは、彼の死後、この城を保護する者が誰もいなかったからだ。せっかく建てた城だというのに、みんなから放っておかれて、数百年間忘れ去られていたなんて、本当に哀れだよ。

 伯爵も、この城も。

 爽やかな風が、サラリと僕の頬を撫でる。その時、どこかで嗅いだ覚えのある香りが、鼻をくすぐった。

 どこか懐かしくて、果物のような甘い香りだ。思わず風が流れた方向へ、足を進めてしまう。


 風を頼りに、2mほど進んでいくと、それはあった。


 わずかに残った壁に、深い緑色の蔦と、淡いピンクのあの花は……


「こんなところに、どうしてバラが?」


 そのバラは、ブドウの房のように、何輪かが集まって咲いていた。まるで、蔦に沿って花のブーケが点々と、散らばっているみたいだ。ティンタジェル城に、これほど珍しいバラが咲いているなんて話、聞いたことがない。

 スマートフォンで、写真を撮っておこう。何かしらの手がかりになるかもしれないし、アレックスに見せれば、子供のように喜ぶかもしれない。彼女は、特にバラが好きだから。


『わたしのことは、もう忘れちゃたの? ○○君』


 一瞬、頭の中で、あの子の声が聞こえた。

 今も、僕に呼び掛けて、責める、あの子の声が。


 僕のせいで、奴らに殺された、あの子の声が、


 呼吸を整えて、目を瞑ってから、目をもう一度開けば、もう何も聞こえはしない。見えはしない。

 あの子が好きだった花を見かけると、時々出てしまうこれは、精神的なトラウマだ。

 もう慣れている。大丈夫、奴らを倒せば、駆逐すれば、全て終わるんだ。

 胸に秘めた記憶と、決意に向き合うために、僕は誰もいない古城跡で、拳を握りしめた。

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