第十五話 過去

「誰かいるのかー?」

 誰も来ないと思っていたトレーニングルームの入口に気配を感じて顔を上げたのと、声をかけられたのはほぼ同時だった。そこには壮年の男性が一人顔だけを覗かせていた。偽名か本名かすら定かではないが、六十代半ばのこの男性は登崎とざきと名乗り、荒隆あらたか達が所属する組織の代表を務めている。

「なんだ、あんたか」

「なんだじゃないだろー? ここで何してる? お前も双也なみやほどじゃないにしろ、安静にって話だったはずだが?」

「放っておいてくれ」

「そうはいかないなー。俺、お前の保護者だし」

 にこにこと間延びした口調で近寄りながら話しかける登崎とざきに、荒隆あらたかが掴みかかる。

「体よく保護者面するな」

 掴みかかって睨む荒隆あらたか登崎とざきは思わず笑みをこぼした。

「思い出すなぁ。初めて会った頃のことを」

 懐かしいと目を細める登崎とざきに反して、荒隆あらたかは苦々しい表情になる。

「……トラウマか」

 察した登崎とざきが、荒隆あらたかの頭を優しく叩く。

「話してみろよ。俺は出会ってからのお前らしか知らない。それまでどうしてきたのかは、話してくれなきゃ分かんねえんだ」

「楽しい話じゃない」

「だからだよ。そろそろ乗り越えてもいい頃合いじゃないか?」

 登崎とざきの言葉に荒隆あらたかは怪訝な顔をする。

「乗り越える……?」

「過去を背負って生きるともいうな。今のお前は過去に押し潰されそうだ」

「潰されず、背負って生きる……」

 登崎とざきに掴みかかっていた手を外すと、荒隆あらたかは俯いて目を閉じた。

(過去か……)




     *     *     *




 真っ白で冷たい研究施設。物心ついたころには、そこにいた。日夜、治療という名目で人体実験を行われながら。決められたスケジュール通りに過ごしていたあの日々に、荒隆あらたかはこれといった思い出は持ち合わせていなかった。


 転機が起きたのは、十五年前。表向き爆発事故となっている研究施設の崩落事件だ。そこで荒隆あらたか樹端たつは達四人と出会い、施設から逃走した。

「これからどうするの?」

 荒隆あらたかの疑問に永那えいな双也なみやは黙って樹端たつはを見る。もっともこの頃の彼らには名前などなかったのだが。

「なんでおれをみるんだよ。おれだってそとははじめてだぞ!?」

「しってる」

「どうするつもりなのかとおもって」

 淡々と返す双也なみや永那えいな

「とにかく! みつからないところへいくぞ!」

 見つからない所。口で言うのは簡単だが、身寄りのない子供五人だけで衣食住を賄いながら逃げるのが困難なのは想像に固くない。それでも彼らは公園の水だけを頼りに五日間も耐え忍んでいた。

「どこにいってもひとがいる。みつかればつれもどされるのに、どうしたら……」

「おなかがすいた……」

「! しずかに」

 路地裏で極力見つからないように隠れて相談していた荒隆あらたか達の前に、一人の男が現れた。しかし男は五人に気付いた様子もなく、そこに置かれた袋を漁り始める。

「なにしてんだ?」

「しっ!」

 歳の頃は六十くらいだろうか。よく見ると男は髭こそ短く整えているが、髪はボサボサで肌は黒ずみ、服は所々穴が開いている。世間一般にホームレスと呼ばれる存在だったがそんなことは知らない五人はただ必死で息を殺して男が立ち去るのを待つ。

 きゅぅぅぅぅ

 緊張と空腹に耐えかねた美早みはやの腹がなったのだ。ゴミ袋を漁っていた男がこちらを向く。その目はすぐに怪訝そうに細められた。

 それもそうだろう。五人とも気にしてはいなかったが、実験施設で着ていたままの検査着や剥き出しの素肌は逃げる過程で汚れ、あまつさえ歩き続けたはずの足は何も履いていなかった。

「……腹が減ってんのか?」

 心配そうに男が近付いてくる。しかし逃げることに必死だった四人は男と一定距離を取って後退りを始めた。ただ一人、美早みはやを除いて。

「なにしてるの!? はやくこっちへ!!」

 見かねた永那えいなが声をかけるが美早みはやが動く気配はない。

「おじさんはてき? みかた?」

「お嬢ちゃんの味方が誰かわからんからなんとも言えんが、少なくとも今は敵ではないな」

「わたしたちのことだまっててくれる?」

「黙ってた方がいいならそうしよう」

 膝を折り、美早みはやに目線を合わせて話す男の様子に他の四人の警戒も少しづつ解けていく。

「腹が減ってんだろ? クッキー食うか?」

「くっきー?」

「甘くて美味しいお菓子って食べ物だ」

「ありがとう」

 男がポケットから取り出した個包装のクッキー。見たことのないそれに不思議そうな顔をした美早みはやに、説明しながら手渡してくれる。割れてはいたが綺麗なそれを一つ受け取り美早みはやが口にする。毒という概念が存在しなかった彼らは食べ始めた美早みはやを止めるようなことはしない。あっという間に食べ終えた美早みはやを優しく見つめていた男の手が美早みはやの頭に伸びる。

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