第21話 ソリタリーマン


 九月になって狭間は放課後、校長室に呼び出された。内容は学費の未払いによる退学勧告だ。

 普通なら、生徒の経済的事情により学費を払うのが困難になった場合、学費は学園側が負担してあとから支払うシステムだった。

 しかし何故か、狭間にはそれが適応されず今日付けで退学を言い渡された。


「困るんだよ学費は支払って貰わなくちゃ……だからね、明日から来なくて良いよ」


 ちょび髭で肥えた体の校長がクーラーに当たりながら、無常な一言。


「……分かりました」


 もうどうでも良くなっていた。狭間は不当だと反論する気力など残っていなかったからだ。

 彼は教室に戻ると私物を鞄に詰めた。


「あっ生徒会室に忘れ物あったな」


 大した物ではないが、せめて最後ぐらい生徒会室を拝んでから立ち去りたかった。

 彼は生徒会室に向かうと、いつも一人だった室内に人の気配がしていた。


 中に誰か居る。しかも、複数で楽しげな会話が聞こえる。

 狭間はそっと中を覗くと、これまで参加しなかった生徒会役員と副会長碧馬と、退学する狭間に変わって生徒会長に返り咲いた翔馬たちが楽しげに会議していた。


「……」


 狭間が退学に決まった日に生徒会の活動再会。それは余りにも冷たすぎる仕打ち。

 だから狭間は気づかれない様にそっとこの場を去った。


「チクショウ!チクショウチクショウ……」


 最早苛めとも言える理不尽な仕打ちをうけた彼は、悔し涙を袖で拭い階段を駆け降りて学園から去った。


 ◇ ◇ ◇


 アパートに帰ると愛犬のタロが舌を出して待っていてくれた。


「ワンッ!」

「お前……」


 涙でタロのシルエットがぼやけて見えた。そして今や、この子だけが彼の味方だった。

 ありがたいことに人間と違っ動物は裏切らない。だから感謝した狭間は、タロを抱きしめると頭を撫でた。


「缶詰買って来たから食べな」

「ワンッ!」


 素直に喜んで食べるタロの姿を見つめながら狭間はお腹を摩った。

 残り少ない残金を缶詰に使ったので、自分の食費を削った。だから空腹で腹が鳴る。


「美味いか?」


 微笑むどこまでも優しき少年。彼は飼い犬の食事を優先した。


 ◇ ◇ ◇


 アパートの家賃を滞納した狭間はほどなくして、部屋から追い出された。

 住む場もなく親戚にも頼れない狭間はホームレスになるしかなかった。


 それから二年の月日が流れ、季節は冬。

 姉から貰ったダークコートを羽織った狭間ざタロを連れて、夜の街を徘徊して食料を探していた。

 食料のありかは主に飲食店のバケツだ。彼は実に情けないと思いながらバケツを漁った。

 だけど、仕事が見つからない状況で生きて行くにはこれしか道はなかった。


「今日はおタロの好きなチキンがあると良いな?」

「ワンッ!」


 銀座の路地裏をタロを連れて歩く狭間が話しかけた。それで、健気な愛犬が鳴いて返事をする。

 そしてタロと共に夜の街をあてもなく彷徨った。


「んっ……」


 なにかに気づいた狭間の足が止まる。

 人々が行き交う飲み屋街の大通りに向かって来る集団と目が合った。


「グルルーーゥゥ」


 その集団の匂いを嗅いだタロが牙を剥いて威嚇した。


「おいっ落ちつけタロッ!」

「おっ!」


 集団の一人が狭間に気づいて近寄って来た。


「おいっ見ろよ皆んなっ狭間コイツまだいたよ!」

「……」


 仲間に向かって振り向き声をあげたのは、かつて親友だった同級生の森谷真司だ。

 ずっと無視していたのに、久々に再会して馬鹿にする様に言った。


「森谷っ奴とは関わるな」


 顕正寺昭彦が眼鏡のブリッジを手で押さえながら言った。彼もかつての親友で、理由を言わず狭間を無視した。


「きったねー格好だな?」

「全くよ、オマケに臭い」


 昔は仲間が良かった女子サッカー部主将の安城由香里が前者で、鼻を指で押さえて言ったのが後者の科学部部長の今井玉樹だ。


 二人も当然訳を言わず狭間を無視した女子生徒。

 そして……


「貴様……まだ東京にいたのか……」


 集団の真ん中に立つ金髪の男性な顔立ちの青年がまるで、汚物を見下ろす様な目で狭間を見て呟いた。


「翔馬か……」


 目の前に立つ彼、重篤寺翔馬を睨みつける狭間。数多く降りかかった不幸の元凶が彼のせいだとは狭間はまだ知らない。

 だけど、翔馬が転校してからだ。狭間が不幸になったのは……


「やだコイツまだいるの?」


 思ったことをすぐ口にする安城が言った。


「本当汚らしいわね……」


 翔馬と腕組みする、黒髪ロングヘアの良い女が髪をかきあげ言った。


「なんでだよ……」


 狭間が未練がましく黒髪ロングの女を見つめていた。


「あら、この私に話しかけないでよ汚らしい」


 女は顎をツンとして腕組みして、汚物を見る様な不快そうな顔で嫌悪感タップリで言った。

 彼女は後一歩で狭間と付き合うはずだった元生徒会副会長の入間碧馬だ。

 ところが急に狭間を裏切り翔馬と付き合い始めたのだ。


「ふふっ実に惨めだな狭間ぁ、良いこと教えてやろうか?」

「なんだと……」


 不快な笑顔を浮かべた翔馬がしゃしゃり出た。


「お前が学園から追放されてから僕が代わりに生徒会長に就任して、それと、お前が狙っていた学園一の美少女の僕の隣にいる碧馬と恋人同士になって今も結婚を前提にお付き合い中だぁ〜」

「くっ……」

「くくっ大好きな女が僕に寝取られて悔しいか狭間ぁ〜?」

「だっだまれ……」


 悔しいけど言い返せないほど疲弊していた狭間は、視線を逸らした。


「ぎゃははっだっせーー!」


 調子に乗ってる森谷が、狭間に指差してあおる様に言った。


「ふふっ碧馬好きだよ」


 翔馬は、狭間の前で見せつける様に碧馬を抱きしめた。


「はいっ翔馬さん愛してます。んっ……」

「くっ……」


 チラチラと狭間の反応を見ながら、碧馬と翔馬が口づけした。

 見たくない狭間は下を向くが、キスする音が耳に入りたまらず両手で塞いだ。


「春香っ僕らもアイツに見せつけてやろうよ!」

「うんっそうだね」


 後輩だった森谷純が、狭間の幼なじみだった百島春香に話しかけ手を握った。

 二人とも狭間を裏切り付き合い始めた。


 ニヤニヤした守屋が春香を抱きしめキスを始めた。


「ちょっと守屋君舌入れないではしたな〜いっ」

「良いだろ別に、だって僕たち」


 チラッと守屋が狭間を見て口角をあげた。


「僕たちも結婚する予定でーーすっ!」

「くっ……」


 このカップルまでも狭間をあおり倒す。

 まるで、優越感のタコ殴りだ。


「あっそうだ!嘘じゃない証拠の写真受けとれよ狭間」


 守屋が一枚の写真を取り出し狭間に突きつけた。写真に写っていたのは、明治神宮で腕を組みして幸せそうな表情を浮かべる春香と守屋二人の姿。


「ぐうぅぅ……」


 写真を喰い入る様に見つめる狭間の両手が小刻みに震えていた。

 そう、見せつけにしても余りにも酷い仕打ちだ。


「あのさぁ汚いんだよ狭間お前


 かつての先輩にタメ口いや、それ以上見下す様に守屋が言った。


「そうだ。さっさと真東京から出て行け。貴様の様な下級のゴミが居て良い街じゃないんだ」


 翔馬が手で払いながら屈辱を言い放った。


「翔馬ぁぁ……」

「なんだその目は……出て行けと言っろっシッシッ痛っ!」

「タロッ!」


 タロが翔馬の右手を噛んだ。

 主人が侮辱されて舌を出して黙っているほど愛犬タロは馬鹿ではないのだ。


「痛っ痛いっ痛い痛い痛いっこの犬ころなんてことっ痛いよ〜〜」


 噛まれて血が滲んだ手を押さえ翔馬は泣きっ面になって、母親に甘える子供の様に碧馬に抱きついた。


「痛いっ痛いだろこの畜生っ!」

「グルルルルゥゥゥゥ……」


 主人を守るため決して怯まないタロは、歯を剥き出しにして翔馬に立ち塞がる。


「ひっ!」


 思わず後ずさりする翔馬。


「げっ源蔵っ源蔵源蔵源蔵源蔵っ!」


 テンパった翔馬が源蔵連呼した。いっぺん言えば分かるよ……


「……」


 黒のスーツ姿の源蔵と二人の部下が、翔馬を守る様に背後から現れた。

 プロの始末屋殺し屋の彼らはSPを雇うより頼もしい。


「この犬畜生いかがなさいます?」

「殺せ《やれっ》源蔵っ狂犬を蹴散らせ!」

「了解」


 淡々と返事した源蔵が懐に手を入れた。


「ガルルルルゥゥッワンッ!」

「止めろタロッ!」


 源蔵にタダならぬ殺意を感じた狭間が止めに入るも、タロは飛びかかっていた。


 ダンッ!


「キャイン!」


 懐から取り出した銃で源蔵がタロを撃った。


「タロッ!ぐっぎ、がっ!?」


 倒れたタロに駆け寄ろうとする狭間に対し、源蔵の部下が狭間の腹に蹴りを一発飛ばした。


「が、タ、タロ……」


 二、三メートル突き飛ばされ腹を押さえ苦痛に耐えながら、狭間は這いつくばってタロに右手を伸ばす。


「ぐっ……」


 しかし、その右手をニヤケ顔の守屋が踏みつける。


「グルルルルゥゥゥゥ!」


 銃に撃たれてなおも主人を守るために立ちあがったタロ。しかし、始末屋を含む男たち全員に囲まれ一斉に蹴りを受けた。


「キャインッギャンッ!」

「止めろ止めてくれ……タロは悪くない……殴るなら俺を殴れよ……」


 愛犬が虐待されているのになにも出来ない狭間は、死ぬほど悔しかった。

 一方的な虐待は十分間に渡って行われた。


「クゥン……」


 グッタリするタロはまだ息しているが、ほぼ虫の息だ。


「さて、二次会に行くぞ皆んな」


 澄ました顔で翔馬が言った。その高級ブランド革靴にタロの返り血を浴びていた。


「良いか狭間っ!この野良犬の死体処理したらとっとと立ち去れよ。死にたくなかったらな」


 そう言い捨て仲間を引き連れた翔馬が夜の街に消えて行った。


 なんとか難を逃れた狭間。

 いや違う。主人を身をていして守ったタロの命が消えかかっていた。


「す、済まねぇタロ……俺を守ってくれて」

「クゥン……」


 よろけながら、なんとかタロの元に駆け寄った狭間は、抱きしめてあげた。

 タロは弱々しい声で応え狭間の顔を舐めた。


「ありがとうなタロ」

「クゥンクゥン……」

「……おいっ!タロッお前までっ冗談だろっお前まで逝くな!頼むっ頼む俺を一人にしないでくれぇぇああぁぁ……」


 大好きな主人に抱かれたタロは静かに天国に旅立った。


「……どうして俺に……」


 茫然自失の狭間はタロの遺骸を抱きあげ、フラフラと眩しいネオン街から避ける様に立ち去って行った。


 ◇ ◇ ◇


「あっ兄ちゃん!」


 朝散歩中だった孤児院の生徒たちが狭間と出会った。


「……」


 悲しみを背負う狭間に答える余裕はない。


「行くよ」


 事情を察したリーダー格の隆史は、タロを抱えた狭間の背中を押して孤児院に向かい入れた。


「どうしたんだいそんなぼろぼろな格好して、それに……」


 園長先生が心配そうに言って抱えたタロに視線を向けた。


「タロは、殺された……」

「そう……残念だったわね。良かったらタロちゃんの死体庭に埋めてあげるわよ?」

「……お願いします園長先生」

「分かったわ」


 園長先生はタロの死骸を引き受け抱えて持って行った。


「狭間のお兄さんお腹空いたでしょう?」


 隆史と同年代で長い黒髪が美しい少女の優華が、温かいシチューを狭間に差し出した。


「……」


 椅子に座り呆然とシチューを見つめる狭間に優華はニッコリ笑って『冷めないうちにどうぞ』と言った。


 狭間は震える手でスプーンを掴むと。


「ズズッ……はぐっはふっズズッはぐっはぐうっゔうっはぐっ……」


 狭間は泣きながら、シチューをかき込む様に口に運んだ。


「……御馳走様でした……」


 完食した狭間は手を合わせた。

 彼の様子を見ていた孤児たちは、あえて事情は聞かなかった。


「もう、行かなきゃ……」


 ふらりと立ちあがる狭間。


「ここに居ても良いのですよ」


 優しい園長先生が言った。しかし、狭間は目を閉じると首を横に振って玄関に向かう。

 先生が呼び止めると、狭間は立ち止まって振り向いた。


「園長先生、タロを頼みます……」


 優しい表情の彼の目にまだ涙が溢れていた。


「本当に行くのかい? 住む場所もないんでしょう?」

「大丈夫です。それよりこれ以上俺が関わると貴方たちが危ない。だから俺は二度とここには居られません」

「そうですか……」


 これ以上自分のせいで大切な人を失いたくなかったから、身を引きいばらの道を歩く選択した。

 孤児たちは立ち去る狭間の背中を見つめていた。


「兄ちゃんっ!」


 陽気な少年ケンが最後に声をかけた。それでハッとした目で狭間が振り向いた。


「俺たちは兄ちゃんの味方だよ」

「……ありがとう皆んな」


 狭間は前を向き、袖で涙を拭い孤児院を去った。


 彼に行き先はない。

 この先狭間になにが待ち受けているのか分からない。


 ただ、分かっていることは、この日から狭間は天涯孤独の男になった。







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