第17話 姉からの電話


 狭間の父春雄が自死してから四十九日が経つのを待たずして、工場と実家を売り払った。

 それは、多額の借金を返済するためだ。それでも完済出来ず残された家族を悩ませた。


 追い出される様に住処を離れた家族は、近場の安アパートを借りて身を寄せ合い再起を誓った。


 狭間の母親は借金返済と生活費を稼ぐために重篤寺重工グループの部品工場に働くことになった。

 それでもお金が足りないので姉の静音が、女優業を頑張って返済する計画だ。


 一方狭間優斗は朝の新聞配達のバイトが何故かクビされた。店長は解雇した理由を配達の遅れと言っていたが、狭間は一度たりとも遅れることなかった。

 その時は翔馬の嫌がらせとはつゆとも知らなず次のバイト先を探したが、どこも不採用で仕事にありつけなかった。


「姉さんごめん。なんか知らないけど不採用続きでさ、簡単なバイトすら見つからない」


 四畳半のアパートで狭間が申し訳なさそうに言った。


「大丈夫よ優斗。お父さんが残した借金は、私が必ず返済するからね」

「姉さんありがとう……」


 狭間が頭を下げると、静音は『なんで優斗が謝るのさ』と言って頭を撫でて慰めてくれた。

 この時ばかりは狭間は高校生から小学生の甘える弟に戻った。


「ところで姉さんの仕事大丈夫なの?」


 理不尽な仕打ちが姉にも降りかかっていないかと、狭間は心配だった。

 だけど、静音は首を横に振った。


「これから〜新しいドラマや映画の主演が決まってるし、以前からスポンサーと契約しているブライダル会社の新しいCMも近々テレビに流れるから期待できるわよ」

「CMのギャラで借金の一部が返せそうだね?」

「そうね……何事もなければの話だけど」


 静音の表情が曇る。


「えっ……それって?」


 静音の一言に狭間は言い知れぬ不安が過ぎった。しかしこれ以上、姉にまで苦難は来ないと自分に言い聞かせた。


「静音っ!!」


 パートの仕事を終えて帰宅した母が、血相変えてふすまを開けた。

 左手には丸めた週刊誌を握り絞めていた。


「こんな大変な時期になんてことしてくれたの?」


 母がそう言うと週刊誌を開いて記事に指差した。

 その記事に静音と共演したことある俳優が手を握り合いラブホテルから出る写真だ。

 そして、見出しには人気女優静音と不倫か? とデカデカと書いてある記事。寄りに寄ってこの俳優は家庭を持っていた。


「この記事はデタラメです。私不倫なんかしてません」

「だったらこの写真はなんなのよ?」


 合成技術ででっち上げる世の中だから、信憑性に欠けるのだが、信じて疑わない母は静音に雑誌を渡し問い詰めた。


「とにかく私はやってません!」


 雑誌を放り投げ両手で顔を覆った。


「一体なにが書いてあんのか?」


 姉の代わりに狭間が週刊誌を手に取り、詳しく目を通した。


「馬鹿なっ!」


 狭間の雑誌を掴む手が動揺と怒りで震えた。


「人気女優静音が有名俳優と不倫か? だとう……デタラメ書きやがって姉さんが不倫なんかする訳ねーだろ!」


 狭間が否定しても、流石の静音は肩を落とし落胆していた。

 そう、彼女はことの重大さに気づいていた。それが例え嘘の記事だとしても……


 静音が首をあげる。


「気持ちは分かるわ優斗。でも良く聞いて、その記事が嘘でも、なにも知らない人々はそう信じるでしょう。だから、一度出た風評被害はスポンサーにも影響を及ぼすの……」


 そうやって潰された有名人がどれだけいたことか……


「心配すんな姉さんっそんなゴシップ記事すぐに忘れられるよ」

「だと良いんだけど……」


 静音は不安そうに視線を横に流した。すると狭間が肩に触れた。


「俺と母さんとタロ(愛犬)が側にいるから、マスコミなんかに負けんじゃねえよ!」

「……優斗ありがとう」


 今度は弟が姉を抱きしめ励ました。


 ◇ ◇ ◇


 翌日からクラスの雰囲気が変わったのに気づき始めたのが、親友の顕正寺昭彦に話しかけた時だ。


「おはよう昭彦」

「……」


 椅子に座る顕正寺はソッポを向いた。


「なんだよ無視か?」

「悪いが、これ以上僕に話しかけるな」


 そうはっきり言った顕正寺は席を立つと一人トイレに入って行った。

 狭間は深追いはせず、彼の背中を悲しげに見つめていた。


「なんだよ冷えなぁ……」


 喧嘩した覚えがないのに親友に無視される原因が分からない。

 ただ、それは一時的で、しばらくすれば治まるだろうと思っていた。


 しかし、それは甘かった。その後、誰一人にも話しかけられなかった。


 放課後になって狭間はたった一人で生徒会室で仕事をこなし、一人孤独に下校した。

 すると階段を降りる途中、スマホから着信音が鳴った。発信者は姉の静音からだ。


「もしもし、姉さんどうしたの?」


 姉からの連絡なんか余程のことがないと来ないので、狭間は嫌な胸騒ぎを感じて電話に出た。


「優斗、今からする話しを落ち着いて聞いて」

「……」


 予想通り良くない報告の様だ。


「仕事中お母さんが事故に遭って帰らぬ人になったの……」

「嘘だろっ!? だって父さんが亡くなったばかりじゃないか?」

「落ち着いて優斗……私だって信じられないけど事実なの……」


 静音は必至に哀しみをこらえている様子だが、涙声で喋り今に号泣しそうだ。


「お母さんが死んだ……俺たち家族になんで不幸が立て続けに起きるんだ……」


 電話を切ると狭間はよろめきながら母が眠る病院に向かった。


 その間、狭間は涙を流さなかった。それは、余りにもショックが強すぎるせいもあるが、今涙を流したら、父と母を亡くしてしまった受け入れ難い現実を受け入れてしまうことになり、それは耐えられず精神が崩壊してしまう。

 だから今は流さない。無意識だが、一種の体による防衛反応だろう。


「お母さんに早く会いに行かなくちゃ……」


 狭間はこれ以上家族に不幸が訪れないことを祈り病院に向かった。


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