第19話 偽装工作


 六月の朝、四畳半アパートの茶の間で姉静音が、狭間に茶封筒を手渡した。


「姉さんこの封筒は?」

「ちょっと少ないけど、甘やかすとダメだから……」

「えっちょっと待って!」


 封筒の中身を覗くと6万円札が入っていた。


「丁度授業料払う時期でしょ?」

「少ないなんてとんでもないよ姉さんありがとう」


 バイトをしたくてもどこも雇ってくれない時に、この6万円は尊いお金だった。

 封筒を受け取った狭間は涙ぐみ、優しい姉に感謝した。


 これでなんとか学校に通えると狭間は胸を撫で下ろした。


「どんなに苦しい時も、私は優斗の側にいるからね」

「姉さん……」


 姉の温かい励ましの声が狭間にとって一番の心の支えであった。


「そろそろ時間よ」


 静音が腕時計を指差し言った。


「いけね、生徒会長が遅刻する訳にはいかねーからな」


 慌てて立ち上がる狭間は鞄を持って玄関に向かった。


「優斗っ行ってらっしゃい」


 静音が優しく微笑んで言った。


「うんっ行ってくるよ姉さん」


 美人で優しい姉に見送られ、思わず狭間の口元がたるむ。


 両親は不幸な死を迎えたが、自分を大切に思ってくれる姉がいる。

 帰ったらまた笑顔で向かい入れてくれると、そう思っていた。


 しかしまさか、この日が最後の別れとは知らずに……


 ◇ ◇ ◇


 忙しい静音は無理言って一週間の休暇を取っていた。だから、一日中アパートで家事をすることにした。


 甘やかしに見えるが、弟は一人で暮らせると分かっていても、今は側に居てやらないとの姉の優しい気遣いだ。


 朝のニュースを聞きながら静音が食器を洗っていると、ピンポンが鳴った。


「あら、朝から誰かしら?」


 入居して間もないから知り合いもいないし、てっきり大家さんが用件があってチャイムを鳴らしたと思った静音は、確認もせずドアを開けた。


 すると、ネービーブルーのズボンとジャンバーを着て、キャップを目元を隠す様に深々と被った三人組の見知らぬ男たちがいた。

 真ん中の男の顔は深いほうれい線から年配と分かった。

 それに……


「貴方は確か……」

「……」


 男の顔に何故か見覚えがあった。静音は失礼と思いながらも顔を傾けて顔を覗き込んだ。

 やはりその顔に見覚えがあった。優斗の幼なじみの春香の父親の顔だ。

 優斗が幼い頃春香のお家で遊んでいて、静音が迎えに行った時に度々父親と対面していたからだ。


「お、おはようございます百島さん……」

「……」


 静音が挨拶するも無反応で、対面した顔見知りは無言でたたずんでいた。

 ただならぬ雰囲気に背筋が凍った。


「まさか……」


 不意に春香の父親の黒い噂を思い出した。

 父源蔵の黒い噂とは、拉致や暗殺をこなす汚れ仕事を生業とする政府の特殊工作員。


 危機を感じた静音がドアを閉めようとすると、源蔵が片手で止めた。


「ちょっと来てもらえますか?」

「……」


 後ずさりする静音。しかし、若い工作員がズケズケと室内に侵入した。


「きゃあっ!」


 身の危険を感じた静音が窓から逃げ出そうとするが、工作員に手首を掴まれ拘束されてしまった。


「嫌っ離してっ!」

「良いから来るんだ!」

「ああっ優斗ごめんなさい。んぐっ……」


 口元を塞がれ気を失う静音。

 彼女は腕を掴まれた瞬間、最愛の弟と二度と会えなくなると悟り、謝罪の言葉を言った。


「おいっみのるっ連れてけ」


 源蔵が部下と思わしき工作員に命令する。


「隊長っ少し気になることが……」

「どうした?」

「酒の匂いが気になります」

「なんだと?」


 確かに部屋中ワインの香りが漂っていた。しかし、源蔵は『昨晩酒盛りした残り香』だと部下の疑問を切り捨てた。


「乗れっ」

「……」


 銃を背中に突きつけられた静音は助けを呼ぶことが出来ず、黒のワンボックスカーに乗せられどこかに連行された。


 静音が連行された場所は十階建てのマンション最上階の一室。

 しかも不倫相手の部屋だった。もちろんデッチあげだが……


「遺書を書け」


 拳銃を突きつけ命令する源蔵。


「私を自殺に見せかけて殺す気ね……」

「……」


 源蔵は不用意に答えない。実に良く出来た主人に忠実な犬だ。

 それでも静音は誰の命令か聞き出そうとする。


「一体誰の命令なの……」


 しばし考えてから静音の目が見開いた。


「まさかっ!」


 ギイッ


 すると隣部屋のドアが開いた。


「察しが良いね」

「貴方はっ!?」


 姿を現したのは重篤寺翔馬。これまで狭間を不幸にした張本人だ。

 そして彼は新たな不幸を起こそうとしていた。


「全ての悲劇の裏で暗躍していたのが、やはり翔馬貴方ですか……」

「いやぁ参ったなぁ、流石女優ですね。静音さんには全てお見通しでしたか?」

「……もう少し早く知っていれば……」


 静音は口惜しげに言った。


「いやぁ参ったね」


 にやけズラで、ふざけた態度の翔馬が両手をあげ降参のポーズ。


「どう言うつもりですか……」

「恨まないで下さいよ。君の弟が、この僕に生徒会選挙に勝つからいけないんだ。分かるだろ? あってはならないんだ……庶民が上級国民に勝つことなど」

「……」


 余りにも身勝手で、相手の立場を無視した被害者意識だと静音は思った。

 しかし、静音は気丈にも反論する。


「ずいぶんと身勝手な理由で他人を不幸にしますか?」

「んっ身勝手だと? 良いかっ君の弟はこの僕の顔に泥を塗ったんですよ? そんなの許さないんですよ!」

「だからそれが身勝手です!」

「黙れっ!今から君は不倫が原因でこのマンションで身を投げて自殺するシナリオだ」

「嫌っ!」


 静音が逃げ出そうとするも、源蔵に羽交い締めにされた。


「源蔵っこの女をさっさと殺せ《やってしまえ》!」

「遺書がまだですが……」

「それは偽造しちまえば良いから、さっさとやっちまえ!」

「……了解した」


 キャップを深々と被り直し、口をくの字に結んだ源蔵が、静音の右手首を掴んで引っ張ってベランダに向かった。


「んっ……」


 不意に源蔵の足が止まり、何故か鼻腔をヒクヒクさせた。


「来いっ」


 しかし、気にせず静音をベランダまで引きずった。


「離してっわ、私は死ぬ訳にはいかないのっ!げっ源蔵さんっお願い助けてっ!」

「……」


 命乞いする静音に対して無視する源蔵は、顎で部下に支持した。

 二人の工作員が静音を、ベランダの手すりより上に持ちあげた。


「嫌っ嫌っ私は優斗のために死ぬ訳にはいかないのっ!お願いっなんでもするから殺さないでっ!」


 静音の悲痛な命乞いに源蔵は非常にも部下に『殺せ《ヤレ》』と命令した。


「……了解っ」

「いっやああああぁぁぁぁっ……」


 殺人マシーンと化した工作員の部下たちが、命乞いする静音をベランダから投げ落とした。


 数秒後、ドスンと鈍い音が響いた。


「……」


 工作員の一人の手が震えていた。どうやら初めて人を殺めたからだ。

 そんな新人を励ます様に源蔵が肩に手をかけ軽く叩いた。


「良くやったぞ源蔵」


 不謹慎に拍手する翔馬。


「翔馬様……これから偽装工作しますから、早く退去して下さい」

「あぁ分かったよ」


 バレても権利でいくらでも揉み消せる翔馬は余裕の態度で、『あとは頼んだぞ』と手を降りながら退室した。

 それから源蔵らは慣れたもので、淡々と後処理を始めた。


「それにしても……」


 源蔵は何度も振り返り室内を見渡した。しかし、気配を感じても異常はなかったので作業を続けた。



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